副団長、一級フラグクラッシャーになる。

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下層街では家のない子供達を狙った人狩りが横行していた。
少年ノーラも、狩られた多数の子供のうちの1人。

「ひとりぼっちはやだよ……ノラといっしょじゃなきゃ、やだよ……っ」
べそべそと泣く明るい髪色の子供に、とっておきの避難所を譲った。
幼い子を病で喪った夫婦のいる酒場。
絶対に受け入れてくれると、分かりきっていた場所。
文字が読めて書けて話が作れる。
(シェリは……シェリアクは特別な子)
命令されているわけでも、脅されているわけでもないのに、
自らの力で稼いだ金で食べ物を買い、
共にいるだけの関係の者達に当然のように、わけた。
大人が子供の食べ物を平気で奪う下層街。
そんなやつ、生まれて初めて見た。
ゴミを漁って、酒場の気のいい女性に取り入り、隠れて1人だけ腹を満たす。
(オレなんかとは違う。シェリは特別だから助かるべきなんだ)

酒場を後にして、全力で逃げたが、結局捕まった。
捕まった者たちは誰も抵抗はしない。
無駄だからだ。
結局、力のある者には敵わない。
下層街に住む子供達は抵抗の無意味さを幼い頃から否応なしに学んでいた。
雑に荷馬車にいれられ奴隷として売られるはずが、
今、なぜか陽光が差し込む孤児院にいる。
多くの下層街の子供や大人達が数名の騎士によって救われた。
否応なしに。
今までの生活とあまりにかけ離れた光景に、ノーラは奇妙な感覚に包まれた。
浮遊感で足元がおぼつかない。
数週間後、救われた事実を受け入れ始めた、晴天のある日。
孤児院に、黒い制服に身を包んだ3人の騎士が訪ねていた。
助けられた意味がわからず、警戒している子供達に、
助けたいから、助けた。と青い目を煌めかせる赤髪の騎士。
優しい動作とまっすぐな声。
それでも尚、緊張する子供に、金糸のような髪の騎士は、
視線を合わせるように、しゃがみ、気さくに笑いかける。
物語の騎士は本当にいたのだと、子供達は目を輝かせた。

混ざりたくても、混ざれない。
同じ場所にいるのに、別世界の出来事のようだ。
ベンチに座り、子供と遊ぶ連れの騎士2人を眺める、変わった男がいた。
「おじさん、なんで1人でいるの?みんなに混ざらなくていいの?」
(いつもそこが避難場所なのに。じゃまだなぁ)
男も騎士だと紹介されたが、朗らかな2人と違い、威圧感を隠そうともせず存在している。
目を輝かせていた子供達は、温かな孤児院に居るにはあまりにも異質な男を避けていた。
「お前達もそうだろ」
「あーっ!ヘンクツってやつ!」
「しつれいだよっ」
「なんで騎士になったの?」
「成り行きだ」
子供の前では浮浪者だって見栄を張ってそんなことは言わない。
なんで、と問えば。
かつての栄光を語るか、嘘で誤魔化すか、ガキのくせに生意気だと一喝してくるか。
ブレることのない無機質とも言える声。
取り繕うことすら面倒だと語る暗い目。
騎士なんてなろうと思ってなれるものでもないのに、目の前の大人は本気で言っている。
「なりゆき……オレたちといっしょだねぇ」
抗っても争っても、どうしようもなく無意味で、流れるしかなくて。
つまらない大人になるか、大人になるまえに死ぬか。
そんな子供達にとって、つまらなそうな顔で成り行きと言い切りながら、
しっかりとした役職についている男は、夢のような場所で唯一、現実に見えた。

成り行きと言い切った男は、特に子供が好きという訳でもなさそうなのに、
孤児院に何度も訪れ、職員と話し終わると、ベンチでしばらくぼーっとしている。
たまにくる面倒な大人のように夢を見ろと言うわけでも、叱るわけでもない。
ただ居るだけの変な大人。
話せばとりあえず、会話はできる。
人というよりも定期的にベンチに居座る置物のような奇妙な存在。
「ねぇ、コールさんー。オレたちくらいの時、どういう風に過ごしてたのー?」
「全寮制の学校にいた。士官になるために」
「なりたかったの?」
「なれと命じられたからな」
「ふぅん。がっこう、楽しかったー?」
「……ああ」
無愛想な表情が、初めて綻んだ。
(笑った……?この人、人だった。忘れてた。
………がっこう、って、どんな場所なんだろう)

孤児院に新しく入ってきた職員は、博識で穏やか。
子供達に勉強を教えたり、絵本を読んだり、遊んだり、一緒に食事を作ったりと
本に書かれたあたたかな家庭に似た、幸せな世界を体験させてくれる。
ただ。
「と、闘技場に行ったことがない!?そんな、それは産まれていないも同然……!」
「いいなー!私も記憶を無くして産まれなおしたい!ドゥベちゃんの赤ちゃんになる!」
「ドゥベママは、本当にママになったそうだな。めでたい。だが伴侶は許さん」
「愛してやろうよ。愛する……それが……それが、フアンの……。
私たちに、できる唯一のことだもん…」
「同志。愛に無理強いはいけない。他者にも己にも、強いては苦になる」
「う…ううう…本当は、子やツガイになろうだなんて、思ってないの……
けれど、悲しいの……おいてかれたみたいで……」
「素直な気持ちが一番だ。今はともに悲しもう。いずれ思い出になる」
「そうだ、子供達よ!勉強が終わったら闘技場に行こう!
今日はみんなの誕生日だ!おめでとう!」
闘技場という言葉を聞くと、一斉に早口で奇怪な言葉を紡いだ。
「な、何…こわぁ…」
「行ってもいいですけど。ちゃんと帰ってきてくださいね。
楽しむことは大切です、ですが子供たちの手本に」
「はーい。わかってまーすー」
元々いた職員達は、普段善良な彼らの暴走をあえて放置している。
闘技場では様々な闘技者が、それぞれに誇りを持ち、目を煌々とさせ、技を競いあっていた。
闘いの後、歌って踊りだす化け物じみた体力の女性集団までいた。
「レウスってすっごいよな!俺たちよりちょっと下なのに!王者だぜ!」
「わたし、ミューゼスみたいなアイドルになりたいっ!」
「なあ、ノラは誰が好き?」
たじろぎそうになる程のキラキラとした目。
尋ねられているのがわかる。
お前の、『好き』は、なんだ。
俺たちは、わたしたちは、見つかったぞ。
お前も、特別が、見つかったよな。
さぁ、言え。さぁ。

