7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と赤い果実

7月と赤い果実 2

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 夕方、デッサンを終えて軽く講評を受けた後、パンの耳を集めてストーブで炙る。
 以前にヴェルナーさんが言っていた美味しいパンの耳の食べ方だ。お腹がへっても手を出すのを我慢していたのもこのためだったのだ。


「今日はジャムを持ってきたんですよ。パンの耳につけたら美味しいと思って」


 わたしはアルベルトから貰ったジャムの瓶を取り出した。
 スプーンを借りると、程よく焼けたパンの耳にたっぷりと真紅のジャムを乗せてヴェルナーさんに差し出す。


「どうぞ」

「……君が先に食べるといい」

「それだとわたしの手が塞がってジャムが塗れなくなります」

「……いや、自分の分は自分でできる」

「あ、ほら、そんな事言ってる間に他のパンの耳が焦げますよ。早く早く!」


 そう急かすとヴェルナーさんは躊躇いがちにわたしの手からパンの耳を受け取った。彼はそれを口元へと運び、一口齧る。
 かと思った次の瞬間、彼は口元を手で覆うと、背を丸め、激しく咳き込み始めた。
 その尋常でない様子にわたしは慌てた。


「だ、大丈夫ですか!?」


 おろおろしながらも声を掛けると、それに応えるようにヴェルナーさんが片手を上げる。
 暫く咳き込んだ後。やっと落ち着いたのか、彼は深く息を吐いて、齧りかけのパンの耳を見つめる。


「……このジャムは一体……」

「ジャム……?」


 彼の言葉を聞いたわたしはスプーンでジャムを掬うと、顔を近づけてまじまじと見つめる。見た目には特に変わったところは無い。
 もしかして傷んでいたとか……? だとしても、ヴェルナーさんのあの反応はよっぽどだ。
 暫くスプーンを見つめた後、今度は鼻を近づけてみる。
 うーん……よくわからない。
 隣でヴェルナーさんが何か言いかけたような気がしたが、それより早くわたしはスプーンを口に含んでいた。
 その途端、鼻に抜けるような刺激が走る。直後にじゃりじゃりとした食感と共に強烈な塩気とジャムの甘さ、それにスパイスのようなものが混ざった変な味が口の中に広がって、思わず吐き出しそうになる。
 それを堪えてなんとか飲み下したものの、わたしもまた激しく咳き込んでしまった。
 その様子を見たヴェルナーさんが水を持ってきてくれたので、受け取るとコップに口をつける。冷たい水と共に口の中に残った奇妙な味が洗い流されていって、わたしは大きく息を吐き出した。



「すみません、まさかあんなにひどい味だとは思わなくて……」


 謝りながらお皿に盛られたパンの耳をひとつ取って齧る。
 こうして炙られただけのものだっておいしくないわけではない。わけではないが、ジャムを楽しみにしていただけに残念な気持ちが勝る。


「気にする事はない。君だって知らなかったんだろう?」


 ヴェルナーさんはそう言ってくれるが、自分だけならともかく、彼にもあんな変なものを食べさせてしまったのだ。やっぱり申し訳ない。
 肩を落としていると、この家で飼われている白猫が足元に擦り寄ってきたので抱き上げる。
 ああ、ヤーデはかわいいなあ……
 まずいものを食べた後の嫌な気分を小動物を愛でることで癒されたい。そう思って撫で回していると、ヤーデは嫌がるように身体を捻らせてわたしの膝から逃げてしまった。
 やりすぎてしまったみたいだ。癒しであるはずの小動物にも逃げられ、このやるせない気持ちをどうしたらいいのか。思わず溜息が漏れる。


「……少し早いが今日はここまでにしようか。学校まで送ろう」


 ヴェルナーさんの言葉に我に返った。


「いえ、そんな、ひとりで帰れるので大丈夫です。もう頭の傷も治りましたし」


 そう言って断ろうとすると、ヴェルナーさんが何か考え込むように頬に手をあてる。


「いや、俺も寄りたい場所があって……すまないが少し付き合って貰えないか?」





 アトリエを出て、ヴェルナーさんに付いて行くと、食堂へ向かうときにいつも通る市場へと出た。昼時は賑やかな一帯も、この時間ともなればちらほらと店じまいの支度を始めている。
 ヴェルナーさんはその中を歩きながら、何かを探すように辺りを見回す。
 やがてある一点に目を留めたかと思うと


「少しここで待っていてくれ」


 絶対に動かないようにと言い置いて、ひとつの屋台に近づいていった。
 暫くして戻ってきた彼の両手には、ひとつずつ何かが握られている。


「まだ店が開いていてよかった」


 彼はそのうちのひとつをわたしに差し出す。
 それは夕日を反射して輝くリンゴ飴だった。


「……好きだろう? リンゴ飴」

「えっ?」

「以前にここではぐれた時に食べていたから」

「確かに好きですけど……あの、念のために言っておきますけど、あの時リンゴ飴を食べていたのは、長時間はぐれたままの可能性のために体力を温存しておこうと思ったからであって、食べたい気持ちをどうしても我慢できなかったとかいうわけじゃないですよ?」

「……そうなのか? 俺はてっきり……」

「ち、違いますから!」

「いや、冗談だ」


 ほんとに冗談なのかな……
 ともあれ、リンゴ飴はありがたく受け取る。
 手にしたそれを齧りながら二人並んで歩く。
 もしかして「寄りたい場所」ってここだったんだろうか……? そんなにあのジャムがますかった? だから口直しのつもりでリンゴ飴を……?
 でも、それだけの理由だったら、わざわざここに寄ってわたしの好物だと思うものを選んだりなんて面倒くさいことはしないはずだ。となると、彼がこんな事をした理由は……


「あの、ヴェルナーさん、わたし、そんなに落ち込んでるように見えました……?」


 ヴェルナーさんはリンゴ飴を一口齧る。


「……がっかりしているようには見えた」 


 やっぱり。あのジャムを食べた後のわたしの様子を見て、このリンゴ飴を買ってくれたのだ。
 うーん、気を遣わせてしまった……
 元はといえばあのジャムを持ってきたのはわたしであるし、むしろこちらこそ変なものを食べさせたお詫びとして、何かご馳走するべきだったのではなかろうか。
 そんな事を考えていると、ヴェルナーさんが何かを思い出したように口を開いた。


「そういえば、君は見つけられたんだろうか?」

「何をですか?」

「……リンゴの角」

「え? ええと、それは……」


 思わず言葉に詰まるが、誤魔化しても仕方がない。絵を描けばすぐにばれてしまうのだと思い正直に打ち明けることにする。


「実は、まだよくわからなくて……」

「そうか……」


 わたしは慌てて弁解する。


「あ、でも、ほら、角がわからないのはリンゴにも原因があると思うんですよ。意外と複雑な色合いだったりして陰影がわかりづらいし……」

「確かに、色のついているモチーフを白黒のデッサンに落とし込むのは、難しいと言えば難しいが……」

「そうですよね! たとえばリンゴが真っ白だったりすれば、わたしにも角がわかると思うんですよね。いやー、残念だなー。白いリンゴがあればなー」

「白いリンゴか……」


 ヴェルナーさんは呟くと、齧りかけのリンゴ飴を見つめながら、何かを考え込むように頬に手をあてた。
 まさか、ほんとにあるのかな。白いリンゴ……
 もしもそんなものが存在するとして「これで角がわかるだろう?」だとか言いながらヴェルナーさんがそれを持ってきたらどうしよう。あんな事を言った手前「やっぱり無理です」と口にするのは難しい。 
 いや、でも……とわたしは思い直す。
 実際に目にすれば、案外すんなりと角を見つけられる可能性だってあるじゃないか。
 それに、気になる事もある。白いリンゴは一体どんな味なのか。
 期待と不安の入り混じった気持ちで、わたしは目の前のリンゴ飴を齧った。

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