7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と円舞曲

7月と円舞曲 12

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「ユーリ! おい、ユーリ! しっかりしろ!」


 耳元で名を呼ばれ、肩を激しく揺さぶられる。
 何度か瞬きを繰り返すと、焦点がはっきりしてきた。目の前にクルトがいる。肩を揺さぶっていたのも彼だった。


「あれ? わたし……」


 今まで放心して座り込んでいたようだ。気がつけば、 あたりにはいつのまにか多くの人々が集まって、わたしたちを取り囲み、ざわざわと戸惑いと好奇心の入り混じったような、どこか不穏な空気を漂わせている。


「お前、怪我してないか? どこか痛いところは?」

「え、ええ、大丈夫……」


 クルトの勢いに押されながらも頷いたところで我に返った。


「そ、そうだ、リコリスさんは!?」


 慌てて見回すと、先ほどまで目の前に倒れていたはずのリコリスさんの姿はなく、その代わりのように、石の床には何かが燃えたような禍々しい黒い跡が残っていた。


「覚えていないのか?」

「なんとかして火を消そうとしたところまでは記憶にあるんですけど……」


 その後のことが思い出せない。そんなわたしに言い聞かせるようにクルトが口を開く。


「あの時、広間の誰かがテラスでの異常に気付いて……その後、リコリスさんはすぐに運ばれていった。今頃は別室で治療を受けているだろう」

「リコリスさん、助かったんですか? 容態は……?」

「意識はあったようだが……俺にも詳しくはわからない。すまない」


 その時の痛ましい様子を見ていたのか、クルトは顔を歪めて俯く。


「――妹の持っていた蝋燭の炎が、運悪く彼女の髪に燃え移ったんです。あっという間の出来事でした――」


 アレクシスさんが、集まった人々にあの時の状況を説明しているようだ。
 それを聞いていると、先程の光景が思い出されるようで、わたしは身震いして自分の腕を抱く。するとクルトが自分の上着を脱いで、肩に掛けてくれた。


「立てるか? とにかく、ここから離れるんだ」


 その言葉に従い、肩を抱かれるように室内へと連れていかれる。
 壁際に置かれた椅子にわたしを座らせると、クルトはひとりその場を離れる。
 すぐに戻ってきた彼の手にはグラスがひとつ。


「これを少し飲むといい」


 差し出されたグラスには良い香りのする赤い液体が入っている。ワインだ。


「一度にたくさん飲みすぎるなよ。少しずつ、ゆっくり……そうだ、それでいい」


 言われるまま、何度かに分けてワインをゆっくりと口に含んでゆく。
 しばらくすると、身体がふわっと温かくなり、全身の強張りが解けていくような気がした。そのまま大きく息を吐く。

 少しだけ冷静さを取り戻したわたしは周囲の様子に目を向ける。
 目立った混乱は起きていないものの、時折どこかから荒々しい足音や誰かの大きな声が聞こえる。目の前の床にはひっくり返った皿が落ちていて、端からはみ出した肉料理と赤いソースが絨毯に血のような染みを作っていた。反面、近くのテーブルの上では何事も無かったかのように、輝く職台の上で白い蝋燭が静かに炎を揺らしている。
 けれど、わたしはそれらの様子を、どこか薄い膜一枚隔てたところから眺めているような感覚にとらわれていた。
 それよりも頭の中に蘇るのは先ほどの光景。炎に包まれたリコリスさんと彼女の悲鳴、あたりに漂う髪の焼けるようなにおい。
 まさか、眼の前であんなことが起こるだなんて……
 俯いて両手で顔を覆うと、目を閉じゆっくりと深い呼吸を繰り返す。

 不意に背中を抱かれるような感触がして、顔を上げる、すぐ隣りに屈みこむクルトの姿があった。それを見て、急に心細いような、それでいて安堵したような気持ちに襲われて、思わず彼のシャツを掴む。


「大丈夫。大丈夫だから。もう余計な事を考えなくていい。お前はただ不幸な事故に巻き込まれたんだ」


 そう言いながら彼は大きな手でわたしの背中をそっと撫でてくれる。その姿が、同じようにして背中を撫でてくれたロザリンデさんと重なる。その優しくて穏やかな口調も。
 暫くそうしていると、再びざわめきかけたわたしの心は鎮まっていくようだった。


「少しは落ち着いたか?」


 頷くと、クルトはわたしの顔を覗き込む。


「顔色もさっきより良くなったみたいだな。歩けるか? 急かすようで悪いが、早くこの屋敷から出たほうがいい。リコリスさんの事故は気の毒だが、俺たちに出来ることは何もないし、ランデル家にとっても、こんな状況の中いつまでも客に居座られるのは迷惑だ。それに、お前だってこれ以上ここにいるのは辛いだろう?」


 クルトの言う通りなのかもしれない。リコリスさんの様子は気になるが、家族でもない自分たちが軽々しく首を突っ込んで良い領分ではないだろう。
 それに、わたし自身早くこの異様な空気の漂う場所から遠ざかりたいというのも当たっていた。
 大人しくクルトの言葉に従い、腕を引かれるまま椅子から立ち上がる。

 他の招待客たちも落ち着かない様子で広間に集まり、ざわめきの中、不安そうな目をあちらこちらに向けている。その脇を通り抜けながら、わたしは唐突にテラスを振り返りたい衝動に駆られた。
 恐ろしいはずなのに、何故だか気にせずにはいられない。子供の頃、きょうだいたちからふざけ半分で幽霊や悪魔に関する怖い話を聞かされた事がある。そんな時、わたしはいつも耳を塞ぐことができずに聞き入ってしまっていた。怖いと思いながらも、その恐ろしいものの正体が気になって仕方が無かった。今この瞬間、それに似た感覚に襲われていた。
 その衝動に抗えず、おそるおそるテラスを振り返る。

 そこは静かだった。あんなに恐ろしい出来事のあったはずの場所なのに、今はまるで何事もなかったように、静謐な夜の空気の中にある。けれど、確かにあれは夢では無いのだ。あの場所でリコリスさんは炎に包まれ――
 すぐに振り返ったことを後悔する。あの時の事を思い出しそうになってしまったからだ。慌てて目を逸らそうとして、ふと、視界になにか動くものを見つけた。
 テラスに誰かがいる。目を凝らすと、広間からの明かりを受けてぼんやりと浮かび上がるその姿はアレクシスさんのようだった。

 あんなところで何をしているんだろう。リコリスさんについていなくても良いんだろうか?
 それとも、例の落し物をまだ探しているとか? なんだか大切なもののようだったし……でも、灯りも持たずに……?
 わたしはふと、近くのテーブルに目を向ける。そこには他のテーブルと変わらず、燭台の上の白い蝋燭の炎が揺れている。それを見て足を止めた。

 動かないわたしを不審に思ったのかクルトが振り返る。


「どうかしたのか?」


 心配そうな彼の顔と床とを交互に見比べながら、わたしは躊躇いがちに口を開いた。


「ねえクルト。頼みたい事があるんです」

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