97 / 145
7月と円舞曲
7月と円舞曲 7
しおりを挟む
一心不乱に鉛筆を動かしていると、目の前のアルベルトが口を開いた。
「同室の彼と喧嘩でもしたのかい?」
その言葉にわたしは一瞬手を止めるが、すぐにまた動かし始める。
「そういうわけじゃ、ないですけど……」
「でも、ここのところ毎日この部屋で過ごしてるじゃないか。それも就寝時間ぎりぎりまで」
「す、すみません。やっぱり迷惑ですよね……」
申し訳なく思っていると、アルベルトは首を横に振る。
「ああ、いや、それは別に構わないんだけど……ただ、そこまでルームメイトと揉めてるのなら、ちょっと問題だと思って。合わない相手と同じ部屋で暮らすっていうのは、やっぱりどこかに負担が掛かるものだろうし」
「そ、そんな大袈裟な事じゃないんです。実は最近ウインナ・ワルツの練習をしていて……それで、クルトに相手をしてもらったんですけど……」
「ははあ。それでしごかれたんだな。発表会の芝居のときみたいに」
「違うんです。逆なんです」
わたしは首を振る。
「その……詳しい事情は省きますけど、ダンスを始めることになった発端というか、原因がクルトにもあって……あの人、どうもそれを気にしてるみたいなんですよ」
あれから自室でもダンスの練習をしたのだが、クルトは今回の件で自分が失言をしたという意識があるからなのか、わたしがどれだけ足を踏んでも怒ったり、文句を言ったりしない。ただ溜息をついて「もう一度」と、最初から踊り直すのだ。
簡単な説明を聞いたアルベルトは頷く。
「なるほどね。調子が狂うってことか。それで失敗したら萎縮して、ますます上手く踊れなくなると」
「そうなんです。やりづらいことこの上なくて」
そんなことが毎日続いてはたまらないと、放課後はこうしてアルベルトの部屋に逃げ込んでいる。
「それなら『もう気にしてない』って伝えたら良いのに。それとも、君はまだ根に持ってるの?」
「そういうわけじゃなくて……いつも通りのクルトに戻ったら、今度はわたしがダンスでへまするたびに、がみがみ言われるに決まってます。それはそれで嫌なんですよ……」
「うーん、難しいな。気持ちはわからないでもないけど」
アルベルトは苦笑する。
「そうだ。アルベルト、よかったら少し練習に付き合って貰えませんか? パートナーが変わればうまく踊れるかも」
「え、ええと、悪いけどオレは……」
焦ったように目を逸らすアルベルトを見て、わたしは首を傾げる。
「もしかして、アルベルトもダンスが苦手なんですか?」
「踊れないってわけじゃないんだけど……むかし、姉の練習に散々付き合わされてね。それ以来どうも抵抗があって……」
「それなら、この機会に克服……」
「無理無理。勘弁してくれよ」
遮られるように拒否されてしまった。どうやら相当嫌な思い出があるらしい。
アルベルトもダンスで苦労したみたいだ。さすがにこの様子を見ては、無理に付き合わせるのは気の毒だ。
それ以上触れて欲しくなかったのか、アルベルトは軽く咳払いして話題を変える。
「それにしても、君も飽きないな。毎日オレの顔なんか描いて。もしかして画家を目指してるとか?」
彼の視線がわたしの持つスケッチブックに向けられるのを感じる。
ここ数日、アルベルトの部屋で過ごすついでに、似顔絵のモデルになってもらっているのだ。
「画家だなんて、そんな大それたものじゃなくて……」
鉛筆を動かしながら、答える声が小さくなる。
「実は、描きたいものがあるんですけど……でも、今のままじゃ圧倒的に実力が足りないっていうのが、自分でもわかるんです。だから、少しでも上達できたらいいなと思って。かといって、クルトにモデルを頼めば、出来上がった絵を見て『へたくそ』だとか言うのは目に見えてるし……」
「それでオレを練習台に選んだってわけか」
「い、いえ、練習台だなんてそんな……」
わたしは慌てて弁解する。
「アルベルトの髪が綺麗で、目が印象的だから、是非描かせて欲しかったんですよ。それに、守護天使が良くて、オーラも並じゃないし」
「前半はともかく、後半は褒められてるのかな……? でも、まあ、光栄ですと言っておくよ」
真に受けてはいない様子でアルベルトは笑った。
「なんにせよ、いつか満足できるものが描けるといいね」
うーん……アルベルトって良い人だ。やっぱり彼にモデルをお願いして良かった。
でも――と、わたしはスケッチブックを見下ろす。
いくらアルベルトが良い人でも、全然似てない似顔絵を見せるのは、やっぱり勇気がいる。
それからも、日曜日にはロザリンデさんを交えてダンスの練習は続いた。
