初期値モブの私が外堀を埋められて主人公になる話

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モブ、三人揃えばらしからぬ一日

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 夏来ちゃうか……と私は一人脳内で呟き、教室の窓からグラウンドを眺める。ゆらゆらと揺れる陽炎が、この暑さを倍増させるようだ。いっそ夏になってしまえば海とか花火とか楽しいことは沢山あるけれど、この中途半端な時期の、梅雨の悪いところと夏の悪いところだけをかき集めたようなうだる暑さが、私は嫌いだ。
 授業中だが暑すぎて誰も話なんて聞いていない。エアコンを点けろと言いたいが、気温だか日付だか何かしらの条件を満たしていないのだろう。湿度が高いし風もないから、ここはさながら地獄。

 夢と五央の席へと目をやると、夢は開き直って自前のミニ扇風機を顔にかざしている。絶対授業聞いてない、っていうかあれ案外凄い音がするから、絶対聞こえてないだろう。よくよく耳をすませば、小さなモーター音が断続的に響いている。この音、夢の扇風機だったのか。
 五央は珍しくおでこに前髪が貼りついていて、ちょっと勝った気持ちになる。いくら澄ましていても日本の夏に勝てないのだ。私は小さく吹き出しそうになったが、そこでふと思い至り、手鏡で自分の顔を見る。やはりひっどい前髪、っていうか髪全体がヘタっている。鞄から汗拭きシートを見つけ出し使おうとするも、シールを剥がし中に指を伸ばしても、ひんやりとはしていなかった。やっべそうだ、午前中、体育の後使い切ったんじゃん。流石に授業中に制汗スプレーの音を響かせる勇気ないしなあ、と私は諦めて、机にへたりと顔を付けたが、まじかよ、机も生温かい。
 すると目線が下がり、私たちよりだいぶ前の方の席にいる、ひーわが目に入る。彼はこんな状況下で爆睡していた。のび太かよ。



 チャイムが鳴り授業が終わると、私は一目散に夢のところへ向かう。
「夢ぇ、汗拭きシートちょうだい~」
 しかし夢は、眉間に少し皺を寄せながら「えっ」と返してくる。
「待ってよひかるも汗拭きシート忘れたの? 私たちラブラブだね」
「いや私はさっきの体育の後で切らしてたの! ってかじゃあ夢、体育の後どうしたんだよ……」
「どうしたんだっけか……多分体操着で拭いたんじゃないかな」
「それ汗かいた体操着で汗伸ばしてるだけじゃん」
 私たちがそんな低レベルな会話をしていると、それを隣で聞いていた五央がおもむろに鞄から何かを取り出し、私たちの前に差し出した。
 え? という表情で私たちが五央を見ると、五央は、
「これ、メンズ用だけど無いよりマシだろ、お前らうるさい! 暑い! 夢扇風機貸して!」
 と不機嫌そうに言い、夢が机横のフックに掛けていたミニ扇風機を奪いとった。
 私は「あ!」と言う夢の腕を押さえつけ、「サンキュー」と返す。生ぬるい風を出す扇風機より、今は汗拭きシートの方が必要だ。まずは首の後ろの汗を拭うと、アルコールのしみるような清涼感が私を迎えてくれた。私の脳内では、早回しでフランダースの犬のラストシーン、天使たちがネロとパトラッシュを迎えにくる場面が再生される。本当、天にも昇るような気持ち。

「そうだ、ひかる、今日俺たち多分、エマから召集かかるぞ」
 ミニ扇風機の前で呆けた顔をしたまま五央がそう言う。
「召集? 俺たちってことは何、親戚関係?」
 エマだけ逃げたい予定があるのならともかく、五央も一緒となると多分婚約関係の何か……とかだろうか。
「なになにー? エマちゃんって、あのー、あれだ、五央の婚約者ちゃん?」
 夢はエマと面識はないが、私がよく話をするので存在は知っている。
「そう、俺の従姉妹で婚約者。いや今日叔母さま、あ、エマのお母さん帰ってくるみたいでさ、うちの親父からエマんちに挨拶しに行けって連絡が着てたんだよ」
「え、じゃあ五央はエマに召集されちゃ駄目じゃない?」
と私が言うと、
「いや多分、叔母さまが居る時に、俺が冴羽の家に居てエマが居なかったらめちゃくちゃ怒られるから、エマと俺とひかるで時間潰して、夜俺がエマ送ってって挨拶して、そのまま解散、が一番平和なんじゃないかな、みたいな……」
 なんだか五央にしては威勢のない口ぶりである。五央が日和るって、エマのお母さんってどれだけ怖い人なんだろうか。
「なんか、日本の普通の高校生じゃまあまずない会話だね」
 そう言った夢の苦笑いに、私も完全同意だった。



 六限が終わり携帯を開くと、エマからのライン。
『今日これからいつものカフェ集合出来る? 出来て! 五央も引き摺ってきて‼︎』
 それから大量の泣き顔の絵文字と、土下座しているスタンプ。必死が過ぎる。

 エマのお母さんは確か、冴羽グループの役員で、国内外飛び回ってて、と私はそれくらいの情報しか知らない。ググった方がよっぽどもっと出てきそうだけれど、エマにバレたら怒られそうな気がしてやめた。
 私だって両親とは仲良くないし、我が家は兄が優秀で兄ファーストだから、私は放任されている。でもしょっちゅう家を留守にした挙句、納得のいかない婚約者まで決められるなんて、どんな気持ちなんだろう、と少し悲しくなった。
 同情ではないんだけど、上手く伝えられないだろうから、多分こんな思いもエマにバレたら怒られそうだなと思い、私はただエマに◯のスタンプだけを送った。

 五央にも同じようにエマからラインが来ていたようで、じゃあ一緒に行こう、と教室を出ようとする。夢は今日、音楽室に用事があるらしく、教室にはもう既に居ない。
「颯がこれ見たら発狂するな」
 とひーわが言うので、私と五央は顔を見合わせる。
「でもさ、私と五央がわざわざ別々に学校出て、別々に同じカフェ行く方が怪しくない?」
「それは勿論わかってるし、俺はいつものひかると五央見てるから、別になんとも思わないけどさ」
「どゆこと?」
「颯に連絡しときな、ってこと。ひかるが颯にラインすれば、颯はその話俺にしてくるだろうし、そうしたら俺も、五央の婚約者の話も説明出来るし」
 私が颯にエマと五央の話をしても、わざとらしいし言い訳がましく聞こえるだろう、そう思っていたが、確かにひーわが話の流れで説明してくれたら有難い。
「ひーわたん……君は本当いい奴だな……すき……」
「ここで好き言われると、また話がややこしくなるわ」

 そんな私たちを他所に、五央は何かを考えているような、そんな煮え切らない表情をしていた。



 待ち合わせのカフェまで電車で二駅だが、よく考えてみれば私と五央が二人っきりというのは、ほとんど初めてに近かった。電車で二駅はともかく、五央が自転車だからバスに乗れず、学校から駅まで歩いて向かうことになったこの二十分は、なかなかに長い。そう意識すると、急に何を話せばいいのかわからなくなる。でもそもそも、今私たちは無言で、ちょっと変な雰囲気だからこんなことを考えてしまうのだ。ひーわと別れた後からの五央は少し変だ。

 そんなことを考えながら歩くと、気付けばもう駅に着いていた。
 そういえばこいつ、普段はチャリ通だったよな。忘れてたけれど五央は最近イギリスから日本に帰国して、しかもエマに負けず劣らずの良家の……日本の電車、乗ったことある?
 慌てて目をやると、五央は改札機にSuicaも切符も持たずに突入しようとしていた。待って待って、イギリスでは鉄道も顔パスだったのか?でも日本は――‼︎

