7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月とある姉弟の事情

7月とある姉弟の事情 6

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 翌日、いつもの日曜日のように、早朝から身支度を整えたクルトの姿を眺める。
 なんだか緊張しているみたいだ。既に顔が少し強張っている。大丈夫かな……


「そうだ、ちょっと待っててください」


 わたしはお菓子の置いてある棚からチョコレートの箱を持ってきて、クルトに差し出す。


「チョコレートには精神の鎮静作用があるらしいですよ。なのでこれ、クルトにあげます。持っていってください」

「……だからって、こんなに食べ切れない」

「ロザリンデさんと一緒に食べたら良いじゃないですか。美味しいものを食べれば、それだけで幸せな気分になれますからね。ちなみにこのチョコレート、わたしの一番のおすすめですよ。今回は特別に返してくれなくても結構です」

「これはこの間、お前用に俺が買ってきたやつじゃないか」

「そうでしたっけ」

「そうだよ……でも、せっかくだから受け取っておく」


 そう言ってクルトはちらっと笑ってみせた。





 ヴェルナーさんのアトリエでデッサンをしながら、今頃クルトたちはどうしているだろうかと考える。
 朝からそればかり気になって、絵を描いていても上の空なのだが、ヴェルナーさんはいつものように集中しているようで、わたしの不真面目な態度にも気付かないみたいだ。今日ばかりはそのことに感謝する。
 いまいち乗り切れないまま、窓から夕日が差し込む時刻に差し掛かった頃、アトリエのドアをノックする音が聞こえた。気が付いたヴェルナーさんが対応しようと立ち上がったので、来客は彼に任せることにして、わたしは木炭を持ち直す。


「ユーリ」


 名前を呼ばれて振り向くと、開いたドアの傍にクルトが立っていた。


「あれ? クルト、どうしてここに?」


 思いがけない来訪者に、つい声を上げる。


「……いや、ちょっと、その、一緒に帰ろうかと思って……それと――ヴェルナーさんに謝りたくて」


 クルトはヴェルナーさんに向きなおる。


「俺は、以前あなたに失礼な事を言ってしまって……ずっと謝りたいと思っていたのに、逃げてばかりで、あいつだけに押し付けたみたいになってしまって――」

「……そんな事、もう気にしなくても……」

「いえ、俺の気がすまないんです。話だけでも聞いていただけませんか?」


 言いながら、クルトはちらちらとわたしの事を気にする素振りを見せて、話しづらそうにしていたので、ヴェルナーさんがクルトを誘い、二人して外へと出て行った。
 一緒に帰ろうだなんて珍しい。ヴェルナーさんに謝りに来たと言っていたけれど、そのついでだろうか。
 ちょうど良い頃合でもあるし、わたしは使っていた画材を片付け始める。それに、ロザリンデさんとの話し合いに関しても早く知りたい。でも、クルトのあの様子だと、結果はおぼろげに予想できた。

 どんなやりとりがなされたのかはわからないが、暫くして戻ってきたクルトは、心なしか先ほどより晴れやかな顔をしているような気がした。密かに抱えていた胸のうちを伝えられたのかもしれない。
 そのまま二人でヴェルナーさんに別れを告げてアトリエを後にする。
 少し歩いたところでクルトは話し始めた。
 ロザリンデさんと膝をつき合わせて話し合ったこと。互いの認識に相違があったと判明したこと。今までのわだかまりや、現在の状況。そしてこれからのこと――


「――思っていたよりあっけなかった。どうしてこんな簡単なことが今までできなかったんだろう」


 先ほど予測したとおり、二人の話し合いは上手くいったみたいだ。よかった。


「俺もねえさまも、ちょっとした行き違いがあっただけなんだ。それがこんなに拗れてしまうだなんて、お互い思っていなかったけれど。それがわかって、もつれた糸が解けたように気分が晴れて、なんていうか……変な話だが、長い夢から覚めたような……なんていうのは大袈裟かもしれないが、とにかく今日一日で世界の見え方が変わった。そんな気がするんだ」


 そう言ってクルトはわたしの顔をまじまじと見つめる。


「今まであんまり気にしてなかったけど……お前って、そんな顔してたっけ?」

「ちょっと、それ、どういう意味ですか!?」

「怒るなよ。悪い意味じゃない」
「あ、わかった。さてはクルトもついにわたしの愛らしさに気付いたって事ですね」

「そんな事言ってない。調子に乗りすぎだ」


 クルトは呆れたように溜息を漏らす。


「……でも、お前が背中を押してくれたおかげだ」


 そう言って朱に染まった空を見上げる。

「でなければ、こんな風に穏やかな気持ちで夕焼けを眺める事もなかったかもしれない。感謝してる。ありがとう。これまで何度も俺の我侭につき合わせて悪かったな」


 ちょっとびっくりしてしまった。クルトがこんなに素直に感謝の言葉を口にするなんて思ってもみなかったから。


「これから日曜日は一緒に来なくていい」

「え?」

「俺の配慮が足りなくて、お前に辛い思いをさせてしまっていたみたいだし……ねえさまには言い含めておくから」

「いえ、そんな」


 わたしは慌てて首を振る。


「確かに昨日言ったように、クルトたちを見ていて羨ましかったのは本当ですけど、でも、皆でお茶を飲みながらおしゃべりするのもすごく楽しかったです。それも本当です。だから、迷惑じゃなければ、その、これからもお邪魔したいんですが……駄目ですか?」


 その言葉に、クルトは一瞬目を瞠るが


「いや、迷惑なんかじゃない。ねえさまも喜ぶ」


 そう言って笑顔を見せた。
 相変わらず姉の事が最優先のようだが、それでもなぜだか今日のクルトは大人びて見える。夕日を受ける彼の顔は、どこか満ち足りていて、纏う雰囲気もいつもと違うように思えた。
 その綺麗な笑顔に少々見とれながら、わたしも笑みを返した。



〈7月とある姉弟の事情 完)
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