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7月と鳥の心臓
7月と鳥の心臓 4
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どうしよう……走って探したほうがいいだろうか? いっその事アトリエまで戻って――
そこまで考えて、慌てて頭を振る。
いや、落ち着くんだ。こういう時はその場から動かないほうがいい。ヴェルナーさんだって、わたしがいない事に気付いたら、きっともと来た道を戻ってきてくれるに違いない。彼がわたしを見つけるのは困難かもれないが、わたしから彼を見つける事はできるはずだ。だって、あんなに目立つ容姿をしているんだから。
わたしは近くの屋台で林檎飴を買うと、道の端っこに移動する。
もしかしたらすぐに逢えるかもしれないし、そうでないかもしれない。どちらにせよ、もしもの場合に備えて体力を温存するのだ。
道行く人の顔を見ながら、がりがりと林檎飴を齧る。甘くておいしい。飴になっても、やっぱり角はわからないけれど。
そうやって林檎飴の三分の一ほどを消費したとき、遠くで何かが光ったような気がした。
人目を引く銀色の髪の毛が、陽の光を反射している。
ゆっくりと、時に立ち止まりながら、人ごみの中からヴェルナーさんが歩いてくる。
「ヴェルナーさん!」
手を振りながら駆け寄ると、彼もこちらに気付いたようだ。
「ここにいたのか……すまない。君も知っての通り、俺は顔以外で人を判別しているから、ひとりひとり確認しながらここまで来るのに時間が掛かってしまった」
「いえ、わたしの方こそ、ついよそ見をしていて……あ、そうそう、ヴェルナーさん、ちょっとこっちに来てください」
ヴェルナーさんを先ほどの屋台の前まで引っ張っていく。
「これを見てたんです」
わたしが指差す先には、陳列用の紐からぶら下がった大量の鈴。
「これを身につけていれば、ヴェルナーさんが音でわたしの事を判別できるんじゃないかと思ったんですが……どうでしょうか?」
「……なるほど。いい考えかもしれない」
ヴェルナーさんは鈴の束を手に取り、大小さまざまなそれを選別していく。
やがてその中から一つを選び出し、わたしの前にぶら下げる。
「……これがいい」
親指の爪くらいの大きさの銀色の鈴。表面には波のような模様が刻印されていて、赤い紐がついている。
「わあ、きれい……! これ、素敵です!」
やっぱり芸術家だけあって、こういうものを選ぶセンスもあるんだろうか。
財布を出そうとすると、それをヴェルナーさんが制す。
「俺のための鈴なんだろう? だったら俺が」
そうしてさっさと代金を払ってしまう。
いいのかなと思ったが、目の前に差し出された鈴は鈍い輝きを放っていて魅力的で、わたしは誘惑に負けて受け取ってしまった。
「あの、ありがとうございます。大切にしますね!」
早速マフラーの端に結び付けようとするが、片手に持った食べかけの林檎飴が邪魔になって上手くできない。
「……俺がやろう」
ヴェルナーさんがわたしの指から鈴を取り上げ、マフラーを手に取る。
「す、すみません……」
「……ここに付ければいいんだろう?」
言いながらマフラーの編み目の間に器用に紐を通し、鈴を括り付けた。
マフラーが揺れるとちりんと涼しげな音がする。
「ヴェルナーさん。鈴の音、ちゃんと聞こえますか?」
「……ああ。よく聞こえる」
彼の答えになんだか嬉しくなって、ついマフラーを振り回した。
昼食を済ませてアトリエに戻ると、粘土槽の横にある、布を掛けられた塑像台が目に入った。
これ、この間もここにあった。
ふと気になって、上に掛けられている布をそっとめくる。両手に乗るくらいの大きさの粘土の塊。この間と同じところにひび割れが見えた。
「……それに触るなと言っただろう?」
ヴェルナーさんの冷ややかな声が聞こえ、慌てて布から手を離す。
「ご、ごめんなさい……」
二、三歩後ずさってから、わたしは躊躇いがちに尋ねる。
「あの、もしかして、この粘土の像って、エミールさんが作ったものですか?」
