62 / 145
7月と8月
7月と8月 7
しおりを挟む
「……どういう意味だよ」
険を含んだ声にわたしは一瞬怯むが、それでも勇気を振り絞って話を続ける。
「おにいちゃん、もしかして、絵の中に何か隠しているんじゃない? おにいちゃんの絵を買う人たちは、本当はそれが目当てで……」
「……何かって、なんだよ。適当なこと言うんじゃねえぞ」
「それは、たとえば――麻薬――とか」
「……はあ? いきなり何を言い出すんだよ。馬鹿馬鹿しい。おまえ、もう帰れよ。やる気なくなっちまった」
「聞いて、おにいちゃん、お願い」
おにいちゃんに縋るように、わたしは続ける。
「前にね、孤児院のカブ畑が荒らされていた事があったんだ。その時はてっきりカラスの仕業かと思ったんだけど、もしかして、あれはおにいちゃんがやった事だったんじゃないの?」
「何を根拠にそんな……」
「あの前日、わたしたちが収穫後の麻を運んでいたのををおにいちゃんは見てる。そして、ずっと孤児院で暮らしてきたお兄ちゃんなら、作物を収穫した後、不要な葉を土に埋めるのも知ってるはず。だからあの日の夜、もしかしたら周りがうっすらと見える明け方頃にでも、麻の葉を手に入れるために土を掘り返したんじゃないかな。孤児院で育ててるインド麻の葉や花には陶酔成分が含まれてるから」
「待てよ。荒らされてたのはカブ畑なんだろ? 麻は関係無いじゃねえか」
「同じ場所で何年も同じ作物を育てると、だんだん発育が悪くなるのは知ってるよね? だから麻も何年かの周期で植える場所を変えていたけど……でも、孤児院から出ていたおにいちゃんは、今年から麻の場所が変わったのを知らなかった。だから、去年まで麻が植えられてたあのカブ畑を掘り返したんでしょ?」
おにいちゃんは肩をすくめる。
「それならますますおかしいじゃねえか。掘り返したのがカブ畑なら、俺は麻の葉を手に入れられなかったって事になる」
「ううん。最終的におにいちゃんは手に入れたんだよ。キアゲハの幼虫とニンジンの葉っぱを目印にして」
喋りながらわたしはなんだか息苦しさを感じてきた。部屋に漂う煙のせいだろうか。それに耐えるように、持っていた袋をぎゅっと握り締める。
「カブ畑を掘り返して何も見つけられなかったおにいちゃんは、そこで初めて麻畑の場所が変わった可能性に思い当たった。その前日、おにいちゃんは、麻と一緒に散らばったニンジンを拾うのを手伝ってくれたよね。だから、ニンジン畑の近くに麻があるって考えたんじゃないかな。ニンジンの葉にはキアゲハの幼虫が付いてる。わたしもアウグステもあの虫が苦手だって事を、おにいちゃんは知ってた。だって、小さい頃から一緒に暮らしていたもんね。だから、わたし達がキアゲハの幼虫がついた葉っぱを処分せず近くに放り出したって思ったんでしょ。実際それに近いことをわたしはしたもの。そして、その葉っぱを頼りに、おにいちゃんは麻畑を探し出した。カブ畑と違って、掘り返されたことにわたしたちが気付かなかったのは、麻を収穫した直後で土を均してなかったからだよ」
おにいちゃんはわたしの顔をじっとみつめていたが、やがて口を開く。
「おまえ、面白いこと言うな。それで俺が麻薬を売ってるって? もしもその通りだとして、そんな証拠どこにあるんだよ」
「……それは、さっきも言ったとおり、おにいちゃんの絵の中――たとえばカンバスに使ってる布と木枠の間に、紙か何かで包んだ麻の葉を隠しているんじゃないかな。だから、布を外して中を確かめれば……」
でも、そんな事をしたら絵が台無しになってしまう。確信もないのに、おにいちゃんが描いている絵に対して、そんな事とてもできない……
言いよどんでいると、黙って話を聞いていたおにいちゃんが小さく笑った。
「そんな顔するなよ。おまえのその顔、苦手なんだよ」
おにいちゃんはそう言って困ったように頭を掻いた。
「おまえの言う通りだよ。俺は絵の中に麻薬を隠して売ってる。でなけりゃその髪飾りだって俺なんかに買えるわけが無い。まったく、ほんとにおまえ、いい勘してるよ」
それを聞いてわたしは深い穴の底に突き落とされたような気がした。
もしも今ここで、おにいちゃんが否定してくれたら。ただ一言「違う」って言ってくれたなら、何も証明できないわたしにはそれを信じるしか無かったのに。わたしの戯言だって、笑って済ませることができたかもしれないのに。
