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第三話

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「まだ見ちゃだめ。お昼休みのお楽しみね」
お弁当の蓋をしっかり押さえ、芳樹を軽く睨む。
 しかし芳樹はまだ寝ぼけているのか、ぼーっと私を見つめるだけ。


「なんだ。そんなに良いものが出来たのか?」


「まあ、そんな感じ」


「どんなのでも嬉しいよ」


 最後の言葉が嬉しい。芳樹らしい寛大な一言で、また頑張ろうと思える。
 今日の失敗した卵焼きも、きっと許してしまうだろう。 

「いつも寝顔を見ながら家を出るから、起きてキッチンに立ってる美恵を見るのは不思議だ。有難う」
寝ぼけついでに、ボサボサ頭のまま、感謝された。その裏で私が何を考えているのかも知らずに。


「褒めても何も出ないわよ」


「別にいいよ。明日から大変かもしれないけど、宜しく頼むな」
やっぱり毎日作るんだ、と少し気分が沈む。体も怠い。
 けれどなんとしても、今日は冷凍食品を買わなければいけない。


「・・・分かった」


 断ることも出来たが、怪しまれたくない。
 芳樹の会社へ行く口実を、なんとか作らないといけないのだから。 

 それから、芳樹は支度を始めた。
芳樹の朝は時間がない割に、意外にもスローだった。
 朝からぼーっとし、それからようやく朝ごはんを食べながら新聞を読み、洗面所へと向かう。
 
 身支度を整えると家を出る時間らしく、少し慌ただしく動き始めて私に一言言った。


「そろそろ行く時間だ。今日も遅くなるかもしれない」
もう、いつも通りの芳樹だった。少しシャンとして見える。


「そう」


 でも、私の返事はそっけなかったかもしれない。
 弁当作りに疲れ、芳樹の観察に飽きてしまったからかもしれない。
  
 芳樹に興味がないわけじゃない。
 もっと興味があることがこれから待っているのだから、気力体力を充電しないと疲れてしまう。


「ねえ。お弁当、届けてあげる」


 私は廊下を歩きながら、にっこりほほ笑んで言った。
 芳樹は靴を履きながら困った顔を見せた。時間がないのか、時計を見ていた。


「だから、悪いけど来なくて良い。今ここで弁当を渡してくれれば、それでいい」


 芳樹の手が伸びるも、私は無視した。
 そもそも、そのお弁当はキッチンにある。
 早くしてくれと強く言われるも、ニコニコしたまま玄関に突っ立ったままでいた。
 芳樹は何度も時計を見て、焦りまくっていた。 

 芳樹が困った表情をして、私の顔を見続ける。少し睨んでいた。
キャー怖いと思いながらも、私はニヤニヤしてしまう。


「笑い事じゃない。電車に遅れる。困らせないでくれ」


「イヤ。私届けるって決めたの。会社の場所も、あなたの働いてる部署も知ってる。迷わないから安心して」


「そういう意味じゃなくて。だから!」
芳樹が時計をまた見た。
タイムリミットは過ぎているようで、玄関を少し開けた。


「だから?」
私はその様が面白くて、早く行きなさいよと、何度も言った。
 芳樹は足をジタバタさせている。 

 芳樹は苛立ちを堪えるように私を睨む。
 私は睨み返して腕を組み、仁王立ちをした。
 絶対に初めての手作り弁当を、今、渡すつもりはない。


「大丈夫よ、まっすぐ届けるだけだから。気晴らしに行きたいだけ」


「本当にまっすぐ来てくれよ」
 そう言うと玄関は大きく開かれ、芳樹は外に慌てて出た。


「もちろん! ほら、遅れる!」


 私は後少しで追い出せると、ニコニコしながらサンダルを履いて芳樹の肩をちょんちょんと叩くと、芳樹は時計を見て慌てて出て行った。

こんな下らない押し問答はするけれど、いってらっしゃいのキス、当たり前にしていたキスをしなくなったのは、いつからだろうか。 

 私はふと思った。


 ありふれた日常に、新婚だから当然しているキスやハグがなくなったのはいつだろう。
 この地域へ越してきてからだろうか。
 慣れないせいと、ご近所付き合いを気にして。
 ママ友はまだ近くにはいないけれど、噂好きのおばさんを気にして。

 思い出せない。
 どうでもいい事のようにも思える。
 考えるだけ無駄なようにすら思える。

 私はいつからか、スキンシップを拒むようになった。
 もちろん全てではないけれど、喜びを感じることがなくなったような気がする。
 愛される、喜びを。 

 セックスは無くなったわけじゃない。
 ただ、どこかで義務的にしている自分もいる。芳樹を好きで仕方ないからするのではなくて、子供が欲しいとか、しないと夫婦がダメになるだろうとか、そんな気持ちがある。
 それに、日常的にキスもしなくなった。
 付き合っていた時は、沢山しても足りないと思ったのに。

 戦隊ヒーローの芳樹さまで補い始めたのは、そういう気持ちの鬱憤がたまっていた時だったと思う。

 たまに芳樹から誘われるが、やはり近所から見られているような錯覚に陥る。
 それが辛い。
それでもセックスをしなきゃいけない時は、カーテンをしっかり閉め、声を殺す。
 芳樹は私をイカせる事に必死になる。そのギャップが、かえって芳樹を興奮させるのか、前戯が回数事にどんどん長くなり、ねっとりじっくりとしたものになった。
セックス自体も、恋人の時とは何かがお互いに違う。
 温度差、というか。

 玄関先で軽くキスなんて、もうどれくらいしていないだろう。 

 立ち尽くし、少し悩む。それから私ははたと気がついた。

 今日はわざわざ早く起きたけれど、昼に間に合うように弁当を作れば良いのだから、なにも早起きする必要ないじゃないか、と。


 何してんだろ。


 私は一人ほほ笑んだ。
 それは2人で家具を揃えて楽しんだ、新婚みたいだったからだ。

 1人で引っ越し手続きも頑張って、芳樹を見送っていたあの頃。

 私は玄関からリビングに向かい、ソファにもたれた。疲れたのだ。 

 朝の芳樹を思い出し、また少し笑ってしまう。やる気のないクマが一匹いるみたいだった。
 朝食もパン一枚だけ。
 朝の芳樹にちゃんとした朝食を用意してやるのもいいかもしれないと思った。
 それに近くで見ていると、行動が面白い。

 余った時間はチラシチェックでもして主婦らしいことでもしていれば、時間も有効活用されるだろう。

 私は早起きをしてみようと決めた。
 いつまで続くかは分からないが、それでも芳樹と一緒の朝はとりあえずは面白かったのだ。 
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