ヴェルナーさんがわずかに目を瞠る。
「……なぜ、そう思ったんだ?」
「ええと……この粘土像、この間見た時と同じ場所にひび割れがありました。それってたぶん、最初に粘土を荒付けする段階で、付け方が甘かったために自重で割れてしまったんじゃないかと思ったんですが……ヴェルナーさんみたいな経験者だったら、そんな初歩的なミスをするとは考え辛いし、この程度のひび割れならすぐに修正できるはず。なのに、それをせずにそのままになっています。だから――」
言いながら唇を舐める。
「これを作ったのは、それまで粘土を扱った事のない素人で、現在はひび割れを修正する事のできない何らかの理由がある。そして、このアトリエに何度も出入りできて、更には作品の制作までできるほどヴェルナーさんと親しかった人物……そう考えるとエミールさんかなと……」
わたしの言葉が途切れた後、暫くの間を置いてヴェルナーさんが溜息をつく。
「……きみにはそんな事もわかってしまうんだな」
そう言って塑像台の上にそっと手を置く。
「確かにこれはエミールが作ったもの。だが、未完成だ。これを作っている最中、彼はよく、自分がここに来なくなったらこの像を壊して欲しい、なんて言っていた。今思えば、自分の命が長くない事をわかっていたんだろう。けれど、俺はなにかの拍子に彼がまたこのアトリエに現れて、粘土像の続きを作るんじゃないか、なんて馬鹿な事を考えて、ここに残したままにしてしまっている」
そうだったんだ……そんな理由があったなんて……だから他人に触れられるのを嫌がったんだ。
もしかすると、この像は彼の元に残ったエミールさんとの唯一の繋がりなのかもしれない。だから「壊して欲しい」と言われてもそれを実行できずにいるんじゃないか。
でも、なんだろう、何故か違和感がある……。
わたしは考えるときの癖で、左目の下に指で触れる。
どうしてわざわざそんな事を言ったんだろう? なにか理由があったんだろうか? 考えすぎかもしれない。でも、もしかして――
気がつくとわたしの唇は声を発していた。
「ヴェルナーさん」
呼びかけると金色の瞳がこちらを向く。
「……その粘土像、壊してみませんか?」
そこまで考えて、慌てて頭を振る。
いや、落ち着くんだ。こういう時はその場から動かないほうがいい。ヴェルナーさんだって、わたしがいない事に気付いたら、きっともと来た道を戻ってきてくれるに違いない。彼がわたしを見つけるのは困難かもれないが、わたしから彼を見つける事はできるはずだ。だって、あんなに目立つ容姿をしているんだから。
わたしは近くの屋台で林檎飴を買うと、道の端っこに移動する。
もしかしたらすぐに逢えるかもしれないし、そうでないかもしれない。どちらにせよ、もしもの場合に備えて体力を温存するのだ。
道行く人の顔を見ながら、がりがりと林檎飴を齧る。甘くておいしい。飴になっても、やっぱり角はわからないけれど。
そうやって林檎飴の三分の一ほどを消費したとき、遠くで何かが光ったような気がした。
人目を引く銀色の髪の毛が、陽の光を反射している。
ゆっくりと、時に立ち止まりながら、人ごみの中からヴェルナーさんが歩いてくる。
「ヴェルナーさん!」
手を振りながら駆け寄ると、彼もこちらに気付いたようだ。
「ここにいたのか……すまない。君も知っての通り、俺は顔以外で人を判別しているから、ひとりひとり確認しながらここまで来るのに時間が掛かってしまった」
「いえ、わたしの方こそ、ついよそ見をしていて……あ、そうそう、ヴェルナーさん、ちょっとこっちに来てください」
ヴェルナーさんを先ほどの屋台の前まで引っ張っていく。
「これを見てたんです」
わたしが指差す先には、陳列用の紐からぶら下がった大量の鈴。
「これを身につけていれば、ヴェルナーさんが音でわたしの事を判別できるんじゃないかと思ったんですが……どうでしょうか?」
「……なるほど。いい考えかもしれない」
ヴェルナーさんは鈴の束を手に取り、大小さまざまなそれを選別していく。
やがてその中から一つを選び出し、わたしの前にぶら下げる。
「……これがいい」
親指の爪くらいの大きさの銀色の鈴。表面には波のような模様が刻印されていて、赤い紐がついている。
「わあ、きれい……! これ、素敵です!」
やっぱり芸術家だけあって、こういうものを選ぶセンスもあるんだろうか。
財布を出そうとすると、それをヴェルナーさんが制す。
「俺のための鈴なんだろう? だったら俺が」
そうしてさっさと代金を払ってしまう。
いいのかなと思ったが、目の前に差し出された鈴は鈍い輝きを放っていて魅力的で、わたしは誘惑に負けて受け取ってしまった。
「あの、ありがとうございます。大切にしますね!」
早速マフラーの端に結び付けようとするが、片手に持った食べかけの林檎飴が邪魔になって上手くできない。
「……俺がやろう」
ヴェルナーさんがわたしの指から鈴を取り上げ、マフラーを手に取る。
「す、すみません……」
「……ここに付ければいいんだろう?」
言いながらマフラーの編み目の間に器用に紐を通し、鈴を括り付けた。
マフラーが揺れるとちりんと涼しげな音がする。
「ヴェルナーさん。鈴の音、ちゃんと聞こえますか?」
「……ああ。よく聞こえる」
彼の答えになんだか嬉しくなって、ついマフラーを振り回した。
昼食を済ませてアトリエに戻ると、粘土槽の横にある、布を掛けられた塑像台が目に入った。
これ、この間もここにあった。
ふと気になって、上に掛けられている布をそっとめくる。両手に乗るくらいの大きさの粘土の塊。この間と同じところにひび割れが見えた。
「……それに触るなと言っただろう?」
ヴェルナーさんの冷ややかな声が聞こえ、慌てて布から手を離す。
「ご、ごめんなさい……」
二、三歩後ずさってから、わたしは躊躇いがちに尋ねる。
「あの、もしかして、この粘土の像って、エミールさんが作ったものですか?」
ヴェルナーさんがわずかに目を瞠る。
「……なぜ、そう思ったんだ?」
「ええと……この粘土像、この間見た時と同じ場所にひび割れがありました。それってたぶん、最初に粘土を荒付けする段階で、付け方が甘かったために自重で割れてしまったんじゃないかと思ったんですが……ヴェルナーさんみたいな経験者だったら、そんな初歩的なミスをするとは考え辛いし、この程度のひび割れならすぐに修正できるはず。なのに、それをせずにそのままになっています。だから――」
言いながら唇を舐める。
「これを作ったのは、それまで粘土を扱った事のない素人で、現在はひび割れを修正する事のできない何らかの理由がある。そして、このアトリエに何度も出入りできて、更には作品の制作までできるほどヴェルナーさんと親しかった人物……そう考えるとエミールさんかなと……」
わたしの言葉が途切れた後、暫くの間を置いてヴェルナーさんが溜息をつく。
「……きみにはそんな事もわかってしまうんだな」
そう言って塑像台の上にそっと手を置く。
「確かにこれはエミールが作ったもの。だが、未完成だ。これを作っている最中、彼はよく、自分がここに来なくなったらこの像を壊して欲しい、なんて言っていた。今思えば、自分の命が長くない事をわかっていたんだろう。けれど、俺はなにかの拍子に彼がまたこのアトリエに現れて、粘土像の続きを作るんじゃないか、なんて馬鹿な事を考えて、ここに残したままにしてしまっている」
そうだったんだ……そんな理由があったなんて……だから他人に触れられるのを嫌がったんだ。
もしかすると、この像は彼の元に残ったエミールさんとの唯一の繋がりなのかもしれない。だから「壊して欲しい」と言われてもそれを実行できずにいるんじゃないか。
でも、なんだろう、何故か違和感がある……。
わたしは考えるときの癖で、左目の下に指で触れる。
どうしてわざわざそんな事を言ったんだろう? なにか理由があったんだろうか? 考えすぎかもしれない。でも、もしかして――
気がつくとわたしの唇は声を発していた。
「ヴェルナーさん」
呼びかけると金色の瞳がこちらを向く。
「……その粘土像、壊してみませんか?」
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