7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月とクリスマス

7月とクリスマス 2

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 日曜日。ヴェルナーさんのアトリエでわたしは何度目かの溜息をついた。気が付くと、手が止まりがちになり、静物を描いたはずのデッサンは、形や質感がどこかぼやけている。前よりは上達しているんだろうか。よくわからない。


「調子が上がらないのなら、今日はもうやめておこうか」


 溜息が聞こえていたのか、ヴェルナーさんがわたしの隣に来る。


「あ、いえ、そうじゃないんです。ちょっとぼうっとしていて……すみません」


 否定するように慌てて胸の前で両手を振ると、手の中から木炭がすっぽ抜けてしまった。


「どちらにしろ集中できていないようだ。ちょうどいい頃合だし、休憩がてら昼食にしよう」


 木炭を拾い上げながらヴェルナーさんが言ったので、大人しく従うことにした。


 アトリエから出た瞬間、冷たい風が吹き抜けるが、厚着した上にコートを羽織っていた為か、そんなに寒さは感じられなかった。
 先日届けられたコートはありがたく使わせて貰っているが、見た目通り暖かくて重宝している。冬なのに外でもこんなに快適に過ごせるなんて、相当上等なものなんだろう。
 賑やかな通りを暫く歩くと、クリスマスが迫っているからか、いつもと様子の違う露店が立ち並び、どの店も華やかに飾り付けされていた。道行く人々もなんだか浮かれているように見える。


「……あのう、マッチ、いりませんか?」


 突然のか細い声に振り向くと、小さな女の子が立っていた。たくさんのマッチ箱の詰まった籠を持ち、その中のひとつをわたし達に差し出している。
 この寒空の下、厚手のシャツにスカートだけという格好で、見ているだけで寒々しい。
 わたしは孤児院にいた頃を思い出した。
 今でこそこんな暖かな格好をしているが、去年までの自分は、この少女と同じように冬の寒さに身を縮めていたのだ。
 ふと、幼い妹たちの面影と目の前の少女が重なり、わたしは反射的に「ひとつ、ください」と声を上げていた。 

 お金を払いマッチを受け取る。
 するとヴェルナーさんも


「俺にも貰えないか」
 

 そう言って硬貨を少女に渡した。


 行きつけの食堂で、テーブルに付いてからも、ヴェルナーさんは手にしたマッチ箱を見つめていた。
 どうしてそんなに熱心に眺めているんだろう? 何の変哲も無いマッチに見えるけれど……?
 不思議そうにしているわたしの様子を感じ取ったのか、ヴェルナーさんが顔を上げる。


「俺も、昔似たような事をしていて……それを思い出していた」

「マッチを売ってたんですか?」


 その問いにヴェルナーさんは首を振る。


「少し違うが……道行く人に片っ端から声を掛けていた時期があったんだ。『あなたの似顔絵を描かせてくれないか』って。あの頃はモデルを雇う余裕もなかったし、手っ取り早く人物画の練習をするにはその方法が一番だと思っていたんだ」

「そんな事してたんですか……でも、急に似顔絵を描かせてほしいと言われても、戸惑う人も多かったんじゃありませんか?」

「確かにそうだな。だが、大抵の人間がモデルになってくれる方法があった」

「え、すごい。一体どんな?」

「相手の容姿を誉めるんだ。目が印象的だとか、髪が綺麗だとか。それが駄目なら守護天使が良いとか、オーラが並じゃないとか何でもいい。ただ、人間とは不思議なもので、他人からすれば魅力的な部分も、本人にとってはそうでない場合がある。稀にそんな人間に出くわして、逆に相手を激怒させてしまう事もあったが……どうせ知らない人間だし、その場限りしか接点がないのなら、どんなに俺の印象が悪くなっても構わないだろうと思って」


 なかなかすごい方法だ。彼にも画家として成功する前にはそんな苦労があったのか。
 感心していると、マッチ箱をポケットに仕舞ったヴェルナーさんが、改まったように口を開く。


「ところで、絵を描いているあいだ上の空だったようだが、どこか具合でも悪いのか?」


 彼の言うとおりだ。今日の自分は上の空だ。
 理由はわかっていた。「兄」のことだ。
 今日もアトリエを訪れた途端、兄のことを思い出して意識が散漫になってしまったのだ。でも、そんな事を正直に話せるわけも無かった。
 ヴェルナーさんからはわたしの表情はわからないはずなのに、その金色の瞳で見つめられると、全てを見透かされているようで、つい目を逸らしてしまう。


「……ええと、実はクリスマスの発表会でお芝居をする予定なんですが、その台詞がさっぱり覚えられなくて、それを考えて少し憂鬱だったんです。そのお芝居、全部フランス語なんですよ。もうちんぷんかんぷんで」


 わたしはとっさに嘘をついた。ある意味ではお芝居の件も憂鬱なのは事実だったが。


「……君なら簡単に覚えられるだろう? たとえ、フランス語だろうとも」

「そ、そんなことありませんよ! ヴェルナーさんはわたしにどんなイメージを抱いているんですか!」


 もしかして、成績優秀だとか思われているんだろうか。いや、まさかね……
 でも、もしもそうだとしたら、せっかくの知的なイメージを崩したくない。


「ま、まあ、本番までにはちゃんと覚えてみせますけど」


 発表会は生徒と職員しか見ることができない。それをいい事に適当なことを言ってみた。


「あ、そうだ。ヴェルナーさん」


 注文していた料理がテーブルに運ばれて来たので、わたしはパンを取り上げながら話題を変えた。


「午後からはデッサンじゃなくて、粘土で何か作らせてもらえませんか? なんだか今日は絵に集中できないみたいなので……」

「……そうだな。それも良いかもしれない。何か作りたいものは?」

「そうですね……ヤーデとかどうでしょう。かわいいし」


 わたしはアトリエで眠っているはずの白猫の事を思い浮かべた。
 ヴェルナーさんは何か考えるように頬に手を当てる。


「……初心者が作るには難易度が高い。最初はもっと単純なものの方が良いだろう」

「うう……やっぱりそうですか。それじゃあ、ヴェルナーさんは何が良いと思います?」

「……リンゴだ」


 またリンゴだ。最初にデッサンしたときもリンゴだった。リンゴって初心者が必ず通る道なんだろうか?


「わかりました。お昼ご飯を食べ終わったらリンゴを買って帰りましょう……そうだ、ヴェルナーさんも一緒に作りませんか?」


 いつも彼はわたしがデッサンしている様子を後ろから眺めている。それは、彼自身は絵を描く気が無いという意思の表れなのかもしれない。でも、絵ではなく彫刻なら。土でケーキを作ったように、粘土でなら、もしかして……
 そう思ってさりげなく誘ったつもりなのだが、ヴェルナーさんはスプーンを持つ手を止めた。


「俺は……」


 言いかけて言葉に詰まってしまったように黙り込む。その様子にわたしは焦ってしまった。


「ああ、いえ、無理にとは言いません! その……わたし、まだリンゴの角がよくわからなくて……お手本があると助かるなーと思っただけなので……」


 慌ててそう言うも、ヴェルナーさんは目を伏せてしまった。
 やっぱり、彼はもう自ら作品を作るつもりは無いんだろうか? 土で作ったケーキは、彼にとっては子供の遊びみたいなものだったんだろうか。
 それとも、この人もおにいちゃんみたいに……
 今日何度目かの溜息をつきそうになって、慌ててちぎったパンを口に放り込んだ。

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