7月は男子校の探偵少女

金時るるの

文字の大きさ
上 下
99 / 145
7月と円舞曲

7月と円舞曲 9

しおりを挟む
 その言葉に従い玄関ホールに行くと、クルトがいた。タキシードに身を包んだ彼は、花瓶に活けられた花をぼんやりと眺めているが、その光景がそのまま絵になりそうなくらい綺麗だった。


「わあ、クルト、その服似あってますね。かっこいい」


 声をかけるとクルトはこちらに目を向けたが、なぜだかきょとんとした顔をしている。
 な、なんだろう? わたしの格好、どこかおかしいかな……? 
 自分の足もとを見下ろして、不安な気持ちになっていると、クルトが何かに気付いたようにはっとして声を上げた。


「ああ、誰かと思ったらお前か! てっきり知らない女が近づいてきたのかと」

「は?」

「クリスマスの発表会のときも思ったけど、お前、女装が似合うな。うん」


 しみじみとそう言われて、わたしはむっとして言い返す。 


「失礼な事言わないでください! これがわたしの本来の姿です!」


 まさかとは思うけど、クルトって、わたしが女だって事を忘れてるのかな。
 これが女装に見えるだなんて、眼鏡が必要なんじゃないか。


「女装だったらクルトも負けてないと思いますよ? 発表会の時のヒロイン役なんて、カーテンで作ったドレスとはいえ、とっても似合ってましたからね」

「やめろ。あの時の事はもう言うんじゃない」


 いやな事を思い出したのか、クルトは渋い顔をした。
 それを見て少し溜飲が下がった。お洒落した乙女の姿を女装呼ばわりした報いを受けるが良い。くくく。




 ロザリンデさんに見送られ、わたしたちは馬車へと乗り込む。
 学校へは帰寮が遅くなる旨を事前に申請してあるから問題ないはずだ。

 動き始めた馬車の中を改めて見回す。以前に乗ったことのある簡素な乗り合い馬車とはちがい、立派な造りをしている。
 物珍しさにきょろきょろしていると、クルトが隣で口を開く。


「ところでお前、ウインナ・ワルツのほうは問題なく踊れるんだろうな?」


 その言葉に浮ついた気持ちが急に萎えて、現実に引き戻される気がした。


「……昨日、夢を見たんです」

「夢?」


 神妙な顔で答えるわたしに対し、クルトは怪訝な顔で問い返す。


「ええ。夢の中でわたしは必死にウインナ・ワルツを踊っていたんですけど……不意に足元が滑って――転びそうになったところで目が覚めました」


 わたしは縋るようにクルトを見上げる。


「どうしようクルト。何かの暗示だったりして……」

「……しっかりしてくれ。ただの夢だろ」


 そんな事を言われても自信がない。
 それに、夢のせいだけではない。正直なところ、毎日練習してきたにもかかわらず、今になっても正しくステップを踏めるかどうか怪しいのだ。それに加え、いつもよりかかとの高い靴と、窮屈なコルセットのおかげで、余計にうまく踊れる気がしない。
 うーん、この苦行に常に耐えているなんて、レディって大変なんだなあ……
 どうか、夢で見たような無様なことにはなりませんように。



 そして馬車は目的地であるランデル家の屋敷へと到着した。
 慣れない靴のせいか、足元が少しふらつく。
 クルトの手を借りながら馬車から降り、ふと見上げると、雨はいつの間にか止んでいて、空には星が瞬いていた。

 屋敷に入ると、使用人に案内されて長い廊下を歩く。
 やがて大きな扉の前に着くと、中からは微かな音楽と人々のざわめきが聞こえる。この扉の向こう側でわたしの見たこともないようなパーティが行われているのだ。なんだか急に緊張してきて、クルトの腕に添えた自分の手には力が入る。
 それを察したのか、クルトが囁く。


「そんなに構える必要はない。深く考えず、堂々としていればいいんだ」


 その言葉に、思い切って背筋を伸ばす。まっすぐ前を見据えると、隣でクルトがかすかに頷いたような気がした。

 扉がゆっくり開かれるにつれ、室内からは光が溢れ出て、中の様子が明らかになってくる。
 大きな広間の天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下がり、部屋中を明るく照らす。その下では華やかな格好の人々が大勢いて、和やかに談笑している様子が見て取れる。どこからか聞こえてくる軽やかなオーケストラの演奏も、皆の気分を浮き立たせているようだ。
 しかし、思わず見とれていたのもつかの間、すぐにわたしの身体が異変を訴え始めた。

