7月は男子校の探偵少女

金時るるの

文字の大きさ
上 下
66 / 145
7月とクリスマス

7月とクリスマス 1

しおりを挟む
 あと一ヶ月ほどで今学期が終わる。このクラウス学園では、クリスマス前に全生徒の前で各クラスが歌や演劇なんかを発表する会があるらしい。それが終われば休暇が待っている。
 わたし達のクラスはお芝居をする事になった。それはいいが、なぜかわたしは劇中唯一の女性であるヒロイン役に選ばれてしまっていた。

 それってやっぱり、わたしが女性役を演じても違和感が無いくらい愛らしいっていう理由からかな? それなら選ばれても仕方が無いな。うん。

 しかしひとつ問題があった。


「こ、こんなの絶対覚えられない……」


 自室で台本とにらめっこしながら呟くと、同じように台本をぱらぱらとめくっていたクルトが顔を上げる。


「うちのメイドに告白したときは、あの痛々しい長台詞を覚えていたじゃないか。あれは本を参考にしたんだろう? どうしてそれができて、芝居の台本が覚えられないんだ」

「あれは公用語のドイツ語だったから覚えられたんです! でも、このお芝居はフランス語なんですよ!?」


 そうなのだ。担任のミエット先生がフランス語教師だからか、さして反対する者も無くフランス語劇を上演するという方向で決まってしまった。わたしはフランス語なんて大の苦手だというのに。


「それならどうして辞退しなかったんだ? 代わりに台詞の少ない端役でも回してもらえばよかったじゃないか」

「それは……役を決めるときにちょっと、うつらうつらしていて、よく聞いていなかったというか……」

「……自業自得だ。あきらめろ」

「うう……そういえば、クルトは何の役なんですか?」

「それも聞いてなかったとか、お前どれだけ寝てたんだよ……」


 クルトが呆れたように溜息をつく。


「俺は何の役でも無い。裏方だ」


 へえ。なんだか意外。クルトなら背も高いし、見た目も良くて舞台栄えしそうなのに。


「いいなあ……あの、ものは相談なんですが、わたしの役と取替え……」

「絶対に嫌だ! 俺はドレスなんか着たくない」


 言い捨てるとクルトは自分の台本に目を落とす。うーん、取り付く島も無い。
 こうなったら意味はわからなくても台詞を丸暗記するしかないのかな。面倒くさいなあ……


 ところが面倒くさいでは済みそうになかった。お芝居の練習がはじまって暫く経っても、わたしは台本の台詞をほとんど覚えることができていなかったのだ。


「違うよユーリ、その台詞は次の場面のだってば」


 級長のマリウスが少しいらいらしたように声を荒げる。マリウスはこのお芝居のまとめ役で、クラスメイトたちは皆彼の指示によって動く。
 今も教室の半分を使って練習しているのだが、先ほどからわたしが台詞を間違えてばかりでなかなか進まないのだ。
 

「す、すみません、すみません……」


 もうずっと謝りっぱなしだ。周りのクラスメイトたちもなんだか呆れているように見える。担任のミエット先生だけはにこにこしながら練習風景を眺めていた。
 居眠りしていて気付かなかったのだが、クルトによると、わたしをこの役に推薦したのはこのミエット先生らしいのだ。わたしのフランス語の成績が散々だと知っているはずなのにそんな事をするなんて……これを機にフランス語の勉強に力を入れろというメッセージなんだろうか。そう考えると、あの笑顔にも圧力を感じる。


「ユーリ、台詞! 次の台詞!」


 マリウスに促されて我に返るが、また台詞を思い出すことができずに謝るはめになった。

 練習が終わってから、申し訳なさそうな顔をしたマリウスが近づいてきた。


「ユーリ、さっきはうるさく言ってごめんね」

「わたしのほうこそすみません。全然台詞が覚えられなくて……一応自分の部屋でも練習してはいるんですが。このまま本番になっても覚えてなかったらどうしよう……」

「うーん、たしかに今のままだとちょっと不安だけど……でも、いざとなったらプロンプターがいるし、そんなに深刻にならなくても良いとは思うよ」

「プロンプターって?」

「あれ、役割を決めるときに説明したと思ったんだけど、覚えてない? 役者が台詞や動作を忘れたときに、舞台袖からこっそり教えてくれる人の事だよ。我がクラスのプロンプターは優秀だからね。もう台詞も全部覚えたって言ってたし」

「ええ!? すごい……」


 そんな役割の人がいたのか……なんだ、それなら別に真剣に台詞を覚えなくても大丈夫なんじゃないか。マリウスの言う通り、いざとなったらそのプロンプターを頼れば良いはずだ。
 そう考えると少しくらいさぼっても良いかなという気になってくる。





「もう台詞を覚えたのか?」


 部屋で台本を放り出してお菓子を食べていたわたしに対して、クルトが不思議そうな顔を向けてくる。
 いつものわたしなら、今頃台本を開いてぶつぶつと台詞を呟いているはずなのだから、彼が怪訝に思うのも無理は無い。


「その事ならもう大丈夫です。いざとなったらプロンプターがいるって判ったので」

「……まさかお前、全ての台詞をプロンプターに頼るつもりじゃないだろうな」

「さすがにそこまでは考えてませんけど……でも、プロンプターってその為にいるようなものだし、それに、うちのクラスのプロンプターはもう台詞も全部覚えてるって聞いたし、それくらい簡単だと思うんですけどね」

