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7月と8月
7月と8月 4
しおりを挟むそれから暫くして、カブも無事に芽を出し、順調に成長した葉っぱを茂らせていた。
そんな時、再びお兄ちゃんがわたしたちの前に現れた。シスター・エレノアにみつからないようにこっそりと。
「おい、ユーリ、この間の話、考えてくれたか?」
「この間って、まさかモデルになってくれって話……? おにいちゃん、あれ本気で言ってたの?」
「なんだよ、おまえは本気じゃなかったってのかよ。冷たいなあ」
おにいちゃんは天を仰ぐ。この様子を見るに、まんざら冗談でもなかったらしい。
「本気だって証拠に、モデル代を持ってきたんだぜ。ほら、前払いだ」
そう言ってポケットから何かを取り出した。髪飾りだ。繊細な細工が施された銀の土台に、透明度の高い黄緑色の石が嵌め込まれている。
「わあ、すごーい。きれいねえ」
隣でアウグステが声をあげる。確かに髪飾りはきらきらと光を反射してとてもきれいだ。特に真ん中に埋め込まれた石を見ていると、なんだか吸い込まれそうになる。
「これって、まさか、本物じゃないよね……?」
おそるおそる尋ねると、おにいちゃんは得意げに胸をそらす。
「もちろん本物のガラスだ」
「え、ガラスなの? そこは普通宝石でしょ?」
「アウグステはそう言うと思ってた。言っとくけどただのガラスじゃないぜ。今売り出し中のガラス工芸家の作品だ。奮発したんだからな……って、あれ? 店で見たときはいい感じだと思ったんだけどな。実際には全然目立たないな……」
おにいちゃんは髪飾りをわたしの髪に当てながら首を傾げる。
「ねえねえ、お兄ちゃん、あたしの分は!?」
「アウグステには、ほら、これやるよ」
「……なによこれ。キャラメルじゃないの。これはこれで嬉しいけどさあ……ユーリとあまりにも違いすぎない? 贔屓反対!」
アウグステはおにいちゃんを睨みつけながらもキャラメルを口に放り込む。
「でも、よくこんなもの買うお金があったね。お給金上がったの?」
わたしが何気なく疑問を口にすると、おにいちゃんは決まり悪そうに目を逸らす。
「あー……実は俺、前のアトリエ辞めたんだ」
「えっ、うそ!?」
「なんで!?」
わたしたちの上げた驚きの声に対し、おにいちゃんは「まあ落ち着け」と両手を挙げる。
「元々あの先生とは合わないところがあってさ。潮時だと思って独立したんだよ。そしたらちょうど俺の絵を買いたいって人が現れてさ。今もその人経由で何枚か予約が入ってるんだぜ」
「すごーい!」
「そういうわけで、その髪飾りを買う余裕くらいはあるんだよ」
昔からおにいちゃんは絵で身を立てたいと言っていた。そして遂にその夢が叶った。それってすごいことだ。まるで自分の事のように嬉しい。
わたしたちが「おめでとう」と言うと、おにいちゃんは照れくさそうに笑った。
「だからさユーリ、モデルの件、頼むよ。な」
「で、でも、わたしたち、ここから出る事は禁止されてるし……」
「そんなの、こっそり抜け出せばわかんないって。あ、そうだ、これ俺の今の住所。アトリエも兼用してるから、いつでも訪ねてきてくれよ。約束だからな」
「え?」
おにいちゃんは小さく折り畳んだ紙と一緒に髪飾りをわたしの手に押し付けると
「それじゃ、俺はシスター・エレノアに見つかる前に退散するから」
と、この間と同じくあっという間に走り去ってしまった。
その姿を呆然と見送った後、わたしは手の中の髪飾りに目を落とす。
「ど、どうしよう、これ……わたし、モデルなんて出来る気がしないよ……」
わたしがアウグステの服を引っ張ると
「だったら、ほっとけば良いじゃない。ずっと訪ねて行かなけりゃ、お兄ちゃんだって変に思ってまたここに様子を見に来るわよ。その時に理由を言って返したら? あんたが断るなら、髪飾りと引き換えにあたしがモデルを代わっても良いけど」