 ――きもちが悪い。

 胸からお腹にかけての締め付けがきつくて苦しい。きっとコルセットのせいだ。ロザリンデさんは「すぐに慣れる」と言っていたけれど、身体が訴える違和感は増している。さらに、その状態で馬車に揺られたためか、かなり酔ってしまったみたいだ。それが今になって急に襲ってきた。先ほどふらついたのも靴のせいではなかったらしい。
 十分に暖められた室内も、今のわたしにとっては気分の悪さを増長させるだけでしかない。思わず口もとを手で覆う。


「そういえば、お前は忘れているかもしれないが、前に少し話題にした、このランデル家の娘のこと……」


 途中までなにか言いかけたクルトだったが、俯くわたしの姿を不審に思ったのか、顔を覗き込んできた。


「おい、どうかしたのか?」

「……実は少し気分が悪くて。馬車に酔ったみたいです」


 そう伝えるのが精一杯だった。コルセットが苦しいからなんとかしてくれとはさすがに言えない。


「大丈夫か? まいったな……とりあえず、どこかに休めるところは……」

「――クルト様!」


 弾んだ声とともに、一人の少女が軽やかな足取りでこちらに近づいてきた。


「クルト様、いらしてくださったのですね。嬉しい。わたくし、お逢いできるのを楽しみにしておりましたの」


 年の頃はクルトやわたしと同じくらい。ミルクティーのような色の長い髪の毛を垂らし、頬を薔薇色に染めている。やや吊りあがりぎみで勝気そうな印象を受ける大きな瞳は、とび色にきらきらと輝き、まっすぐクルトに向けられていた。


「リ、リコリスさん……」


 彼女の姿を認めたクルトは、何故だか慌てたように少し後ずさる。声もなんだか上ずっているようだ。
 リコリス……何処かで聞いたような……確か、クルトがさっき言いかけた、この家の娘の名前だったっけ。クルトと相性が良くないとかいう……
 気分が悪いながらも、ぼんやりとそんなことを思い出していると、そのリコリスさんがこちらに目を向けた。


「こちらの方は……あら? あの、失礼ですけれど、どうかなさったの? お顔が真っ青……」

「ええと、実は、彼女の気分が優れないようで……と、そうだ、申し訳ありませんが、少しの間、彼女のことをお願いできませんか? 俺は、その、ランデルさんにご挨拶しなければならないので……」


 その言葉に思わずクルトを見上げる。
 もしかして、この人は右も左もわからない場所に、こんな状態のわたしを置いていくつもりなんだろうか。目の前のこの少女が苦手だからという理由で? それとも具合の悪いわたしのことが足手まといだというのか。
 まさかという気持ちで見つめていると、クルトは居心地悪そうに目を逸らす。
 間違いない。この人、ひとりで行くつもりだ。


「あら、それは困りましたわね。大丈夫ですか?」


 クルトの説明を聞いたリコリスさんは目を丸くする。


「わかりました。この方のことはわたくしにお任せ下さい。あちらに静かな場所がありますから、そこで休まれると良いかもしれませんわね。ご案内いたしますわ。クルト様はどうぞ、父のところへ」

「感謝します。それではまた後ほど」


 わたしは咄嗟にクルトの上着の袖をぎゅっと掴むが


「頼む。俺をこの場から解放してくれ。その間にヴェルナーさんの肖像画の件についても、きっと話をつけてくるから」


 と、小声ながらも必死に懇願するように言われたので、しぶしぶ手を離した。
    ずるい。肖像画の件を持ち出されてはどうにもできないではないか。
 それを待っていたかのように、クルトは逃げるようにその場を離れ、すぐにその姿は多くの人々の間に紛れてしまう。

 うう……ひどすぎる。クルトの人でなし! 冷血漢! 悪魔! いつかジャムを塗りたくった靴の中に、カブトムシの幼虫をいっぱいに詰め込んでやるんだから!
 既に見えなくなった背中に向かって、心の中で悪態をついた。

しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

舞姫【中編】

友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。 三人の運命を変えた過去の事故と事件。 そこには、三人を繋ぐ思いもかけない縁(えにし)が隠れていた。 剣崎星児 29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。 兵藤保 28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。 津田みちる 20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われた。ストリップダンサーとしてのデビューを控える。 桑名麗子 保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。 亀岡 みちるの両親が亡くなった事故の事を調べている刑事。 津田(郡司)武 星児と保が追う謎多き男。 切り札にするつもりで拾った少女は、彼らにとっての急所となる。 大人になった少女の背中には、羽根が生える。 与り知らないところで生まれた禍根の渦に三人は巻き込まれていく。 彼らの行く手に待つものは。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

ダブルの謎

KT
ミステリー
舞台は、港町横浜。ある1人の男が水死した状態で見つかった。しかし、その水死したはずの男を捜査1課刑事の正行は、目撃してしまう。ついに事件は誰も予想がつかない状況に発展していく。真犯人は一体誰で、何のために、、 読み出したら止まらない、迫力満点短編ミステリー

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

処理中です...