「……ちょっと待て、お前、知らないのか?」


 なにが? とクルトの顔を見上げる。


「その様子じゃ本当に気付いてないんだな」


 クルトは溜息と共に吐き出す。


「……うちのクラスのプロンプターは俺なんだが」

「えっ……」


 まずい。本人の目の前で、思いっきりプロンプターを利用する気満々の発言をしてしまった。
 案の定クルトは怒り出した。


「そうやって無駄に俺の負担を増やすのはやめろ!」

「で、でも、少しくらいなら良いじゃないですか」

「そうだ。少しくらいならまったく問題ない。それをフォローするのが俺の役目だからな。けれど、現時点でお前はほとんど台詞を覚えられていないじゃないか。いくら俺だって、お前だけに構っていられるわけじゃないんだ。それに、頻繁にプロンプターを頼っていたらその分本来の台詞が遅れがちになって芝居のテンポだって悪くなる」

「いやー、でも、わたしも台詞を覚えようと努力してるんですけどねー。なかなか難しくて」 


 だからもしもの時はお願いしますと暗に言ったつもりなのだが、クルトは顔を顰めて深々と溜息をつく。


「わかった。お前が本番までに台詞を完璧に覚えられるよう、今日から俺も練習に付き合う事にする」

「えっ? べ、べつにそこまでしてもらわなくても大丈夫です! 一人でできます!」

「信用できない。実際に本番で台詞がまったく出てこないとなれば、それをフォローするはめになる俺だって困る。だから、そうならないよう俺が毎日確認しようというんだ。まさか俺がいたら集中できないなんて事は無いだろう? 本番ではもっとたくさんの人に見られるんだから」

「そ、それはその通りかもしれませんけど……」

「それなら決まりだな。さっさと台本を開け」

「そ、そんな……」


 すごくいやな予感がするが、クルトの言う事も間違っていないし、なんだか有無を言わせない雰囲気を纏っているので、わたしは渋々従う。


 予想通りクルトの指導は厳しかった。要求するレベルが高いのだ。台詞の正確さだけでなく発音、抑揚にまで注文をつけてくる。


「お前、ちゃんと台詞の意味を理解してるのか? もしかして、意味もわからず暗記だけしようとしているんじゃないだろうな?」

「どうしてわかったんですか? すごーい」

「やっぱり……全体練習を見ているときも思ったが、お前、突然別の場面の台詞を言う事があっただろう? だから、意味を知らずになんとなく似たような台詞を言ってるんじゃないかと思ったんだ。そんなの覚えられなくて当然だ。まず意味を理解しろ」

「そんな事言われても……今から台本を全部訳しても発表会までに間に合うかどうか……」

「間に合わせるしかないだろう」

「そんなあ……」


 これは暫く夜更かしだろうか……憂鬱だ。 


 クルトの指導から開放されて、一日でわたしはくたくたになってしまった。
 もうだめ、お菓子でも食べないとやってられない。
 ビスケットを頬張るわたしをよそに、クルトは台本に何か書き込んでいた。
 熱心だなあ……わたしはできればもう逃げ出したい。
 机に向かうクルトを横目で見ながら、明日からも続くであろう指導を回避する方法は無いかと模索していた。




 翌日、クルトが自分の台本をわたしに差し出して


「お前の台本と交換してくれないか」


 と言ってきた。聞けば表紙にインクをこぼして汚してしまったのが気に食わないとか。
 確かに表紙の隅っこに黒い染みがあるが、気にする程でもないような……それともこの程度でもクルトの美意識が傷つくんだろうか?
 わたしとしてはどちらでも良かったので、自分の台本と引き換えにクルトの台本を受け取る。 
 なにげなくページを捲ったわたしは、思わず


「あれ?」

 と声を上げた。
 台本にはフランス語に対しての訳文が書き込んであったのだ。確かめてみると全てのページに対してそれが行われていた。
 これって、クルトが昨日書き込んでた……?
 これが彼の暗記法なんだろうか? こうやって全ての台詞と役者の行動を記憶して、プロンプターとしての勤めを果たそうと……? あちらから持ちかけてきた交換とはいえ、こんなものを貰ってしまっていいんだろうか。


「あの、この台本、本当に交換してしまっていいんですか? こんなに細かく書き込んであるのに。表紙の汚れが気になるなら、上からきれいな紙を貼り付けるとかして誤魔化せばいいんじゃないかと……」

「そういうのはお前が自分でやってくれ。俺はこっちのほうが良いんだ」


 そう言ってさっさと交換した台本を持っていってしまった。
 わたしは手元に残された台本のページを捲る。少し見ただけでも相当な労力が掛かっているとわかる。何しろ全ページに対して訳文が書き込んであるのだ。一週間分の課題より多いかもしれない。
 それを些細な理由で手放してしまうなんて……美意識とは人を狂わせる恐ろしい魔物だ。
 わたしはやれやれと肩をすくめた。

しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

消された過去と消えた宝石

志波 連
ミステリー
大富豪斎藤雅也のコレクション、ピンクダイヤモンドのペンダント『女神の涙』が消えた。 刑事伊藤大吉と藤田建造は、現場検証を行うが手掛かりは出てこなかった。   後妻の小夜子は、心臓病により車椅子生活となった当主をよく支え、二人の仲は良い。 宝石コレクションの隠し場所は使用人たちも知らず、知っているのは当主と妻の小夜子だけ。 しかし夫の体を慮った妻は、この一年一度も外出をしていない事は確認できている。 しかも事件当日の朝、日課だったコレクションの確認を行った雅也によって、宝石はあったと証言されている。 最後の確認から盗難までの間に人の出入りは無く、使用人たちも徹底的に調べられたが何も出てこない。  消えた宝石はどこに? 手掛かりを掴めないまま街を彷徨っていた伊藤刑事は、偶然立ち寄った画廊で衝撃的な事実を発見し、斬新な仮説を立てる。 他サイトにも掲載しています。 R15は保険です。 表紙は写真ACの作品を使用しています。

処理中です...