「……さっきのピカピカの人…かなー」
「宣戦布告してたあの人か!」
「かっこよかったよねっ。負けたのにカッコいいなんて、はじめてみた!」
「次の試合も連れてきてもらおーぜっ。すげえ楽しみっ」
「……そう……だねー」
最後に出てきた派手な風貌の人。話を合わせるために好きと言った。
ちくりと刺すような痛みが走る。
ベンチの避難所でキラキラ輝いた目から逃げていた子供達が、
闘技場でのパフォーマンスを観て、同じように目を輝かせ夢や未来を語りだしている。
熱気は、感じる。
求めらて、求めて、凄い幸せな空間ということだけが、わかる。
周囲に人は沢山いるのに酷く孤独に感じた。
ベンチに来る置物みたいな男といる時は、寄り付く者もまばらで、静かで、単調。
だけど、こんな気持ちにはならなかった。
男の、遠くの星を眺めるような目をふと、思い出す。
団長という地位も名声もあるはずなのに、何かを諦めているような暗い眼差し。
学校の事を語った時、一瞬だけ、光が灯ったように見えた。
同じ学校に入ったら……。
特別が見つかるかもしれない。

ノーラは今まで適当にやっていた勉強を、昼夜問わず必死になって学んだ。
学校に行くと言う目標は、闘技場から自身を遠ざけてくれる。
あの場所は、息が詰まる。行きたくない。
みんなが好きな場所を否定するつもりはない。
行ってしまえば、自分が特別を見つけられていないことが、バレてしまう。
勉強は丁度良い言い訳になった。

元々奨学金で入ろうとしていたが、職員や、他の子ども達が
勉強している事を話すと、男は子供達の学費を全額負担する手続きを取っていた。
「入学金や学費のことは気にせず、勉学に励め」
「……コールさんって、何者?」
「何者か。大抵の場合、死んだ後、生者によって決められる。
生きている今、私が何か。私にはわからない。どちらにせよ他者が決めることだ」
「もう。そうじゃなくって。そういうことばっかいうからヘンクツーって言われるんだよ」
淡々と借り物のような言葉を並べた男を観察する。
孤児院は国の事業だ。単なる金持ちに口は出せない。
かといって、貴族のような洗練された雰囲気はなく……。
身なりは整ってはいるが、団服にしろ、撫で付けた髪型にしろ、
とりあえず整えました。と言わんばかり。
趣味やこだわりが見えてこない。
この男は、見れば見るほど、背景にモヤが掛かってくる。
(騎士様で、団長様のクセに金目のモノひとっつも身につけてないし……。
手は、きれい。みょうだな……。
剣を持つなら、もっとボロボロになるはず。
まさか……モテを気にして?そこから?もっと他にあるでしょ)
「く、ふふ。へんなのー」
「変か」
「まー。いい意味で。へん」
素性がしれないのは、自分も同じだ。
それ以上、深く追求することはしなかった。
(学校に行ったら、頑張ったって、言ってくれるかな……。
なんか変な感じ。絶対合格しないとっ)
生まれて初めての持続的な努力は無事に実り、全寮制学校への入学が決まる。
騎士団の遠征以降、男は現れなかった。
孤児院を旅立つ日。
何度もベンチを見に行ったが誰も座っていない。
やっとの思いで学校に入ったのに、孤児院のみんなも祝ってくれているのに。
なにもかもが、すり抜けていくような虚無感がまとわりついた。



「ふぅんー。いい眼鏡だねー」
クラスで浮きながらも、幸せそうな貴族の少年にノーラはちょっかいを出した。
入学式で早々目をつけられ数々のイビリに気づかず相手を呆れさせ、今現在は
このままいびるか、放置するか、考えあぐねられている。
「えへへ、ありがとう。家の者たちがプレゼントしてくれたんだ」
高価な眼鏡を家の者……使用人からプレゼントされた。
貴族の少年は、短時間で面白い位に神経を逆撫でてくれる。
「…ちょっと貸してー?」
「いいよ!はいっ」
「………やっぱ、いい。大事なんでしょ。すぐ渡しちゃダメだよ」
目の前で叩き割ってやろうかと思ったが、
そんな事すら考えられない、大切な物を平気で差し出してくる
幸せそうなアホヅラを晒す少年にノーラは呆れた。
いじめっ子にすらなれない、自身にも呆れた。
「そう?見たかったらいつでも言ってねっ」
「…また、今度ねぇ」
(全然わかってないじゃん。馬鹿じゃないの?
なんで簡単に差し出すの。このチビガキ、意味わかんない)

