救う毒

むみあじ

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8月 樒

第108話

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ゆっくりと瞼を開けて腕の中で丸くなっているそいつをじっと見つめる。いつも笑顔な依夜が、表情を無くすだけでこんなにも儚げに見えるのは何故だろう。ふっと消えてしまいそうな雰囲気だ。

というか、生きてるよな…?
ぴくりとも動かず、息をしているのかさえわからないほど静かな依夜にギョッとする。
え?本当にこいつ、死んでないよな?


「んぅ…」


心臓の音を確かめようと体を動かせば、小さな声を漏らした依夜。嫌そうに眉を顰めて唇を歪めた。うわ、可愛い…

だゆるく上がる口角をそのままに、依夜を見つめていると、束になっている長いまつ毛がふるふると震えて、瞼の奥に隠していた紫を覗かせた。

「んぇ…わんちゃんじゃなぃ…りょおせんぱいがいる…」

ぼんやりとしながら呟いた依夜に笑みを漏らしながら紫の瞳にかかりそうな前髪を手で横に流してやる。眠たそうな瞳をゆっくりと瞬かせた後、くぁ、と猫のようにあくびをしたそいつは不思議そうに俺を見つめた。

「く、ふはっ…おはよ依夜。お前寝惚けてんな?昨日一緒に寝ただろ?」
「ぉはよーございます…ん…?んー…そうだった…」

とろりと眦を下げながらゆっくり瞬きするそいつが可愛くて可愛くて仕方がない。前から可愛い奴だとは思っていた。俺はそれが、年下だからこんなに可愛く見えるのだと思っていたわけなのだが、こうやって見ていると、もしかしたら違かったのかもしれない。

「眠いならもうちょい寝るか?それとも頑張って起きっか?」
「…ん…んぅ~…もうちょっとだけ…」

胸元でもぞもぞと動いてる依夜は、俺の胸元に頬を寄せた。気持ちよさそうに口角を若干上げて瞼を落とした依夜は、猫になってしまったようだ。可愛すぎるだろ。

「ぁのね…」

思ったより自分は依夜にベタ惚れなのだと気がつきながら、ポンポンと子供を寝かしつけるように依夜の背中を軽く叩く。とろとろと瞼を落としていった依夜は、ぼんやりとしながらも小さな声で言葉を綴った。

「ゆめでね…わんちゃんがでてきてね…」
「うん」
「おれの、となりにねててね…」
「うん」
「すっごくかわいくてね…」
「うん」
「おれね、おもわず、ちゅうしちゃったの…」

語られたのは夢の内容。眠いなら寝てしまえばいいのに、どうしても夢の話がしたかったらしい。それに相槌を打ちながら聞いていれば、最後の言葉に体が固まる。

夢の中で、隣に犬が寝ていて、可愛くて思わずキスしてしまった。
なるほど?いやいや、そんなまさか…まさかな?

「でも、ぉきたら、りょうせんぱぃになってた…わんちゃん…」

そう言って瞼を完全に落としてすーすーと寝息を立て始めた依夜。片手で目元を抑えながら、俺は思い切り独り言をこぼす。

「お前あれっ…俺の事犬だと思ってたってことかよ…!?」

起こさないよう、控えめの声量で吐いた俺の言葉は、虚しくも部屋に響いていた。







温もりを感じながら瞼をぱちりとあける。暗闇から這い出たばかりの俺の瞳は未だ明るさに慣れておらず、数度瞬きをしてやっと視界がクリアになった。

「あれっ?」

クリアになって1番最初に見たのが天井…ではなく諒先輩。呆れたような目で俺を見る諒先輩は、心なしか不機嫌なようだ。向き合いながら寝たわけではないのに、いつの間にか向き合う形になっているではないか。背中には諒先輩の逞しい腕が回っており、俺はガッツリホールドされている。

「おはようございます諒先輩。今これどういう状況?」
「おー、おはよう。これはな、お前が二度寝するっつーからお前のこと抱き枕がわりにしてたんだよ。覚えてね~のか?」


どうやら俺は二度寝したらしい。どうしよう、全く覚えていないぞぅ!


