果ての光~軍人侯爵の秘密と強制結婚の幸福~

百花

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第三章

第七話

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 ふかふかの天蓋付きベッドに身を沈め、朝日と鳥の鳴き声にぼうっとしていると今が夢の中なのか区別がつかなくなる。目に入るのは美しい調度品ばかりだし、誰にも朝を邪魔される事がない。
 けれどこの場所は美しい籠でしかないのを、私は十分に知っている。
 伸びをして眠気を払い、ベッドから降りて使用人を呼ぶ為のベルを軽く鳴らすと、程なくして橙色に光る目元の涼しい女性が部屋に入って来た。

「おはようございます。お加減はいかがですか?」

「おはようございます。ポーラさん。特に問題はありません」

 彼らの事を、事情を知る一部の人間は天来衆と呼ぶらしい。見てわかる通り、彼女も人間ではなく天来衆の一人である。
 ロードリックさんの家は小舟を浮かせられそうな大きな池のある庭があって、建物は何棟も建てられている。それらが高い塀に囲まれて全て同じ敷地の中にあった。まるで王族の避暑地のような贅沢さである。
 けれどこの中にいる全ての人物の中で、人間は私たった一人しかいないのだった。
 ポーラさんは私付きのメイドで、朝支度の手伝いなど色々と手伝ってくれる。確かにこの家の中で粗雑には扱われていないが、かといって私の要望が通るのかと言えばそれもまた違った。

「あの、ロードリックさんは今、何をされてますか?」

 身支度をしつつ尋ねてみると、社交辞令の淡い笑みを浮かべて教えてくれた。

「今頃は丁度出勤される頃合いかと思います」

「えっ」

 慌てて正門方向の窓を覗き込んでみれば、馬車に乗り込むロードリックさんの姿が見えた。残念な気持ちが重い溜息となって口から漏れる。
 今日はいつもより早起きしてみたのに。
 そう。この家に来てから、私はロードリックさんと顔を合わせる時間がとても少なかった。朝は今のように慌ただしく出勤してしまう事が多いし、夜は遅くに帰ってくるか部屋で作業をしているので邪魔を出来ない。
 しかも寝室は別なので、夫婦とは完全に名ばかりのものであるのを嫌という程思い知らされていた。
 せめて少しでも会話をと、望むのは私の贅沢すぎる望みなのだろうか。
 実の所、私は彼ときちんと夫婦になる覚悟でこの場所に来ていた。それが今のような扱いで拍子抜けというか、残念な気持ちなのが正直な所だった。
 相思相愛の夫婦になるのが、私の夢だったのになぁ。
寂しさが降り積もっていく。それは静かに冷たく、私の心を凍らせてしまうに違いない。
 馬車が完全に視界から消えるまで見送り、さて今日は何をしようかと頭を巡らせる。家の事は全て管理する者がちゃんといるので、普通の貴族の女主人の仕事はまるでない。
 寿命のない彼らは人員を入れ替える事もなく、百年前と同じことを今日も淡々と繰り返すのだった。

「そうだ。家の掃除とか、手伝わせていただけませんか?」

 仕事を作れば気も紛れるだろうとポーラさんに提案してみたが、相変わらずの張り付いた笑みで首を横に振る。

「申し訳ございません。この屋敷には貴重な品々も多く、繊細な管理が必要ですので……」

「そうですか……」

 これでは本当に籠の鳥だ。
 失望したのを隠せないまま、気分を変えようと部屋から出てみた。目的は無い。ポーラさんは静々と少し離れた所から私の後を付いてくる。
大きな絵画に彩られた二階の廊下に出れば幾つもの扉が目に入った。それらの殆どに立ち入りを許可されているが、この中の三部屋は入らないようにと言われている。
 一つはロードリックさんの寝室。もう一つは仕事をする書斎。最後の一つは何も教えてくれず、不明のままである。いつか教えてくれる日が来るだろうか。
 一階にぶらぶらと降りて行き、何人かの使用人達とすれ違った。彼らは私を見て挨拶を交わしてくれたが、深入りする事無く仕事を続行する。沢山の人と暮らしている筈なのに、これ以上ない程に孤独を感じた。

 帰りたいな。あの優しい家に。楽しく過ごした喫茶店に。

 けれどそれは許されないのも分かっていた。だから唯々、時が過ぎる苦痛に耐えるしかない。
 外に出てみると美しく手入れされた薔薇園が目に入る。そこで屈みながら雑草を毟っている、水色の光を放つ天来衆がいた。

「あの、すみません」

 声をかけてみると、青年姿の彼は土をつけた顔をこちらに向けた。

「何か、お手伝い出来る事はありませんか?」

 相手が私だと分かった途端に彼の顔が歪む。鬱陶しそうに手を振り、作業を続けながら答えた。

「そんなもん、ねぇよ」

「そうですか」

 歓迎されてない雰囲気を察し、気分が落ち込んでいく。私だって望んでこの場所にいる訳ではないのに、どうして冷たい態度をとられなければならないのだろう。悲しさと少しの怒りが胸に沸く。

「人間は嫌いですか?」

「まあな」

「何か酷い目に合ったのですか?」

 背中を向ける彼に質問をぶつけてみると、彼は手を止めて私を険しい顔で見た。

「アンタはどうやったって、ロードリック様の迷惑にしかならない。人間のアンタには分からないだろうが、俺達にとってロードリック様は代えの利かない大事な方なんだよ。うろちょろせずに、邪魔しないように大人しくしてればどうだ」

「教えてください。何も分からないから。天来衆と人間は、どう違うんですか?」

 迷惑そうな顔にもめげずに質問し続けてれば、彼は一応答えてくれた。手に持つ鎌を置き、近くを飛ぶ蜂を指さす。

「俺達はアレだ。働き蜂。で、ロードリック様は嬢王蜂みたいなもんだ。あの人がいなけりゃ、纏まる物も纏まらねぇ。敬愛すべき大事な大事な嬢王蜂の近くに、最近コバエがうろついてる。目障りだろう?」

 ああ、うん、分かった。彼は人間が嫌いというより、私が邪魔なのだ。

 でもいったい私にどうしろと。私は、この屋敷の中で生きるしかないのに。
 熱い何かが目元にせりあがってくるが、負けたように泣くのも悔しくて根性で堪える。立ちつくし、この理不尽をどうにか自分の中で折り合いをつけようと努力した。
 私の顔を見て少しは悪いと思ったのか、水色の彼は眉を寄せて立ち上がる。
声もかけずに何処かに離れて行き、戻って来た時には片手に一鉢の植木鉢を抱えていた。

「これの世話でもして、暇を潰すんだな。毎日葉っぱを拭いて、霧吹きをかけてやって、太陽のある場所に置くんだ。十度以下にならないようにしろ。水は土が乾いてから。どうだ。簡単だろ?」

 そう言いながら私に植木鉢を押し付ける。それを受け取ると、見た目以上にずっしりとした重みがあった。

「……ありがとうございます」

 暇を潰せるようにしてくれたのは率直にありがたい。感謝の気持ちを伝えると、彼は自分の頭をガシガシと掻いた後に、難しい顔をして作業に戻った。
 多分、彼の心情も複雑な何かがあるのだろう。そう思いたい。私は気を利かせて植木鉢をくれた事だけを彼への評価とすることにする。

「私はクラリスです。貴方のお名前は?」

「コリン」

 ぶっきらぼうな声だったが悪意ばかりでもなさそうなのが分かり、もう胸が痛む事は無かった。
それからコリンは黙々と作業に戻ってしまったので、植木鉢を抱えて自室に戻る。
 自室の窓際の日当たりのいい場所に植木鉢を置いてやると、その緑で居心地の良さが増した気がした。
 でもいよいよやる事がなくなってしまったので、また何か考えないといけない。

「父さんと母さんに手紙でも書こうかしら」

 手紙を出す事は禁じられていない。検閲が入るもののきちんと届けてくれているようで、その証拠に返事もくる。
 机に向かって使い古した万年筆を走らせ、最近の天気の事とか些細な気付きなどを書き記した。今日は鉢植えを貰えただけ、内容が充実しているほうだった。
内容が大したものではないのは仕方ない。書く事なんて殆ど無い上に、詳しく書いたら今度は検閲に引っかかる。
 でも、出していれば少なくとも生きているのは分かるから安心してくれるだろう。
 影のように控えていたポーラさんに、封をしていない手紙を渡して言った。

「これ、いつものようにお願いします」

「かしこまりました」

 彼女は受け取ると恭しく一礼し、大きなポケットにしまった。ポーラさんが私の傍仕えになったのが来て直ぐだから、もう一か月は一緒にいる事になる。
けれど丁寧に対応してくれるばかりで、親しくなれる気配は全くなかった。
 これがいつまで続くのだろう。先の事を考えると気が滅入るばかりである。必要とされないと言うのは、こうも人間の心を殺していく。
 何処かでロードリックさんに、少しでもお時間を取っていただく事は出来ないだろうか。

「そうだ」

 ふと、彼に手紙を書いてみようと思い立つ。いくら忙しい彼でも、手紙であれば流石に目を通してくれるだろう。

 ああ、何で今まで気づかなかったんだろう。

 久しぶりに心を躍らせながら、万年筆を再び握った。失礼のないように、丁寧に一文字ずつ書き記していく。
 私も貴方の力になりたい。お飾りでも、名前だけでも、妻なのだから。
 本心からの気持ちを、押しつけがましくならないように意識しながら文を綴る。
 そうして出来上がった手紙は、我ながら悪くない出来栄えだった。

「ポーラさん。あの……これ、ロードリックさんに渡していただけますか?」

「長に?」

 初めて見るポーラさんの驚いた表情だった。差し出された手紙を、目を見開いて見ている。

「はい。お邪魔にならない時間にこそっと、お願いします。ご迷惑をおかけしているのは重々分かっているんですが……天来衆の皆さんとこれからも生活していく為の相談に乗っていただきたくて」

 ポーラさんは薄く笑って、先程と同じように手紙を受け取ってくれた。

「かしこまりました」

 私は彼女の心情になど何も気づかないまま、断られなかった事に安堵したのだった。

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