7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と鳥の心臓

7月と鳥の心臓 1

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「おい、今度の日曜日……」


 言いかけて寝室に入ってきたクルトは、ベッドに腰掛けるわたしの手元を見て動きを止める。


「ちょっと待て。お前が食べてるそれって、まさか……」

「それ……って、このパンの耳の事ですか?  美術の授業で余ったものですけど」


 そう言って紙袋から取り出したきつね色の物体を、指で挟んでぶらぶらと揺らす。わたしの今日のおやつだ。デッサンした後に余ったものを貰ってきたのだ。


「やっぱり……そんなもの食べるのはやめろ! 口の周りが木炭の粉で黒くなってるじゃないか!」

「そんなものって……ひどいなあ。どうしてですか? 木炭なんてちょっとくらい食べても害はないですよ」

「どうしてもなにも、それは元々授業が終わったら棄てられるはずのものだろう? つまりゴミも同然。という事は、お前はゴミを食べているも同然なんだよ! ああ、なんて恐ろしい……!」


 言いながらクルトは口元を手で覆う。自分で想像しておいて気分が悪くなってしまったようだ。なんたる繊細少年。


「でも……」


 わたしは手元の紙袋に目を落とす。


「ゴミはこんなにおいしくないですよ」

「まるでゴミを食べた事があるかのように言うのはやめてくれ!」

「食べた事ありま――」

「やめろ! それ以上言うな! 聞きたくない!」


 叫ぶと、クルトはすごい勢いで部屋から出て行ってしまった。
 わたしは閉まったドアから目を離すとパンの耳を齧る。
 うーん……クルトって少し潔癖症のけがあるような気がするなあ……。
 でも、クルトはゴミだって言うけれど、傷んでいるわけでもない至って普通のパンの耳だし、味だっておいしい。ただちょっとだけ、木炭の粉が付着したところが黒いだけで。

 ひとりパンの耳を頬張っていると、今度は勢いよく音を立ててドアが開く。
 何事かと目を向けると、両手に何かを抱えたクルトが立っていた。ここまで走ってきたのか肩で息をしている。そのままつかつかと近づいてくると、その手に抱えていたものをわたしの膝の上にどさりと乗せた。


「うわっ、な、なんですか?」


 積み重なって崩れそうなそれを、慌てて手で押さえる。
 見れば、そこにあったのは、ビスケットやらマドレーヌやらの大量のお菓子。


「……これ、どうしたんですか?」

「売店で手当たり次第買ってきた。お前の好みがわからなかったからな。それ、全部やろう。これからもお菓子が食べたい時は俺が用意してやる」


 クラウス学園では日曜日にしか外出が許されていない代わりに、学用品やちょっとした日用品だとかを扱う売店が校内に設けられている。クルトはそこでこの山のようなお菓子を買ってきたらしい。


「それって、どういう……」


 訝しがるわたしの目の前で、両手を腰に当てたクルトが告げる。


「だからパンの耳なんて廃棄物を食べるのはやめろ」


 まさかそれだけのために、こんなに大量のお菓子を……?

「そ、そんなに嫌だったんですか……? だったらわたし、パンの耳は我慢しますよ。断腸の思いで」

「そんな事言って、俺の見ていないところでまた食べるつもりだろう!」

「それはまあ、食べますけど……でも、見えないなら問題ないでしょう?」

「だめだ! 見える見えないに関わらず、近くにいる人間があんなものを食しているという事実だけで、俺は耐えられないんだ!」


 そ、そこまで……?


「でも、そんなのは俺の身勝手だともわかっている。だからこうやって代わりのものを提供しようというんだ。不満か?」

「別に不満というわけじゃ……」

「それじゃあ決まりだな」


 クルトはなかば強引に話を纏めると満足げに頷く。
 少し見た目の悪いパンの耳を食べるか食べないかだけでこんなに大騒ぎするなんて……もしも孤児院でのわたしの生活がどんなものだったかを知ったら、クルトは卒倒してしまうんじゃ……?
 これからは細心の注意を払ってこっそり食べよう……。
 クルトの目を盗んで、パンの耳の入った紙袋をベッドの下に押し込んだ。


「そういえば、さっき何か言いかけてませんでした? 日曜日がどうとか」


 貰ったお菓子の中にチョコレートの箱を発見し、さっそく封を開ける。


「……ああ、そうだ。危うく忘れるところだった。今度の日曜日、また俺の別荘に行くからな」

「へえ、いってらっしゃい……あ、このチョコレートおいしい! まったりとして、それでいてしつこくない! クルトもひとつどうですか?」

「何を言ってるんだ。お前も一緒に行くに決まってるだろ」

「はい?」


 クルトはわたしの差し出した箱から、チョコレートをひとつ摘み上げると口に放り込む。


「……なぜだか判らないが、ねえさまからの手紙に、お前に逢いたいというような事が書いてあった。まさかお前、ねえさまに何かしたのか?」

「どうしてそんな発想になるんですか。何もしてませんよ。でも、それって、前回みたいな変わった【お願い】を頼みたいとかじゃないですよね? わたし、ああいうのはもう……」


 もしも自分のせいで、また罪もない人間を追い詰めるような事になってしまったら……そう考えると、心臓を誰かの冷たい手でぎゅっと掴まれたような感覚に襲われる。


「それは大丈夫だと思うんだが。手紙にはそういう事は特に書いていなかったし……だからこうして事前に伝えているんじゃないか」

「うん……? ええと、それじゃあ、この間事前に伝えてくれなかったのはどうして?」


 問うと、クルトは少し言いづらそうにしながら口を開く。


「それは……教えたら、お前に逃げられるんじゃないかと思って……取引を交わしたとはいえ、大人しく俺の頼み事を聞くかどうかは確信が持てなかったからな」

「ええー、こんなにも可憐で純粋な乙女を信用してなかった上に、逃げられない状況まで持ち込んだって事ですか? それって卑怯なんじゃ……」

「可憐で純粋な乙女がパンの耳なんて廃棄物を食うわけないだろ! それに言ったはずだ。俺はねえさまの願いを叶えてやりたいって。そのためにはどんな事でもすると決めているんだ。たとえ卑怯だろうがなんだろうがな!」


 クルトをここまで突き動かすものって一体何なんだろう? わたしには絶対にわからない、血の繋がった本当の家族に対する愛なんだろうか?
 やり方はどうであれ、そこまで大切に思える家族がいるというのは、やっぱり羨ましい。その様子を見ていると、できるだけ力になりたいとは思うのだが……。


「ええと、困ったな。実は、わたしも今度の日曜は予定があるので……」

「その予定を変更しろ」

「無茶言わないでください。そんな事できません」

「一体何の用事なんだ? ねえさまに逢うより重要な事なのか?」

「ヴェルナーさんに絵を習いに行くんです」

「……ヴェルナーさんに?」


 わたしはあの後、思い切ってヴェルナーさんに手紙を出した。その中で絵を教えて欲しい旨を伝えると、意外にも彼からの返事はそれを了承するものだったので、日曜日に彼のアトリエを訪ねる事になっているのだ。
 説明を聞いたクルトは、腕組みして何か考え込む。


「……それじゃあ、あの人はこれからも絵を描き続けるんだろうか?」

「それはわからないですけど。そんな事、怖くて聞けませんよ……」


 もしも「描かない」なんて答えが返ってきたら……想像したくない。
 でも、絵を教えてくれるという事は、少しは希望を持ってもいいのかな? とも思う。


「しかし手紙か……俺も出してみようかな。ヴェルナーさんにはこの間の事を謝りたいんだが」

「謝るって?」

「いや、ほら……彼の事情を知りながら、それでも絵を描いてくれだなんて……あれは俺の本心だが、それでも他に言いようはあったはずだ。なのに、あんな失礼な言い方を……」


 クルトもあの日の事を気にしていたみたいだ。ちょっと落ち込んでいるようにも見える。


「それなら一緒にヴェルナーさんのアトリエに行きましょうよ。直接謝ったらいいじゃないですか」

「残念だが、それはできない」

「どうしてですか?」

「それをしたら、ねえさまと過ごす時間が減ってしまう」

「え? あ? ああ、うん……それは……確かにそうですね……」


 この人は徹底してお姉さんの事を最優先に考えているのだ。なんだかもう感心というか、尊敬してしまう。


「それで、ヴェルナーさんとの約束は何時なんだ?」

「十時ですけど……」

「なんだ。それなら充分じゃないか」


 なにが? と問う前に、クルトはにやりと唇の端を吊り上げた。








「おい、起きろ」


 日曜の朝、クルトの声が頭上から降ってきたかと思うと、乱暴に毛布を剥ぎ取られ、わたしはぼんやりと覚醒する。
 なんだろう、この既視感……。
 大きく伸びをしながらベッドに起き上がる。窓の外はやっぱり日が出たばかり。


「出掛けるぞ」 


 結局、今日は朝からロザリンデさんと逢い、その後わたしだけがヴェルナーさんのアトリエに行くという事になった。
 クルトによってなかば強引にそうさせられたのだが。


「あの……この間も思ったんですけど、どうしてこんな朝早くから出かける必要が……あっ、いえ、やっぱり答えなくていいです。一刻も早くお姉さんに会うためですね。わかってます」

「それなら、どうして早く起きないんだ。お前には学習能力というものがないのか? わかっているのならそれに合わせて支度するのは当然だろう?」

「え……そんな事言われても……すみません」


 クルトの言い方があまりに堂々としているので、思わず謝ってしまう。
 これってわたしが悪いのかな……?


「四分で支度しろ。隣の部屋で待ってる」

「あれ? この間より一分短くなってませんか? 何かの罰ですか?」

「別に深い意味があるわけじゃないが……前回は五分、今回は四分、そして次回は三分……というように、徐々に時間を短くしていく事によって、最終的には一瞬で着替える事が可能になるんじゃないかと考えたんだ。ちょうどいいからお前で試そうと思って」

「そういうのは自分自身で試してくださいよ……でも、わたしも子どもの頃似たような事しました。孤児院の畑に生えてた麻を毎日飛び越えるんです。麻は成長が早いので、毎日飛び越える事によって最終的に脅威の跳躍力が身に付くっていう……」

「それで、どうなったんだ?」

「最初の頃は上手くいってたんですけど、ある日飛び越え損ねて麻を根元から折ってしまって……教会のシスターにすごく怒られて、それっきり。結局跳躍力に変化はありませんでしたね」


 それを聞いて、クルトがなにやら考え込む。


「日々成長する植物を飛び越える事によって驚異的な跳躍力を得る……理に適っているように思えるが、意外なところに欠陥が……という事は、俺の理論にも何か問題が……?」

「あ、そういうのも隣でゆっくり考えてください。わたしはその間に着替えるので」


 言いながらドアを開け放つと、クルトを寝室から押し出す。
 ドアが閉まる間際、クルトが振り向く。


「今の話で一分無駄にした。あと三分で支度しろよ」


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