96 / 145
7月と円舞曲
7月と円舞曲 6
しおりを挟む
「え?」
歌う? わたしが?
戸惑っているうちに、クルトの演奏が始まったので、釣られるようにわたしは歌いだす。
ロンドン橋 おちる おちる おちる――
そうして最後まで歌い終えると、クルトが意外そうな顔をこちらに向ける。
「お前、歌はまあまあだな」
「ほんとですか? もしかして歌手に向いてたりして。ディーヴァと呼んでくれても構いませんよ」
「そこまで言ってない。調子に乗りすぎだ」
「即否定しなくても良いじゃないですか。これがきっかけで歌の才能が花開くかもしれないというのに。わたしは褒められて伸びるタイプなんですよ」
「へえ、それじゃあ、褒めればダンスもすぐに踊れるようになるんだな?」
「え? ええと、それは……」
まずい。余計な事を言ってしまった。
どう答えようかと思っていると、部屋のドアが開き、フレデリーケさんに車椅子を押されたロザリンデさんが部屋に入ってきた。助かった。
その途端、クルトがわたしの手から先ほどの花束をさっと取り上げると、ロザリンデさんに近寄ってそれを差し出す。
「これ、ねえさまにと思って貰ってきた」
「まあ、ありがとう。綺麗ねえ」
受け取ったロザリンデさんは顔を綻ばせ、香りを楽しむように深く息を吸い込む。
クルトはなんだか満足気だ。棘が全部取り除いてあったのも、お姉さんに渡すためだったんだろう。なんともまめだ。
わたしは控えめにクルトの袖を引っ張る。
「ねえクルト、わたしには?」
「うん? バラは食べられないぞ?」
「失敬な。まるでわたしが食べ物以外に興味が無いような言い方はやめてください」
「違うのか?」
二人のやり取りを聞いていたロザリンデさんが手招きする。
「ユーリちゃん、こっちにいらっしゃい」
その言葉に従いロザリンデさんの傍に行くと、彼女は一本のバラの茎を短く折る。
「少しの間じっとしていてね」
そう言いながらバラの花をわたしの髪に飾ってくれた。
「さあ、これでいいわ。せっかく踊るんだから、こうしたほうが少しは気分が出るでしょう?」
「わあ、ありがとうございます」
その存在を確かめるように、そっと頭に手をやると、滑らかな花びらの感触がした。
こういうのって、なんだか女の子って感じがする。
どこかに鏡はないかと探していると、クルトがこちらをじっと見ていたので
「どうですか? これ、似合ってますか? 」
と聞くと
「……ねえさまのために持ってきたバラなのに……」
がっかりしたように呟かれた。
その日の夜、踊り疲れてくたくたになった身体を休めるために、さっさと寝床に潜り込もうと寝支度を整える。髪を結んでいたリボンを解き、ベッドに腰掛けたところで、クルトが目の前に立った。
「何か大事なことを忘れてないか?」
「え?」
なんだろう。何かあったっけ?
