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7月と瞳を開く女性画
7月と瞳を開く女性画 5
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次に気が付いたとき、わたしはベッドに横たわっていた。
清潔な白いシーツと同じような白い部屋。同じく真っ白なカーテンの隙間からは柔らかな光が差し込んでいる。消毒薬のようなにおいからして、どうやら病院の一室のようだ。
視線を巡らすと、ベッドの横にヴェルナーさんがいた。椅子に腰掛けてじっとこちらを見つめている。わたしが目を覚ました事もわからないみたいだ。病室にはわたしたちふたりの他には誰もいなかった。
「……ヴェルナーさん」
声を掛けると、ヴェルナーさんははっとしたように瞬きした。
「気が付いたか……俺の顔はわかるか?」
なんだか変な問いかけだと思ったが、わたしは素直に頷く。その途端、後頭部にずきりと痛みが走る。
反射的に頭に手をやると、包帯が巻かれているのがわかった。
「君はテーブルで頭を打って……その時に少し切ってしまったようだ。医者の話ではたいした事は無いそうだが……どこか痛いところは?」
「……少し頭が痛いですけど、でも大丈夫です」
答えながらゆっくりと身体を起こす。
そうだ、自分はあの時何かに頭をぶつけて気を失って……
そこまで考えてはっとする。
「ヴェルナーさん、あの人はどうなったんですか!? あの後、酷いことされませんでしたか!?」
「ああ……俺が君を介抱している間に、ディルクは絵を持ってどこかに行ってしまった」
ヴェルナーさんがあの人――ディルクから暴力を受ける事はなかったみたいだ。よかった。
「すまない。俺が彼をアトリエに招き入れたりしなければ……」
わたしは慌てて胸の前で両手を振る。
「いえ、元はといえば、わたしが余計な口を出したのがいけなかったんです。ヴェルナーさんだって、あの人の事、苦手だったみたいなのに……それに、わたしが何も考えずにあの人を逆上させるような事を言ったのも確かです。もっと言葉を選ぶべきでした」
「……あの絵が別人の描いたものだったとは。確かに、あの絵は俺が覚えている彼の絵とは大きく印象が違っていたが、それは彼が画風を変えたものかと思っていた」
「それだけじゃありません」
どういう事かというようにヴェルナーさんがこちらを見る。
「たぶん、あの絵は盗品です」
「……まさか」
「盗品だという事を誤魔化すためにも絵の一部だけを切り出す事はよくありますよね。特にあの絵は木製のパネルに描かれたものだったし、それも容易だったんじゃないでしょうか。あの人はこれまでにも何度か同じような事をしてきたんでしょう。それをわたしに気付かれたと思ってあんな事を……」
「あの時、君が言いかけたのはそれだったのか。だが、なぜ彼は盗品を自分が描いたものだと偽ったのか。サイズを変えるなんて細工までしたのならば、そのまま本来の画家の描いたものとして売れば良いだろうに」
「それは……ええと、わたしの知り合いのこどもの話なんですが……」
唐突に無関係に思える話をしだしたわたしに対して、ヴェルナーさんは口を挟むことなく見つめる。
「その子は――たとえば皆で工作なんかして、誰かが自分より出来のいいものを作ったとすると、それを取り上げて自分のものにしてしまうんです。自分が作ったんだって言い張って。優れたものを自分が作ったと言えば皆が褒めてくれる、そう思ってそんな事をするんです……ええと、何が言いたいかというと、あの人もその子と同じ、自己顕示欲や承認欲求が人一倍強いんじゃないかと思うんです。他人のものを自分のものだと偽ってまで、周囲の人に認められたい、賞賛を得たいと思っているんじゃないでしょうか」
孤児院にいたきょうだいのひとりとディルクの姿が重なった。
「でも、そんな事ばかりしていれば、そのうち自分では努力しなくなりますよね。どうせ誰かが良い物を作ってくれるんだからなんて考えて……あの人もたぶん、そうしているうちに、画力が落ちてしまったんじゃないかと思うんです。でなければ、わざわざここまであの絵を持ってきたりしないでしょう。だって、まがりなりにもあの人は画家なんですから、絵の中の女性の目が開いたとしても、その上から自分で修正すればいいはずです。おそらく、今のあの人の実力ではそれも難しいんでしょう」
そうまでしてしがみついているなんて、画家という職業がそんなにも魅力的なんだろうか?
