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気持ちと気持ち

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「……しゃあないな。行かんと」

 重たそうな声でミーが呟く。

「ミミさん、もう休んでください。俺が行きます」

 中原が、イスから立ちあがろうとするミーを引き止めた。

「俺はね、怒ってんすよ。あんなんじゃ、到底足りないって思ってたとこっす。俺のミミさんをよくも殴りやがって」

 憤慨する中原。
 それに応えたのはミーだった。

「……ありがと。でも、」
「わかってますって。ミミさんは、俺のアイドルだから。別にね、諦めたってんじゃないっすよ! センパイが愛原さん選べば俺にだって可能性あるわけだし、センパイがヘマして、ミミさんに嫌われちゃうことだって、あるかもしれないんだから。ねえ!」

 中原は、挑発的に口角を片側だけ上げてミーを指差す。
 それは、ミーにではなく、その瞳の向こうにいる人物……すなわち俺に向かってのセリフであることは明白だった。

「でもよ、さっき大量の警察官が向かったろ。あれで何とかなったり……」
「無理でしょ。だって、一人も帰って来ないっすよ。目を見ただけで石化するなら、何人いても一緒ですよ」
「あれ? お前、さっき石化能力を信じてなかったんじゃないの?」
「センパイに心臓を止められて生きているなら、アーティファクトで確定ですから」
「そもそも『神の力』で正体を見破れない時点で確定だっつの」
「それにしても、石化って、解除する方法あるんですかね……」
「さあ……ノア、ルナ。わかるか?」

 敵のことを尋ねても今まで回答なんてもらえなかったから、無駄かもしれないと思いつつ俺はダメもとで尋ねた。
 そんな俺に、二人は暗い顔をして、こう言う。

「石になった生命体は、二度と元には戻らない」

 このセリフを聞いたミーとさやは、不安そうに顔を見合わせた。

「とにかく、気をつけろ」
「了解です!」

 中原は、まだ変身はせず、歩いてICUの入口へ近づく。
 
 シン、とした無音の廊下。


 カツン


 歩く中原の足音に混じって、別の音が確かに聞こえた。俺の頭の中にある、全ての視界映像スクリーンが一斉にICUの入口へ向き──
 自分たちの軽率な行動をいさめるかのように、全ての視界はICUと反対側を向く。

 ここで、中原の視界映像に変化が起こった。

 視点は少し高くなり、そこに映る両手には紺色の毛並みが現れていく。
「ガァウ」と喉を鳴らして、中原の視界はICUの入口とは反対側──ミーとさやのいる方向へ向けられていた。

 直後、発砲音が何度か静寂を切り裂き、耳障りな声が、遠くから静かに聞こえる。

「キキキ……野獣は頑丈だねぇ……」
「どっちがだ。ゾンビかてめぇ」
「ハ、俺みたいに美しい奴はね、みにくいお前みたいに頑丈にできてないの。すげぇしんどかったよ……」

「中原! さやとミーの、盾になってくれっ」

 敵の歩行音は止まっていた。感じからして、ICUの入口付近で立ち止まったまま、中原へ銃を向けているのだろう。正直、足音を消されていたらお手上げだ。
 
「センパイ……まずいっす。位置関係がわかりません……。ミミさんと愛原さんへの弾道の直線上に、俺は入ってますか?」

 そう……見えないのだ。

 鏡があれば多少はマシだったかもしれないが、獣人化した今、鏡なんぞ収納する部分はこいつの身体の表面には存在しないだろう。

 しかし俺にも見えない。敵を見たら石化するのだ。誰一人として、敵のほうを向くことができない状況。
 俺は、ミーとさやへ、慌てて指示した。

「ミー、さや! そこの階段へ……、」


 パアン


 俺の言葉の途中で鳴った銃声のあと、
 ミーの視界に、鮮血が飛び散る。
 ミーの視界がうつむいて、
 血液は、ミーの、胸から……

「ミーちゃんっ!!!」

 さやの視界が、激しく揺れる。
 うつろな目で、口から赤い筋が垂れるミーは、さやの視界の中でぐったりしていた。

 その映像は、異常なほどに鮮やかに、俺の脳に焼き付いていく。

 思考は止まる。
 ただ、声だけは、勝手に出ていた。

「中原、ミーを、医者、へ、」

 ほとんどボソリと呟くような俺の声。止まった時間を打開して、中原は瞬間的に反応する。
 ミーの元へ一瞬にして辿り着き、抱き上げ、身体を盾にしてミーを護ったまま階段へ消えた。
 
「ノア、ルナ、中原が、最短で必要な医者へ辿り着けるようにしてくれ。俺のほうはいい」
「「わかったっ!」」

 その回答を聞いたあと、俺は意識を、現実世界の俺の部屋へと移す。
 

 ヒュプノス……どこだ。


 目をそこらじゅうに這わせても薬は見当たらない。

 早く。はやく。ハヤクっ

 机の上を、棚の中を、床の上のものを無我夢中でひっくり返し、
 ふと目をやると、リオが。
 微動だにせず、俺を見つめるその視線で理解する。

「わたせ」
「……二錠目だよ。このままじゃネムまで、」
「そんな場合じゃない! 早くしないと、さやもっ」
「そんな場合だよっ!」

 はあ、はあ、と息を荒げるリオ。

「ネムまで、死んじゃう」
「やつを殺さないと」
「死んじゃダメだっ!」

 俺は、リオに飛びかかっていた。

 リオをベッドへ押し倒す。
 薬を持っているリオの手に両手でしがみつき、力づくで奪い取ろうとした。

「わたせっ」
「い、や、だっ」

 俺は、リオの首に片手をかけた。
 
「ふぐぅっ……」

 その声が、俺に手を離させ、立ち上がらせ、後ずさらせた。

 知らぬ間に、激しく乱れた呼吸。はち切れそうな程の鼓動。
 ゲホッ、ゲホッと咳き込むリオの声。
 自分の目線がいまどこにあるのか、もう、自分でもわからなかった。

「う。ううう。ゔゔゔゔゔ」

 うつむいて、ひざまづいていた俺は、目が熱くなって、床にポトポトと涙を落とす。
 そのせいで、視界はほとんどなくなった。
 
「けほっ……どうして……?」
「…………」

 見上げることなく、俺はリオの声を聞く。

「どうして、そこまで。彼女は、ミーちゃんは、自分で身を護れなかったんだ。周りの人が、命を捨ててまで」
「前も、同じようなこと、言ってたな」
「…………」
「じゃあ、俺のことも、ほっといてよ。俺は、自分で、その薬を、飲もうとした。それが俺の、弱さなら、それも、ほっといてよ」

 リオは、ヒュプノスの袋を、俺の目の前にそっと置いた。

「どうしてよ……」

 そう言ったリオの顔を俺は見ていない。
 迷うことなくヒュプノスを手に取り、パッケージを破っていくつか中身を取り出す。

「えっ、なにやって……」
「もう、二度と、奴の心臓が動き出さないように、そのために必要なぶんだけ、」
「待ってっ!!!」

 今度は、リオが俺を押し倒した。弾かれた衝撃で薬があちこちに散らばる。

「何錠も飲んじゃだめ! だめっ」
「っ……」

 リオは、俺に上から抱きついた。
 静寂が訪れ、
 しばらくして気付く。
 俺の顔の真横にあるリオの顔から、嗚咽が聞こえる。

「なんで? 君は、赤の他人」
「……知ら、ない、よ、そん、なの……もう、見て、られな、いんだよっ……」

 早くしないと、さやが危ない。
 俺は、一刻も早く薬を飲むため、リオときちんと話をする気になった。
 
「わかった。離して」
「…………」

 俺は、リオの目をしっかりと見つめて言う。
 リオの顔も、涙でぐちゃぐちゃだった。

「まずは一錠だけにする。だけど、一つだけ……俺の、一生のお願いを、聞いてほしい」
「……なに」
「俺がゼウスの通信で合図をしたら、俺が起きていなくても、次の薬を俺に飲ませて」

 リオは、まるで親の仇を見るように、涙をたっぷり溜めた目で俺を睨んだ。

「わかったわ。やってあげる。あたしが、あなたを、殺してあげるから」

 俺はリオを一瞥いちべつしたあと、すぐさま、床に散らばったうちの一錠を手に取り、飲み込んだ。
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