バラの招待状

如月一花

文字の大きさ
上 下
5 / 39

第五話

しおりを挟む
「大丈夫なんて安易には言えないけれど、マルヴィナのこともきっとこの武勇伝の中のひとつなのね」
「やめて、お母さん。私、その人を好きになるつもりもないし、城ではきっと惨めよ」
「惨めな思いにならないように、この三日で特訓するんでしょう?」
「そうだけど。不安だわ」
「なんとかなるわ。頑張りましょう」
 アガサが言うと、またぎゅっと抱きしめられる。
 頭を撫でられると、アガサがぽつりと呟いた。
「私も大変だったけれど、なんとかなったもの。マルヴィナだって平気よ」
「お母さん?」
 顔を覗き込もうとしたが、アガサの目には涙しかなかった。
 別れの涙だろうと思ったし、マルヴィナの不運を泣いてくれたのだと思ったが、アガサの目に浮かぶ涙は何かそれとは違うような気がして仕方がなかった。
 翌日から、マルヴィナはロイツに理由を言って畑仕事を休んだ。
 フィッシャー家に呼びつけられた経緯を話すとロイツは心配そうに顔を歪ませると、選別とばかりに備蓄の野菜をくれた。
 マルヴィナが断ると、アガサの為だと言って押し切り家まで運び始めてしまった。
(ロイツだって大変なのに)
 マルヴィナが申し訳ない気持ちでいっぱいでいると、ロイツは戻ってきてマルヴィナに刺繡入りのハンカチを見せてくれた。
「アガサが、マルヴィナがいなくなった分、もっとこれを売ろうってさ。気丈な人だな」
「うん」
 マルヴィナが目に涙を滲ませていると、ロイツは慌てふためいてマルヴィナの背を摩る。
 ごつくて大きな手が何度も背を撫でるうちに、マルヴィナもなんとか涙を流さずに済んだ。
「この服ももっと綺麗なものにしなくちゃいけないって。今日から徹夜で作るらしいわ」
「そうか」
「今からナイフとフォークの使い方の練習があるから。ごめんなさい。もう帰るわ」
「分かった。アガサのことは任せとけ」
 ロイツは胸を叩くとマルヴィナの背も励ますように叩く。
「ありがとう!」
 マルヴィナは別れを惜しむようにロイツに手を振ると家に帰った。
 そして待っていたアガサと共に剥き出しの木のテーブルに向かい合わせに座る。
 ナイフもフォークも揃っているわけではなく、フォークがあるだけだからナイフはあると仮定してやることになった。
「良い? マルヴィナ。まず、ナイフとフォークはこうやって上から掴むように握るのよ」
「こう?」
 マルヴィナはそのまま握るように持つとアガサが首を振った。
「違うわ。それは少し違うの。人差し指を出してそっと添えて。それから、音と立ててはダメよ」
「う、うん」
「うんじゃなくて、はい。言葉も丁寧に。神父様と話す時のように、きちんとした言葉で」
「わかりました」
「そうよ。頑張りましょう」
「は、はい」
 マルヴィナは慣れない事ばかりで、頭がクラクラしてきてすぐに疲れた。
 しかも、姿勢が悪くなるとすぐにアガサからの注意が入る。
 やればやるほど注意され、マルヴィナはため息を何度も吐いて自信がなくなりそうになった時だった。
 アガサがにこりと微笑んで言ったのだ。
「大丈夫よ。地方の子爵の子でマナーもろくに学ばなかった末っ子だと言うから。あまりに酷いから村に追いやられたと言えば、マナーがなっていなくてもお咎めないでしょう。まあ、あの初老の男性にどこまで信じてもらえるか分からないけれど」
「でも、そんな嘘信じてもらえるかしら」
「そうね……」
 アガサが考え込むように空中を見つめ、マルヴィナを見つめてくる。
 不安になって、マルヴィナはアガサをじっと見つめてしまうがアガサはしばらく無言だった。
「大丈夫よ。マルヴィナは綺麗だもの」
「そんな理由、通じないわっ」
「あのレナード様の目に留まったのよ? そこは自信を持ちなさい」
「そうかもしれないけど。でも――」
 マルヴィナは俯いて涙を堪えた。
 この練習は自分を守る為のものであり、本来のマルヴィナの姿ではない。
 いくらアガサから子爵の令嬢だと言われても、育った環境は違うのだ。
 外見が美しいから、そこだけが良いと言われても嬉しいとも思わないし、それこそ城にはそんな女性が集められているのだろう。
 レナードが名門伯爵である以上、村の娘や街の娘もいるのだろうが、分不相応に変わりはない。
 マルヴィナは寝る以外はほぼマナーと礼儀、口の利き方などアガサから教わり、三日後の白髪の初老の男性が来る頃には疲れ果てていた。
 その朝、マルヴィナは毎日習ったことで頭をいっぱいにして起き、すでに疲れてしまったような状態だった。
 昨夜も遅くまでアガサから教えてもらったが、身についているのかは自信がもてないままだった。
 アガサは大丈夫だと言うが、マルヴィナにはとてもそうは思えず結局アガサに言われて眠ることにしたのだ。
 そして起きれば、出立の為のドレスがサイドテーブルに用意されていた。
 広げて見れば、普段は着ないようなピンク色のドレスにレースやフリル、薔薇のモチーフがあしらわれた綺麗な物だ。
 アガサが既存のドレスに手を加えてくれたのだろう。
 子爵令嬢が着るような物かは分からないが、少なくともマルヴィナが普段着る泥まみれの服よりは、ずっと素晴らしいものだった。
 アガサは机に突っ伏して眠っていて、その作業が徹夜だったことが伺える。
 揺すり起こす事が忍びなく、マルヴィナはそっとアガサにブランケットを掛けた。
 キッチンにあるパンを取りに行こうと足を向けた時、家の前で騒がしい音がしてマルヴィナは足を止めて戸に向かって歩いた。
 何だろうと息を潜めていると、馬の息遣いや人の声が聞こえてくる。
(誰⁉)
 マルヴィナが身を竦めていると、戸がノックされた。
 一体朝早くから誰だろうと扉をうっすらと開けると、三日前に来た初老の男性が立っていた。マルヴィナは会釈だけすると、初老の男性はにこりと微笑んだ。
「三日経ちましたので、お迎えにあがりました。もう少し扉を開けてくれませんか」
「すみません」
 マルヴィナはそっと扉を開けると、初老の男性の隣に長身の男性が立っていた。
 髪は黒く軽く撫で付けられ、緑色の瞳は透き通っていて吸い込まれるようだった。
 高い鼻梁や薄い唇も、その男性の独特の男性の色香のようなものを感じさせ、マルヴィナは思わず見てしまう。
「マルヴィナ様、こちらはレナード様です」
「は、はじめまして。申し遅れました、マルヴィナ・アストリーと申します」
 スカートをそっと持ち上げ膝を折って頭を下げた。
 アガサから教わった挨拶の仕方が早速生きてくるとは思わなかったが、様になっているかは疑問だった。
 そっと顔を上げると、レナードはうっすらと笑みを称えた表情でマルヴィナを見つめている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美貌の騎士団長は逃げ出した妻を甘い執愛で絡め取る

束原ミヤコ
恋愛
旧題:夫の邪魔になりたくないと家から逃げたら連れ戻されてひたすら愛されるようになりました ラティス・オルゲンシュタットは、王国の七番目の姫である。 幻獣種の血が流れている幻獣人である、王国騎士団団長シアン・ウェルゼリアに、王を守った褒章として十五で嫁ぎ、三年。 シアンは隣国との戦争に出かけてしまい、嫁いでから話すこともなければ初夜もまだだった。 そんなある日、シアンの恋人という女性があらわれる。 ラティスが邪魔で、シアンは家に戻らない。シアンはずっとその女性の家にいるらしい。 そう告げられて、ラティスは家を出ることにした。 邪魔なのなら、いなくなろうと思った。 そんなラティスを追いかけ捕まえて、シアンは家に連れ戻す。 そして、二度と逃げないようにと、監禁して調教をはじめた。 無知な姫を全力で可愛がる差別種半人外の騎士団長の話。

大嫌いなアイツが媚薬を盛られたらしいので、不本意ながらカラダを張って救けてあげます

スケキヨ
恋愛
媚薬を盛られたミアを救けてくれたのは学生時代からのライバルで公爵家の次男坊・リアムだった。ほっとしたのも束の間、なんと今度はリアムのほうが異国の王女に媚薬を盛られて絶体絶命!? 「弟を救けてやってくれないか?」――リアムの兄の策略で、発情したリアムと同じ部屋に閉じ込められてしまったミア。気が付くと、頬を上気させ目元を潤ませたリアムの顔がすぐそばにあって……!! 『媚薬を盛られた私をいろんな意味で救けてくれたのは、大嫌いなアイツでした』という作品の続編になります。前作は読んでいなくてもそんなに支障ありませんので、気楽にご覧ください。 ・R18描写のある話には※を付けています。 ・別サイトにも掲載しています。

【R18】幼馴染な陛下は、わたくしのおっぱいお好きですか?💕

月極まろん
恋愛
 幼なじみの陛下に告白したら、両思いだと分かったので、甘々な毎日になりました。  でも陛下、本当にわたくしに御不満はございませんか?

冷酷無比な国王陛下に愛されすぎっ! 絶倫すぎっ! ピンチかもしれませんっ!

仙崎ひとみ
恋愛
子爵家のひとり娘ソレイユは、三年前悪漢に襲われて以降、男性から劣情の目で見られないようにと、女らしいことを一切排除する生活を送ってきた。 18歳になったある日。デビュタントパーティに出るよう命じられる。 噂では、冷酷無悲な独裁王と称されるエルネスト国王が、結婚相手を探しているとか。 「はあ? 結婚相手? 冗談じゃない、お断り」 しかし両親に頼み込まれ、ソレイユはしぶしぶ出席する。 途中抜け出して城庭で休んでいると、酔った男に絡まれてしまった。 危機一髪のところを助けてくれたのが、何かと噂の国王エルネスト。 エルネストはソレイユを気に入り、なんとかベッドに引きずりこもうと企む。 そんなとき、三年前ソレイユを助けてくれた救世主に似た男性が現れる。 エルネストの弟、ジェレミーだ。 ジェレミーは思いやりがあり、とても優しくて、紳士の鏡みたいに高潔な男性。 心はジェレミーに引っ張られていくが、身体はエルネストが虎視眈々と狙っていて――――

【R18】国王陛下はずっとご執心です〜我慢して何も得られないのなら、どんな手を使ってでも愛する人を手に入れよう〜

まさかの
恋愛
濃厚な甘々えっちシーンばかりですので閲覧注意してください! 題名の☆マークがえっちシーンありです。 王位を内乱勝ち取った国王ジルダールは護衛騎士のクラリスのことを愛していた。 しかし彼女はその気持ちに気付きながらも、自分にはその資格が無いとジルダールの愛を拒み続ける。 肌を重ねても去ってしまう彼女の居ない日々を過ごしていたが、実の兄のクーデターによって命の危険に晒される。 彼はやっと理解した。 我慢した先に何もないことを。 ジルダールは彼女の愛を手に入れるために我慢しないことにした。 小説家になろう、アルファポリスで投稿しています。

元男爵令嬢ですが、物凄く性欲があってエッチ好きな私は現在、最愛の夫によって毎日可愛がられています

一ノ瀬 彩音
恋愛
元々は男爵家のご令嬢であった私が、幼い頃に父親に連れられて訪れた屋敷で出会ったのは当時まだ8歳だった、 現在の彼であるヴァルディール・フォルティスだった。 当時の私は彼のことを歳の離れた幼馴染のように思っていたのだけれど、 彼が10歳になった時、正式に婚約を結ぶこととなり、 それ以来、ずっと一緒に育ってきた私達はいつしか惹かれ合うようになり、 数年後には誰もが羨むほど仲睦まじい関係となっていた。 そして、やがて大人になった私と彼は結婚することになったのだが、式を挙げた日の夜、 初夜を迎えることになった私は緊張しつつも愛する人と結ばれる喜びに浸っていた。 ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

【完結】【R18】男色疑惑のある公爵様の契約妻となりましたが、気がついたら愛されているんですけれど!?

夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
「俺と結婚してくれたら、衣食住完全補償。なんだったら、キミの実家に支援させてもらうよ」 「え、じゃあ結婚します!」 メラーズ王国に住まう子爵令嬢マーガレットは悩んでいた。 というのも、元々借金まみれだった家の財政状況がさらに悪化し、ついには没落か夜逃げかという二択を迫られていたのだ。 そんな中、父に「頼むからいい男を捕まえてこい!」と送り出された舞踏会にて、マーガレットは王国の二大公爵家の一つオルブルヒ家の当主クローヴィスと出逢う。 彼はマーガレットの話を聞くと、何を思ったのか「俺と契約結婚しない?」と言ってくる。 しかし、マーガレットはためらう。何故ならば……彼には男色家だといううわさがあったのだ。つまり、形だけの結婚になるのは目に見えている。 そう思ったものの、彼が提示してきた条件にマーガレットは飛びついた。 そして、マーガレットはクローヴィスの(契約)妻となった。 男色家疑惑のある自由気ままな公爵様×貧乏性で現金な子爵令嬢。 二人がなんやかんやありながらも両想いになる勘違い話。 ◆hotランキング 10位ありがとうございます……! ―― ◆掲載先→アルファポリス、ムーンライトノベルズ、エブリスタ

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

処理中です...