「え?まじ?うーーーーーん…あー、若干…おぼ、覚えてるぅ~…気が…しなくもない!」
「はーーーーーーっ!これだから!!お前は~!!すーーーーぐ忘れやがる!!!」
「うわぁっ!わぁ!?ちょっ!」

正直に言えば諒先輩は大きなため息をついてから俺をぎゅうぎゅうに抱きしめる。かと思えば今度は脇の下に手を入れられ、思い切りくすぐられた。

「あっははははっ!ちょっ!はははっ、やめっ、あははははっ!」
「うるせぇ!全く覚えてねぇお前にはくすぐりの刑だ!」
「あははははっ!やぁっ!はははっ、ははっ!はぁっ、はぁっ、はははっ!も、やだぁっ!あははははっ!」

じたじたと狭いベッドの中で暴れれば、お互いの体に掛かっていた毛布がベッドの外へと落ちていく。それを滲んだ視界で見つめていれば、くすぐっていた手が止まった

「はぁっ…はぁっ…も、…こちょこちょっ…はぁ…だめ…っやだから…ん、…はぁっ…はぁっ…」

諒先輩の手をぎゅっと掴み、瞳に涙を浮かべながら必死に訴えかける。息は上がり、顔も熱っぽいから赤く染まっているだろう。そんな俺を驚いたような表情で見てから、見たことのない不思議な顔でゆっくりと手を離していった。

「わりぃ、やりすぎたな。大丈夫か?」
「はぁ…も、ほんと…やりすぎ…はぁ…ん……」
「あ~~、ほんと、すまん…」

口元を片手で覆って目を逸らした諒先輩に首を傾げる。まだ慣れていないから違和感があるのだろうか?俺が首を捻ったところでわかるわけがないし、思考は外に追いやって、体の向きを仰向けに変えた。

「お腹すいたかも…今何時ですか?」
「あ?あー…もう昼になるな。すげぇ寝たわ」
「ね、めっちゃ寝ちゃった。お昼何食べます?」
「んー…逆にお前は食べたいもんねーの?俺が作ってやるよ」
「え?諒先輩料理できんの?」


もしそうなら俺が作んなくても良くね!?まぁ作るの楽しいから頼まれれば全然作るけど…それはそれとして諒先輩の料理、食べてみたいな…


「切って焼くだけだろ?スクランブルエッグとか作んの得意だ」
「いや、うん…まぁ…十分料理…そうだね…」
「オムレツ作ろうとしてたんだけどな!まぁ卵なんだし変わんねーだろ」
「だめじゃん!!」


自信満々でスクランブルエッグが得意と言った諒先輩に不安感が増す。それ絶対できないやつだろなんて思いながらも渋々頷いていると、爆弾発言が落とされる。それだめだって。卵ならなんでもいいと思ってない?俺は許さないからね???


「もう!ぶきっちょさんめ!やっぱ俺が作りますって」
「料理してる依夜が楽しそうだから、俺もやってみてーんだよ。なぁいいだろ~?俺に作らせてくれよ?」


抱きついてきた諒先輩は俺の胸に甘えるように擦り寄る。なんだぁ?今日は随分とスキンシップが多いな…甘えたい気分なのだろうか。ぎゅうぎゅうに抱きしめられるのは好きなので、俺としては嬉しい限りだ。なんかワンちゃんとハグしてる気分。寝癖のついたミルクティーベージュの髪を指でとかしながら口元に緩やかな弧を描く。


「うーん…そんなに作れるようになりたいなら、なんか簡単なの一緒に作りますか?」
「お?マジ?良いの?」
「良いですよ~。その代わり、上達したら俺にご飯作ってね!約束!」
「ふはっ、おう。約束な」


諒先輩の小指と自分の小指をそっと絡める。同じ男という性別なのに諒先輩の方が手はでかいし指は太長い。なぜ。疑問に思いながらもぎゅっと小指を握り締めゆびきりげんまん~なんて呟いてから指を離す。へらりと笑って見せれば優しくも爽やかな笑みを彼も浮かべる。


「よーし!じゃあ依夜くんのお料理教室はじめちゃうぞ~!」


腹から出した声と共に体を置き上げ、軽く伸びをする。俺の言葉に続くように、どんどんぱふぱふ~と口で効果音をつけてくれた諒先輩もゆっくりと体を起こした。
そのまま2人で戯れあってリビングへと向かう。



「それで?依夜先生。第1回のメニューは?」
「第1回のメニューは~~~…っじゃん!肉野菜炒めです!」


昨日使いきれなかった肉と野菜を取り出して、台の上に乗せる。諒先輩はお~と声を上げながらパチパチと拍手をしてくれる。俺のつか言っている調理器具等も並べてみれば「すげぇそれっぽい!」と子供のようにはしゃぎ始めた。


「はいはい、まだ始まったばっかりですよ~。んじゃあ諒くん、まずは味をつけるための調味料作りからです」
「諒くん…」
「はい、この器に今出した調味料を俺の言った分だけ注いで混ぜてくださ~い」
「え、あ、おう…」


