救う毒

むみあじ

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7月 グロリオサ

第56話

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真剣な顔でキャンバスに向かうその人を一瞥した後、視線を真後ろに向け黒髪の彼をじっと見つめる。

「…なんだ?そんなに見つめて。惚れるなよ?」
「あはは、惚れさせた方が都合が良いと思いますよ」
「?何故だ?」
「だってそうすれば私が勝手にペラペラ喋るかもしれませんよ?」
「ふむ…いや待て、尚更隠し通す可能性もあるだろう。貴様の命令が恋人になれになってしまうだろうが」
「あれ、バレちゃいました?本気で口説きにくる会長様を全力で笑ってやろうっていう私の企みが挫折しちゃいましたね~残念」

甘い声で口説きに来る会長見たかったな~その対象が俺っていうのも最高にオモロイし。
会長の表情はかなり引き攣っている。小声でクズが…って呟いたのが聞こえたけど俺は心が広いので許そう


「でも口説くのは割と良い方法だと思いますよ?惚れたとしても『俺様が1番にする命令は決まっている。俺様の恋人になれ。キリッ』って言っちゃえば私はお目目ハートにしてはわわぁ♡会長様ぁ♡ってなるかもしれないですよ?」
「…気持ち悪いからやめろ」
「は?????私の渾身の可愛い声なんですが????」
「そっちじゃない、俺様のモノマネの方だ!貴様馬鹿にしてるだろ!?」
「まぁしてるかしてないかで言ったらめちゃくちゃ馬鹿にしてますね」
「貴様…」


てへ。


そんなふうにふざけ合っていると電子音が教室に鳴り響いた。


「おっと、すまないね。遊んで待っていてね」


音の源はキャンバスに隠れていた樹先生のポケットからのようで、一言告げると教室の外へと出て行ってしまった。残された俺と会長は2人で顔を見合わせた後、会話を再開させた。


「一人称が俺様なのはわざとなんですか?」
「あぁ、諒…風紀委員長に言われてな。何故か生徒受けも良いしそのままだ」


会長と諒先輩が知り合いなのはもちろん知っている。が、愚痴が大半なのでこう言った話は聞かなかった。へぇなんて相槌を打てば、今度は会長が問いかけてきた


「貴様はどうなんだ?」
「私ですか?」
「あぁ。それは素じゃないだろ。どことなく違和感がある」
「そうですか?私としてはいつも通りなんですが…」

こちらを見つめる黒い瞳には疑心が浮かんでいる。完全に探られているものの絶対に視線は逸らさずに見つめ続ける。

俺に嘘なんてないんだと、俺の全てが真実なんだと信じ込ませるように目を細めて口元に弧を描けば、会長は諦めたようにため息をついた。


「まぁ良い。俺様が負けるわけが無いからな」
「ふーん?そうなんですか?まぁせいぜい頑張ってくださいね」
「…とはいえ目印はつけておいた方が良いと思わないか?いずれ所有物になるんだからな」


言い終わるや否や、両腕ごと巻き込むように抱きしめられる。驚いて体ごと振り向こうとするもののピッタリと密着していて動くことができない。

混乱する俺を嘲笑うようにうなじに温かいものが軽く吸い付いた。


「ひぁっ、」


くすぐったさから逃れようと動いてみるものの、びくともせず焦りを感じ始めた。

前屈みになる事でしか逃れることが出来ず、体を前に倒していくが、それすらも狙いだったと言わんばかりに密着するのをやめようとしない。
どうしようもなく足掻く俺を嘲笑うように、吸い付いていたものが唇から舌へと変わった。


「っん、ふ…」


擽るようにうなじを舐め上げられ吐息に混じった甘い声が漏れ出てしまう。舐る舌によって背中にゾクゾクとした鈍い快感が走り顔がじんわりと熱くなる。


「いぅっ」
「ん、上出来だ」


ピリリとした痛みが走り思わず体が過剰に反応してしまう。艶めいた音を立てながらわずかに離れた唇が首に触れるか触れないかの距離で言葉を紡ぐ。それがとても甘美なものに思えて体がかすかに震えてしまった。