絶句するわたしを尻目に、おにいちゃんは低い声で続ける。
「あの日、アトリエに戻ったらくびを言い渡されて、その日のうちに追い出された。わけもわからず絶望したよ。絵を描けなくなった事もそうだけど、これからどうやって暮らしていけばいいのかってね。その時、おまえたちが麻を収穫してたのを思い出したんだ。でも、もともと繊維を取るために育ててるわけだし、葉っぱも小さい。そんなの手に入れてもすぐになくなっちまったし、全然儲からなかったよ。そんな時、麻薬の売人に声を掛けられたんだ。俺の絵の中に麻薬を隠して売るんだとさ。表向きは絵を売買してるようにしか見えないからな。予想以上に上手くいったよ。案外気付かれないものなんだな」
その声音にはぞっとするものが含まれていた。わたしは思わず自分の肩を両手で抱きしめる。
「でも、おまえ、そこまで言い当てておきながら、肝心なところは全然気付かないんだな。おまえが来る前からずっと――この部屋で大麻を燃やしてたのに」
険を含んだ声にわたしは一瞬怯むが、それでも勇気を振り絞って話を続ける。
「おにいちゃん、もしかして、絵の中に何か隠しているんじゃない? おにいちゃんの絵を買う人たちは、本当はそれが目当てで……」
「……何かって、なんだよ。適当なこと言うんじゃねえぞ」
「それは、たとえば――麻薬――とか」
「……はあ? いきなり何を言い出すんだよ。馬鹿馬鹿しい。おまえ、もう帰れよ。やる気なくなっちまった」
「聞いて、おにいちゃん、お願い」
おにいちゃんに縋るように、わたしは続ける。
「前にね、孤児院のカブ畑が荒らされていた事があったんだ。その時はてっきりカラスの仕業かと思ったんだけど、もしかして、あれはおにいちゃんがやった事だったんじゃないの?」
「何を根拠にそんな……」
「あの前日、わたしたちが収穫後の麻を運んでいたのををおにいちゃんは見てる。そして、ずっと孤児院で暮らしてきたお兄ちゃんなら、作物を収穫した後、不要な葉を土に埋めるのも知ってるはず。だからあの日の夜、もしかしたら周りがうっすらと見える明け方頃にでも、麻の葉を手に入れるために土を掘り返したんじゃないかな。孤児院で育ててるインド麻の葉や花には陶酔成分が含まれてるから」
「待てよ。荒らされてたのはカブ畑なんだろ? 麻は関係無いじゃねえか」
「同じ場所で何年も同じ作物を育てると、だんだん発育が悪くなるのは知ってるよね? だから麻も何年かの周期で植える場所を変えていたけど……でも、孤児院から出ていたおにいちゃんは、今年から麻の場所が変わったのを知らなかった。だから、去年まで麻が植えられてたあのカブ畑を掘り返したんでしょ?」
おにいちゃんは肩をすくめる。
「それならますますおかしいじゃねえか。掘り返したのがカブ畑なら、俺は麻の葉を手に入れられなかったって事になる」
「ううん。最終的におにいちゃんは手に入れたんだよ。キアゲハの幼虫とニンジンの葉っぱを目印にして」
喋りながらわたしはなんだか息苦しさを感じてきた。部屋に漂う煙のせいだろうか。それに耐えるように、持っていた袋をぎゅっと握り締める。
「カブ畑を掘り返して何も見つけられなかったおにいちゃんは、そこで初めて麻畑の場所が変わった可能性に思い当たった。その前日、おにいちゃんは、麻と一緒に散らばったニンジンを拾うのを手伝ってくれたよね。だから、ニンジン畑の近くに麻があるって考えたんじゃないかな。ニンジンの葉にはキアゲハの幼虫が付いてる。わたしもアウグステもあの虫が苦手だって事を、おにいちゃんは知ってた。だって、小さい頃から一緒に暮らしていたもんね。だから、わたし達がキアゲハの幼虫がついた葉っぱを処分せず近くに放り出したって思ったんでしょ。実際それに近いことをわたしはしたもの。そして、その葉っぱを頼りに、おにいちゃんは麻畑を探し出した。カブ畑と違って、掘り返されたことにわたしたちが気付かなかったのは、麻を収穫した直後で土を均してなかったからだよ」
おにいちゃんはわたしの顔をじっとみつめていたが、やがて口を開く。
「おまえ、面白いこと言うな。それで俺が麻薬を売ってるって? もしもその通りだとして、そんな証拠どこにあるんだよ」