何時間かの特訓の末、なんとかステップは覚えたものの、いざクルトを相手に踊るとなると、どこかしら失敗してしまう。
「今は踊れなくても構わない。けど、パーティではくれぐれもねえさまの顔に泥を塗るような事はしないでくれ。頼むから」
珍しくクルトから懇願された。けれど、そんなふうに言われたら、失敗してはいけないと余計意識してしまって、うまく踊れなくなるのだ。
それからも、練習しなければとわかってはいても、授業が終われば極力クルトと顔を合わせないよう、アルベルトの部屋に逃げ込むという事を繰り返した。
そんなある日の放課後、いつものようにさっさと避難するために荷物を置いてこようと自室に戻ると、そこには既にクルトの姿があった。
ここで捕まったらみっちりダンスの練習をさせられるに違いない。慌てて回れ右しようとしたわたしの背後から、クルトの声が掛かる。
「お前、ヴェルナーさんの絵を見たいって言ってたよな」
予想していなかった言葉に、わたしは足を止めて振り向く。
「言いましたけど……絵がどうかしたんですか?」
「ひとつ思い出したことがある」
クルトはちらりとこちらの様子を窺うように続ける。
「今回のパーティの主催者であるランデル家の当主だが……俺の思い違いじゃなければ、彼が所有しているはずなんだ。ヴェルナーさんの描いた肖像画を」
「え?」
「もしかしたら頼めば見せてもらえるかもしれない。けど、ダンスもろくに踊れないと知られたら、どう思われるか――」
「今すぐダンスの練習をしましょう。おかしな所があったら遠慮せず指摘してくださいね」
わたしは持っていた荷物をソファに放り出すと、いそいそとクルトの前に進み出た。
「同室の彼と喧嘩でもしたのかい?」
その言葉にわたしは一瞬手を止めるが、すぐにまた動かし始める。
「そういうわけじゃ、ないですけど……」
「でも、ここのところ毎日この部屋で過ごしてるじゃないか。それも就寝時間ぎりぎりまで」
「す、すみません。やっぱり迷惑ですよね……」
申し訳なく思っていると、アルベルトは首を横に振る。
「ああ、いや、それは別に構わないんだけど……ただ、そこまでルームメイトと揉めてるのなら、ちょっと問題だと思って。合わない相手と同じ部屋で暮らすっていうのは、やっぱりどこかに負担が掛かるものだろうし」
「そ、そんな大袈裟な事じゃないんです。実は最近ウインナ・ワルツの練習をしていて……それで、クルトに相手をしてもらったんですけど……」
「ははあ。それでしごかれたんだな。発表会の芝居のときみたいに」
「違うんです。逆なんです」
わたしは首を振る。
「その……詳しい事情は省きますけど、ダンスを始めることになった発端というか、原因がクルトにもあって……あの人、どうもそれを気にしてるみたいなんですよ」
あれから自室でもダンスの練習をしたのだが、クルトは今回の件で自分が失言をしたという意識があるからなのか、わたしがどれだけ足を踏んでも怒ったり、文句を言ったりしない。ただ溜息をついて「もう一度」と、最初から踊り直すのだ。
簡単な説明を聞いたアルベルトは頷く。
「なるほどね。調子が狂うってことか。それで失敗したら萎縮して、ますます上手く踊れなくなると」
「そうなんです。やりづらいことこの上なくて」
そんなことが毎日続いてはたまらないと、放課後はこうしてアルベルトの部屋に逃げ込んでいる。
「それなら『もう気にしてない』って伝えたら良いのに。それとも、君はまだ根に持ってるの?」
「そういうわけじゃなくて……いつも通りのクルトに戻ったら、今度はわたしがダンスでへまするたびに、がみがみ言われるに決まってます。それはそれで嫌なんですよ……」
「うーん、難しいな。気持ちはわからないでもないけど」
アルベルトは苦笑する。
「そうだ。アルベルト、よかったら少し練習に付き合って貰えませんか? パートナーが変わればうまく踊れるかも」
「え、ええと、悪いけどオレは……」
焦ったように目を逸らすアルベルトを見て、わたしは首を傾げる。
「もしかして、アルベルトもダンスが苦手なんですか?」
「踊れないってわけじゃないんだけど……むかし、姉の練習に散々付き合わされてね。それ以来どうも抵抗があって……」
「それなら、この機会に克服……」
「無理無理。勘弁してくれよ」
遮られるように拒否されてしまった。どうやら相当嫌な思い出があるらしい。
アルベルトもダンスで苦労したみたいだ。さすがにこの様子を見ては、無理に付き合わせるのは気の毒だ。
それ以上触れて欲しくなかったのか、アルベルトは軽く咳払いして話題を変える。
「それにしても、君も飽きないな。毎日オレの顔なんか描いて。もしかして画家を目指してるとか?」
彼の視線がわたしの持つスケッチブックに向けられるのを感じる。
ここ数日、アルベルトの部屋で過ごすついでに、似顔絵のモデルになってもらっているのだ。
「画家だなんて、そんな大それたものじゃなくて……」
鉛筆を動かしながら、答える声が小さくなる。
「実は、描きたいものがあるんですけど……でも、今のままじゃ圧倒的に実力が足りないっていうのが、自分でもわかるんです。だから、少しでも上達できたらいいなと思って。かといって、クルトにモデルを頼めば、出来上がった絵を見て『へたくそ』だとか言うのは目に見えてるし……」
「それでオレを練習台に選んだってわけか」
「い、いえ、練習台だなんてそんな……」
わたしは慌てて弁解する。
「アルベルトの髪が綺麗で、目が印象的だから、是非描かせて欲しかったんですよ。それに、守護天使が良くて、オーラも並じゃないし」
「前半はともかく、後半は褒められてるのかな……? でも、まあ、光栄ですと言っておくよ」
真に受けてはいない様子でアルベルトは笑った。
「なんにせよ、いつか満足できるものが描けるといいね」
うーん……アルベルトって良い人だ。やっぱり彼にモデルをお願いして良かった。
でも――と、わたしはスケッチブックを見下ろす。
いくらアルベルトが良い人でも、全然似てない似顔絵を見せるのは、やっぱり勇気がいる。
それからも、日曜日にはロザリンデさんを交えてダンスの練習は続いた。
何時間かの特訓の末、なんとかステップは覚えたものの、いざクルトを相手に踊るとなると、どこかしら失敗してしまう。
「今は踊れなくても構わない。けど、パーティではくれぐれもねえさまの顔に泥を塗るような事はしないでくれ。頼むから」
珍しくクルトから懇願された。けれど、そんなふうに言われたら、失敗してはいけないと余計意識してしまって、うまく踊れなくなるのだ。
それからも、練習しなければとわかってはいても、授業が終われば極力クルトと顔を合わせないよう、アルベルトの部屋に逃げ込むという事を繰り返した。
そんなある日の放課後、いつものようにさっさと避難するために荷物を置いてこようと自室に戻ると、そこには既にクルトの姿があった。
ここで捕まったらみっちりダンスの練習をさせられるに違いない。慌てて回れ右しようとしたわたしの背後から、クルトの声が掛かる。
「お前、ヴェルナーさんの絵を見たいって言ってたよな」
予想していなかった言葉に、わたしは足を止めて振り向く。
「言いましたけど……絵がどうかしたんですか?」
「ひとつ思い出したことがある」
クルトはちらりとこちらの様子を窺うように続ける。
「今回のパーティの主催者であるランデル家の当主だが……俺の思い違いじゃなければ、彼が所有しているはずなんだ。ヴェルナーさんの描いた肖像画を」
「え?」
「もしかしたら頼めば見せてもらえるかもしれない。けど、ダンスもろくに踊れないと知られたら、どう思われるか――」
「今すぐダンスの練習をしましょう。おかしな所があったら遠慮せず指摘してくださいね」
わたしは持っていた荷物をソファに放り出すと、いそいそとクルトの前に進み出た。
0
お気に入りに追加
175
あなたにおすすめの小説

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
【完結】捨ててください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。
でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。
分かっている。
貴方は私の事を愛していない。
私は貴方の側にいるだけで良かったのに。
貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。
もういいの。
ありがとう貴方。
もう私の事は、、、
捨ててください。
続編投稿しました。
初回完結6月25日
第2回目完結7月18日

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ダブルの謎
KT
ミステリー
舞台は、港町横浜。ある1人の男が水死した状態で見つかった。しかし、その水死したはずの男を捜査1課刑事の正行は、目撃してしまう。ついに事件は誰も予想がつかない状況に発展していく。真犯人は一体誰で、何のために、、 読み出したら止まらない、迫力満点短編ミステリー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる