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7月と兄弟
7月と兄弟 12
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「君は悪くないよ。ちょっと新入生を驚かせてやろうってイザークの発案で……本来なら三年のオレが彼を抑えるべきだったんだけど……」
「でも、わたしがイザークに手を上げようとしたら止めましたよね? あなたも彼側の人間なんじゃないんですか?」
「それは……あくまで彼は、君にコーヒーを掛けたことを『手が滑った』って言ってたし、あの後もそう主張しただろうね。そうなると君があのまま彼を殴って騒ぎになったとしたら、君のほうが不利になるんじゃないかと思ってさ。誤ってコーヒーを掛けられただけで上級生を殴ったって。オレにはそれを回避するくらいしか出来なかったんだ……君、イザークの事、どう思った?」
「え? ええと、王子様みたいな人だなーと……」
唐突に問われて、変な事を口走ってしまったが、それを聞いたアルベルトは笑うこともなく、顎に手を当てて何かを考えるような仕草をする。
「そう。彼、王子様みたいなんだよ。なんていうか、周りが自分の思い通りにならないと気が済まないようなところがあってね。それに、すごく気分屋でさ。機嫌よさそうにしていたかと思えば、ほんの些細なことにイライラして癇癪を起こしたり。昨日もたぶん、君をからかうつもりで飲み物に細工したけど、予想に反して君がやり返してきたから、イザークもかっとなってあんな事をしたんじゃないかな。プライドが高いから顔には出さなかったけど」
外見だけではなく、振る舞いも王子様みたいなんだろうか。
でも、あんな人の治める国の国民にはなりたくない。
「けれど、不思議とそれが許されているようなところがあるんだよね。普通はそんな事ばかりしていたら、周りから浮いてしまうだろうけど、彼はそれでも気にしないって態度なんだ。だから、みんな諦めているのかも」
だからって、あんな傍若無人な振る舞いを誰も咎めないだなんで。そんな周囲の人々のほうがわたしよりもよっぽど聖人のようだと思う。
「あなたも、そのせいで彼をどうにもできなかったんですか?」
「あ、いや、ええと……確かにそれもあるけど、オレの場合は……」
アルベルトは落ち着かない様子で眼鏡を外すと、ハンカチを取り出してレンズを拭き始める。
「変な話だけど……彼ってオレの姉に少し似ててさ。ああ、勿論、外見の話じゃないよ。オレの姉もたまに癇癪を起こして、周りに八つ当たりするんだ。そんな時、オレは彼女の機嫌が直るまで、ただ黙って嵐が過ぎ去るのを待ってた。だから同じように癇癪を起こすイザークに対しても似たような対応をしてしまうんだ。情けない話だけど、事なかれ主義が染み付いているのかもしれないね」
俯いている彼の顔は、なんだか恥ずかしそうにしているように見えた。
「でも、それが一番平和的な方法なのかもしれません。わたし、家ではきょうだい達とよく喧嘩していたので、昨日もその時の感覚で、つい手が出てしまって……それに、あんまり腹が立ったので、イザークの部屋にいる時、ソファの背もたれの隙間にチョコレートを一粒詰めてきてしまったんです」
「ええ? そんな事してたんだ。いつのまに……」
「そのうち虫が湧いてイザークが少しでも困ればいい気味だなんて思ったんですけど……よく考えたらあの人のルームメイトにも迷惑をかけてしまいますよね」
「うーん……その点なら問題ないと思うけど。あの部屋は彼しか使ってないはずだから」
「ルームメイトがいないんですか?」
わたしの問いに、アルベルトは眼鏡を掛けなおす。
「そう、一年の時からずっとあの部屋をひとりで使ってるんだ」
「えっ? ひとりで……?」
「部屋割りの都合でひとりだけあぶれてしまって仕方なく……って言われてるけど、でも、一方ではイザークはどこぞの権力者の子息なんじゃないかって噂もあるんだ。だから特別扱いされてるとか。それも、周囲が彼に強く出られない理由のひとつかもしれないね。まあ、本当のところはどうかわからないんだけど」
一年生の時からずっとひとり……寂しくないんだろうか? 自分だったら耐えられそうにない。
でも、そんなふうに自分と彼とを比べることが間違っているのかも。あの人とはもう人種からして違うような気がする。人の言葉を借りるなら、わたしは野良猫で、イザークは王子様なのだ。
「……どうしよう」
思わずわたしは呟く。
「その噂が本当だとして、イザークの部屋のソファにチョコレートを詰めたのがバレたら大変なことになるんじゃ……? もしかして、わたし、退学になったりとかしませんよね……? 権力者の息子に変なことしたって責められたりして……」
「まさか」
アルベルトが苦笑する。
「そんなに心配なら、オレが彼の部屋に行った時に、隙を見て回収しておくよ。それで良いかな?」
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
その言葉は天からの助けのように思えた。あんな事があったばかりだし、わたしがイザークの部屋を訪ねるのは躊躇われた。
「……でも、どうしてそこまでしてくれるんですか? イザークに知られたら、面倒くさい事になるかもしれませんよ」
つい疑いの目を向けてしまう。
こうして話をしていると、アルベルトは信用できるような気がするが、世の中にはイザークのように、笑顔で酷い事をする人だっているのだ。
「それは、君があまりにも簡単にイザークの言葉を信じてしまったのを見て、少し心配になってさ。君のほうはどうか知らないけど、オレは一応君の事、【家族】だと思ってるから。昨日あんな事をした後で説得力ないし、我ながら調子のいい事言ってるのはわかってるけど、少しでも君の信頼が回復できればと思ってね。罪滅ぼしってところかな」
アルベルトはそう言って肩を竦めた。
「とりあえず、オレの話せることは話したつもり。それを信用できるかどうかの判断は君に任せるけど。ともかく、今後は何かあったらできる限り協力するからさ。学校の事でも、課題の事でも良いよ。なんでも相談してもらえたらと思って」
なるほど。だから色々話してくれたんだろうか。イザークの事も、彼自身の事も。
「それじゃあ、もしもの時はお願いしますね。おにいちゃん」
皮肉と少しの期待を込めてそう呼びかけると、アルベルトは困ったように眼鏡を指で押し上げる。
「参ったな。やっぱりまだ昨日の事を根に持ってるの? 頼むから普通に名前で呼んでくれないかな?」
その答えを聞いて、わたしは小さく溜息を漏らした。
「でも、わたしがイザークに手を上げようとしたら止めましたよね? あなたも彼側の人間なんじゃないんですか?」
「それは……あくまで彼は、君にコーヒーを掛けたことを『手が滑った』って言ってたし、あの後もそう主張しただろうね。そうなると君があのまま彼を殴って騒ぎになったとしたら、君のほうが不利になるんじゃないかと思ってさ。誤ってコーヒーを掛けられただけで上級生を殴ったって。オレにはそれを回避するくらいしか出来なかったんだ……君、イザークの事、どう思った?」
「え? ええと、王子様みたいな人だなーと……」
唐突に問われて、変な事を口走ってしまったが、それを聞いたアルベルトは笑うこともなく、顎に手を当てて何かを考えるような仕草をする。
「そう。彼、王子様みたいなんだよ。なんていうか、周りが自分の思い通りにならないと気が済まないようなところがあってね。それに、すごく気分屋でさ。機嫌よさそうにしていたかと思えば、ほんの些細なことにイライラして癇癪を起こしたり。昨日もたぶん、君をからかうつもりで飲み物に細工したけど、予想に反して君がやり返してきたから、イザークもかっとなってあんな事をしたんじゃないかな。プライドが高いから顔には出さなかったけど」
外見だけではなく、振る舞いも王子様みたいなんだろうか。
でも、あんな人の治める国の国民にはなりたくない。
「けれど、不思議とそれが許されているようなところがあるんだよね。普通はそんな事ばかりしていたら、周りから浮いてしまうだろうけど、彼はそれでも気にしないって態度なんだ。だから、みんな諦めているのかも」
だからって、あんな傍若無人な振る舞いを誰も咎めないだなんで。そんな周囲の人々のほうがわたしよりもよっぽど聖人のようだと思う。
「あなたも、そのせいで彼をどうにもできなかったんですか?」
「あ、いや、ええと……確かにそれもあるけど、オレの場合は……」
アルベルトは落ち着かない様子で眼鏡を外すと、ハンカチを取り出してレンズを拭き始める。
「変な話だけど……彼ってオレの姉に少し似ててさ。ああ、勿論、外見の話じゃないよ。オレの姉もたまに癇癪を起こして、周りに八つ当たりするんだ。そんな時、オレは彼女の機嫌が直るまで、ただ黙って嵐が過ぎ去るのを待ってた。だから同じように癇癪を起こすイザークに対しても似たような対応をしてしまうんだ。情けない話だけど、事なかれ主義が染み付いているのかもしれないね」
俯いている彼の顔は、なんだか恥ずかしそうにしているように見えた。
「でも、それが一番平和的な方法なのかもしれません。わたし、家ではきょうだい達とよく喧嘩していたので、昨日もその時の感覚で、つい手が出てしまって……それに、あんまり腹が立ったので、イザークの部屋にいる時、ソファの背もたれの隙間にチョコレートを一粒詰めてきてしまったんです」
「ええ? そんな事してたんだ。いつのまに……」
「そのうち虫が湧いてイザークが少しでも困ればいい気味だなんて思ったんですけど……よく考えたらあの人のルームメイトにも迷惑をかけてしまいますよね」
「うーん……その点なら問題ないと思うけど。あの部屋は彼しか使ってないはずだから」
「ルームメイトがいないんですか?」
わたしの問いに、アルベルトは眼鏡を掛けなおす。
「そう、一年の時からずっとあの部屋をひとりで使ってるんだ」
「えっ? ひとりで……?」
「部屋割りの都合でひとりだけあぶれてしまって仕方なく……って言われてるけど、でも、一方ではイザークはどこぞの権力者の子息なんじゃないかって噂もあるんだ。だから特別扱いされてるとか。それも、周囲が彼に強く出られない理由のひとつかもしれないね。まあ、本当のところはどうかわからないんだけど」
一年生の時からずっとひとり……寂しくないんだろうか? 自分だったら耐えられそうにない。
でも、そんなふうに自分と彼とを比べることが間違っているのかも。あの人とはもう人種からして違うような気がする。人の言葉を借りるなら、わたしは野良猫で、イザークは王子様なのだ。
「……どうしよう」
思わずわたしは呟く。
「その噂が本当だとして、イザークの部屋のソファにチョコレートを詰めたのがバレたら大変なことになるんじゃ……? もしかして、わたし、退学になったりとかしませんよね……? 権力者の息子に変なことしたって責められたりして……」
「まさか」
アルベルトが苦笑する。
「そんなに心配なら、オレが彼の部屋に行った時に、隙を見て回収しておくよ。それで良いかな?」
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
その言葉は天からの助けのように思えた。あんな事があったばかりだし、わたしがイザークの部屋を訪ねるのは躊躇われた。
「……でも、どうしてそこまでしてくれるんですか? イザークに知られたら、面倒くさい事になるかもしれませんよ」
つい疑いの目を向けてしまう。
こうして話をしていると、アルベルトは信用できるような気がするが、世の中にはイザークのように、笑顔で酷い事をする人だっているのだ。
「それは、君があまりにも簡単にイザークの言葉を信じてしまったのを見て、少し心配になってさ。君のほうはどうか知らないけど、オレは一応君の事、【家族】だと思ってるから。昨日あんな事をした後で説得力ないし、我ながら調子のいい事言ってるのはわかってるけど、少しでも君の信頼が回復できればと思ってね。罪滅ぼしってところかな」
アルベルトはそう言って肩を竦めた。
「とりあえず、オレの話せることは話したつもり。それを信用できるかどうかの判断は君に任せるけど。ともかく、今後は何かあったらできる限り協力するからさ。学校の事でも、課題の事でも良いよ。なんでも相談してもらえたらと思って」
なるほど。だから色々話してくれたんだろうか。イザークの事も、彼自身の事も。
「それじゃあ、もしもの時はお願いしますね。おにいちゃん」
皮肉と少しの期待を込めてそう呼びかけると、アルベルトは困ったように眼鏡を指で押し上げる。
「参ったな。やっぱりまだ昨日の事を根に持ってるの? 頼むから普通に名前で呼んでくれないかな?」
その答えを聞いて、わたしは小さく溜息を漏らした。
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