ぼーっとしている諒先輩にガラス製の器と調味料を預ける。俺が覚えているメニュー通りの分量を入れてもらった。


「適量ってなんだよ…」
「適量は適量ですよ。わかんないなら今回は俺がストップって言うまで注いで」
「おー、頼んだ」


そんなやりとりを経て調味料は完成。まだ準備段階のはずなのに大分やりきった感を出している諒先輩に思わず笑ってしまう。


「ふふっ、よく出来ました。じゃあ次は野菜を切りますよ~」


軽く褒めれば嬉しそうにはにかむのだから、褒め甲斐がある。この人時々年上に見えなくなるんだよな。


「はい、じゃあまず野菜からね。諒くんは猫の手で切れるかな~?」
「これは俺、馬鹿にされてんのか?」
「馬鹿にしてないですって!料理初心者は猫の手が基本なの!俺もやってんだから!はい、諒くんも猫の手してくださ~い」


ほら、にゃ~んと言いながら、丸めた手を顔の近くに持ってきて諒先輩をじっとみる。諒先輩ならノってくれるだろうと思ってやったのだが、これ、男子高校生がするにはちょっとイタくね?


「…やっぱお前…猫だったか…」
「え?何言ってんの?」
「よしよし…あとでちゅーる食わせてやるからな…」


マジで何言ってんの?頭おかしくなった?


俺が1人で疑問符を浮かべていると、諒先輩はゆっくりと慎重に野菜を切り始めた。ぎこちない仕草にハッとして、彼の手元をじっと凝視する



「んなに見つめられっと緊張すんだけど…」
「ごめんなさい。怪我しないか心配で…諒先輩指ごと切り落としちゃいそうで怖いや…」
「俺のことなんだと思ってんだよ???」



いや、思い切りがいいから指ごと切り落としちゃうかなって…



「それをやるのは久道だろうが」



とんでもねぇブラックジョークぶち込んできたな????



「すんごいブラックジョークやめてください!てか諒先輩も知ってんだね。千秋が無痛症っぽいの」
「あー、本人に聞いたわけじゃねーけど、前殴り合いした時に、な。傷に気がついてすらいねぇから、最初は薬キメてんのかと思ってたけど、依夜と行動するようになって話す機会も増えたろ?んで、正常な判断もしっかり出来てるみてぇだし、薬物の影が一切ねぇ。なんなら鎮痛剤とか頭痛薬の影すらねぇしな!だから、かもしれね~ってレベルの軽い認識だったわ」


納得を示すように頷いてから、無言で彼の手元を見守る。しっかり見てはいるものの、思考はもちろん千秋の事でいっぱいだ。


「仲良いお前が無痛症って言うんならやっぱそうなんだな~…生まれつきなのか?」
「え?知らない。単に鈍いだけなのかも知んないよ?」
「あれ、直接聞いたわけじゃねぇの?」
「うん。全く聞いてないね」


俺は千秋だけでなく、他人の抱える事情には一切踏み込まないようにしている。相談されれば答えるけれど、自発的に行動することはない。そんな事をしたって相手を傷つけるだけかもしれないし、事態を悪化させるかもしれないと俺は知っているから。
それに、自分から曝け出して欲しいのだ。俺を信頼し、触れられたくない心の奥底まで、自ら曝け出して、俺に助けを求めて欲しいのだ。


「お前らってスゲェ仲良いから、てっきり話してるもんだと…」
「マジ?そんなに?ちなみにだけど、友達には見える?」
「あ?おう。普通に仲良い友達同士に見えるが…は?何?違えの?まさか、恋人同士とか言わねぇよな」
「んなまさか。千秋とは友達でもないし恋人でもないよ」


くすくすと笑いながら、俺も野菜を切り始める。小気味良い音を立てながら細切れになっていく野菜をただ見つめた。


「……お前らの関係、謎じゃね?」
「あはっ、そこはほら、色々あんの。ね?」



訝しげに眉を顰めこちらを見た諒先輩に、一度手を止めて俺も笑みを返す。首を突っ込むなと目で伝えれば、それがしっかりと伝わったのか、ため息をひとつついてから包丁を握り直した。

「…ったく…はいはい。可愛い依夜のために誤魔化されてやるよ」
「んふふ、ありがと~ございま~す!」

へらりと笑いそう返す。俺と千秋の関係は、秋には終わってしまうのにね。ふとそんな事を考えれば、諒先輩の軽やかな声が聞こえた。


「ま、そのうちちゃんと友達になれんだろ」


横目でこちらを見ながらにっと笑った諒先輩。俺の内心を見透かしているような励ましな言葉に、思わず頬はゆるゆるになった。


「へへ、俺もそう思う!」


───────────────
フォロー入れた後に「なんで俺は暫定ライバルとの仲を取り持とうとしてんだ…?」となる諒先輩はいる。ちゅーでぐわーとなったり、諒くん呼びでスペキャしたり、ネコチャン(イヨ)でなるほど…となったり、諒先輩が忙しない回でした。
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