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7月と8月
7月と8月 2
しおりを挟む「ユーリ! 七月生まれのユーリ! どこにいるのですか!? 早く出てらっしゃい!」
名前を呼ばれる声で、わたしはうっすら目を開ける。
いけない。少し休憩するつもりが、うっかり眠り込んでいたらしい。
人目から隠すように生えた茂みの中から慌てて立ち上がると、声のする方へと走り出す。
「ユーリ! 今まで何をしていたのですか!?」
孤児院の敷地内に造られた畑の傍で、教育係であるシスター・エレノアが恐ろしい形相でわたしを待ち構えていた。
畑では他のきょうだいたちがそれぞれの作業をしている。
「ええと……その、急にお腹の調子が悪くなってしまって……」
わたしの咄嗟の言い訳に、シスター・エレノアは目を丸くする。
「あらまあ、そういう事ならあなた、今日は食事を抜いた方が良いわね。お腹に余計な負担を掛けて、更に悪化したら大変ですもの」
「あ、いえ、もうすっかり良くなりました! この通り、動き回っても大丈夫です!」
わたしがその場で腕を振り回してみせると、シスター・エレノアはにっこりと微笑む。
「そう。それは良かったわ。そんなに元気なら東二区の畑の収穫をお願いね。あなたひとりで」
「そ、そんなあ……」
わたしの情けない声にもシスター・エレノアの裁定は覆ることは無い。それどころか、これ以上抗議すれば本当に夕食抜きの可能性だってある。
わたしは仕方なく彼女の言葉に従った。
東二区って、何を育ててたっけ?
そう思いながら畑へ向かったわたしの目に、高く生い茂った麻が飛び込んできた。
「あー、麻ってここで育ててたんだっけ……」
「そうよ。今年からここに移動したのよ」
わたしのひとり言に答えるように、畑の中から声がした。どうやら他にも作業しているこどもがいるらしい。わたしひとりで、というのはシスター・エレノアの脅しだったのかも。
「やっと来たわね! あんた、またサボってたんでしょ!?」
茂った麻を掻き分けて、ひとりの少女が顔を覗かせる。その拍子に肩ほどの長さの金髪が揺れ、緑色の瞳がきらりと光る。
彼女はアウグステ。八月生まれのアウグステ。
産まれてすぐ名前もないままこの孤児院に引き取られた子は、わたしや彼女のように、産まれた月(正確には孤児院に引き取られた月だが)がそのまま名前になる。
かつてはもう一人ユーリという名前の年上の子どもがいて、その時わたしは「小ユーリ」と呼ばれていた。
そういう子どもたちは姓も皆同じ「アーベル」と決まっている。孤児院の隣に建つアーベル教会の名から取られたものだ。
そしてここで暮らす子供たちはみんなきょうたいだと教えられてきた。
その中でもアウグステとわたしは特別仲が良かった。年も同じ、誕生日も一ヶ月違うだけ。目の色や髪の色も似ていて、背の高さだってあまり変わらない。知らない人からすれば一瞬本当の姉妹だと見間違うかもしれない。
わたしたち自身も、姉妹というより、まるで『もう一人の自分』であるように錯覚する事もあった。それほどまでにわたしたちは仲が良く、また、似ていた。
「あたし一人じゃ夜まで掛かるところだったわよ。もう!」
頬を膨らますアウグステに向かってわたしは慌てて謝る。
「ごめんごめん、 今から頑張るから!」
「……はあ、もう仕方ないわね。あんたは隣の畑のニンジンを収穫して。終わったらこっちを手伝ってよね」
「はあい……」
わたしは小さくなりながらその言葉に従いニンジンを抜き始める。わたしのほうが僅かではあるが年上のはずなのに、アウグステのほうがよっぽどしっかりしている。
ニンジンを引っこ抜きながら、アウグステが何故わざわざ収穫の大変な麻を率先してやりたがるのか、その理由を思い出した。
ニンジンの葉には、よくキアゲハの幼虫がくっ付いている。外敵から身を守るためのグロテスクとも言えるその見た目、そして非常にいやな臭いを発する。気づかずうっかり触ってしまおうものなら、洗っても暫くは臭いが取れない。
彼女はこの虫がすこぶる嫌いなのだ。勿論わたしだって好きじゃない。が、この状況ではそんな文句も言えない。
作物を収穫した後は、不要な葉の部分を肥料にするため土に埋めるのだが、そのためには幼虫を葉から取らなければならない。できれば触りたくないのだけれど……かといって、幼虫ごと土に埋めるのも後ろめたい。
わたしは少し考えた後、虫のついた葉っぱだけを畑の隅に集めると、端っこにほんの少し土をかけて誤魔化した。
わたしたちはシスターの見ていないところでおしゃべりしながらも作業を続け、日が傾く頃には何とか畑の作物を収穫する事が出来た。
野菜は籠に、麻は纏めてロープで縛り、倉庫へと運ぶ。
「まったく馬鹿馬鹿しいわよね。こうして苦労して育てても、あたしたちの口には殆ど入ってこないっていうんだから」
二人して歩きながらアウグステが苦々しげに呟く。
色や形の良いものは、街の商人に引き取ってもらい生活の足しにする。わたしたちは売り物にならないような出来損ないか、普通なら捨てるようなものしか食べられないのだ。それだってお腹一杯食べられる事は殆どない。
アウグステは籠の中から立派なニンジンを一本手に取る。
「腹が立つから、今ここでこのニンジン食べちゃおうかしら。ねえユーリ、あんたもやらない? きっとあたしたちが今まで食べたこと無いくらい美味しいに違いないわ」
「ええー、やめようよ。シスター・エレノアにばれたら大変だよ……」
「あら、あんたがそんなこと言うなんて意外。さっきは堂々とさぼってたくせに、随分と弱気なのね」
「だからこそだよ。これ以上目を付けられたら、本当に食事抜きにされちゃう。今日はもう大人しくしてなきゃ……」
「その前にニンジンでお腹一杯にすれば良いのよ」
その時、わたしたちの足元を、しゅるしゅる音を立てながら何かが走り回ったかと思うと、直後にパンッと何かが弾けた。
「きゃっ!?」
「な、なに……!?」
わたしとアウグステがお互いにしがみ付く。驚いた拍子に抱えていた麻を落としてしまう。衝撃でロープが解けたのか、麻がばらばらと地面に散らばる。
アウグステもまたニンジンの入った籠を取り落としてしまい、オレンジ色の物体があたりに転がる。
突然の衝撃に立ちすくむわたし達の耳に、男の子の笑い声が響いた。
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