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眠神降臨

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 俺の意識は、再びギガント・アーマーの中に移っていた。
 
 薄暗いブリッジのなか、異常なほどに明るく輝くまゆのポッドの前にいるのは金剛神と狼帝だ。
 
 拳や足を使った攻撃の軌道に沿って、プラチナのオーラが尾を引いていく。
 それをまともに受ける黄金の肉体は、接触の瞬間に金と銀の火花を散らしていく。

 同時に、俺の意識の中にあるスクリーンには、両手を地面につくミーとさやの視覚映像が。
 さやが俺に通信する。

「ネム。あたま、いたい。なんか、耳鳴りがする」
「待ってろ、今助けてやるから……」

 さやは嘔吐した。

「ネム。たっちゃん」

 床に横たわったミーの声は弱々しく、今にも消えてしまいそうだった。それはまるでミーの生命力を、ゼウスが声の大きさへと変換したかのようで────
 
 俺は、ヒュプノスを飲んでからもう何度も、システム管理者の加護をブチ破るように願っている。
 しかし自分の感情も、思いも、何一つ思いどおりにはならなかった。

 自己嫌悪で気が狂いそうになる。
 ミーとさやの命が、俺にとって大切でないとでもいうのだろうか。

 焦れば焦るほど心は乱れ、思考が回らず、呼吸だけが早くなっていく。
 俺はまゆのカウンターに目を向ける。残り時間は、もう二分を切っていた。
 
 まゆの身体は頬や手に火傷のような紋様が現れ始め、徐々に炎に侵食され始めているように見える。
 
 もはやミーとさやを助けるためには、本田に酸素供給を再開させるしかない。
 俺は、奴と戦う中原へ合流し、二人で同時に攻撃を仕掛けた。

 俺の放った初撃は本田の隙をつき、ガラ空きの側腹部へとまともに入る。
 
「グッ…………ほう、」

 感心したような声を出しつつも体勢がわずかに崩れ、攻撃が効いているのではないかと俺に思わせる。
 俺のほうへ首を向けた奴の頭部へ、今度は狼帝の打撃が入った。銀色に輝く軌跡は一直線に本田の頭部を直撃する。
 俺と中原は、ここを機とみた。

 一斉に、しかし別々の場所を。

 奴の視覚では一度に確認できないはずの位置取りをして、同時に攻撃を開始する。
 後方から繰り出した俺の回し蹴りは本田の側腹部を捉え、それを裏拳で振り払うようにした本田の胸部へ、中原の正拳が入る。

 手応えはある。

 最初からそうなのだ。硬くて突破できない程ではない。
 俺たちは、幾度となく打撃を打ち込んだ。攻撃の多くは、奴の防御をすり抜けて直撃しているのだ。
 
 なのに──。

 だめだと思った。
 やはり、効いていないのだろう。奴は、依然として平気な顔をして反撃してくるのだ。

 奴の能力は、俺のように本体が別にいるタイプではない。なぜなら、奴が昇格プロモーションした時、俺は「思いの強さ」によって神の力を発動していた。仮に本体が別にいれば、ノアとルナはそれを看破し俺に教えていたはずだ。

 つまり、奴はただ単純に強い。

 強力な防御力と攻撃力で、正面から敵を叩き潰す能力。
 俺が奴に決定打を与えるためには、あの防御力を突き通さなければならない。

 奴の防御力は、皮膚の表面だけなのだろうか?
 それとも、内部まで?
 
「カアアッ」

 叫んだ本田の回し蹴りが、俺の胸部をまっすぐに狙い、かろうじて身体を反らして間一髪でそれを回避する。
 奴はその流れで、背後にいた中原に肘打ちを喰らわした。

「ゲエッ……」

 狼帝がひざまづく。
 そのまま中原は顔面を蹴り上げられ、巨体は真後ろの壁へと叩きつけられた。

 後ろに下がりながら、俺は意識の中にある二つの映像をチェックする。
 映像は、床スレスレで停止して、微動だにしていなかった。


 ミー……。さや!


 ガウン、と大きな音がギガント・アーマーを揺るがした。

 何が起こったのかわからない俺はキョロキョロとする。
 そんな俺を、本田は、まるで値踏みでもするかのようにじっと睨みつけていた。

「強制排気を停止させ、酸素供給を再開したか。寝咲ぃ……お前でないとしたら、こんなことができるのは……」

 本田は天井を仰ぎ、天にいる神に楯突くかのように言った。

「ノア……ルナ、だな」

 俺は、本田がその名前を呼んだ瞬間、自分の頭の中にいる二人へ弾かれたように意識を向ける。
 二人は俺の意識の中で、互いに手を取り合ったまま、さっきまでと同じように俺を見ながら立っていた。

「ネム」
「お前ら、一体何が……」

 訳のわからないまま狼狽うろたえる俺。
 本田が口を開く。

「今はゼウスのAIとして生きるお前らがこの私に逆らうということが、どういうことを意味するのか分からぬわけではあるまい。こうなった以上、お前らのことはこの場で消去デリートし、別のAIと差し替える」

 俺の動揺は、奴の言葉を聞いた後もなお続いた。
 ただし、動揺の原因は別のことだった。

「『今は』? ノアとルナが、一体……」
「……やはり貴様、ノア・ルナとつるんでいたか」

 本田は、ふん、と鼻を鳴らす。

「しかし鈍い奴だ。なぜこの程度の奴に私が追い詰められるのか全くもって理解に苦しむところだが、ノアとルナが加担していたのだとすると納得もいくというものだ。お前、あの奇妙なガキ二人が、妙に人間臭いとは思わなかったのか?」

 人間臭い……。
 
 確かに、そう思っていた。

「あいつらは、元は人間よ。このゼウス・システムを開発した科学者が政府に黙ってやったことだ。天才的であるがゆえに病弱で死ぬ寸前だった現実の人間の子供二人の自我をデジタル化し、AIとして採用した」

 身体の芯を、つま先から頭のてっぺんまで蛇が通り抜けたようになる。
 俺は見慣れたはずの二人のことを、ただ見つめることしかできなかった。

「だが、ここで終わりだ」

 本田は、動揺する俺を捨て置いて、先ほど出現させていたインターフェイスを同じように具現化させ、指の先で操作した。

 ガオン、と轟音が鳴る。
 その音と同時に建物を震動させた原因は、もう俺にもわかっていた。直後、ピロピロと様々な音階が混ざった電子音が頭の中で流れる。
 
「酸素供給は再停止させ、強制排気も再開した。お前らのやったことはまるで無意味だ小僧ども。お前らの存在はあと一分ほどで完全消去される。思い残すことがあったら今のうちにしておくんだな」

 素早く動く一つの影が、本田の後ろへと移動した。

 中原だ。本田の真後ろから、はがいじめにする。
 本田はまたもや肘打ちを中原へ打ち込んだ。

「グエッ……」

 呻き声をあげ、身体をくの字に曲げながらも中原は必死に耐えて、はがいじめを外さない。

「中原!」
「センパイ、早く。俺がこいつを止めます」
「無理だ。無理なんだ、さっきから俺……」
「センパイならいけます」

 どうして?

 なんで、俺なんかに期待するんだ。 

 仕事にしたって、いっつもお前のほうができたじゃないか。
 俺は上司からも、得意先からもクズ呼ばわりされるような奴なのに。
 
 戦う時だってそうだ。みんなが必死で、命を懸けて戦っているのに、俺はずっと眠ってばかり。
 
 ノアとルナだって。無駄だとわかっていたはずなのに、どうして自分たちの命まで賭けて、こんなこと……

「ノア! ルナ! ……どうしてだ。なんでなんだよ!」

 何をどうしていいか、まるで整理がつかない。
 見つめることしかできない俺へ、ノアは優しい顔を向けた。

「人は、決断をする時、絶対に外しちゃならないことが一つだけあるのさ」

 ノアは口角を上げた。
 ルナも、ニコッと微笑む。

「そうだよ。ルナたちは、どうせあの時に死んだんだ。さあ、ミーちゃんとさやちゃんを助けるんだよ!」

 笑顔を作るルナの目尻から、涙の筋が引かれて落ちる。

「センパイ」

 まゆの命のカウンターが三〇秒を切り──

 全ての時が止まった俺の意識へ、中原は金色の瞳を向けた。
 最初から、ずっと命をかけて共に戦ってきたこいつは、大きな口の端をクッと引き上げる。


「お任せします。全部」


 身体の奥深くへと入り、六〇兆個ほどもあるはずの俺の細胞一つひとつと一体化したようなヒュプノスの成分が俺に教える。

 眠っていることこそが力である……と。

 そう──「神の名において命ずる」というのは、少しだけ違うのかもしれない。
 
 ならば言い換えよう。
 これから引き出す力の顕現けんげんに相応しい呼び名へ。
 
 俺は、うちなる真の力の解放に際し、固く閉ざされてきた扉を開けるための呪文を唱える。


「眠れる神、『ネム』の名において命ずる──」 


 ドオン、とまるで雷が落ちたかのような音がして。


 艦橋ブリッジは光で満たされた。ジャリジャリという爆音が鳴り響き、眩いほどの光はやがて形を変えていく。

 突如として現れた太く巨大な雷は、未だかつて聞いたことのない音を鳴らしながら幾つもの枝葉を生やして、まるでドラゴンのようにぐるぐるとその長大な身体をくねらせ、ブリッジの天井を所狭しと動き回っていた。

 身体の一部が幻影のようにブレて透けつつあるノアは、眠神となった俺へ言う。

「最後の仕事をしてやる。トリプル・アビリティ『雷龍レイ・ロン』。言うまでもなく、一億ボルトを超える『雷』そのものだ」
 
 ドラゴンはうねりながら、その頭部は本田の頭上へと移動し、ビリビリと音を立てて下方へ発した電撃の枝葉で本田の動きを拘束した。

「……まさか、そんな、」

 本田は、自らの頭上でうごめ禍々まがまがしい龍を仰ぎながら叫ぶ。
 俺は、中原へ退避の指示を出した。

「貴様っ……貴様ぁああああああああああっ」

 雷龍は、断末魔の叫びを残した本田の真上から吸い込まれるように落ちた。黄金色をしたヘラクレスの身体は、真っ白な光で作られた落雷の直撃を受けて同化していく。 

 同時に俺は、もうひとつの命令を発した。
 それは、ナキのテレパスによって得た思考をさやがシンクロしたのと同じこと。


 続け様に、俺はここからいくつかの命令を発する。


「ノアとルナの消去デリートを取り消せ」

 本田の命令は、俺の命令で直ちに上書きされた。消去が開始された時と同じ電子音が俺の頭の中で鳴り、二人の身体は半透明となりつつあった身体の色彩を取り戻していく。俺の意識の中にだけ存在する二人は、まさしく現実の人間としか思えないほどにリアルな肌を温かみのある血色の良い色へと変化させた。
 揃って俺を見るノアとルナの顔は、今までで一番、子供らしい、無垢な表情だと思った。


 さらに、 


「酸素供給を再開し、強制排気を停止しろ」

 ガウン、とギガントアーマーが震動し、大量の空気が広大な空間へと放出された。死の瘴気漂う地獄へと変貌した大都会は、命が生きる空間へと復元されていく。そこに生きる人々の命も手中に収める生物要塞は、腹の底に響くかのような鳴動を轟かせてミーとさやの命をすんでのところですくい上げた。
 

 最後に──── 


 俺はまゆのポッドへと飛び、手のひらを当てた。

「まゆとギガントアーマーの融合を停止し、まゆを安全に解放しろ」

 シュウウン、という音とともに、まゆは、凄まじいまでに放っていた炎の噴出を止める。
 俺は曲面を描く透明な前面シールドにスッと手を入れて破壊し、まゆの拘束具を全て砕いた。
 
 強い力で扱えば壊れてしまいそうなほどに細い身体を、優しく抱き上げる。
 まゆは、そっと目を開けた。

「寝咲……ネムくん」
「ああ。まゆ、もう大丈夫だ。何もかも」

 全ての目尻から涙を落としたまゆは、弱々しくもしっかりと、俺に抱きついた。
 すぐに俺の意識の中にある二つの視界映像モニターが動き始め、声が俺へと届けられる。

「ネム。あたしたち、助かった……?」
「まゆ。まゆはっ!?」

 さやの声に反応したまゆは、抱きしめる力をキュッと強め、すぐにゼウスで回答した。

「さや。私、大丈夫。ネムが、助けてくれた」

 ミーとさやは互いに目を見合わせる。
 座り込みながら、それぞれの視界にグータッチする相手が映る。
 その映像を映す二つのモニターの前で、ノアとルナがガッツポーズをしているのが見える。
 艦橋ブリッジの端では、中原が喜びのハイジャンプしていた。

 まゆを助けるために始めた戦いは、この時点をもって、終わったのだ。


 アバターとして存在した俺の身体が崩れていく。
 両の手のひらを見下ろすと、光の粉がパラパラと床へ落ちている。
 指がボロっと落ち、続いて手首が落ちた。

 心残りは、数えきれないほどある。
 
 こんなことになるなら、最初から、全知全能であるゼウスの力を使って、もっと悪いことをやっておけばよかった……とか?

 そうではない。

 こんな俺のことを好きと言ってくれる、あの女の子たちのことだ。
 
 俺は、神妙な顔をして俺を見つめる中原と目を合わせ、祈りながら目を閉じた。

 願わくば、またみんなと再会できますように……と。
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