わかりやすい反応を見逃す会長ではない。快感に弱い俺を吐息混じりに笑って、また息を軽く吹きかける。くすぐったさに耐えられず思わず肩をすくめれば、会長はさらにくつくつと笑う。

屈辱的で、耐え難い行為。そうである筈なのに、顔に集中した熱は引くことはない。



どうにか熱を振り解きたい一心で、なんの考えもなしに勢いよく後ろを向いて、生意気に会長を睨み上げた。
驚いたように目を見開いた会長を見てスッキリとしたのは一瞬の事で、次に見せた酷く嗜虐的な笑みが、俺の体を更に昂らせた。

は、と熱い吐息が漏れる。
拘束され動けない体を蹂躙される妄想が頭の中を過り、とろりと瞳が蕩けたのが自分でもわかった。


思考が溶けて、脳内麻薬がとめどなく溢れ出た。


俺は至極まともで、正常だと言い聞かせる。その時点で既に手遅れな所まで進んでしまっているのだが、警鐘が響くことはありえない。そんなクソみたいなもの、とうの昔にぶっ壊されているのだから。


前屈みになっていた体を後ろへと倒しながら、拘束している逞しい腕を指先で撫でる。綴られた文字をなぞるように、曇ったガラスに絵を描くように。

俺を逃さないようにと回されていた腕はゆっくりと力を抜いていく。閉じ込める為のものではなく、慈しみ育む為のものへと強制的に塗り替えられた。

嗜虐的な笑みはもう失せてしまったが、そんな事は関係ない。なぁに、簡単な事だ。褒めて撫でて甘やかした後に煽ってやれば、きっとすぐに獰猛に牙を剥くだろう。可愛らしいケモノじみた姿を想像しつつ愉悦に溺れた笑みを噛み殺して、甘やかすように笑いかけた。

喉仏が上下するのがよく見える。彼の首筋に唇を這わせてからゆっくりと起き上がり、薄い唇を熱く見つめた。


キスは好き。あったかくて気持ちよくなれるから。


短絡的な思考のままに彼の瞳を見つめる。今の俺はきっと単細胞生物だな、なんて脳味噌の片隅で自嘲した。
会長の黒い瞳はギラギラと輝いていて、うっすらと赤が見える。あぁ、髪の毛と同じだな。なんて思いながら瞳を見つめ続ければ、ゆらゆらと反射により赤と黒が入り乱れ始めた。それはさながらワイングラスを回しスワリングをしているようで、くらりと酔いが回る。

何度目かの瞬きの後、真剣な表情でゆっくりと顔を近づけてきた。流れにまかせるように瞼を閉じて唇にあたる温もりを待った。


「輝」


無情にも、唇が重なることは無かった。
落ちた声はここにはいないはずの人のもので、思わず瞼を開いてそちらを向く。

「邪魔してすまないね。そろそろ再開したいんだけれど、いいかな?」

すぐさっき戻ってきたのか扉を背にしていつも通りの笑みを浮かべている。
溶けていた思考が急速に戻っていく。夢から醒めたかの如く引いていく熱を見送りながら樹先生に元気よく返事をした。





「あの子が流れとはいえキスを迫るなんて珍しい事なんだよ?相手から迫られる事はよくあるけれどもね」

可笑しそうに笑みを溢しながらデスクに置かれた書類をパラパラと捲りながら梵はそう溢した。
それに対し西園寺は不機嫌そうに眉を顰めながら唇を引き結ぶ。
先程までいた筈の依夜はいない。西園寺は生徒会長としての仕事のため、梵は理事長としての仕事の為に向き合っているのだ。


「キスなんて挨拶のようなものだと教えた悪い大人のせいで迫られても拒んだりはしなくなってしまったんだけれど、自分からねだるのは気に入った人物にだけさ。君は輝に気に入られたんだよ」


西園寺がまとめた資料に目を通しながら梵が呟く。

気に入られている。
その言葉に西園寺の眉間の皺がほんの少し薄くなった。目敏い梵はそれを見逃す事はない。


(まぁ、でも…西園寺くんの方が依夜に対する好意は強そうだ)


西園寺が知れば声を荒げて否定しそうな事を考えながら梵は笑う。その表情はとても穏やかで、慈愛の色が滲んでいた。
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