「……それは、さっきも言ったとおり、おにいちゃんの絵の中――たとえばカンバスに使ってる布と木枠の間に、紙か何かで包んだ麻の葉を隠しているんじゃないかな。だから、布を外して中を確かめれば……」
でも、そんな事をしたら絵が台無しになってしまう。確信もないのに、おにいちゃんが描いている絵に対して、そんな事とてもできない……
言いよどんでいると、黙って話を聞いていたおにいちゃんが小さく笑った。
「そんな顔するなよ。おまえのその顔、苦手なんだよ」
おにいちゃんはそう言って困ったように頭を掻いた。
「おまえの言う通りだよ。俺は絵の中に麻薬を隠して売ってる。でなけりゃその髪飾りだって俺なんかに買えるわけが無い。まったく、ほんとにおまえ、いい勘してるよ」
それを聞いてわたしは深い穴の底に突き落とされたような気がした。
もしも今ここで、おにいちゃんが否定してくれたら。ただ一言「違う」って言ってくれたなら、何も証明できないわたしにはそれを信じるしか無かったのに。わたしの戯言だって、笑って済ませることができたかもしれないのに。
絶句するわたしを尻目に、おにいちゃんは低い声で続ける。
「あの日、アトリエに戻ったらくびを言い渡されて、その日のうちに追い出された。わけもわからず絶望したよ。絵を描けなくなった事もそうだけど、これからどうやって暮らしていけばいいのかってね。その時、おまえたちが麻を収穫してたのを思い出したんだ。でも、もともと繊維を取るために育ててるわけだし、葉っぱも小さい。そんなの手に入れてもすぐになくなっちまったし、全然儲からなかったよ。そんな時、麻薬の売人に声を掛けられたんだ。俺の絵の中に麻薬を隠して売るんだとさ。表向きは絵を売買してるようにしか見えないからな。予想以上に上手くいったよ。案外気付かれないものなんだな」
その声音にはぞっとするものが含まれていた。わたしは思わず自分の肩を両手で抱きしめる。
「でも、おまえ、そこまで言い当てておきながら、肝心なところは全然気付かないんだな。おまえが来る前からずっと――この部屋で大麻を燃やしてたのに」
0
お気に入りに追加
175
あなたにおすすめの小説

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
【完結】捨ててください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。
でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。
分かっている。
貴方は私の事を愛していない。
私は貴方の側にいるだけで良かったのに。
貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。
もういいの。
ありがとう貴方。
もう私の事は、、、
捨ててください。
続編投稿しました。
初回完結6月25日
第2回目完結7月18日
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
消された過去と消えた宝石
志波 連
ミステリー
大富豪斎藤雅也のコレクション、ピンクダイヤモンドのペンダント『女神の涙』が消えた。
刑事伊藤大吉と藤田建造は、現場検証を行うが手掛かりは出てこなかった。
後妻の小夜子は、心臓病により車椅子生活となった当主をよく支え、二人の仲は良い。
宝石コレクションの隠し場所は使用人たちも知らず、知っているのは当主と妻の小夜子だけ。
しかし夫の体を慮った妻は、この一年一度も外出をしていない事は確認できている。
しかも事件当日の朝、日課だったコレクションの確認を行った雅也によって、宝石はあったと証言されている。
最後の確認から盗難までの間に人の出入りは無く、使用人たちも徹底的に調べられたが何も出てこない。
消えた宝石はどこに?
手掛かりを掴めないまま街を彷徨っていた伊藤刑事は、偶然立ち寄った画廊で衝撃的な事実を発見し、斬新な仮説を立てる。
他サイトにも掲載しています。
R15は保険です。
表紙は写真ACの作品を使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる