果ての光~軍人侯爵の秘密と強制結婚の幸福~

百花

文字の大きさ
上 下
15 / 45
第五章

第十五話

しおりを挟む
「そうですね、それもいいかもしれません」

 そう言うと私の手を掴み、書斎の中へ連れていく。初めて入室を許可されたその場所には壁一面の本棚、机、二人掛けのソファーが置いてあったが、それ以上にうず高く積み上げられた書類が私を圧倒した。机の上にも、床の上にも、紙が散らばっており辛うじて人が通れるスペースだけが確保されている。
 こんな場所に私が入っていいとも思えなかったが、ロードリックは見るからに疲れ切っていてそれを判断する余裕もないのだろう。

 私が口を滑らせなければいいだけだから、まあいいか。

 ロードリックはソファーに私を座らせて、隣に自分も腰を下ろす。使用人に紅茶を持ってこさせて二人でそれを啜ったが、余程眠いのか会話が弾まない。

「凄い数の書類ですね」

「……ええ」

「美味しいですね、この紅茶」

「そうですね……」

 この調子である。一回眠らない限り、頭も働かないのではないのだろうか。

「仮眠を取りますか?」

 提案してみると、ロードリックも自覚があるのか素直に頷いた。

「そうします」

手にしていた紅茶を机の上に置くと、壁掛け時計を指さした。今はお昼を少し過ぎたぐらいである。

「三十分経ったら教えてください」

 言うや否や、腕を組んで目を閉じてしまった。気絶のような速さで寝息が聞こえてくる。

 えっと、三十分動かない方がいいのかしら。

 折角眠る事が出来たロードリックを、身動きして起こしてしまうのも申し訳ない。置物の様に静かにしている事にした。
 視線を部屋にさ迷わせると、暗号で書かれた書類や、細分化された各国の地誌がある程度種類に分けられて置かれていた。
 大変な仕事をしているのを垣間見て、改めてロードリックを尊敬する。彼は一族と、この国を守る為に身を粉にして働いているのだ。
 その重圧はどれほどだろう。辛いとは感じないのだろうか。
 私が少しでも負担を減らす為に協力出来る事は無いだろうか。
 そんな事を思いつつ身動きせずにいると、深い眠りに落ちたロードリックの体が私の方向へとずり落ちてくる。
 驚いて隣を見ると、彼の寝顔が至近距離にあった。彼の頭が私の肩に乗って止まる。
 本格的に身動きが出来なくなってしまった。
 ロードリックの髪の毛が頬に当たり、そのこそばゆさが私の恋心を刺激する。

 眠っている所、初めて見たかも。

 寝室は未だに別だった。私が言えば彼は応えてくれるのかもしれないが、温情に甘えて恋人としての振舞いを要求するのも悔しいのでしていない。なりふり構わなくなるのは、まだ先でいいだろう。
 なにせ既に立場としては妻である。だからこそ心の距離を詰めるのを一番優先したかった。

 隣で寝てくれるって事は、少しは甘えてくれているのかな。

 だとしたら嬉しい。込み上げてくる愛しさに一人笑みを浮かべる。頭を乗せた肩が固まっていくのを自覚しつつも、時の進みが遅くなるようにと願った。

「……ハーヴィー様」

 それは秒針の音にも消されそうな程小さな寝言だった。起きたのかもしれないと思いロードリックを見てみるが、瞼はしっかりと閉じられている。

 誰の事だろう。

 今まで会った天来衆の人にはいない名前だった。様をつけて呼ぶのだから、身分としては同じか、それ以上の方だろうか。もしくはロードリックに尊敬されているのかもしれない。
 あれこれ考えている内に、あっという間に言われていた三十分が経過してしまう。起こしたくない気持ちを抱えつつも声をかけた。

「ロードリック。時間になりました」

 すぐに長い睫毛が震え、目がゆっくりと開かれる。そして体が私に寄りかかっていた事に気づき、驚いたようだった。

「すみません。重かったでしょう」

「いいえ、大丈夫です」

 重さだけで言えば肩が凝るぐらいだったが、それ以上に幸せだったので勿論口に出さない。少し恥ずかしそうな顔をしているので、つい笑みを浮かべてしまう。

「……おかげで少しすっきりしました」

「良かったです」

 ロードリックの顔色はさっきよりも随分マシになったように見えた。また直ぐに仕事に戻るのだろう。
 顔を合わせられなくなる前に、忘れない内に疑問に思った事を聞いてみる。

「ハーヴィー様って誰ですか?」

 私に聞かれてロードリックは驚いたようだった。

「何処で聞いたんですか?」

「えっと……寝言で」

 ロードリックを指さしてみると、思いもよらなかったようで一瞬固まってしまう。そしてカレンダーに視線を向けて懐かしむような、愛おしむような、淡い笑みを浮かべた。

「……あの日が近いからか」

 いつもの穏やかさの仮面が剥がれ、彼の目に宿る強い感情に驚く。それはまるで恋をしたかのような切ない表情でもあった。

 ロードリックの心の中に、その人がいる。

 胸が騒めいた。私が知らない彼の姿に、穏やかではいられなくなる。
 長い間を生きてきたのだ。頭では色々な人と出会っているのを理解しているのに、いざ目の前で目の当たりにすると幼い嫉妬心が私を苦しめた。
 けれど名前から察するに男の人である。本当に一体ロードリックにとってどんな人なのだろう。
 首を傾げてロードリックの口から説明を待っていると、思いついたように彼は言った。

「そうですね、明後日空いていますか?」

「はい」

 どうせ用事らしいものは私には無い。

「一緒に行きましょう。説明はその時に」

 そう笑うロードリックはもう普段通りの穏やかさだ。思いもよらず一緒に外出する約束を取り付けたが、デートだと素直に喜べるような空気ではない。
 何処に連れて行ってくれるのだろうか。
 ふと、明後日の二十六日に毎月彼が私服で何処かへ行っていたのを思い出す。特に気に留めてなかったその事実が何故だかとても胸を重くさせる。

「……分かりました」

 色々聞きたい気持ちを抑えて大人しく首を縦に振ると、ロードリックは兄の様に私の頭を撫でてきた。

 いつか私にも、あの目を向けてくれますか?

 そんな事、とても口に出せやしないのだった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

もう彼女の夢は見ない。

豆狸
恋愛
私が彼女のように眠りに就くことはないでしょう。 彼女の夢を見ることも、もうないのです。

私が、良いと言ってくれるので結婚します

あべ鈴峰
恋愛
幼馴染のクリスと比較されて悲しい思いをしていたロアンヌだったが、突然現れたレグール様のプロポーズに 初対面なのに結婚を決意する。 しかし、その事を良く思わないクリスが・・。

【完結】彼の瞳に映るのは  

たろ
恋愛
 今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。  優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。  そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。  わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。 ★ 短編から長編へ変更しました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

溺愛彼氏は消防士!?

すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。 「別れよう。」 その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。 飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。 「男ならキスの先をは期待させないとな。」 「俺とこの先・・・してみない?」 「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」 私の身は持つの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。 ※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

処理中です...