アウグステはずり落ちそうになった靴下を屈んで直しながら平然と答える。
「それにしてもさ、こんな高そうなものくれたり、モデルを頼んできたり……お兄ちゃんてば、ユーリの事好きなんじゃないの?」
「わたしもおにいちゃんの事、好きだよ」
それを聞いたアウグステがびっくりしたように身体を起こす。
「あ、もちろんアウグステの事も好き」
言いながらわたしはアウグステに軽く抱きつく。お日様の光をたっぷり吸収した彼女の髪はとてもいい匂いなのだ。
「そういう意味じゃなくてさあ……はあ、まあいいわ。あたしもあんたの事好きよ」
何故だか呆れた声ながらもわたしの髪を撫でてくれた。
どういう意味だろう? おにいちゃんはおにいちゃんだ。それ以上でも以下でも無い。それに、家族の事を嫌いだなんて人間は、そうそういないだろう。
まったく、アウグステは変な事言うんだから……
その夜、ベッドに腰掛けながら、おにいちゃんから貰った髪飾りをこっそりと眺めていると、アウグステが隣に来て覗き込む。
「やっぱりきれいねえ。ねえユーリ、時々でいいからあたしにも貸してよ」
「そんな事言っても付ける機会自体が無いと思うけどな……もしもシスター・エレノアに見つかったら取り上げられちゃうだろうし」
わたしはアウグステの頭に髪飾りをかざす。黄緑色のガラスの嵌った銀の髪飾りは、彼女の金髪に良く映える。
その時、ふと違和感を覚えた。
この髪飾り、アウグステの髪に良く似合っている。でも、それならどうして、あの時、おにいちゃんは……
わたしが考え込んでいると、廊下の大時計のボーンという音が聞こえてきた。
「大変、就寝時間だわ! 早くベッドに入らなきゃ。すぐにシスター・エレノアが見回りにやってくるわよ。あの人いつも時計が鳴るのを今か今かと待ち構えてるんだから」
その言葉に、わたしは慌てて髪飾りを隠そうと枕の下に突っ込む。その時、がさりとした手触りのものが指に触れた。
なんだろうとつまみ出すと同時に手が滑り、それを取り落とした。しまったと思った瞬間、床に色とりどりの小石のようなものがばらばらと散らばる。
小石のようなものは、この間おにいちゃんに貰った癇癪玉だ。あの後弟達とこれで遊び始めたところで、たちまちシスター・エレノアに見つかってしまい、結局大半を袋に残したまま、こうして枕の下に隠しておいたのだ。すっかり忘れていた。
「あっ! あんた一体何やってるのよ……!」
アウグステはしゃがみ込んで癇癪玉を拾い始める。
彼女の言うとおりだ。わたしは一体なにをやってるんだ……ぼんやりしすぎ。
わたしたちは癇癪玉を踏まないように袋に集める。途中、持っていた髪飾りが邪魔になり、それもついでに袋の中に投げ込む。
同室の妹達の助けもあり、間一髪、わたし達はシスター・エレノアが来る前に、全ての癇癪玉を回収することができた。
急いでベッドに潜り込むと同時に、寝室のドアがノックされ、シスターエレノアが部屋に入ってくる気配がした。
わたしは先ほどの事がばれていないかとひやひやしながら息を潜めていたが、やがて灯りが消され、シスター・エレノアが出て行く気配がして、ほっと安堵の溜息を漏らした。
暫くそうして暗闇の中じっとしてると、すぐに妹達の寝息が聞こえてくる。みんな昼間の労働で疲れているのだ。わたしだって今すぐにでも瞼を閉じてしまいたい。けれど、その誘惑を我慢して静かに身を起こす。
隣のベッドで眠るアウグステをそっと揺さぶると、寝入ったばかりだったらしい彼女は不機嫌そうに唸り声を上げる。
「アウグステ、起きて」
耳元で囁くと、アウグステはしぶしぶといった様子で目を擦りながら起き上がる。
「ううん、なんなのもう……って、あれ、なんであんたそんな格好してるの?」
アウグステを起こす前に、わたしは寝巻きから普段着のシャツとスカートに着替えていた。
「アウグステ、お願い。わたし、外に出たいの」
「はあ?」
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