 しかし私の予想に反して、改札機はピピッという音を鳴らし、五央を暖かく受け入れた。
「ひかる、何やってんの?」
 と、こちらに振り向いた五央が冷めた声で言うので、私も慌てて定期を出し、改札機にタッチした。
「五央が日本の電車乗れるなんて知らなかったよ……」
「電車に乗れない高校生って相当珍しいぞ」
 ごもっともである。
「ってかでもSuicaも切符もないでしょ?どうやって改札入ったの?」
「いやSuicaあるし」
「え?」
 はてなを浮かべる私に、五央は腕時計を見せる。いや、腕時計だけどこれ、
「Apple Watchじゃん」
「そうだよ。Apple WatchのモバイルSuica」
 あー! と思わず私は膝を打つ。兄が以前、WiFiがどーのとか言って、リビングで弄っていたっけ。
「なるほど~、側からみれば顔パスで入っているように見えたのか」
「いやお前だけだろ、そんなん思うの」
「うわ冷た……電子機器に縁のない庶民に冷た……」
「つーか早くしないと。電車、もう来るぞ」
 五央はそう言うと、私の腕を掴んで走りだした。引き摺らず、急ごうって口で言ってよ、と思ったけれど、すぐに引き摺られた方が楽だなと思い至り、私はそのまま電車に乗せられた。

 こんな時間なのに、座席はチラホラと埋まっていて、二人並びで座れるスペースは無い。かと言ってバラバラに座るのも、片方だけ座るのも落ち着かないだろうし、どうせ二駅だ、と私はドア付近のポールを掴んだ。五央もならって、向かいのポールを掴む。車窓から眺める街はまだまだ明るくて、授業中に教室の窓から眺める色と大差ない。これが暗くなる頃には、また朝のように電車もぎゅうぎゅう詰めになり、こんな風にドアの前で二人向かい合うなんて不可能になるだろう。

「ひかるはさ、」
 ふいに話しかけられた私は、ん? と五央を見る。
「なんかひかるは、一応こんなんでもちゃんと恋愛とかしてきたんだよなぁ」
「なにそれ?」
 こんなんでも、という言葉に引っかかりたくなるが、それを堪え私は五央の話に耳を傾ける。
「俺はずっとエマが居たから、あんまりちゃんと誰かと恋愛したことなくてさ。しかも大体誰かを振るときって、『婚約者が居るから』で断ってたんだよな。前に、その断り方は角が立たないし楽だけど、それって結構失礼だよね、って言われて……いや何言ってんだろ俺」
 自嘲するように言い捨てて俯いた五央は、なんだか酷く傷付いていた。
「五央はさ……失礼だよ、って言ってきてくれた子のこと、好きなの?」
「なにそれ」
「どっちにせよ何にせよ、別に今から直してって、やり直せば良いじゃん。私たちまだ高二だし、悲しいけど今の恋が最後の恋になる可能性って限りなくゼロに近いじゃん。だからまだ、トライアンドエラー期?」
 最後の恋……ね。と五央が呟く。自分で言った言葉なのに、それが妙に頭の中で反芻する。今の恋が最後の恋ではないかもしれない、そんな沢山の高校二年生の中に、勿論私も入っている。
 放課後、事情こそあれど他の男子と二人きりで、こんな話をしている自分は、とても酷い彼女だろう。思わず五央に隠れて、小さく溜め息をついた。

 二駅は二十分よりあっという間だ。喋っていたから尚更だろうが。

 改札を出たところで五央がスマホを取り出し立ち止まったので、私は「どうした?」と首を傾げる。
「カフェの場所見てて……あ、もしかしてひかる行ったことある?」
と五央が言うので、うん、と頷く。
「何回か行ったことあるから大丈夫。っていうかじゃあ五央は、いつもエマとどこで会うの?」
 エマはかなりあのカフェを気に入っているようで、基本的に時間を持て余した時はあそこに行く。五央とエマが二人でタピオカ飲みに行くとは思えないし、と私は疑問に思う。
「俺ら別にそんなに会ってないし連絡も取ってないから。昔はそれなりにやってたんだけど、俺がイギリス行ってからしばらくして、婚約者にされてからはさっぱり。うっかり仲良くしてたら本当に結婚させられちゃうだろ」
「うーん、そっかぁ。五央はエマと結婚したくないの?」
「生まれた時から一緒に居て結婚もあるかよ」
 そう言う五央は嘘をついているようには見えなかったけど、でも五央は決してエマが嫌いな訳ではない。むしろ好きなくらいだろう。無理矢理婚約者にされてなかったら、お似合いな二人だし自然に恋に落ちたり……と思っていた時もあったけれど、でも最近やっぱりそれはちょっと違うかも、という気もする。
「そっか、そういうもんか」
 とそれだけ私は返して、カフェに向けて歩き出した。



 店内に入るとカウンターの奥にはいつもの寡黙なマスターが居て、あちらです、と一番奥のボックス席を指し示してくれた。エマが先に着いていたのか。

「エマ~、おまたせ」
 私がそう手を振ると、エマは目をまんまるにして私たちを見た。
「ひかると五央、一緒に来たの?」
「うん、だって私と五央、クラスもなんならグループも一緒だし、別々に来る方がおかしくない?」
「そうかもだけど……なんかごめんね、ひかるが五央なんかと付き合ってるって勘違いされたら、呼んだ身として申し訳なさすぎるわ」
 随分な言い方だな、と私が笑っていると、五央は少し怒ったように
「なんかってなんだよ、大体ひかるには彼氏が居るから誰もなんにも思わねーだろ」
と言った。

「え? ひかる彼氏居るの?」

 エマが驚くのも当たり前だ。そう、いままで私はエマに彼氏が居る話をしていなかったのである。だって聞かれなかったし……と脳内で言い訳するも、後ろめたい気持ちがあるのでエマの方を見れない。
 私が黙っていると五央が、去年クラスが同じだった同級生と付き合ってるぞ、とご丁寧に教えていた。
 私は目を逸らしながら、
「聞かれなかったし……彼氏いうてもクラス変わってからあんま会ってないし……言うタイミングなくて……」
と答えた。
「なんかごめん、私めちゃくちゃひかるのこと遊びに誘ってんじゃん、彼氏は良いの?」
「彼氏運動部だから放課後部活あるし、まあ色々あれだから……」
 我ながら言い訳がましい。が、二人は然程気にしなかったようで、ふーん、と言った顔でメニューをめくりはじめたので、ほっとした。

 エマはアイスティーと夏限定のレモンパイ。五央はホットコーヒーとプリン。私はココアフロートを頼んだ。勿論私のフロートのアイスはエマのパイに少し乗せてあげる。

「あー本当どうしてお母さま、こんな微妙な時期に帰ってくるんだろ。もう少ししたら塾でテスト対策あるから帰り遅くて済んだのにー!」
「エマの塾って個別でしょ? テスト対策授業そんなにある?」
「ない、けど、自習室ずっと空いてるからそこに居座れる」
 私たちがテンポよく会話していると、五央は不思議そうな顔をしていた。
「なによ?」
 とエマが怪訝そうに訊ねると、五央は
「いや、エマでも塾とか行くんだなあって」
 と返した。でもそれわかる。エマって授業でやったら全部覚えそう。
「白澤の中等部まで一緒だった、めっちゃ頭良い友達が通ってるから行ってるの。だから半分遊びに行ってるようなもんだけどね」
「ひょえー、その頭良い友達って、今高校どこ?」
「静山総合」
「やば、天才じゃん」
 私は他人のことながらテンションが上がるが、五央はさっぱり着いてきていない。この前までイギリスに居たし、何故か桜森に入っちゃったくらいだから当たり前か、と私は五央の方を向く。
「静山総合は、県立高校なんだけど、でもこの辺りでは断トツトップ校なの。総合高校だから時間割とか大学みたいに選べるんだけど、理系、特に天文学とかに強くて、でっかい天体望遠鏡とかもあって、その辺の私立よりすごい設備なんだよ!」
 昔学祭で見せてもらったプラネタリウムや星の写真を思い浮かべて、私は思わずテンションがあがる。
「ひかる、静山にずいぶん詳しいね?」
 と言うのはエマ。
「うちの兄、静山だったから学祭行ったの」
 と私は掻い摘んで説明する。正確には兄が静山に居ると知った静山志望の友達と、静山の有望男子とお近づきになりたい友達に半ば無理やり連れて行かれたのだが、それはややこしいので黙っておこう。

「ひかる馬鹿じゃないけどでも別に普通くらいなのに、ひかるのお兄さんは相当頭良いんだな」
 と五央が悪びれもせず言うので私はついうんざりして、聞こえないふりをしてしまった。

 私と兄が比べられるのは、今に始まったことではない。それこそ小学校に入る前から何をやらせても周りより飛び抜けていた兄と、何をやらせても良くて平均より少し上な私だったので、あのお兄ちゃんなのに……という枕詞のもといつも話されていた。自然と親もいつも兄ありきだったから、せめて兄と関わらないであろう自分の周りの人だけは、私を見てほしい……なんて、いやいや。
 小っ恥ずかしいモノローグを掻き消そうと頭をぶんぶん振ると、五央に怪訝そうな顔で睨まれた。でもこれお前のせいだからな。

 そんなこともありながら、三人でなんのことない……今日のお昼ご飯の話なんかをしていると、突然店の照明が、じんわりと薄暗くなっていく。ん? と三人顔を見合わせているとあっという間に店内は真っ暗になった。

「停電?」とエマが言うが、にしては電気の消え方がおかしい。語尾が疑問形になっているしエマ自体もそのことはわかっているのだろう。
 暗がりに目が慣れてくると、マスターが店のバックヤードらしきところから慌てて出てくるのが見える。ブレーカーを確認したのだろうか。そしてそのままマスターは、私たちのテーブルに来た。

「エマちゃんたち、今日のお代は良いからちょっと店番しててくれない? 店内今君たちしか居ないから、もし誰か来たら今こんな状態だからって伝えて欲しいんだ」
 私たちは薄ぼんやり見えるマスターを見つめ頷く。っていうかマスターってエマの名前知ってるのか。もしかして知り合いだからエマはここに通い始めたのか、なんて、つい関係のないことを考えてしまう。
「店のブレーカーのせいじゃないみたいで、多分ビル自体で何かあったんだと思うんだよね、だから上の階の様子見て、それからビルのオーナーのとこまで行ってみるよ」
 マスターはそう言うと、よろしく! と走り去って行った。

 店のドアが閉まった音を確認してから、エマは「臭うわね」と溜め息をついた。

 ◆

「取り敢えず店内を確認してみよう」
 と立ち上がり、通路へと出たエマはスマホを取り出し、懐中電灯機能を使い明かりを灯す。目が焼かれそうなくらいのLEDの光で一度店内が照らされるも、しかしその明かりはすぐにフェードアウトしてしまった。
「あれ?」
 とエマはスマホを弄り出すが、なるほど、これはさっきの店内の電気と一緒だと私は察した。
 私も試しにと自分のスマホを画面の明るさを最大にしてみれば、自動調節機能はオフにしているはずなのに、すーっとバックライトが消えていってしまった。どうやらエマもそれに気が付いたようで、
「光が吸い取られてる」
 と呟いた。
「そうだと思う。だからつまりこれにも何か犯人みたいなものが居るんだよ」
「光を吸い取る……ヒント少なすぎない?」
「そうなんだよね。五央なんか思いつかない?」
 私もエマもお手上げならば、と五央に話を振るも、五央も両手を挙げて降参の構えをしている。こういうときだけアメリカナイズ(正確にはイギリス帰りだが)してくるの無性に腹立つな~とエマに目配せすれば、エマも呆れた顔で私を見つめていた。以心伝心。いやしかし、これは一体どうしたものか。
「一先ず席戻ろうか」
 と言ったのは五央。コーヒーをチラチラ見ているあたり、ホットコーヒーが冷めるのが気になっているのだろう。そういえば私のココアフロートだって、もうアイスが溶けてなくなってしまっているかもしれない。

 席に着くころには幾分か夜目も利くようになっていたのだが、私のココアフロートはバニラアイスも氷も溶けて色が薄くなっていたし、五央のコーヒーもあの反応ということは、恐らく生温くなっているようだった。なんかちょっと惜しいことした気分。
「まあ真っ暗であんまりよく見えないけど、危害加えてくるわけでもなし、スマホも画面は暗いけど使えないわけじゃなさそうだし、比較的優しい、穏やかなものみたいよね」
 エマはそう笑顔で私たちに行った後、レモンパイをパクッと満足げな顔で頬張った。いくら安全だろう、となんとなくの展望が見えていたとはいえ、肝が据わっているというか、こういう時マイペースなところが流石社長令嬢って感じである。
 対して一般人代表こと瀬名光、私はやっぱりどこかそわそわしてしまって、スマホで『光を吸い取る』とか『光を集める』と検索してしまう。でも出てくるのはブラックホールとか、黒い謎のシートとか、そういうものばっかり。エマと五央にも「こういうの覚えある?」と尋ねたけれど、二人とも「何それ?」という反応だし、私としても何か違う気がする。ピンとくる、閃く、腑に落ちる。今までのものはそういった『正解感』があったのだけど、この件に関してはまだその気持ちに至ってはいない。だから違うと思うっていうのはずいぶん自分の直感を過信している感があるけれど、でも自分だけがペンを使える現状ではそう思ってしまうのも仕方ないんじゃないだろうか。なんでこんなことを考えているか、それはどうにもこうにも、なんにも答えが浮かばないからである。

「っていうわけでさ、君たち二人もちょっと考えてみてくれない?」
 レモンパイを食べ終わったので、ストレートで飲んでいたアイスティーにミルクとガムシロを足して満足そうにかき混ぜているエマと、コーヒーは諦めてプリンを頬張る五央。私のココアフロートはいよいよアイス、ココア、氷が溶けて出来た水、の三層に分かれてしまっている。後でストローで静かに底に沈んだココアの部分だけ飲もう。
「ねえ聞いてる?」
「うーん……いや本当、何にも思い浮かばないんだよね。うんともすんとも、ピンとも来ない」
「俺も光を吸うって何? って感じだし……。太陽光発電?」
「でも太陽光以外も吸ってるじゃん?」
「そうなんだよなあ。むしろ外は真っ暗ってほどでもないっぽいし」
 そう言うと五央は私たちにラインの画面を見せる。それは私と夢とひーわと五央の四人のグループのトーク画面だ。
『今外の天気ってやばい?』
 と五央がいつの間にか飛ばしていたメッセージに、
『んー? 普通じゃない? 晴天! って感じではないけど』
 と夢が、そしてひーわが、
『走るにはちょうどいい天気』
 というメッセージと共にグラウンドから撮ったと思われる空の写真を添付して送ってきていた。なんで私だけ通知来なかったんだ、これももしかして……と考えて、あ、違う、そういえば今日の数学の授業の時、『目についたものを写真に撮ってそれでしりとり』というわけのわからない企画を夢とひーわがやっていて、通知がエグくてオフにしたんだった、と思い出した。今日の数学、私の机の列が当たる日だったので、スマホ弄ってる場合でもないし、勿論写真を撮っている場合ではもっとない。ていうかひーわは部活でグラウンド外周ランニング中にスマホで写真撮って五央に送ってるのか。無敵すぎやしないだろうか。
「という訳でおかしいのはこのカフェ、或いはこのビルだけだと思う。もしかしたら俺たちには縁もゆかりもない何かが何かしてるのかも」
 そう言って五央は、四角いスプーンで固めのプリンをほんの少しすくう。思いがけず小動物みたいな食べ方をしていたが、私はツッコむことも出来ず「はあ」と肯定の意のような返答をしてしまう。これじゃいけない。
「でもさ、私たちに縁もゆかりもない何かが関係してた場合でも、このままにして帰るわけにはいかないでしょ……大元の原因は多分……私たちじゃん?」
「え? そうなの?」
 五央が慌てたように私の顔を見る。そうだろう。だって五央は、エマのペンの存在は知っているかもしれないが、私とエマが巻き込まれた事件のことは多分知らない。
「ジャジャーン」
 とペンを振ったのはエマだ。
「家に置いておくのも家に何が起きるかわからないし、うちって人の出入りも多いから万が一何か異変に気付かれたら面倒だし、いつも筆箱に入れてるのよ」
 こんなもっともらしいことを言っているが、エマがこのフリクションを持ち歩いている本当のところは恐らく、ボールペンで書いた文字もマーカーで引いた部分も消せるのが便利! という学生らしい普通の理由である。でも五央にぶつくさ言われたくなかったのだろう。私としても賢明な判断だと思うので、うんうんとそれらしく相槌を打って聞いておいて、肯定も否定もしないでおいた。でもそうやら人の良い五央はあっさり納得したらしく、
「そのペン……ってあのじいさんからの……ってひかるも知ってるのか」
 と返す。そしてエマはニンマリとした顔で、
「まあね。そして、ひかるは知っていて五央は知らないことがあります」
 とノートとフリクションを私に渡し、「まあ見ながら聞いてよ」と私の実演を交えつつ、今までのあらましを掻い摘んで五央に伝えていた。



 しかしそれから二人の知能をプラスしうんうん唸っても、結局誰も何も思い浮かばなかった。ただ精神だけが消耗していく。何も生み出していないとはいえ頭を使ったし、ジュースでも良いから甘いものを摂取したい。最早今日の店番担当になっているくらいだし、オレンジジュース一杯くらい飲んでもいいだろうか。勿論今度来た時にちゃんと申告して、お代は払う。
 エマに聞いてみたら、「ジュースはキッチン入らなくても手前のガラスドアの冷蔵庫にパックが入ってるから大丈夫だと思うよ。グラスだけ奥の棚まで行くのあれだったらここの乾かしてるやつ使っちゃえば良いと思うし」と返ってきたので、あ、さてはエマはキッチン入ったことあるな、と察する。なら大丈夫か、と私は未開の地、カウンター奥のキッチンへとお邪魔することにした。
 いくら夜目が効くようになったとはいえ、初めて入る場所で真っ暗なのは怖い。冷蔵庫の蛍光灯までしっかり明かりが消えていて、物の気配はとてもあるのにどこになにがあるのかはいまいちわからなくて、どうか何か割っちゃったりしませんように、と祈るように進む。
 ふと、キッチンの奥へ目をやったときだった。
 緑のような白いような、なんとも形容し難い色が淡く発光していて、真っ暗にずっと慣らされていた私の息は止まる。何これ。こんな奇妙な小さい光が浮いているって、これは多分、きっと。
「お、お化け‼︎‼︎」
 そう叫んだ私はUターンし逃げようとして、何故か足が絡れ、段差も何もない床で綺麗に転ぶ。膝を擦ったが、そんなことより今は、お化けである。ペンの魔法とかじゃなかったんだ、これ、お化けが起こした心霊現象だったんだ。
「大丈夫、ひかる?」
「お化け?」
 と言う二人に、「あっち……」と指差し私はそのままその床にへばりついていた。何故ならしっかり腰が抜けてしまっていたのである。

「私見てくるから、五央ここでひかる見てて。キッチンの中どうなってるかなんとなくの記憶はあるから、暗くてもどこに異変があるかくらいはわかると思うし」
「わかった」
 そんな頭の上で交わされる二人の会話を聞いて、私は心の中で「頼もしすぎる~~~!」と涙を流す絵文字を二十個くらい並べていた。



 キッチンに入ったエマのことをドキドキしながら注視していたが、そこから聞こえてきたのは意外にも悲鳴ではなく、笑い声だった。
「っ……はっ……ははっやばいっ、笑っちゃいけないんだけどごめん、めちゃくちゃ笑える」
 そう言いながらエマは何かを掴んで持ってきているようだった。ん? とエマの手を見つめると、その手の中では何かがうっすらと発光している。さっきの、お化け! と私の喉は一瞬ヒュッと鳴るが、隣に居る五央も笑いだしたのでこれはおかしい、と恐る恐るエマに近付きその光に近付く。と。
「目覚まし時計……?」
 そう、そこにあったのは、暗い中でもなんとなく時間がわかるよう、針の先にだけ蛍光塗料の塗られているタイプの目覚まし時計だった。
「ひかる目覚まし時計に腰抜かしたの面白すぎるでしょ、まあタイマー代わりに目覚まし時計置いてるマスターも面白すぎるけど」
 まだ笑いの波に襲われている最中のようなエマは、時折り「クッ……」なんて情けない笑い声を出しながら、そう私に説明してくれた。
「でもおかげさまで大発見だね。これだけ光ってるってことは、この時計が関係してるんじゃないの?」
「あ……確かに」
「ていうかひかる、微動だにしないけどまだ怖いの?」
「こいつさっき腰抜かしたみたいで、まだ動けないんだよ」
「なにそれ可愛い! ひかる意外にお化けとか駄目だったんだねえ、全然ケロッとしてそうなのに」
 失礼な。と言ってやりたいが、動揺したままの頭じゃ言い返す言葉をまだ上手く引き出せない。
「小さい時にお兄ちゃんに無理矢理お化け屋敷に連れてかれて、めちゃくちゃ怖くて、しかもお兄ちゃん途中で私とはぐれやがって……それからほんっとお化け系は無理なの」
「あーあの人やりそう……しかもなんならお化け屋敷内ではぐれたんじゃなくって、ひかるのこと撒いたまであるよ」
 それは薄々思ってた。お兄ちゃん本人は頑なに認めなかったけど。っていうか相変わらずエマの私のお兄ちゃん像ってかなりリアルに捉えているっていうか、ほんのちょっと会話しただけであの外面大魔神の内面を結構正確に当ててきている。
「やっぱエマって見る目あるよねぇ」
 と言うと、「まあ?」と絶対意味わかっていなさそうなのに誇らしげに返してきたので、本当、面白いやつだなぁ、と私は腰から下を床にへばりつけたまま、目線を合わせに来てくれたエマの頭をポンポンとなでた。

 コホン、と五央がわざとらしく咳払いをして、私とエマの間に割り込む。
「いちゃいちゃは一回後回しにしてもらって、時計について調べてもらいたいんですけども!」
「何、五央拗ねてんの?」
 と命知らずのエマが笑いながら五央に特攻する。まあ笑っちゃってるのはさっきの私が腰を抜かした時の余韻だろう。一度ツボに入るとしばらくなんでも面白く感じてしまうタイプの人がこの世には結構居る。
「拗ねてるとかじゃなくて! じゃあお前永遠にここに居るつもりなのかよ⁉︎」
「そんなこと言ってないじゃーん、五央怖いねぇひかる」
「いや私のこと巻き込まないでよ」
 そんなことを言いながら私はまだ神経がばっちり繋がっているわけではなさそうな自身の身体を恐る恐る持ち上げ、例の時計に手を伸ばす。
「うーん。見れば見るほど普通の目覚まし時計だよねえ」
 時計の正面、それから背面、底、と見た目で確認出来る部分には一通り目を通したものの、どうにもこの時計に何かあるとは思えない。
 いつの間にか私の背後に回り込んで一緒に時計を覗き込んでいた五央も、
「確かに、ひかるがひっくり返るほどの何かがあるようには到底見えない」
 と唸る。さり気なくどストレートに馬鹿にされたので脇腹に肘鉄を食らわせ「うぇっ」と言わせて満足する。
「というわけでエマと五央、なんか思い当たる節ない?」
 私がそう雑に二人に話を振るも、二人とも「うーん」と唸るばかりで話は一向に進みそうにない。
「そういうひかるには何かないの?」
 とエマに聞かれるも、ない、と思う。目覚まし時計も光るようなものは使っていた覚えがないし、蓄光の何かもお祭りとかテーマパークの夜のパレードで身につけたことがあるくらいだろうか。あ、でもそういえば、と思い出したことが一つある。
「去年の桜森の学祭でね、星の道っていうのをやってるクラスがあってね、暗幕貼った教室にお化け屋敷みたいに真っ暗な道を作って、そこに蓄光の星のシールとか、ライトとか貼ってたなって。出入り口にだけ人が居れば良いから、当番が少なくって、でも中は結構綺麗で頭いいなこれって思ったんだよね。まあ私はただのお客さんだったから、そんなに何がどうこうってわけでもないんだけど……」
 でもこれ関係ないよねぇ、もしこのことが関係して何か起きるんだったら多分、学祭で起こるだろうし。むしろこのカフェで起きるってことは、エマとか冴羽家に関連することなんじゃないのかなって思っていたんだけど……。

「あ」
 と突然静寂を打ち破ったのは五央で、私とエマは揃って五央の方を見る。
「あのさ、エマ、俺の部屋、覚えてる?」
「五央の部屋……あ、うちの?」
 エマの家に五央の部屋があったのか?どういうこと? と私が首をかしげていると、五央が、
「俺の親が海外赴任になるタイミングとかで、何回か俺が冴羽の家に預けられるかも、みたいな流れがあったんだよ。特にじいさんが母さんと俺を日本に置いときたかったみたいで」
「五央パパ、任期付きとかじゃなくって、半ば永住みたいな感じでイギリスの会社に行くことになったから、おじいちゃん寂しがっちゃってさ」
 なるほど。
「そういえば今五央は単身日本に来て、他の家族はイギリスに居るんだもんね」
「そうなんだよ。で、じいさんが、『部屋なら用意してあるから向こうが嫌になったら日本に帰っておいで』って俺用の部屋も用意してくれてたんだよ」
「そうだそうだ。でも私五央の部屋ってちゃんと入ったことないかも。一回見せられた気はするんだけど……」
「エマもそれっきりか。実は俺も一回見せられたきりなんだよね。でもその時確かエマも一緒に居て、じいさんに案内されて三人でその部屋を見た気がする」
 そうなると折角五央の部屋を作ったのに、その部屋は一回披露されたっきりでその後は開かずの部屋だったってことになるのだろうか? でもなんにせよ、私にはさっぱりその部屋のことはわからないので、二人の話の聞き手に徹することにする。
「なんか確か……宇宙? みたいな部屋だったよね?ロケットのでっかいランプが天井に付いてた記憶がある」
「そう、それで、確か壁紙も宇宙モチーフだったんだよ。シールだったかまでは覚えてないんだけど、壁が電気を消すと光ってなかったっけ?」
「それがこういう蓄光ってことか!」
「多分ね」
 ふんふん、と二人の話を聞いていて、なんだかその話は関係しているっぽい! とは思ったのだけど、じゃあ今回はどうしたらこの件は解決するんだろう。しかもエマの家でこれが起きるならともかく、どうやら五央に至っては初めて訪れた場所であるこのカフェ。二人はあれこれと過去の話をして、お互いの記憶の奥底からヒントになるものを引き摺り出そうとしているけど、その話も私にはさっぱり協力のしようがないので、はっきりいって暇になってしまった。オレンジジュースでも飲んで一先ず待っているか、と今度こそオレンジジュースをグラスに用意し、私は再び先程まで居た席に戻る。
 テーブルの上には空のお皿と氷が溶けて水滴まみれのグラス。それらを端によけ、ナプキンで机を軽く拭いて、私は一人でオレンジジュースを啜る。エマと五央の話し合いにしてはちょっと強めのトーンの掛け合いが、本当の兄妹みたいでなんだか無性に微笑ましくって、でも盗み聞きするのはちょっと悪いかなって気になって、スマホでも弄るか、と思った時、エマの席の前にあったペンが目に入る。いくら私たちしか居ないとは言え、こんな大事なものを置きっぱにするなよ~と心の中でツッコミながら、暇なので少々拝借させてもらうことにする。
 蓄光の星……と頭の中で思い浮かべながら空にそれを描くと、これがこのペンの妙、フリーハンドで描いたとは思えない綺麗な線の☆が光りだす。いくつかそれを浮かべた後、このペンって別にこの世に存在しないものでも私が想像出来て描けるものなら出せるじゃん、わざわざあの薄黄緑色にする必要なんてないじゃんか、と思い立ち、綺麗な黄色だったり、ピンクやブルー、紫なんかも描く。それらは我ながらなかなかの出来で、しかもこれって多分光を蓄えて光るわけじゃないから、部屋が明るい時もずっと光り続けるんじゃないだろうか。それってとっても綺麗かもしれない。例えば部屋にサンキャッチャーを置いて、そこから反射されるプリズムと星の光を一緒に見れたりしたらどうだろうか。一緒になるはずのない昼と夜が共に輝くのって、とってもロマンチックだ。
 昼と夜、そこで私はふと、「あの時計って動いていたっけ?」と気付く。
 ビビりすぎてしまってあまりちゃんと見ていないけど、あの目覚まし時計の針の先端には蛍光塗料が塗られていたはずだから、もし秒針があれば私が見かけた時、光が動いていると感じるはずだが、そんなことはなかった。もし秒針がないタイプだったり、秒針には塗料が塗られていない場合でも、例えば十二時ちょうどとかじゃないと光っている箇所は複数になっているはずである。でも確かに見えた光は一つだった。たまたま四時二十分とかだったのかもしれないけど、もしかしたらあの時計、止まっているんじゃないだろうか。
 止まっていたからどうってわけでもないかもしれない、でももしかしたらあの時計自体に何かがあるのかもしれないのなら、打開策の全くない今、その線を考えてみるのもありかも。そう思い私は、なるべくエマと五央の邪魔をしないように、そっとあの目覚まし時計を確認しに行く。
 そうしてその時計を手に取り、盤上を確認すると、指し示している時間は『三時十五分』を少し過ぎているくらいだろうか。長針、短針、秒針、それからアラーム用の針の四つの針は、全てが3の近くで重なっていた。
 これはたまたまかも知れない。その時間、私たちはまだ学校で授業をしていたはずだから、私たちが来てから止まったわけじゃないし。でも一日にそう何秒かしかチャンスのないこの奇跡的なタイミングでたまたま時計が止まって、私から見れば几帳面そうに見えるマスターがたまたま放置しているなんて、そうそうないような気がしない?
 私は時計を掴みエマと五央の間へと割り込む。
「見てこれ! 時計の針の場所!」
 やっと二人の会話に心置きなく入れる嬉しさで、ちょっと声が大きくなってしまったのは、内緒だ。
「どうしたのひかる?」
「なんだ針って?」
 とこちらに集った二人に、見て、と私は針の位置が秒針も含め重なっていることを説明する。
「なあエマ、三時ちょっと過ぎってあれじゃないか、俺たちがじいさんに部屋見せられてた時間帯」
「え、そうだっけ?」
「冴羽家って三時にメイドさんたちがおやつの用意してくれるだろう、確かその日のおやつはアップルパイで、俺あのアップルパイめっちゃ好きで、匂いで出来てるのには気付いてたんだけど、『お部屋見終わったらお持ち致しますから』って一蹴されてて」
「つまり五央はおじいさまが部屋を見せてる間、『アップルパイ早く食べたいなー』ってずっと思ってたってこと?」
「やばいな。俺まだ今回帰国してから一回もじいさんの墓参り行ってないんだよな、そういうことかもしれない」
 なんて罰当たりな孫だ、と言ってやりたいがその自覚は本人にもありそうだし、何より今はエマと五央のおじいさんには申し訳ないが、そんな話をしている場合ではない。
「そういうことになっちゃうと、やっぱり心霊現象でお化けの話ってことに着地しちゃうじゃん、そうじゃなくってなんかこう……お墓参りにはもちろん早急に行ってもらうとして、なんか今ペンでなんとか出来る案ってないの?」
 私がそう聞くと、
「うーん、でもそういうことなら取り敢えず時計動かしてみる?」
 とエマ。
「電池類多分レジ下の引き出しに……あったあった。ねえその時計の電池の蓋って、ドライバーいるタイプ?」
「んーとあ、爪で外れた! 単3が二個だよ」
「おっけー、あったあった、これ」
 そうして手渡された電池を入れる、が、時計は動かない。プラスとマイナスも確認したし、新しい電池だし、この時計自体が壊れているのか、或いはこの空間を暗くしている何かの力で邪魔されているのか。
「動かないよエマー」
 と私は時計をパスし、エマは何やら時計を検分し始める。電池も入れ直したようだが、やっぱり駄目。「針折れてたりしない?」と時計を振ってみるも特に音はしない。
「うーん」
 と言いながらエマは、手持ち無沙汰そうに後ろの時刻合わせのつまみをくるくると回し始める。

 しかしそれがまるでカラオケの部屋の回すと証明の光度が変わるライトみたいに、部屋は突然スゥーっと明るく、最終的にはいつもの店内を超えるくらいの明るさになった(これについては私たちの目が暗闇に慣れ過ぎてしまって、必要以上に眩しく感じているだけの可能性もあるけれども)。

「え、それ、スイッチなの?」
 と五央がポカンとした顔で目覚まし時計を見る。そんなわけないだろう。何言ってるんだこいつ。しかし、
「いや……いや……?」
 と混乱したエマが首を傾げながらつまみを逆回しすると、また部屋はスゥーっと暗くなっていく。なんで?
「スイッチだね、それ……」
 私が唖然としながらそう言うと、エマも「だね……」と返してきた。



 エマがバックヤードでパチパチパチ、とスイッチを押すと、今度は吸い込まれるようにではなく、一気に部屋が暗くなる。
「この時計がメインスイッチ? 主電源みたいになってるけど、でも普段使ってるスイッチも普通に反応するみたい」
「壁面スイッチよりブレーカーより何より最優先の主電源が時計になってるってことか」
「多分ね。つまり今回ひかるが描くべきものは、この時計ってことだね」
「え? どういうこと?」
「だってこの時計がスイッチになってました、なんてマスターに説明できる?」
「出来ない」
「でしょ? だから複製時計を作ってもらって……で一応この時計はこっそりうちに持って帰って、関係あるかわからないけど、五央の部屋だったところとかで、色々確認してみよう」
「なるほど……わかったよ」
 にしても私、スケッチとかそんなに得意じゃないんだよな。言ってしまうとそもそも絵を描くこと自体別に得意ではない。でもこのペンで描けば結構補正入るし、何よりやるしか道はないのだ。エマがそういう顔で私を見ている。
 大切なのは想像力。頭の中で思い浮かべられていれば、実際の手の動きはどうであれ、だいぶそれに近い状態で出力できる。もう瞼の裏に焼き付けるくらいの気持ちで時計をじっと見て、なんならその時計の上からトレスするように私はペンを動かした。
 幸いにもフリクションなので後ろのゴム部分で消すことが出来るので、エマと五央に「そこの色変」とか「そこ歪んでない?」とかあーだーこーだと言われながら、なんとかそれっぽい時計を作ることに成功する。あーもう二度と時計の絵なんて描きたくない。
「よくやったひかる! それっぽくなってる!」
 と褒めてくれるエマに対して、五央は、
「うーんまあ……まあ……並べなければ多分……」
 と半ば悪口のようなコメントを残す。まあそれっぽいも絶対純粋な褒め言葉ではないけれど。
「じゃあこれ、フリクションももうしばらくはご無沙汰したいわ……」
 と私は予想以上にくたびれきった声で、エマにフリクションを手渡した。
 
 と同時に都合よく店のドアが開き、「いやあごめん、ってあれ、照明点いてる⁉︎」
 とマスターが珍しく上ずった声で帰還してきたので、
「ちょうど今さっき急に点いて! あ、オレンジジュースもらっちゃいました~」
 とエマが後ろ手に時計を隠しながら、キッチンの方へとそろりそろり移動して行った。



「真っ暗な中店番させちゃったしお代は良いよ」というマスターに、なんとか居ない間に勝手に飲んだオレンジジュース代も合わせて払い(ちなみに折衷案としてポイントカードにポイントをいつもの三倍も貰ってしまった且ついつも通り全員分のポイントをエマのカードに付けたので、今日だけでエマのカードは満タンになった)、どうか目覚まし時計に気付きませんように、と私たちは店を後にした。

「ね、ひかるまだ時間大丈夫だよね?」
 とエマが言うので、
「大丈夫だけどエマはまだ帰らなくて良いの?」
 と返す。さっきからやけにスマホを気にしているようだから、もしかしてそろそろ帰らないとまずいんじゃないのか、と私は疑念を抱いていたのだ。
「お母さまが居る日の門限は……塾とか無ければ……その……八時」
 ゲっと思い時計を見ると、時刻は七時五分。
「五央、これ、エマの足でも間に合う?」
「まあ気持ち早く着くくらい、ちょうどいい頃合いだと思うよ」
「はいエマ、帰ろ」
「嫌だ~大体五央、今帰ったら五央も巻き込まれるって。むしろ私一人ならまだ良いけど、五央も含めての夕飯とかになったら地獄よ」
「うわ……確かに。じゃあもう夕飯は食べて帰るしかない」
「でもそれだとお母さまに怒られる」
「もうどうしようもないじゃんか」
 二人は店前の狭い道路で共に頭を抱えて唸り始めたので、私はそんな二人の背中を押しながら「取り敢えず家の方面には向かっとこ? ね?」と駅の方まで誘導して行った。
 幸いにも、このカフェから駅までは然程遠くはない。あっという間に駅には着き、私はエマの家方面とは使う路線が違うので、一先ず二人を改札にぶち込もうとしたが、二人は「ひかる、おごるからファミレス行かん?」などとまだごねている。
「あーもう、私も着いてくから、取り敢えず電車乗ろ?」
 と私は諦め、自分も一緒にエマの家の方まで向かうことにした。
 エマの家は私の家の路線とも桜森への路線とも違うが、私は目覚まし時計をエマに持って帰ってもらうという面倒を引き受けてもらった代として、潔く運賃を支払うことにした。白女からそんなに遠いわけじゃないらしいから、せいぜい数百円程度だろうし……。
 そしてまだ抵抗する二人を無理矢理電車に乗せ、この車内で何とか説得をしようと思っていたのも束の間、二駅程度先の『次は出水いずみ、出水」という車内アナウンスで、二人はまた暴れ出す。
「エマの家って出水なのね」
 うっすらそうかな、と思ってはいたくらい、出水はきちんと高級住宅街である。そもそもこの路線自体が全体的に富裕層が住みがちではあるのだが、その中でも出水は頭一つ抜けている、という感じだろうか。都心へのアクセスは悪くはないが、割と田舎で治安が良く自然が多いのも高ポイントらしい。らしいと不確定な言い方をしているのは、これはあくまでテレビなので見聞きした情報で、私は出水に降り立ったことがないからである。だって私、自然派高級スーパーとかに別に用事ないし。
「まあ、私の役目もここまでかな。エマんちまで駅から十分とか十五分とか?」
「うん」
「じゃあちょうど良いくらいじゃん。ほら、もう覚悟決めて、五央だって明日学校あるわけだし、ご飯さえ食べたら解散でしょ?」
「まあそうだけど……って待って。私天才かもしれない」
 突然エマがそう言い出し、「ひかるも来て!」と私の腕を取る。え、嫌なんだけど、なんて言う暇も与えられず、私はエマに引き摺られつつ、五央によって私の鞄についているリール付きのパスケースを勝手にタッチされるという見事な連携プレーで出水駅の改札外へと二人と共に出された。なんだこいつら、息ぴったりだし本当は絶対仲良しじゃないか。

 初めて降り立った出水駅の周りは何もない訳ではないけれど、極端に背の高い建物が少ない。後多分チカチカするようなネオンがないあたり、居酒屋とかカラオケといった類のものもなさそうである。街灯の明かりが程よく通りを照らしていて、殆どの人が駅とは反対方向に向かって歩いているので、みんな帰り道なんだろうな、と私はぼーっとそれを見つめる。あ、でもスーツ姿の人も多く目にする時間ってことは、そろそろエマの門限も迫っているのではないだろうか。そう思いスマホを開くと、時刻は十九時四十分で、本当にちょうど良い頃合いだ。エマが何を考えているのかはわからないが、もう改札を出されたからには私もエマの家の近くまで二人を引き摺って行こうと腹が決まっている。幸いにも私は道を覚えるのが得意なので、十分程度の道、一人で余裕で戻ることが出来ると思う。万が一があっても文明の利器、GPSがあるし。
 エマがさっき何を思い付いて私のことを改札から出したのかはちょっと不安だけど、まあエマが私に対してそんな悪いことをすることはないだろうし、きっと大丈夫だろう。
「しっかしこの辺のお家、整理されてはいるけど、結構家ごとに個性があるんだね」
「なんか一応新築の家には景観ルールみたいなのがあるみたいよ。うちは私が生まれる前から建ってるから、詳しいことはよくわかんないけど」
「住宅街で道を覚えようとするときにさ、建売りでおんなじような家がズラーって並んでると一瞬あれ? ってなるんだけど、ここは迷子にならなくて良さそう」
「ひかるめっちゃ道覚えるの強いじゃん、迷子になんかなったことないでしょ」
「まあね」
 私とエマが並んでお喋りしながら歩き、その後ろを五央が着いて歩く。その五央の顔もどこか不安げというかよくわかっていないような感じで、もしかして五央は私のこと改札から出した割に、特に何の考えもなかったんじゃないだろうか、という気がする。そうだとして「エマが私のこと改札から出そうとしてるから」ってだけで一緒にやりだしたのは、仲が良いもそうだけど、エマの子分気質が染み付いているんじゃないだろうか。勿論エマは偉そうに人を侍らしたりはしないだろうが、リーダーシップがあるから人に的確な指示を出すのは上手だと思う。きっと五央、小さい頃からなんやかんやでエマの駒になっていたんだろうな、と小さいエマと五央を想像すると、姉と弟みたいに微笑ましく遊んでいる絵面が浮かんで、まあ確かにこれで結婚はちょっと無理かもなあ、なんて勝手に納得した。
「何?」
 と顔を見過ぎてしまったのか、五央に怪訝そうに話しかけられた私は、
「いや、エマと五央ってちょっと姉と弟みあるなって思って」
 と素直に返答する。
「残念だけど五央誕生日十月だから、私の方が妹だよ」
 とエマは言うけれど、ちょっとそれは違う。
「そういうことじゃなくって、雰囲気がってこと。大体エマって三月十日生まれだから、同級生なら大抵の人が年下じゃん」
「確かに……ま、五央よりはしっかりしてるもんね私」
「は? どういうことだよ」
「じゃあ五央ひかるの誕生日知ってる~?」
「はいはーい! 私は五央の誕生日知ってるよ。十月二十一日」
「女って本当誕生日とか記念日とかマメだよな」
「男女関係ないでしょ、性格と愛の問題よ。ひーわに聞いてみ」
「ちなみに私は勿論ひかるの誕生日知ってるよ。六月二十一日」

 三人でこうして三角形に並んで、舗装された綺麗な歩道を歩いていると、世界のあれやこれや、嫌なことも、最早良いことですら些細な、どうでも良いことだったような気がする。今ここにあるのが全てで、それ以上でもそれ以下でもないような、過不足のない感じ。これが若さゆえの無敵感、全能感というやつなんだろうか。でもそうだとしたら、私たちもっと大人になっちゃったら、こんな気持ちは味わえなくなるのかな。なんて、ほんの少し寂しい気持ちになった。



 そうやってしばらく歩いていると、突然今まで立ち並んでいた立派な家を取り囲んでいた塀や柵の何倍も長い白い塀と生垣が私たちの前に現れた。アニメのEDとかで、一生ループさせて使い回している背景の素材くらいずっと同じような生垣が続くので、流石に何かの施設なのだろうか? と思い始めた頃、立派な門が見えて私は、「あ、これやっぱり家だったか」と気付くと同時に、「ということはきっとここがエマの家か」ということを察した。
 しかしというかやはりというか、このエンドレス塀も、買い物帰りとかで荷物を持っていたりしたら絶対に開けられなさそうな門も、二人にとっては何ら臆することのないもののようで、立ち止まったり見上げたりすることもなく、ただ淡々とそこに向かって歩く。ただ気付けば無言になっていて、背中を見ているだけで、内心ため息をついているのがわかるような、そんな負のオーラが手に取るようにわかった。
 エマも五央もこんなに堅く、頑なだったことがないように思う。二人が兄の大学で対面してバチバチしていた時でさえもこんなに全身四角い硬い箱に入っているような感じではなかった。っていうか私のこと忘れられてるんじゃないんだろうか。流石に門前まで行くのはちょっと……である。まずこの家のインターフォンに絶対に映りたくない。もう手遅れかもしれないけど、家の周りにもしかしたらあるかもしれない監視カメラにも映りたくない。
「ねえエマ、五央、私そろそろ帰るよ。ここもうエマの家だよね?」
 私は当社比だいぶ大声で二人の背中に話しかけるが、やっぱり気付いている素振りがない。二人とも無言なのにどんだけ追い込まれてるんだ、と憐れみと恐怖を覚えながら、私はもう取り敢えず帰って、後でラインでも送っておこう、と思いつく。だってエマのお母さんも、甥っ子兼娘の婚約者を出迎える気で待っていたら、間からひょっこりと知らない女が出てきたら意味わからなすぎて混乱するだろう。何より私だってそんな地獄のような空気であろう場所に、ひょっこり顔を出すなんてイカれた真似、勿論したくない。
 じゃあね~と独り言より小さく囁いた私は、そっと来た道を戻ろうと、くるっと体を回転させる、が。それとほぼ同時に私の手首はしっかりとエマに掴まれていた。どういうことだ。
「一生のお願い、帰るな」
 エマが声色だけは申し訳なさそうにそう言う。でもそもそも人に物を頼む時に命令形を使うのは間違っていると思う。それに表情とオーラが、有無を言わさず、と言うか、私が何かをしでかして詰め寄られているようにすら思えてくるものだった。
「はい……」
 と結局私はインターフォンを押す瞬間もしっかりエマの五央の後ろ、というかエマに手首を掴まれた勢いのまま、最早エマと五央の間に配備されてしまっていたのであった。



 そういえば日本のお城も、海外のお城も、大抵城内に入る前に大きな門があるな、これってやっぱりやばそうな人は侵入されない、検問で弾くのが一番ってことなんだろうか。私も今ここで検問されるんだ。桜森の門よりサイズ感こそ小さそうではあるけれど、門自体の耐久度というか、防御力の高さで言ったら段違いである(そもそも桜森の門は件の車が突っ込んできた事故のせいで、まだ一部へしゃげている)。
 流石のエマも深呼吸する息の音が聞こえて、私も合わせて小さく、でもたくさんの量の酸素を取り込む。よし、これで大丈夫。何が起きるのか、どうして私がここにいるのかさっぱりわからないけど。
 エマがおもむろに腕を伸ばし、インターフォンのボタンを押す。するとスピーカーの向こうから、『おかえりなさいませ、奥様がお待ちですよ』と知らない人の声が聞こえてくる。でもこの物の言い方、絶対にエマのお母さんじゃない。っていうか絶対にメイドとかっていうやつだろう。メイドカフェとドラマでしかみたことないけど、実在するんだ……と、完全に私の頭は馬鹿になっている。自分のこと、元々馬鹿だとは思っているけど、その馬鹿っぷりが加速している、というか。何言ってるんだもう。
「あ、待って、門開ける前に、ここで少しお母様とお話ししたいのだけれど」
 とエマが言って、いやいやいや、と私は心の中でツッコミを入れる。脳内では私の右手はしっかり五本揃えられて、振りかぶる準備は完了している。でもどうしたって「なんでやねん」のたった六文字のうち、一文字も私の喉から絞り出されることはなかった。チラリと五央の方を窺うと、五央も何か言いたそうな顔こそしているけれどそれだけで、実際はショーウィンドウのマネキンのようにお行儀よくしっかりと立っているだけだった。
『承知致しました。少々お待ちくださいね』
 と言う声が聞こえて、しばしパタパタと誰かが慌ただしく歩く足音だけが聞こえる。
「ひかる、ネクタイだけ、もうちょっと締めれる?」
「あ、っはい」
 まるで服装検査だ、と思いながらも、第一ボタンまで全部留め、ネクタイをキュッと締め直す。別に私個人としてはこういう風に清楚めな制服の着こなしの方が好きなのだが、何せ目一杯ボタンを留めてネクタイを締めると、首の可動域が制限されて、息が苦しいような気がするのだ。ハイネックのトップスは結構好きで良く着るのに不思議なものである。五央はネクタイはしていないのだけど、ボタンを留め、ワイシャツもカーディガンも裾を引っ張りピシッと伸ばしている。それを見て、私もカーディガンもうちょっと綺麗に着よう、と裾を引っ張る。気温にもよるけどカーディガンじゃなくてベストを着たり、そもそもワイシャツの上に何も着ないことも多々あるので、そんな中でも今日、たまたま地味目なカーディガンを選んできて良かった~と朝の自分に拍手喝采をした。
 そんな風にバタバタしていると、またスピーカーから『今奥さまに代わりますね』とさっきと同じ声がし、その直後『エマ、どうしたの』と今度は知らない女の人の声がした。知らないが、この方は喋り方的に絶対エマのお母さんだ。
「お母様ただいま戻りました。五央も一緒なんですけど、さっきまで連れ回してしまっていたこちらの私の友人を送ってもらいたくって、食事はまた今度でも良いですか?」
 誰だこの冴羽エマ。強いて言うなら学校で聞いた生徒会の冴羽エマさんに近いものがあるが、でもやっぱりそれよりお嬢様みがあるというか。
『あらもう……うちのエマが、こんな時間まで引き止めてしまってごめんなさいね。でも五央で良いの? うちの車出すわよ?』
「ひかる……この子は五央とも知り合いなので大丈夫ですよ。車だと酔ってしまうし……」
 ね? とエマに物凄い圧で見られた私は、
「あ、は、はい、初めまして、エマさんとは図書館で知り合ってから仲良くさせていただいております、瀬名光と申します。五央さんとも偶然なんですけどもクラスメイトなので、別に五央さえ大丈夫ならば送っていただけたら有難いな……と」
 ね? と今度は私が五央を物凄い圧で見る。こんな家の客人を送迎する車なんて、絶対ベンツとかロールスロイスとか、縦に長い黒い車に決まっている。車酔いどうこうではなく、そんなものに乗るのは絶対に勘弁して欲しい。
 当然、五央の方も食事会を回避したいのだろう。
「叔母さま、お久しぶりなのに申し訳ないんですけども、僕としてもここでひかるを置いて行くのも心配ですし、また後日お伺いさせていただきます」
 誰だお前、僕って誰だ。別にそこは俺のままで良くない? と込み上げそうになる笑いを必死に堪えながら、私は五央に「ありがとう」と呟く。駄目だ顔を見たらますます耐え難いものがある。
「というわけだからお母様、また今度と言うことで」
『そうね、そうだ、今度はぜひひかるちゃんも遊びに来て頂戴。エマの部屋に一緒に泊まっても良いしね』
「本当ですか? ありがとうございます、是非!」

 こんな感じで、上手くいったのかいっていないのかはわからないが、エマと五央とエマのお母さんの食事会は無事に阻止され、エマを一人門に残し、私と五央は連れ立って元来た道を戻ることになったのだった。



「エマのやつも、こういう作戦なら先に教えておいてくれたら良かったのに!」
 と五央が喚くので、「多分私が嫌がって逃げるって思ったんじゃない?」と返す。その声が数分前とは段違いに疲れ切っていて、我ながら頑張ったじゃん、と労ってあげたくなる。
「でもやっぱエマは叔母さまのことわかってるな~。叔母さまって女の子に弱いって言うか、『五央は男の子だから大丈夫よ』みたいなことナチュラルに言っちゃうとこあるんだよね。裏を返せばひかるは『女の子だから』ってなるってことだろうな」
「あー、それでネクタイとか注意されたのか、マナーに厳しいとかじゃなくって、大人しそうな如何にもな女の子らしさを演出したかったのね」
 とはいえ私は中身がこれなのでそれが上手くいったのかはわからない。まあでもエマがなんとか丸め込んでくれているだろう。そう思いたい。
「てかひかる、お腹空かない? ひかるって門限まだまだだよな」
「まあ終電乗ればって感じかな」
「じゃ、ファミレス行こ」
 いいよ、と返そうと思って、あ、そういえばさっき「奢るからファミレス行かない?」って言われてたな、と思い出す。
「奢ってくれるんだっけ?」
「なんでだよ」
「さっきエマと駅で言ってきたじゃん、奢るから行こうって」
「もうさっきじゃねえし。まーでもドリンクバーくらいなら奢っても良いかな」
「私に何の得もないのに救ってあげたのに、ドリンクバーだけか……まあいっか」
 っていうかこれからドリンクバーって、制服で居られる限界までファミレスに居るつもりなのか? と思いながらも、私も家に帰る前に気持ち落ち着かせたいし、まいっか、とスマホでファミレスのアプリを開き、クーポンを漁り始めた。パスタとハンバーグ、どっちが良いかな? なんて考えながら、私たちは二人だけ人の流れに逆らって、駅へと向かうのだった。
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