7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月と顔のない肖像画

7月と顔のない肖像画 8

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「ユーリくん。なんだか顔色が悪いようだけど、どうかしたの? どこか具合でも悪い?」


 ロザリンデさんの声に我に返ったわたしは、慌てて首を振る。


「い、いえ、なんでもないです。ご心配なく……」


 お屋敷に戻ってきたわたし達は、先刻と同じように三人でテーブルを囲んでいる。
 その場にはなんとなく重苦しい空気が流れ、わたしはなかなか口を開く事もできず、カップの中の紅茶をじっとみつめる。

 クルトもなんだか口数が少ない。わたしが先ほどの事ばかり考えてしまうように、彼の頭の中もまたヴェルナーさんの件に支配されているのかもしれない。
 そんなわたし達の様子を不思議そうに眺めて、ロザリンデさんが口を開く。


「それで、どうだったの? またヴェルナーさんのアトリエに行ったんでしょう? 今度こそ肖像画の事についてなにか判ったのかしら?」


 その言葉にどきりとする。その質問がいつ飛んでくるのかと恐れていた。
 エミール・シュナイトの肖像画の件を説明するには、必然的にヴェルナーさんのあの秘密も話さなければならない。
 アトリエを辞去する際、ヴェルナーさんは


「……今日の事はもう隠す必要もない。誰かに話すというのならそれでも構わない」


 と言っていたのだが、だからといって彼が肖像画を描けない理由を正直にロザリンデさんに話すのは躊躇われた。


「それは……あの……」


 言いよどんでいると、それを遮るようにクルトが話し出す。


「その件だが……おそらく肖像画を黒く塗り潰したのは、持ち主だったエミール・シュナイト本人だ」


 わたしはちらりとその顔を伺う。正直なところ、クルトが話し出してくれてほっとした。彼に任せるのは申し訳ないが、自分の口からはとても話す気になれない。


「……彼が不注意で顔の部分を汚してしまって、それを隠すために自分で真っ黒に塗り潰したんだ。肖像画を他人に見せなかったり、ベッドの下に隠したりしたのは、その失敗を誰かにみつかって咎められたくなかったから」

「え?」


 大きな声を上げそうになり、わたしは咄嗟に自分の口を手で押さえる。
 思わずクルトの顔をみつめると目が合った。彼はしきりと何かを訴えるような視線をこちらに向けてくる。


「大切にしていた肖像画を好んで台無しにするはずがないし、そんなに気に入らなければ絵自体を処分すればいいだけ。それをしなかったのは、汚れても自分の手元に残しておきたかったからだ。ヴェルナーさんが黒く塗り潰した肖像画を描く訳もないし、そう考えればすべて納得がいく。それが俺たちの出した結論だ。そうだろう? ユーリ」


 クルトが言わんとしている事を理解して、わたしは慌てて同調する。


「そ、そうなんです。クルトの言うように、きっとエミールさんが汚してしまったんです。それしか考えられません。だから、その……そういう訳なので、今その肖像画を持っている方にも、処分したりしないよう、これからも大切にして欲しいとお伝えください。お願いします……!」


 ロザリンデさんは大きな目を瞠ってわたしとクルトの顔を交互に眺めていたが


「まあ、そうだったの」


 胸の前で両手を組み合わせるとにこりと微笑む。


「そうね。確かに言われてみたらそれが正しいような気がするわ。顔が塗り潰されていたから、てっきり何か深い意味があるんじゃないかと思ってしまったけれど……普通に考えたら、そんな事滅多にないわよね」


 笑顔のままうんうんと頷く。
 どうやら納得してくれたみたいだ。わたしはほっと胸を撫で下ろす。


「わかりました。この事はエミールさんの親族の方にお伝えしておきます。きっとあちらにも納得して頂けるんじゃないかしら。おかげで私もすっきりしたわ。二人ともありがとう。あなた達に頼んでよかった」







「ねえクルト。あれでよかったんですか? ロザリンデさんに嘘つくような事して……」


 学校へと向かう道で、隣を歩くクルトに尋ねる。


「いいはずがない」

「やっぱり……」

「でも、それ以上にヴェルナーさんの事を知られたくなかった。もちろんねえさまの事は信頼しているが、それでもどこから話が漏れるかわからない。それがヴェルナーさんの画家生命を絶つような事態になるのは、もっとよくないと思った。あの人の才能をこのまま埋もれさせたくない」


 あんなにお姉さんのために必死になるクルトの事だ。彼女の【お願い】に対して真実ではない内容を伝えるのには抵抗があったかもしれない。それでも、ヴェルナーさんのために彼は嘘をついたのだ。


「あとは、ヴェルナーさんが立ち直ってくれたらいいんだが……」


 わたしはヴェルナーさんの事を思う。
 彼はわたしと少し似ているような気がする。家族もなく、誰にも言えない秘密を抱え、ひとり不安の中で生きているのだ。心細くて仕方のない事だってあるかもしれない。


「お、おい、なんで泣くんだよ」


 クルトの焦ったような声が聞こえ、わたしは慌ててごしごしと自分の目元を擦る。


「だ、だって――だって、ヴェルナーさん、家族みたいに大切に思ってた人を失って……その上生きがいだった絵も諦めようとしてるなんて……」

「だからってお前が泣く事ないだろ」


 ――だって、わたしが余計な事をしたから。
 それを口に出す前に、目の前に何かを差し出された。


「あんまり擦ると、またひどい顔になるぞ。これ、使えよ」


 その手の中にあったのは、綺麗に畳まれたハンカチ。
 素直に受け取り目に当てると、微かにいい香りがした。
 クルトは何も言わない。下手な慰めの言葉もなく、いつかの夜と同じように、ただ黙って傍にいる。
 けれど、わたしにはそれが何よりもの慰めだった。
 夕日に染まる空の下、わたし達は黙ったまま歩き続けた。





(7月と顔のない肖像画 完)
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