ヴェルナーさんはわたしの話を聞き終えて、何か考え込むように頬に手をあてると
「自己顕示に承認欲求か……なるほど、納得がいくような気がする」
そう呟いて顔を上げた。
「俺が絵を描けなくなった理由を、君は知っているだろう?」
急にそんな話を始めたヴェルナーさんに戸惑いながらもわたしは頷く。
「ええ、確か事故で頭を打って……あ、でも表向きは利き腕を傷めたことになっているんですよね」
「そう、そういうことになっている。だが、事故というのは違う……これは今まで誰にも話した事はなかったんだが……俺は三年前、彼に――ディルクに高所から突き落とされたんだ」
清潔な白いシーツと同じような白い部屋。同じく真っ白なカーテンの隙間からは柔らかな光が差し込んでいる。消毒薬のようなにおいからして、どうやら病院の一室のようだ。
視線を巡らすと、ベッドの横にヴェルナーさんがいた。椅子に腰掛けてじっとこちらを見つめている。わたしが目を覚ました事もわからないみたいだ。病室にはわたしたちふたりの他には誰もいなかった。
「……ヴェルナーさん」
声を掛けると、ヴェルナーさんははっとしたように瞬きした。
「気が付いたか……俺の顔はわかるか?」
なんだか変な問いかけだと思ったが、わたしは素直に頷く。その途端、後頭部にずきりと痛みが走る。
反射的に頭に手をやると、包帯が巻かれているのがわかった。
「君はテーブルで頭を打って……その時に少し切ってしまったようだ。医者の話ではたいした事は無いそうだが……どこか痛いところは?」
「……少し頭が痛いですけど、でも大丈夫です」
答えながらゆっくりと身体を起こす。
そうだ、自分はあの時何かに頭をぶつけて気を失って……
そこまで考えてはっとする。
「ヴェルナーさん、あの人はどうなったんですか!? あの後、酷いことされませんでしたか!?」
「ああ……俺が君を介抱している間に、ディルクは絵を持ってどこかに行ってしまった」
ヴェルナーさんがあの人――ディルクから暴力を受ける事はなかったみたいだ。よかった。
「すまない。俺が彼をアトリエに招き入れたりしなければ……」
わたしは慌てて胸の前で両手を振る。
「いえ、元はといえば、わたしが余計な口を出したのがいけなかったんです。ヴェルナーさんだって、あの人の事、苦手だったみたいなのに……それに、わたしが何も考えずにあの人を逆上させるような事を言ったのも確かです。もっと言葉を選ぶべきでした」
「……あの絵が別人の描いたものだったとは。確かに、あの絵は俺が覚えている彼の絵とは大きく印象が違っていたが、それは彼が画風を変えたものかと思っていた」
「それだけじゃありません」
どういう事かというようにヴェルナーさんがこちらを見る。
「たぶん、あの絵は盗品です」
「……まさか」
「盗品だという事を誤魔化すためにも絵の一部だけを切り出す事はよくありますよね。特にあの絵は木製のパネルに描かれたものだったし、それも容易だったんじゃないでしょうか。あの人はこれまでにも何度か同じような事をしてきたんでしょう。それをわたしに気付かれたと思ってあんな事を……」
「あの時、君が言いかけたのはそれだったのか。だが、なぜ彼は盗品を自分が描いたものだと偽ったのか。サイズを変えるなんて細工までしたのならば、そのまま本来の画家の描いたものとして売れば良いだろうに」
「それは……ええと、わたしの知り合いのこどもの話なんですが……」
唐突に無関係に思える話をしだしたわたしに対して、ヴェルナーさんは口を挟むことなく見つめる。
「その子は――たとえば皆で工作なんかして、誰かが自分より出来のいいものを作ったとすると、それを取り上げて自分のものにしてしまうんです。自分が作ったんだって言い張って。優れたものを自分が作ったと言えば皆が褒めてくれる、そう思ってそんな事をするんです……ええと、何が言いたいかというと、あの人もその子と同じ、自己顕示欲や承認欲求が人一倍強いんじゃないかと思うんです。他人のものを自分のものだと偽ってまで、周囲の人に認められたい、賞賛を得たいと思っているんじゃないでしょうか」
孤児院にいたきょうだいのひとりとディルクの姿が重なった。
「でも、そんな事ばかりしていれば、そのうち自分では努力しなくなりますよね。どうせ誰かが良い物を作ってくれるんだからなんて考えて……あの人もたぶん、そうしているうちに、画力が落ちてしまったんじゃないかと思うんです。でなければ、わざわざここまであの絵を持ってきたりしないでしょう。だって、まがりなりにもあの人は画家なんですから、絵の中の女性の目が開いたとしても、その上から自分で修正すればいいはずです。おそらく、今のあの人の実力ではそれも難しいんでしょう」
そうまでしてしがみついているなんて、画家という職業がそんなにも魅力的なんだろうか?
ヴェルナーさんはわたしの話を聞き終えて、何か考え込むように頬に手をあてると
「自己顕示に承認欲求か……なるほど、納得がいくような気がする」
そう呟いて顔を上げた。
「俺が絵を描けなくなった理由を、君は知っているだろう?」
急にそんな話を始めたヴェルナーさんに戸惑いながらもわたしは頷く。
「ええ、確か事故で頭を打って……あ、でも表向きは利き腕を傷めたことになっているんですよね」
「そう、そういうことになっている。だが、事故というのは違う……これは今まで誰にも話した事はなかったんだが……俺は三年前、彼に――ディルクに高所から突き落とされたんだ」
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