放課後に忘れ物をとりに教室に戻ると、幸せボケの少年が案の定、虐められていた。
言葉でわからないなら暴力。つまらない定石だ。
「アルテルフ!目障りなんだよっ」
「かえして、やめて……!」
「お父様が言ってたぞ!君の家族は全員、亡くなっているってな!
何が、なにが、侯爵だっ……!この、置いてけぼりっ」
(うっわ、………いじめ?暴言しょっぼ。ま、だるいし、ほっとこ)
忘れ物をとってさっさといなくなろうと思ったが、
昼間の嬉しそうなアホヅラが、情けない泣き顔に変わっていた。
『ノラといっしょじゃなきゃ、いやだよっ』
どうなったかもわからない、幼い頃の友達も、そういう泣き顔をよく晒していた。
「返してやんなよ。くっだらない」
「あっ、孤児院の……。君もここにいるべきじゃない!身の程を弁えろ!」
「ふーん。それ、君が決められることじゃないよねぇ。学校側が決めることだしー。
でも、同情はしてあげるよー」
「孤児は家どころか脳みそもないんだなっ。
意味を理解していない言葉を使って、それこそ同情だ」
少年たちは、カラカラと無邪気に笑った。
ノーラも笑い返す。
「笑うしか、ないよねー。試験受けてー、同じクラスに割り当てられちゃってさぁ。
同情の意味がわからない、オレと君たち……。
一緒にされちゃってるんだもんー」
下等とみなした者に逆らわれたことなぞ無い、初心な少年たちを挑発するのは容易い。
奪った眼鏡を投げ捨てず、テーブルに置く育ちの良さに、微笑ましい気分になった。
喧嘩慣れしていないのに、怒りに任せて殴りかかってきた少年達は、
殴ってくださいと言わんばかりのサンドバッグであった。
少年達をのしたあと、ついでに幸せボケの少年も一発殴る。
「な、なんでっ、ぼく……じゃなくて……。俺も殴るの……」
「ついでついでー。ほら、ムカつくって時は、やり返さないと。やられちゃうよ。
あっ、やば。先生来ちゃうっ。いこっ、チビ………アルっち」
「……うんっ!」

それから弟分のような友達…アルテルフの世話を焼いた。
世間知らずで、すぐに騙されて、病弱なくせにやたらと行動的で怪我をする。
危なっかしくて見ていられない。
喧嘩の仕方や嘘のつき方と見抜き方。女の人へ取り入る方法。
ちょっと教えると、餌を貰った子犬のように嬉しそうについてきた。
だからそういうのが、危ないんだよ。
どうしてすぐに信じれちゃうの?しょうがないやつ。
日に日に元気になっていくアルテルフは、ノーラや、かつて虐めてきた者たちに
分け隔てなく勉強を教えた。
何故、嫌いな奴にも施せるのか。
何故、隣にそいつらがいて笑っていられるのか。
そんな事を考える自分の小ささに嫌気がさした。
弱々しいアルテルフは年を追うごとに逞しくなり、背は追い越された。
元々人を惹きつける才能があったのか、恐れられながらも慕われている。
その様子を隣で眺めることが増えた。
高等部にあがると、
近くの女学院の生徒が、今までノーラにくれていた手紙は、
ノーラを経由にしてアルテルフへと渡す物に変わっていった。
モテるためのテクニックを教えた事だけは、後悔した。


名ばかりの軍人になって幾月。
孤児院に仕送りできる程度の稼ぎだけが、毎朝を迎える意欲に成り果てた頃。
北の領土の任務から戻ったアルテルフに呼び出された。
残留日 部屋で待つ。
すれ違いざまに渡された紙きれに書かれた素っ気のない言葉。
紙切れで人を動かせるなんて良いご身分だ。
こっちも暇つぶしに使ってやるよ。
階段を上がる。
同じく一部屋割り当てられているが階層は違う。
結局、身分が違うのだ。
上層と下層。
その取り決めはどこにでも存在する。
学生の時のようにはいかない。
2階の、日当たりの良い角部屋。
「良い部屋割り当てられたじゃん」
「こんな馬鹿でかい窓。狙われやすいだけだろう。それに本が日焼けする。
水回りに施された術式が気に入らない。金の使い所がおかしいだろう」
「良いじゃんー。個室な上に個人シャワー入り放題だよ?なに、むくれてんのさー」
「むくれてない!」
「せっかく窓おおきいんだから。毎日カーテンあけて、空気の入れ替えもして。
いくら朝弱くても、そういうの人任せにしちゃダメだよ。
学校じゃないんだからねぇ」
「わかってるって」
入って間もないころの、どうでも良い会話が過ぎった。


ドアをノックしても返事はない。
小さく舌を打って、お構いなしに開ける。
暗い。
1人がけのソファに、何者かが、項垂れるように座っている。
「来たか」
その人物は、アルテルフの声色で話しかけてきた。
一瞬、身構える。
大切にしていた眼鏡はかけておらず、
宝石のような青い目は、割れたガラスのように鋭くなっているが
赤い、髪。
アルテルフだ。
一言こぼして無言を貫く。
その図太さは、いつ身につけたのだろうか
「なにかあったの」
お前に何があってもどうでも良いけどさ。
痺れを切らして聞いてやる。
「啓示者に、なった。……軍を抜ける」
「そ」
「ノラ」
「頑張ってね。アルテルフ」
「ノラ、俺は」
揺れる声を振り切って逃げるように部屋をあとにした。
オレなんかに報告して何がしたいの?
自慢?何?なんて言って欲しかったの?
選ばれて、持っていて、当然のくせに。
アルテルフは自分と違って、初めから特別。
嫉妬する気にもなれない。

前回の団長が引き続き、騎士団の団員を募集している事を知ると、
居ても立っても居られなくなり、ノーラは後先考えず軍を抜けてしまった。
(コールさん、生きてたんだ!……なんで急に来なくなっちゃったの?
忙しかったから?英雄になったから?
だから、孤児院のことなんて、忘れちゃったの……?
みんな心配していたのに。会いたかったのに。
手紙くらい、一通でもいいから。一言でもいいから。
寄越してくれたら、よかったのに。
だけど……生きててくれて、本当に嬉しい)
騎士団の拠点には、同じ孤児院の出身者たちがいた。
目は希望に満ちていて輝いている。自分と違い眩しい。
魔物から人々を救いたい、外の世界で腕を試したい、子供の頃から騎士に憧れていた。
様々な素晴らしい理由。ここにきて、焦燥を抱くとは。
「ノラはなんで入団希望したんだ?」
「うーん。なんでだろ」
「なんだよそれー。昔っからかわんねーなー」
(言えるわけがない……。オレは、コールさんに会いたかっただけ。
それだけで、軍を抜けて、無責任で、最低だ……。バレたく無い。
なのに。なんでだろう)
一切誇れるような事じゃない。
馬鹿げたことをしている。
わかっているのに、この高揚感は一体?
この気持ちの正体が、一体何なのか。わからない。
貴方の姿をひとめ見るだけで幸せ。
学生時代、女学生達からもらった手紙にそんなことが書かれていた気がする。
そんなわけあるかよ。やっすい幸せだな。
内心で小馬鹿にしていた言葉が、疼き回る。
会いたい。
姿だけでも見れたら。


久しぶりに見た姿は、相変わらずであった。
彼の周囲だけ時間が止まってしまったかのように感じたが、
思えば、孤児院のベンチに座っていた頃から、
子供に置物と思わせるくらい、生気は無かった。
変な大人……。
くすぐったい懐かしさが込み上てきた。
「何故、騎士団に。その様子なら、入らずとも生活は成り立っているだろう」
「成り行き、ですよぉ」
「そうか。ノーラ、お前は士官になったんだな。学生時代は勉学に励んだのか」
覚えててくれた。気にかけてくれている。
何年も引きずっていた、入学が決まった時に来なかった寂しさが一気に消え去っていく。
「あ、え……その……ぼちぼち……人並みには……ですね」
「給料はあまり良くないぞ。遠征が無事に終わるまで賞与はでない。
名声も一時的な騒ぎだ。民は気まぐれで忘れる。地位こそ得られるが」
「地位も名誉も、どうだって良いんです。そんなモノのために来たわけじゃない」
しん、と静まり返った団長室で、自分の心臓の音だけが酷く響いて聞こえる。
せっかくコールが話しているのに、途中で、切るなんて。
なんて失礼なことをしてしまったんだ。
ノーラは気まずさから、一瞬、目を逸らした。
逸らしたまま、あわせることが、できない。

おかしい。

「目を見て話せ」と教官や上官に、散々ぶん殴られて、
体に染み付いていることが。何故、できない。
そんな事よりも、とにかく何か、何か話さなければ。
「いや、え、どうでも良くないのは、十分、わかってるんですけど。
あ、あの、前職のことでお役に立てることも、あると思うんで。へ、へ……」
いつもならもっと、上手く話せるのに。
最悪で、気分が良くて、落ち着かない。
パタン、と小さく扉を閉める。
俺は、何を話したのだろう。
採用について記載された紙切れが手にあるから、団員には、なれるらしい。

無駄に長い廊下を歩く。
17人とその他諸々のための拠点。
石造、無駄にでかい窓。
大きな窓は見た目こそ良いけれど、手入れするのは命懸けだ。
(あ、屋敷持ちは、そういうの考えなくていいのか……。
掃除する側じゃないもんな)
懸命に勉強をして、良い成績で学校を出たところで。
下層街の出身である事に変わりはなく、出世コースから早々に外された。
同じような出の部下たちと、下層街を取り締まり、
お忍びでやってくる金持ちや権力者の護衛任務についた。
煌びやかな世界は、学生時代にそれとなく、体験したきり。

でかい窓の外の景色は、どんよりとした灰色。
お世辞にも素晴らしい天気とは言えないが、
雲ひとつない青空よりも、こちらの方が、落ち着く。
雲間から差し込んだ光が、廊下を微かに照らした。
子供の時に見た、コールの、たった一瞬だけ見た笑顔とも言えないような表情。
あれは、なんというか、こういう感じだ。
雲間からさす淡い光。
わずかな間の出来事、目が眩むほど、明るくもない。
なのに鮮烈に記憶に残る。
(そうか。コールさんが、オレにとっての特別なんだ)
コールの姿をひとめ見たい。
そばにいたい。
ただそれだけで、騎士団に入った。
誰にも言えない。
どうしようもない理由。

祭事の前に、他の団員たちと拠点で顔を合わせる事になった。
啓示者の1人、明るい髪色の大男に抱きつかれ、ノーラはドン引きした。
「忘れたの!?オレだよオレ、オレ!ねぇねぇ覚えてない?」
特有のウザ絡みと、砂糖菓子みたいに甘ったるいタレ目。懐かしさを覚えた。
「………シェリ?えっ、でっか。可愛くない……。オレよりでかい。サイアク」
「ひっど!あっははっ。ノラってノラだよね。いえーいっ、騎士団悪くないかも~!」
シェリとあだ名をつけた、かつての少年は、本来の名で啓示者として、
騎士団の一員になっていた。
相変わらずの人懐っこい笑顔で大型犬のように絡んでくる様子から、
酒場の主人たちに愛されていたことが伺える。
(よかった…シェリが元気で。あの時、譲って間違いじゃなかった)
本当は、小憎たらしかった。
何も無い自分に最後まで縋るヘタレ。突き飛ばしでもしなければ、譲れなかった。
特別で、その上、神にまで選ばれた。
自分とは何もかも違う。
ひっついてきて音楽をやたらと聴かせてくる姿に暗い気持ちは鳴りを潜めた。
ユーノという少年が団長と部屋を共にし始めて、
また別の暗い気持ちが育っていった。

(あんな小さい子供にまで嫉妬して、最低だ…あの子は悪くない。
他の団員に何されるかわからないから、一緒にいるのなんて、
わかりきってるじゃん…でも…)
あの姿は、どこかで見た。
孤児院に来た、柔和な笑顔が特徴的な騎士の横顔…。
団長は、一体何を隠しているんだろうか。知りたいけど、嫌われたくはない。
他の団員が2人の騎士について触れようとした時、
団長の目はあからさまに闇深く染まっていった。あんな表情はさせたくない。
気にはなったが詮索はしないように訓練や任務をこなし、ついに遠征が始まった。

獅子のような魔物と対峙した団長を見て、ノーラは戦慄した。
硬い毛と表皮に覆われ、武器が通用しない相手に、単独で向かい素手でねじ伏せた。
他の団員達も戦々恐々としていたが、恐れからか、声援を送り出した。
声を出さないとおかしくなってしまう。そういう類の恐怖。
啓示者達は何も言わず、ただ唖然と立ち尽くしている。
(え。これが、続くの?死んじゃうじゃん。
なんにも言ってないよ。何にも伝えてないのに、死にたく無い)
レウスの捜索で自由時間も使い切り、次の村での任務を終えて、
機会を伺い想いを告げた。遠征中に最悪だ。
だけど、このまま死んだら元も子もない。ただそばに居たいと、そう告げた。
「なるほど。部屋にこい」
「えっ。……えっ?なんで、そうなるの。あっ」
強引に手を引かれ団長の部屋に連れていかれ、あれよあれよと事が進む。

(うわーオレ…男の人と寝れたんだ…。コールさんだからか…?
ていうか、人体の不思議だよねぇ…)
自分が抱かれる側にまわるとは思いもしなかった。
手を引かれた段階で予感はしていたが。
行為に痛みはない。けれど、気持ちが良いということもなく、むしろ驚愕の連続であった。
なんでそれが挿るの?ええ、本当に、挿っちゃったよ。
奇術師もビックリじゃん。
あれ?ああ……。
これ相性がいいわけじゃないな。手慣れてるだけだわ。
話が違うぞ。
おい。
随分やってんな。
周囲がそう思うように、ノーラから見ても、コール色事と無縁のような男に思えた。
仕事はできるが、面白みのない男。
だからこそ雑な誘い方は、むしろ初心で良いと、抵抗することなく身を預けたのだが。
一瞬のうちにやってくる苛立ちと冷め。
自分だって何人も女の子と寝てるわけだし。
今は自分としてくれてる。
これで良いんだ。これが俺の幸せ。
特別に求められているのだから。
どこからともなくあふれてくる多幸感に、違和感も問いも、あっけなく流された。


事が終わり、早々に眠るコールをじっと眺める。
癖毛を気にすることなく無造作に切られた髪も
さっき強引に引いた手は無骨で、男らしくて…?
かっこいいのだろう。多分。
男を好きになったことなんて初めてだから、基準がよくわからない。
幼い頃に見た時は、手も髪も、人並み以上にメンテナンスが行き届いていた。
変わっていないと思った、コールも変わっている。
眺めた場所を、確かめるように、そっと触れる。
現実が幼い頃の記憶をさらさらと塗り替えていく。
(これがまぁ、器用だなんて…みんな知らないだろうなー)
女の子相手なら、ここで寝物語でも始めて、水なんかを用意しないといけない。
事後処理とかもしないと、不機嫌になるし、初めての相手同士なら尚更だ。
コールとの事後は、かなりあっさりとしていた。
ただ、挿ったという事は、コールは自分で興奮してくれたという訳だ。
思いが通じ合った。それだけで、もう死んでも良いくらいに幸せだ。
(付き合ってるってことかな…いや、でも、一回やったくらいでそういうのは…。
重いよね……ああ、オレ女の子だったら、絶対やばいタイプだわ…。
今までの子は本当いい子だった…)
頭を撫でてから他の者に見つからないように、そっと部屋を後にした。
(…なんか…変な感じ)
この時に、とどまればよかった。


「今日も処理しにくるのか」
「は?処理…?何、それ……いい…今日は…いかない…」
「そうか」
コールはノーラとの情交を処理と言い切り、その場を去った。
残されたノーラはただ、立ち尽くす。
(処理って、なにそれ。嘘だよね。オレだけがこの関係を特別だと思ってたの?
コールさんは、オレなんかどうでもいいの?
…でも、勃つんだよな……オレに対して…この人は…)
無理な相手には本当に勃たない。
気分が悪い時なんか、何をされても縮こまっていたし、
なんなら孤児院で世話を焼いてきた職員と同じ名前というだけで興醒めした。
だから、そんなほどではないはずだ。
好きじゃないかもしれないが、嫌いでは無いはず。
もう一度だけ、確かめるように挑もうと手を掴み、部屋へと連れ込んだ。
終わってみたらやっぱりあっさりとしていた。
何気なく屑籠を見ると、薬の空き瓶が捨てられていた。
士官の時に見た。上官が娼婦と遊ぶ時に使うと自慢していた、
痛い程に、無理矢理にでも勃たせる代物だ。
くだらないと笑ったが、まさか自分の相手がこれを使ってやっていたとは。

(そんなの、いくらやっても満たされるわけがない……。
……なにしてんだろうオレ…。この人は、何がしたいんだろう……。
何のためにここまでするの…?)
薬の影響で倒れるように眠るコールの頭を撫でる。
(本当に……どうしようもない人……)
初めの時からなんとなく、察してはいた。
浮かれた気分と死ぬ恐怖が混じりあって、わかっているのに、止められなかった。
あれだけ見ていたいと思っていた目を、表情を一切見なかったのは、
見られて恥ずかしいとか、そういう可愛いものではない。

怖かったからだ。
コールにとって、自分は特別ではないと、真実を突きつけられるのが。
いつもどこか遠い場所を見ている、星を眺めるような目。
それに惹かれている自分は、やはり特別にはなれない。
見つからないように窓から外へでると、入れ替わるように別の団員が入っていった。
キラキラとした目で夢を語りながら、結局自分と同じくコールに惹かれていた。
コールに対する特別な気持ちすら、平凡。
この気持ちが、憧れだったのか、好意だったのか。もはや、わからない。
ただ、一瞬、死んでも良いほどの幸せをくれた事だけが忘れられない。
「あーあ、馬鹿馬鹿しい…」
一周回って吹っ切れたが、他の団員はそうはいかないようであった。
好意を蔑ろにされたら怒るのは当たり前だが、人数が多すぎた。

(どうしようもない……。でも、自業自得だよ。殺されないように見張ってあげるけどさ)
タバコを吸いながら、ノーラは集団を見る。
蛇団子といったか。それに似ているなーと眺める。
嬲られている団長が死なないように調整をかける。
(ここまでやるのは、なにか、やりたい事があるからだよね?
こんなになってまで、教えてくれないほどの……こと。
だって、目はずっと変わらない……)
心の均等が保てないまま、任務は着実にこなす狂った騎士団。
異様を感じ取ったのか、ある時、セイリオスは団長の所にたびたび訪れるようになった。
テントから溢れる会話の内容はやれ明日の献立だの、この先の仕入れだの。
遠征中でも誕生日には何かしたいだの。呑気なことが飛び交う。
彼がいる間は、団員達は何もせずにすんでいた。
セイリオスを言い訳に惹かれている相手を、自分達を、責めずにいられた。


北の領土を移動中のことであった。
深い霧に包まれているというのにセイリオスが
先に行ってくれと。後からついていくと奇妙なことを口走った。
直後、セイリオスのいた場所に獣とも魔物とも判断できてしまうモノが現れる。
その場にうずくまるばかりで攻撃の意思は一切感じられなかった。
けれどソレが何かも確認せず、多くのものが、恐怖に身を委ねた。
副団長は倒れたソレに駆け寄って、何度も何度も名前を呼ぶ。
「魔物だ。魔物が……魔物がセイリオスをこんな目に合わせたんだ。
みんなは先に行ってくれ。遺体をこのままにしていたら。
また来るだろうからな」
こちらを真っ直ぐ見据えて、言い放った。

その日を境に、シェリアクは喋れなくなった。
啓示者であるがために遠征から外れることを許されず
時折団員たちを恨めしそうに眺めながら、よろよろとついてくる。
うるさかった声も、歌も、もう聴けない。



久しぶりに手強い大型の魔物を狩り、皆疲れ果てていた。
誰もことに及ぼうとはしない。
ノーラは宿屋の前で1人、タバコを吸う。星も見えない暗い闇に紫煙が漂った。
「美味いか?」
王都にいた時と変わらず、明るい声で話しかけてくる黒髪の副団長。
団員達の争いを止めようとして、とばっちりに殴られた頬の傷を覆うガーゼが痛々しい。
他の団員から魔物の疑いをかけられているにも関わらず『副団長』としてあり続けている。
「吸う?」
子供みたいな黒髪の青年に、タバコをすすめるのは少々罪悪感があったが、
それすらも本心かどうか、わからない。
火をつけたタバコを差し出すと拒むことなく受け取り、
見よう見まねで思い切り吸い込み、むせている。
穢れも汚れも知らない、子供。
自分にもそういう時期があったのだと、見ていて気休めにはなった。

「ゲッホッ…まっず、なんだこれ!ノーラは、これが美味いのか?」
「美味くないよー。匂いも、味も…全部嫌い」
遠征の途中から吸い始めたどこでも手に入る安いタバコは不味かった。
それでも、タバコを吸っている間だけは、人でいられる気がした。
「なら、やめろ。そんなもの、今すぐ捨てろ」
何を思ったのか、黒髪の青年はノーラの、タバコを持つ手首を思い切り掴んできた。
一見柔らかそうな手は、マメが幾度も潰れた痕にまみれ、硬く力強い。
「何……大袈裟だよ」
「こんなくだらない事、続ける必要ない。
今すぐ逃げていい。俺は誰も追わない。
ノーラ、死ぬな。もう誰も、死なせたくない」
透き通った何者でもない、変わった声。
怒鳴るわけでも叫ぶわけでもないのに、響く。
深紫色の暗い目が真っ直ぐにこちらを見つめていた。
そこに映る自分は、歪んで、澱んでいる。

「逃げる……逃げられるわけないじゃん…」
「……。タバコ、吸いすぎるなよ」
副団長は眉間に皺をよせ、渋々と手を離す。
宿とは逆方向へ去っていった。
ユーノの様子を見に行くんだろう。
わからないような顔して……難儀な奴だ。
複数の力を持つ、啓示者。
田舎者のくせに急に副団長になった、どこまでも特別な奴。
自身の価値を、理解しているのか、いないのか。知ったことではないが。
威張り散らすわけでもなく、常に追い立てられてるように動いて、から回っていた。
必死で足掻こうが、降って湧いてきた田舎者のガキに、
進んで手を貸す者はそうはいなかった。
知らない土地に呼び出されたかと思えば、地位だけ与えられて。
同情されたって良いくらいだ。
だけれど。
明るく振る舞う姿が、無性に腹立たしくて、不気味で、
他の誰よりも、訝しんで煙たがった。
そんなことをするような奴に。
自身は差し伸べられなかった手を、当然のように差し伸べに来た。
本当に、本当に……どこまでも、忌々しい。
(遅かれ早かれこの遠征中にみんな死ぬ……。
副団長には悪いけど、オレもそのうちの1人だよ。
でも、コールさん……あなただけは、死なせたくない……)
タバコをもう一本吸おうとしたが、やめた。
小雨が降りだして、寒い。


テントに集まり出した団員を見て、ノーラはタバコを取り出す。
宿屋だろうと、屋外だろうと、敵前ですら、この作業をやめられずにいる。
日のある場所で見る団長は相変わらず憧れの姿でいた。
団員たちの手こずる魔物を一捻りする強者。
行く先々の者から慕われる英雄。
夜になれば暴力の標的。
薬を飲んで無理矢理、事に及んでいたのはもう遠い昔。
乱行だのと口汚く強がっているが、過酷な遠征、討伐、心身をすり減らした者たちに
性欲なぞという贅沢品は、もはや残されていない。
自身を裏切った者を嬲るという形すらも保てず
連日行われるのは、問いのない拷問。
何をされても呻き声すらあげないソレに縋る。
誰か1人が声をあげてくれたら。
皆、誰かが、『もうやめよう』と言うのを待ち続けている。
(本当、馬鹿馬鹿しい………)
やめようとも言わず、死なせないように、調整をかける。
自分が一番、愚かだ。
タバコを吸い終わりテントへと向かった。

入り口の布を捲りあげた瞬間、むせかえる血肉の匂いが鼻についた。
作業に血の匂いはつきものであったが、様子がおかしい。
団員たちの衣服は乱れがない代わりに、ぬめりとした赤黒に染まっていた。
この場にいないはずの、シェリアクも転がっている。
奥の方に積み重なった死体が突如、モゾモゾと動き出す。
人の形をした何かが出てくる。
ノーラは『何か』を見誤らないように、観察する。
死体を丁寧に退かせ、転げ落ちた腕を無造作に拾い
欠けた部分に、手慣れた様子であてがい、一瞬、青い瞳が揺らいだ。
「……アルテルフ……?」
「ノーラ」
聞き慣れた鋭い声。
「ここで何が、起きたの」
「騎士の……。人の、風上にも置けないはずの、こいつらは。
王都にいた時よりも随分、剣を持つ姿が様になっていた」
氷のような青い鋭い瞳が、微動だにしない仲間たちを愛おしげに哀しそうにうつしている。
「俺だけじゃ、ここまで辿り着けなかった。
騎士団は、もう機能していないとわかっていたのに。
止めずに仲間を……利用した」
足元がおぼつかず、崩れるアルテルフに駆け寄り支える。
動かなくなった団長をみて、慟哭するわけでも、
アルテルフを恐れるわけでも、手にかけようとも思わない。
何をするにも場当たりで、ズルズルと生きている、だけ。
シェリアクの、団員たちの眼が、虚に捉えている。
「なあ」
寄り掛かる アルテルフが、どこか遠くを眺めながら呟く。
「アルっちってあだ名。チビガキのアルテルフを縮めたって聞いた時、
響きも意味もアホ臭くて。馬鹿げていて。
あの時は何にも言わなかったけど本当のところは失敬でしょうもないって呆れたよ。
だけど、嫌いじゃないからな。
呼ばれるたびに特別じゃない自分でも、居ても良いと思えた。
また呼んでくれよ。ノラ」
自分の持っていない、何もかもを持っているアルテルフ。
そんな彼が、自身を特別じゃないと言う。
「……。あはは、なにいってんのー?
君は初めから、特別だよ。
人を信じて、大切なものを差し出せてしまえる。
強くて、立ち向かえて、妬ましくて……。どうしようもない」

アルテルフはよろつきながら立ち上がる。
赤く染まった手を差し伸べた。
ノーラは静かに首を横に振る。
心身共に病んでいる自分は、この先、枷にしかならない。
「ごめんね。オレは、みんなと一緒にいるよ」
諦めてしまうと、自然と笑えた。
「そうか」
アルテルフは一言呟き、重い足取りでその場から立ち去った。
足音が遠ざかっていく中、ノーラは改めてテントを見渡した。
これだけ人の死体があったら、肉食の獣が寄ってくる。
けれど、せめて、埋葬してあげたい。
獣に掘り返されるだろうけど、最期くらいは人らしく見送りたい。
抗ったけど、結局流されたどうしようもない、大切な仲間たち。
副団長も、レウスも、ユーノも見当たらない。
3人は狂気から逃れられたのだろうか。
シェリアクの横に楽器を置く。
寝る前に弾いて、怒鳴ったこともあったけれど、いつの時かもう思い出せない。
団員達それぞれの遺品を持たせる。
本、アクセサリー、写真、何やかんやみんな持っている。
「コールさん、何も持ってないんだね。
そういうところが、似てるって、勘違いしちゃったよ」
酒をよく飲んでいたが、それ以外知らない。
惹かれている相手の亡骸を前に涙も出ない自分の薄情さに、ノーラは自嘲した。
いざ自害をするとなると、悩んだ。
生きる事に必死で、死に方なんて学ばなかった。
「ああ、死にたくないなぁ……」
生きてても仕方ないけれど、結局獣がやってきて助からないだろうけど。

とりあえず剣を持ってみる。
腹を刺すか、首を斬るか。
地べたに座ったまま呆然と剣を見つめていると、あたりから不思議な光が漂ってきた。
(死ぬ間際ってこんな景色なのか……)
突然、暗闇に包まれる。
まだ刺してもいないのに。
まさか精神的なショックで死んだのか?
なら、もっと前に死ぬことは幾つもあっただろう。
死んだなら、この思考は何だ。
一変、急に明るくなり、立ちくらむ。座っていたのに。

「大丈夫か。顔色が悪いぞ」
「は、ぁ?えっ、なに」
先程見送ったはずのアルテルフが、心配そうな顔でこちらを覗き込む。
なんだなんだと、他の団員達も寄ってきた。
(みんな埋めたのに。何が起きてるの)
「アルっち……ここ、は、あの世?」
「何言ってるんだよ、突然。やめろ、それガキの頃のあだ名だろ」
「へー?アルテルフくんって、アルっちって呼ばれてたんだー!?
いいねえ、それ!オレも呼ぼうー!」
「ノーラ、どうにかしろ。お前のせいだぞ」
「うん……そうだね」
知ることも、止めることもせず、ただ見ていた。
牧歌的な風景、何も始まらないでいれた頃の遠征で訪れた初めての村。
忘れていたはずの涙が、とめどなく、ぼろぼろと溢れて止められない。
「な、泣くほど、責めてないだろう」
団員達は狼狽えるアルテルフを生暖かく見守った。
「ノラっ。気にすんなよ。団員は全員、この赤鬼教官に泣かされてんだからよ」
「遠征中は流石に誰も泣かせない。に賭けてたヤツ、負けなー」
「ああっアルテルフ!負けたじゃねえかーっ!泣かせんなよ!」
「賭け事を何故、禁止したのか。学び直したいようだな」
くだらないことではしゃぐ団員たちにアルテルフは喝を入れた。
や、やばい。ああ、いや別に。そういうつもりじゃなく。冗談だって…。
口々に言葉をこぼす。
「話は、あとで、じっくりする。とっとと、先に行け!」
「は、はーい」
顔面を蒼白に染まらせかけながら、団員達は素直に前へと移動した。

「ノーラ。シェリアクのヘタレが移ったか」
「ひっど!ま、けど?ヘタレちゃうほど優しいっていうし。
そのうえオレってやつは感受性豊かだから、感化しちゃったのかもね」
「まったく意味のわからないことしか言えないのか?」
「君が理解できる、意味のわかることしか頭に入らないだけだろ」
朗らかなシェリアクから出たとは思えない、突き放すような冷たい声。
裏腹に笑顔を保つ異様さに空気がこわばる。
「……先、行ってるから。仲直りするんだよ。ノラ、アルっち!」
パッと明るく言い放つと、そのまま団員達の後を追った。
「ま、待て!……」
取り残されたアルテルフは居心地悪そうに、咳払いをする。
何年も、事務的なやり取り以外、ろくに会話もしなかった元級友。
さっきの心配も体調不良の者に声をかけただけで、アルテルフにとっては業務だろう。
自分で突き放したくせに。何を期待しているんだか。
涙を雑に拭い、顔をあげた。
「昔のあだ名を今更口走るとは。遠征早々、王都が恋しくなったか?」
皮肉を浴びせられ思わず、ポカンと口が開く。
「お前の考えるあだ名は、失敬で安易。センスがない、品位がない。
粗末という言葉を使うことすら憚られる。
爺さん婆さんが犬猫につける名前の方がよっぽど詩的だ」
統率力の低い副団長に代わって、教官のように務めていたからか。
昔に比べて格段、口の悪さに磨きがかかっている。
「そんなモノをよくも……覚えていたな」
罵倒が止む。
一呼吸。アルテルフは再び、口を開いた。
まだ何か言いたいのか、こいつ。
「また、呼んでくれよ。ノラ」
いつか聞いた、不安を押し込めたような揺れる声。
まさか、あの時。
呼び出してまで言いたかったことって。
そんなことだったの?
「バカみたい……アルっち」
粗末以下なあだ名に、お互い子供の時のように顔を歪ませて、綻ばせた。


さっきの、あの夢は。
白昼夢にしては、あまりにも生々しく、悪趣味。
なのに、あんなものを見た後だというのに、コールに未だ惹かれている自身がいる。
団長はあんな手段をとってまで、どこへ向かいたかったのだろう。
何を果たしたかったのだろうか。
あの目が見ていた先のものが、正体が。
知りたい。
『特別』はいつまでも焦がれてやまない。
焦がれる度に、妬んで、羨んで、嫉妬して、
どこまでも惨めな気持ちになるというのに、憧れる。
特別が欲しい。誰かの特別になりたい。
だけれど。
それ以上に今は普通の続きが知りたい。
団員たちに混じり、ノーラは歩みを進める。
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