必死に考え込んでいると、その様子を見ていたクルトが呆れたように溜息を漏らす。
「やっぱり忘れてたんだな……」
「ええと、何でしたっけ?」
「ねえさまから受け取っただろう? ブラシを」
「……ああ!」
その言葉で思い出した。
帰り際、ロザリンデさんにヘアブラシを渡されながら言われたのだ。
「ユーリちゃん。今日からパーティの日まで、これで朝晩50回ずつブラッシングしてね」
そうする事で髪がきれいになるとかなんとか、だいたいそんな事を聞いたような気がする。
でも、足も痛いし今日はもう眠りたい。一日くらいさぼっても、あんまり変わらないだろう。
「明日からやります」
そう言って身体を横たえようとしたが、クルトは納得しなかった。
「そう言ってどんどん先延ばしにするつもりだろう? ねえさまは『今日から』と言ったし、お前もそれを了承したはずだ。それを初日から守らないでどうするんだ」
「今日だけ見逃してください。わたし、もう眠くて……」
「だめだ。少し我慢すればすぐ終わる」
お姉さんが絡んでいるからか、クルトは諦めそうにない。そういう時の彼が面倒くさいということも経験済みだ。
これは大人しく従ったほうが早いと、わたしはしぶしぶブラシを取り出し、自分の髪にあてる。
そうしてブラッシングする様子を、クルトは監視でもするようにじっと見つめてくる。
うう、落ち着かない……
それにしても、ややこしいダンスを覚えさせられたり、こうしてブラッシングさせられたり、パーティって思っていたより厄介だ。美味しいものが食べられるかも、なんて軽い気持ちでいたのは間違っていたんだろうか……
そんな事を考えていたら、何回ブラッシングしたのかわからなくなってしまった。30回? いや40回? ……もう面倒くさいから50回したことにしよう。
そう思ってブラシを離すと、クルトの声が飛んできた。
「おい、まだ39回目じゃないか。あと11回はどこへいったんだ」
その言葉にわたしは手を止める。
「……わざわざ数えてたんですか?」
「お前が誤魔化すんじゃないかと思って。まさかとは思ったけど、本当にやるとは……」
「ち、違いますよ。今のはちょっと考え事をしていて、何回目かわからなくなっただけで……」
「ふうん。それなら俺が代わりに数えてやるから、これからは思う存分考え事をしながらブラッシングするといい」
それって、これから毎日こんなふうに監視されるって事なのかな……やりづらいなあ……
ふたたび髪にブラシをあてながら、わたしはこっそり溜息を漏らした。
歌う? わたしが?
戸惑っているうちに、クルトの演奏が始まったので、釣られるようにわたしは歌いだす。
ロンドン橋 おちる おちる おちる――
そうして最後まで歌い終えると、クルトが意外そうな顔をこちらに向ける。
「お前、歌はまあまあだな」
「ほんとですか? もしかして歌手に向いてたりして。ディーヴァと呼んでくれても構いませんよ」
「そこまで言ってない。調子に乗りすぎだ」
「即否定しなくても良いじゃないですか。これがきっかけで歌の才能が花開くかもしれないというのに。わたしは褒められて伸びるタイプなんですよ」
「へえ、それじゃあ、褒めればダンスもすぐに踊れるようになるんだな?」
「え? ええと、それは……」
まずい。余計な事を言ってしまった。
どう答えようかと思っていると、部屋のドアが開き、フレデリーケさんに車椅子を押されたロザリンデさんが部屋に入ってきた。助かった。
その途端、クルトがわたしの手から先ほどの花束をさっと取り上げると、ロザリンデさんに近寄ってそれを差し出す。
「これ、ねえさまにと思って貰ってきた」
「まあ、ありがとう。綺麗ねえ」
受け取ったロザリンデさんは顔を綻ばせ、香りを楽しむように深く息を吸い込む。
クルトはなんだか満足気だ。棘が全部取り除いてあったのも、お姉さんに渡すためだったんだろう。なんともまめだ。
わたしは控えめにクルトの袖を引っ張る。
「ねえクルト、わたしには?」
「うん? バラは食べられないぞ?」
「失敬な。まるでわたしが食べ物以外に興味が無いような言い方はやめてください」
「違うのか?」
二人のやり取りを聞いていたロザリンデさんが手招きする。
「ユーリちゃん、こっちにいらっしゃい」
その言葉に従いロザリンデさんの傍に行くと、彼女は一本のバラの茎を短く折る。
「少しの間じっとしていてね」
そう言いながらバラの花をわたしの髪に飾ってくれた。
「さあ、これでいいわ。せっかく踊るんだから、こうしたほうが少しは気分が出るでしょう?」
「わあ、ありがとうございます」
その存在を確かめるように、そっと頭に手をやると、滑らかな花びらの感触がした。
こういうのって、なんだか女の子って感じがする。
どこかに鏡はないかと探していると、クルトがこちらをじっと見ていたので
「どうですか? これ、似合ってますか? 」
と聞くと
「……ねえさまのために持ってきたバラなのに……」
がっかりしたように呟かれた。
その日の夜、踊り疲れてくたくたになった身体を休めるために、さっさと寝床に潜り込もうと寝支度を整える。髪を結んでいたリボンを解き、ベッドに腰掛けたところで、クルトが目の前に立った。
「何か大事なことを忘れてないか?」
「え?」
なんだろう。何かあったっけ?
必死に考え込んでいると、その様子を見ていたクルトが呆れたように溜息を漏らす。
「やっぱり忘れてたんだな……」
「ええと、何でしたっけ?」
「ねえさまから受け取っただろう? ブラシを」
「……ああ!」
その言葉で思い出した。
帰り際、ロザリンデさんにヘアブラシを渡されながら言われたのだ。
「ユーリちゃん。今日からパーティの日まで、これで朝晩50回ずつブラッシングしてね」
そうする事で髪がきれいになるとかなんとか、だいたいそんな事を聞いたような気がする。
でも、足も痛いし今日はもう眠りたい。一日くらいさぼっても、あんまり変わらないだろう。
「明日からやります」
そう言って身体を横たえようとしたが、クルトは納得しなかった。
「そう言ってどんどん先延ばしにするつもりだろう? ねえさまは『今日から』と言ったし、お前もそれを了承したはずだ。それを初日から守らないでどうするんだ」
「今日だけ見逃してください。わたし、もう眠くて……」
「だめだ。少し我慢すればすぐ終わる」
お姉さんが絡んでいるからか、クルトは諦めそうにない。そういう時の彼が面倒くさいということも経験済みだ。
これは大人しく従ったほうが早いと、わたしはしぶしぶブラシを取り出し、自分の髪にあてる。
そうしてブラッシングする様子を、クルトは監視でもするようにじっと見つめてくる。
うう、落ち着かない……
それにしても、ややこしいダンスを覚えさせられたり、こうしてブラッシングさせられたり、パーティって思っていたより厄介だ。美味しいものが食べられるかも、なんて軽い気持ちでいたのは間違っていたんだろうか……
そんな事を考えていたら、何回ブラッシングしたのかわからなくなってしまった。30回? いや40回? ……もう面倒くさいから50回したことにしよう。
そう思ってブラシを離すと、クルトの声が飛んできた。
「おい、まだ39回目じゃないか。あと11回はどこへいったんだ」
その言葉にわたしは手を止める。
「……わざわざ数えてたんですか?」
「お前が誤魔化すんじゃないかと思って。まさかとは思ったけど、本当にやるとは……」
「ち、違いますよ。今のはちょっと考え事をしていて、何回目かわからなくなっただけで……」
「ふうん。それなら俺が代わりに数えてやるから、これからは思う存分考え事をしながらブラッシングするといい」
それって、これから毎日こんなふうに監視されるって事なのかな……やりづらいなあ……
ふたたび髪にブラシをあてながら、わたしはこっそり溜息を漏らした。
0
お気に入りに追加
175
あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!
ペトラ
恋愛
ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。
戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。
前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。
悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。
他サイトに連載中の話の改訂版になります。
ヘリオポリスー九柱の神々ー
soltydog369
ミステリー
古代エジプト
名君オシリスが治めるその国は長らく平和な日々が続いていた——。
しかし「ある事件」によってその均衡は突如崩れた。
突如奪われた王の命。
取り残された兄弟は父の無念を晴らすべく熾烈な争いに身を投じていく。
それぞれの思いが交錯する中、2人が選ぶ未来とは——。
バトル×ミステリー
新感覚叙事詩、2人の復讐劇が幕を開ける。
【朗読の部屋】from 凛音
キルト
ミステリー
凛音の部屋へようこそ♪
眠れない貴方の為に毎晩、ちょっとした話を朗読するよ。
クスッやドキッを貴方へ。
youtubeにてフルボイス版も公開中です♪
https://www.youtube.com/watch?v=mtY1fq0sPDY&list=PLcNss9P7EyCSKS4-UdS-um1mSk1IJRLQ3
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる