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7月と慌ただしい日曜日
7月と慌ただしい日曜日 7
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二人連れ立って隣家を訪れる。馬の蹄鉄が飾られたドアを叩くと、暫くして一人の女性が姿を現した。
今朝は一瞬だったので、はっきりとその姿が確認できなかったのだが、改めてじっくり見てみると、若い赤毛の女性だった。
彼女は最初わたしに訝しげな目を向けたが、その後ろにいるヴェルナーさんの姿を認めると
「あら、お隣の。何か御用かしら?」
と、警戒を解いたように笑顔を浮かべた。すかさずわたしは持っていたハンカチを広げてみせる。
「これが庭に落ちていたので、もしかしてこちらのお宅のものかと思いまして」
それを見て女性は口に手を当てる。
「まあ、わざわざどうも。うちの洗濯物、いつもお宅の庭に飛んで行っちゃうのよねえ。ごめんなさいね」
そう言ってハンカチを受け取ろうと手を差し出されるが、わたしはそれに気付かない振りをして世間話でもするように口を開く。
「そういえば今朝、家の前で黒猫を見かけたんですが、どこかの家で飼われてる猫なんでしょうか? 失礼ですがご存知ですか?」
「……さあ、知らないわ。野良猫なんじゃないかしら?」
「それならちょうど良かった」
女性が不思議そうにわたしを見る。
「実は、最近家にネズミが出るので猫を飼おうかと思ってたんです。野良猫なら我が家で引き取っても誰にも文句は言われませんよね」
そう言うと、女性はどこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせながら口を開く。
「ああ、ええと、そうだわ、思い出した。あの猫は裏の家の飼い猫だったような気がする……いえ、そのはずよ。見た事があるもの」
「あれ、そうなんですか? それなら諦めるしかないかなあ」
「そうよ。それに飼うなら白い猫の方が良いんじゃないかしら。黒猫だとほら、ね。暗くなると闇に紛れて見えなくなっちゃうわ。ねえ、だから白猫にしなさいな。それが良いわ」
「そうですか? わたしは黒猫が好きなんですけどね。少し検討してみます」
女性が何か言い掛けようと口を開くが、それを遮るようにわたしはハンカチを持ち上げてみせる。
「それにしても、先にこちらがこのハンカチに気付いて良かったです。実はさっき鏡を割ってしまって破片を庭に埋めたんですよ。ああ、勿論深く埋めたので大丈夫だとは思いますが、万が一という事もありますからね。何も知らない人が破片を踏んで怪我でもしたら大変です」
その言葉に女性が顔を強張らせたような気がした。
「おかあさん!」
その時、子供の声がしたかと思うと、部屋の奥から小さな女の子が駆け寄ってきた。
女性と同じ赤毛をお下げにして両肩の上に揺らしている。スカートの上に付けているエプロンには、片隅にテントウムシの刺繍があった。
女の子はわたしの手にしたハンカチを見ると
「あっ、それ、あたしのハンカチ! かえして! かえして!」
と声を上げ、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を伸ばす。
「あ、ええと、どうぞ……」
唐突な女の子の登場に戸惑った上、その勢いに押されて、わたしはハンカチを手渡す。
女の子が満面の笑みで受け取ったのを確かめると、母親である女性は
「この子、このハンカチがお気に入りでね。わざわざ届けてくれてありがとう、助かったわ。それじゃ、仕事があるからこれで失礼しますね」
そう言ってわたしが何か言いかける前にドアを閉めてしまった。
ドアの外側に飾られた蹄鉄をみつめながら、つい先ほどまで目の前にいた母娘の姿を思い返す。
もしかして、そういう事だったのかな……
……だとしたら、わたし、失敗したかもしれない。
今朝は一瞬だったので、はっきりとその姿が確認できなかったのだが、改めてじっくり見てみると、若い赤毛の女性だった。
彼女は最初わたしに訝しげな目を向けたが、その後ろにいるヴェルナーさんの姿を認めると
「あら、お隣の。何か御用かしら?」
と、警戒を解いたように笑顔を浮かべた。すかさずわたしは持っていたハンカチを広げてみせる。
「これが庭に落ちていたので、もしかしてこちらのお宅のものかと思いまして」
それを見て女性は口に手を当てる。
「まあ、わざわざどうも。うちの洗濯物、いつもお宅の庭に飛んで行っちゃうのよねえ。ごめんなさいね」
そう言ってハンカチを受け取ろうと手を差し出されるが、わたしはそれに気付かない振りをして世間話でもするように口を開く。
「そういえば今朝、家の前で黒猫を見かけたんですが、どこかの家で飼われてる猫なんでしょうか? 失礼ですがご存知ですか?」
「……さあ、知らないわ。野良猫なんじゃないかしら?」
「それならちょうど良かった」
女性が不思議そうにわたしを見る。
「実は、最近家にネズミが出るので猫を飼おうかと思ってたんです。野良猫なら我が家で引き取っても誰にも文句は言われませんよね」
そう言うと、女性はどこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせながら口を開く。
「ああ、ええと、そうだわ、思い出した。あの猫は裏の家の飼い猫だったような気がする……いえ、そのはずよ。見た事があるもの」
「あれ、そうなんですか? それなら諦めるしかないかなあ」
「そうよ。それに飼うなら白い猫の方が良いんじゃないかしら。黒猫だとほら、ね。暗くなると闇に紛れて見えなくなっちゃうわ。ねえ、だから白猫にしなさいな。それが良いわ」
「そうですか? わたしは黒猫が好きなんですけどね。少し検討してみます」
女性が何か言い掛けようと口を開くが、それを遮るようにわたしはハンカチを持ち上げてみせる。
「それにしても、先にこちらがこのハンカチに気付いて良かったです。実はさっき鏡を割ってしまって破片を庭に埋めたんですよ。ああ、勿論深く埋めたので大丈夫だとは思いますが、万が一という事もありますからね。何も知らない人が破片を踏んで怪我でもしたら大変です」
その言葉に女性が顔を強張らせたような気がした。
「おかあさん!」
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女の子はわたしの手にしたハンカチを見ると
「あっ、それ、あたしのハンカチ! かえして! かえして!」
と声を上げ、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を伸ばす。
「あ、ええと、どうぞ……」
唐突な女の子の登場に戸惑った上、その勢いに押されて、わたしはハンカチを手渡す。
女の子が満面の笑みで受け取ったのを確かめると、母親である女性は
「この子、このハンカチがお気に入りでね。わざわざ届けてくれてありがとう、助かったわ。それじゃ、仕事があるからこれで失礼しますね」
そう言ってわたしが何か言いかける前にドアを閉めてしまった。
ドアの外側に飾られた蹄鉄をみつめながら、つい先ほどまで目の前にいた母娘の姿を思い返す。
もしかして、そういう事だったのかな……
……だとしたら、わたし、失敗したかもしれない。
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