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第二章
第六話
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「今まで挨拶にも来ず、クラリスさんとの交際を隠した非礼、お許しください。けれどその事が明るみになった時の彼女への負担を思えば、明かす事が出来ませんでした」
「それは……当然でしょう。世間から何を言われるか」
父さんは私を心配してくれたようで、眉間に皺を寄せて難しい顔をした。
「ええ。自分が難しい立場である事は十分に理解しています。けれど私は、クラリスさんを諦める事がどうしても出来ませんでした」
そう言って私を見て目を細める。それは恋人を見る表情そのもので、高鳴ってしまう鼓動に思わず視線を逸らす。見つめ返すのが正解だったかもしれないと直ぐに気づいたが、幸いその違和感を両親は見過ごしたようだった。
ロードリックさんは父さんに再び顔を向け、芯を感じさせる力強い口調で言った。
「結論から申し上げます。どうか、クラリスさんとの結婚を認めていただきたい。こちらの家族の説得は既に済んでおります」
交際を飛び越えた宣言に、両親は本日幾度目かの衝撃を受けたようだった。口を開閉させ、二人で顔を見合わせて目で何かのやり取りをしたようだった。それは恐らく、否定的な意味なのが何となく分かってしまう。
やがて父さんは口を開いたが、出てきたのはやはり認められないという意味の言葉だった。
「……恐れながら、ローランド様。我が家は余りに不釣り合いでございます」
「世間からこのような婚姻がどう思われるかは理解しています。しかしだからこそ、私はクラリスさんを迎え入れたい。世間の雑言から離し、只の男女として共にありたいのです」
「どうしてムーアクラフトの方々がそれをお許しになったのかは分かりませんが、嫁ぎ先が侯爵家では娘に対して持参金も満足に持たせてやれません。そして苦労するのが分かっていて、認める事が出来る親が何処にいるでしょうか」
父さんの態度が、次第に硬化していく。それは偏に娘を思う親心からであるのを理解していながらも、私が肩を持つことが出来ない現状を唯々申し訳なく思った。
けれどロードリックさんが折れる様子は全くない。寧ろそう言われるのを見越していたように平然としていた。
「確かに、何もないとは言えません。けれどムーアクラフト家では、思われているような一般的な貴族の女主人の苦労とは毛色が違うのです。……失礼。このままでは障りがあるので、窓を閉めさせていただいてもよろしいでしょうか?」
許可を取って、ロードリックさんはこの部屋の全ての窓のカーテンをぴったりと閉める。外から何も見えなくなったのを念入りに確かめ、再び椅子に戻った。
「これから先は、全て極秘事項になります。けれど聞いていただかなければなりません。友人にも親族にも……いえ、この部屋を私達が出た瞬間から一切口に出さない事を誓っていただきたい」
その雰囲気は一族を取りまとめていた長としての姿を思わせ、すっかり両親はのまれてしまったようだった。両親が頷いたのを確認してから、ロードリックさんは口を開く。
「我が家は確かに貴族として認められてはおりますが、戴冠式以外のあらゆる外交、式典に出席しません。それは代々、情報を収集する仕事を担っているからです。家には他国の政権を揺るがすもの、何十人の人の生死を左右するもの、あらゆる機密情報に溢れかえっている。命を狙われる事も多い、危険な仕事です」
自分達がどれほどの重大な情報を聞かされているかを知り、両親の顔色が白くなっていく。
目の前の青年はただ美しいだけの男ではなく、またただの世間知らずの貴族ではなく、恐ろしい一面を持つ冷徹な男だと。
ロードリックさんは虚と実を巧妙に混ぜて語りながら、この場を支配した。
「情報と命を守る為に他家との繋がりが非常に薄く、妻となる女性には閉じこもる事が望まれます。お父様の心配事が、貴族としての付き合いなどでしたら心配は不要です。一方で私はクラリスさんに、盛大な貴族らしい結婚式など開いてやる事は出来ません。けれど何からもお守りする事を誓います。私のすぐ傍で、どんな銃や剣も防いでみせます。その為に妻として向かい入れる事をお許しいただきたい。彼女は私の、既に弱点なのです」
長い沈黙が部屋に落ちた。恋人として認めるかどうかの域を超え、殆ど脅しのような話だった。このままでは娘の命が危険であるのを告げられ、選択肢は一つしかない。それを認めるだけの時間が、二人に必要だった。
疲れる程の時間が流れた後、父さんは病人のような暗い表情でロードリックさんに聞いた。
「……何故。何故、うちの娘なのでしょうか? ごく普通の娘です。ローランド様でしたら、どのような女性でも見初める事が出来るでしょうに」
ロードリックさんは父さんから少し視線を外し、記憶を辿る。
「あれは……あの店に通い始めてから三か月ほど経った時の事でしょうか。何度か以前に喫茶店で見かけた事のある老人が来店し、クラリスさんの接客を受けていました。私の目には前と変わらない様子にしか見えませんでしたが、クラリスさんには違ったようで『何かあったんですか?』と聞いたのが聞こえました」
ロードリックさんが本当にあった出来事を話し出したので内心驚く。彼にとってはただの店員でしかなかった私の事を、よく覚えているものだ。
まるで本当に前から私に興味があったかのような、そんな気にさえさせる記憶力だった。
「あの店では店員はよく教育されてますから、余程確信があって声をかけたのでしょう。その方が友人を亡くした報せを受け、気落ちしているのに直ぐに気が付いたのです。クラリスさんはその方の友人を偲び、慰めの言葉をかけていました。目が行くようになったのは、それからです」
自分の事を目の前で話されてむず痒い気持ちになる。両親は全てを信じ込み、ロードリックさんの話に熱心に耳を傾けていた。
「とてもよく客を観察し、出しゃばらず、さりげない優しさで作り上げたあの空間が私にはとても居心地が良かった。余りに多くの事を知りすぎている私にとって、他者を愛し、裏表なく寄り添おうとするその心がとても眩しいのです。そして耐え切れず声をかけてからも、知る程にのめり込んでしまった。いつしかもう失えないと確信するほどに」
ロードリックさんは愚かな自分をも受け入れるように柔らかく笑う。それは何処から見ても平凡な恋をした男の顔で、先程までの恐ろしさはなかった。
そして両親の注目が自分に集まっている事を思い出し、また静かな支配者の仮面を被る。
「……平凡かもしれませんが、恋の始まりなどこんなものではないでしょうか」
父さんは難しい顔をして黙ってしまった。最後の一言が、どうしても言う事が出来ないのだろう。
今まで父さんに話の主導権を渡していた母さんが、嘘が苦手な為に口を挟まないでいた私に向かって言った。
「貴女はそれでいいの?」
「……うん。あの、ね」
私は言葉に詰まりながら、設定を思い出しつつ隣にいるロードリックさんを一瞥する。恋をする演技が必要ない程に、彼は十分魅力的な人である。例えその顔が偽りであるかもしれなくても。
「この人はとても優秀な方で、他の人が立ち上がれなくなる程の重荷をずっと背負い続けている。……けれど重くない筈がないのよ。それなのに、困っている人を放っておけずに手を差し伸べて更に荷物を背負い込もうとする。そして高みから全てを見下ろせる立場にいるのに、泣いている人がいれば腰をかがめて同じ目線で理解してくれようとする。きっと父さんも母さんも好きになるわ」
これは本心からの言葉である。今だって私を攫う事も出来たのに、両親が悲しむだろうとこうして説得しに来てくれている。これを優しさと言わずに、何と言う。
「私が彼の元に行くことで、重荷が一つでも減るなら迷わず行きたいの。お願い、父さん、母さん」
「お前が思っている以上に、辛い事や苦しい事が沢山あるだろう。後悔をした時には、もう遅いんだぞ」
父さんはまだ諦めきれないようで、何とか説得しようと私に厳しい顔をした。
「全く後悔しない人生なんて、存在しないわ」
絶対に折れてはいけない裏事情があるのである。両親が最後には私の選択を尊重してくれるのを知っている。だから笑顔で、決意が固い事を示した。
父さんは腕を組んで黙ってしまった。多分、もう少しで認めてくれるだろう。そう思ったものの、不安になるぐらいの時間が経過していく。
隣のロードリックさんを見上げてみたら、真面目な顔をして真っすぐに両親を見つめ続けていた。私が視線を向けている事に気づき、安心させるように少しだけ口元で笑ってくれる。
大丈夫。きっと上手くいく。
心の不安が薄れ再び両親の方に視線を向けると、二人は顔を見合わせて無言のやり取りをしていた。
やがて父さんは長い息を吐き、ロードリックさんに向かい合う。
「この子と出会ったのは、私が真珠の仕入れにベルベラに行った時の事でした。浜辺に捨てられていたのを地元の漁師たちが見つけて、騒いでいたのです。子供のいない私は、一も二もなく養父に名乗り出ました。その時に神に誓ったのです。この子を幸せにすると」
幼い私が父さんに抱かれている様がありありと浮かぶ。言葉は祝福に満ちて、愛に溢れていた。
離れたくない。けれど、行かなくてはいけない事実に胸に切なさが込み上げてくる。
そして両親は白髪の混じった頭を深々と下げて、ロードリックさんに言った。
「どうかこれからは、私達の代わりに幸せにしてやってください」
「必ず、生涯を守り抜きましょう」
その言葉の僅かな齟齬に、誠実さがあるような気がした。
両親が受け入れてくれたのがじわじわと胸に染みてきて、なんだか泣きたくなってしまう。それを堪えていると、母さんが優しい顔をして頭を撫でてくれた。
「自分で決めた道を、頑張りなさい」
「……うん」
決して真実の恋愛による結婚ではないが、まるで普通の祝福を受けた気がした。
人は誰しも独り立ちする日が来る。今日がその日である事を、静かに理解した。
それからロードリックさんは父さんと少しだけ酒を交わし、長居する様子を見せず席を立ちあがった。
「もう、帰るのですか?」
「ちゃんとしたお時間を取る事が出来ず、申し訳ございません」
父さんの問いにそう応えると、ロードリックさんは貴族の礼を見せる。忙しい中、無理に時間を作ってくれていたのだろう。
家族で見送る為に玄関まで行くと、ロードリックさんは去り際に私を見て言った。
「近いうちに迎えに来ます。それまで、健やかに」
両親の手前、変な事は言えなかったに違いない。でも多分、残された両親と暮らす時間を大事にしてくださいと、そういう意味なのだと思った。
いよいよ、私は本当に彼等の中で生活する事になる。どんなものになるかは正直想像が及ばないが、それでも彼がいてくれるならば耐えられるだろう。
親にお見合いを迫られ、初めて会った人間と結婚するかどうかを決めなければならない話は友人の間でいくらでもある。戦争で多くの青年が亡くなり、家を守る為に何処も必死なのだ。私の両親のように、悠長に構えている方が珍しい。
だから他の選択肢がない状況だったとしても、これが私の運命だったに違いない。
大丈夫。きっとうまくやれる。こうも、人間である私に気遣ってくれる彼がいてくれるならば。
この考えが実に甘かったと思い知るのは、直ぐの事だった。
「それは……当然でしょう。世間から何を言われるか」
父さんは私を心配してくれたようで、眉間に皺を寄せて難しい顔をした。
「ええ。自分が難しい立場である事は十分に理解しています。けれど私は、クラリスさんを諦める事がどうしても出来ませんでした」
そう言って私を見て目を細める。それは恋人を見る表情そのもので、高鳴ってしまう鼓動に思わず視線を逸らす。見つめ返すのが正解だったかもしれないと直ぐに気づいたが、幸いその違和感を両親は見過ごしたようだった。
ロードリックさんは父さんに再び顔を向け、芯を感じさせる力強い口調で言った。
「結論から申し上げます。どうか、クラリスさんとの結婚を認めていただきたい。こちらの家族の説得は既に済んでおります」
交際を飛び越えた宣言に、両親は本日幾度目かの衝撃を受けたようだった。口を開閉させ、二人で顔を見合わせて目で何かのやり取りをしたようだった。それは恐らく、否定的な意味なのが何となく分かってしまう。
やがて父さんは口を開いたが、出てきたのはやはり認められないという意味の言葉だった。
「……恐れながら、ローランド様。我が家は余りに不釣り合いでございます」
「世間からこのような婚姻がどう思われるかは理解しています。しかしだからこそ、私はクラリスさんを迎え入れたい。世間の雑言から離し、只の男女として共にありたいのです」
「どうしてムーアクラフトの方々がそれをお許しになったのかは分かりませんが、嫁ぎ先が侯爵家では娘に対して持参金も満足に持たせてやれません。そして苦労するのが分かっていて、認める事が出来る親が何処にいるでしょうか」
父さんの態度が、次第に硬化していく。それは偏に娘を思う親心からであるのを理解していながらも、私が肩を持つことが出来ない現状を唯々申し訳なく思った。
けれどロードリックさんが折れる様子は全くない。寧ろそう言われるのを見越していたように平然としていた。
「確かに、何もないとは言えません。けれどムーアクラフト家では、思われているような一般的な貴族の女主人の苦労とは毛色が違うのです。……失礼。このままでは障りがあるので、窓を閉めさせていただいてもよろしいでしょうか?」
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「これから先は、全て極秘事項になります。けれど聞いていただかなければなりません。友人にも親族にも……いえ、この部屋を私達が出た瞬間から一切口に出さない事を誓っていただきたい」
その雰囲気は一族を取りまとめていた長としての姿を思わせ、すっかり両親はのまれてしまったようだった。両親が頷いたのを確認してから、ロードリックさんは口を開く。
「我が家は確かに貴族として認められてはおりますが、戴冠式以外のあらゆる外交、式典に出席しません。それは代々、情報を収集する仕事を担っているからです。家には他国の政権を揺るがすもの、何十人の人の生死を左右するもの、あらゆる機密情報に溢れかえっている。命を狙われる事も多い、危険な仕事です」
自分達がどれほどの重大な情報を聞かされているかを知り、両親の顔色が白くなっていく。
目の前の青年はただ美しいだけの男ではなく、またただの世間知らずの貴族ではなく、恐ろしい一面を持つ冷徹な男だと。
ロードリックさんは虚と実を巧妙に混ぜて語りながら、この場を支配した。
「情報と命を守る為に他家との繋がりが非常に薄く、妻となる女性には閉じこもる事が望まれます。お父様の心配事が、貴族としての付き合いなどでしたら心配は不要です。一方で私はクラリスさんに、盛大な貴族らしい結婚式など開いてやる事は出来ません。けれど何からもお守りする事を誓います。私のすぐ傍で、どんな銃や剣も防いでみせます。その為に妻として向かい入れる事をお許しいただきたい。彼女は私の、既に弱点なのです」
長い沈黙が部屋に落ちた。恋人として認めるかどうかの域を超え、殆ど脅しのような話だった。このままでは娘の命が危険であるのを告げられ、選択肢は一つしかない。それを認めるだけの時間が、二人に必要だった。
疲れる程の時間が流れた後、父さんは病人のような暗い表情でロードリックさんに聞いた。
「……何故。何故、うちの娘なのでしょうか? ごく普通の娘です。ローランド様でしたら、どのような女性でも見初める事が出来るでしょうに」
ロードリックさんは父さんから少し視線を外し、記憶を辿る。
「あれは……あの店に通い始めてから三か月ほど経った時の事でしょうか。何度か以前に喫茶店で見かけた事のある老人が来店し、クラリスさんの接客を受けていました。私の目には前と変わらない様子にしか見えませんでしたが、クラリスさんには違ったようで『何かあったんですか?』と聞いたのが聞こえました」
ロードリックさんが本当にあった出来事を話し出したので内心驚く。彼にとってはただの店員でしかなかった私の事を、よく覚えているものだ。
まるで本当に前から私に興味があったかのような、そんな気にさえさせる記憶力だった。
「あの店では店員はよく教育されてますから、余程確信があって声をかけたのでしょう。その方が友人を亡くした報せを受け、気落ちしているのに直ぐに気が付いたのです。クラリスさんはその方の友人を偲び、慰めの言葉をかけていました。目が行くようになったのは、それからです」
自分の事を目の前で話されてむず痒い気持ちになる。両親は全てを信じ込み、ロードリックさんの話に熱心に耳を傾けていた。
「とてもよく客を観察し、出しゃばらず、さりげない優しさで作り上げたあの空間が私にはとても居心地が良かった。余りに多くの事を知りすぎている私にとって、他者を愛し、裏表なく寄り添おうとするその心がとても眩しいのです。そして耐え切れず声をかけてからも、知る程にのめり込んでしまった。いつしかもう失えないと確信するほどに」
ロードリックさんは愚かな自分をも受け入れるように柔らかく笑う。それは何処から見ても平凡な恋をした男の顔で、先程までの恐ろしさはなかった。
そして両親の注目が自分に集まっている事を思い出し、また静かな支配者の仮面を被る。
「……平凡かもしれませんが、恋の始まりなどこんなものではないでしょうか」
父さんは難しい顔をして黙ってしまった。最後の一言が、どうしても言う事が出来ないのだろう。
今まで父さんに話の主導権を渡していた母さんが、嘘が苦手な為に口を挟まないでいた私に向かって言った。
「貴女はそれでいいの?」
「……うん。あの、ね」
私は言葉に詰まりながら、設定を思い出しつつ隣にいるロードリックさんを一瞥する。恋をする演技が必要ない程に、彼は十分魅力的な人である。例えその顔が偽りであるかもしれなくても。
「この人はとても優秀な方で、他の人が立ち上がれなくなる程の重荷をずっと背負い続けている。……けれど重くない筈がないのよ。それなのに、困っている人を放っておけずに手を差し伸べて更に荷物を背負い込もうとする。そして高みから全てを見下ろせる立場にいるのに、泣いている人がいれば腰をかがめて同じ目線で理解してくれようとする。きっと父さんも母さんも好きになるわ」
これは本心からの言葉である。今だって私を攫う事も出来たのに、両親が悲しむだろうとこうして説得しに来てくれている。これを優しさと言わずに、何と言う。
「私が彼の元に行くことで、重荷が一つでも減るなら迷わず行きたいの。お願い、父さん、母さん」
「お前が思っている以上に、辛い事や苦しい事が沢山あるだろう。後悔をした時には、もう遅いんだぞ」
父さんはまだ諦めきれないようで、何とか説得しようと私に厳しい顔をした。
「全く後悔しない人生なんて、存在しないわ」
絶対に折れてはいけない裏事情があるのである。両親が最後には私の選択を尊重してくれるのを知っている。だから笑顔で、決意が固い事を示した。
父さんは腕を組んで黙ってしまった。多分、もう少しで認めてくれるだろう。そう思ったものの、不安になるぐらいの時間が経過していく。
隣のロードリックさんを見上げてみたら、真面目な顔をして真っすぐに両親を見つめ続けていた。私が視線を向けている事に気づき、安心させるように少しだけ口元で笑ってくれる。
大丈夫。きっと上手くいく。
心の不安が薄れ再び両親の方に視線を向けると、二人は顔を見合わせて無言のやり取りをしていた。
やがて父さんは長い息を吐き、ロードリックさんに向かい合う。
「この子と出会ったのは、私が真珠の仕入れにベルベラに行った時の事でした。浜辺に捨てられていたのを地元の漁師たちが見つけて、騒いでいたのです。子供のいない私は、一も二もなく養父に名乗り出ました。その時に神に誓ったのです。この子を幸せにすると」
幼い私が父さんに抱かれている様がありありと浮かぶ。言葉は祝福に満ちて、愛に溢れていた。
離れたくない。けれど、行かなくてはいけない事実に胸に切なさが込み上げてくる。
そして両親は白髪の混じった頭を深々と下げて、ロードリックさんに言った。
「どうかこれからは、私達の代わりに幸せにしてやってください」
「必ず、生涯を守り抜きましょう」
その言葉の僅かな齟齬に、誠実さがあるような気がした。
両親が受け入れてくれたのがじわじわと胸に染みてきて、なんだか泣きたくなってしまう。それを堪えていると、母さんが優しい顔をして頭を撫でてくれた。
「自分で決めた道を、頑張りなさい」
「……うん」
決して真実の恋愛による結婚ではないが、まるで普通の祝福を受けた気がした。
人は誰しも独り立ちする日が来る。今日がその日である事を、静かに理解した。
それからロードリックさんは父さんと少しだけ酒を交わし、長居する様子を見せず席を立ちあがった。
「もう、帰るのですか?」
「ちゃんとしたお時間を取る事が出来ず、申し訳ございません」
父さんの問いにそう応えると、ロードリックさんは貴族の礼を見せる。忙しい中、無理に時間を作ってくれていたのだろう。
家族で見送る為に玄関まで行くと、ロードリックさんは去り際に私を見て言った。
「近いうちに迎えに来ます。それまで、健やかに」
両親の手前、変な事は言えなかったに違いない。でも多分、残された両親と暮らす時間を大事にしてくださいと、そういう意味なのだと思った。
いよいよ、私は本当に彼等の中で生活する事になる。どんなものになるかは正直想像が及ばないが、それでも彼がいてくれるならば耐えられるだろう。
親にお見合いを迫られ、初めて会った人間と結婚するかどうかを決めなければならない話は友人の間でいくらでもある。戦争で多くの青年が亡くなり、家を守る為に何処も必死なのだ。私の両親のように、悠長に構えている方が珍しい。
だから他の選択肢がない状況だったとしても、これが私の運命だったに違いない。
大丈夫。きっとうまくやれる。こうも、人間である私に気遣ってくれる彼がいてくれるならば。
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