7月は男子校の探偵少女

金時るるの

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7月の入学

7月の入学 6

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 日曜日。
 鐘の音で目覚めると、クルトは既にどこかに出掛けてしまったようで、ベッドはもぬけの殻だった。


「朝ごはんも食べずにどこに行ったんでしょうか」

「そりゃお前、あれだろ。デートだろ」


 フランツが朝食のゆで卵の殻と格闘しながら答える。


「そうかなあ。まだ入学したばかりだし、そんな相手を作る暇もなかったと思うけど。外出だって日曜日にしかできないしね」


 テオはちぎったパンを口に放り込む。
 休日という事もあり、今日は三人とも制服を着ていない。食堂のあちらこちらでも、私服姿の生徒の姿が目立つ。


「何もこっちに来てからの相手とは限らねえだろ」

「と、いうと?」


 フランツはにやりと唇の端を吊り上げる。


「たとえば、許婚とか」

「いいなずけぇ?」


 思わず素っ頓狂な声を漏らすわたしに、フランツは得意げに続ける。


「そうそう。その許婚がここからちょっと離れた街なんかに住んでてさ。で、逢いに行くために朝っぱらから出掛けたってわけ。どうだこの予測」

「はあ、まったく想像力豊かですね。いえ、この場合は妄想力とでも言ったほうが正しいかも」

「俺の華麗な推理を妄想呼ばわりかよ。失礼な奴だな。こうなったらクルト本人を問い詰めて真相を確かめるしかねえな」


 フランツはなんだか張りきり始めた。そんなにクルトの恋愛事情が気になるのかな。
 しかし許婚か。クルトは貴族の家柄だという事だし、案外あり得る話なのかもしれない。上流階級のしきたりなんかは庶民の自分にはよくわからないが、もしかしてフランツやテオにもそういう相手がいるんだろうか?

 クラウス学園は名門校だと聞いているし、二人とも良い家柄の出身だとしてもおかしくはない。
 不思議な気持ちで二人の顔を見比べていたら、危うく本題を忘れるところだった。
 唇を舌で湿らせると、タイミングを見計らって切り出す。


「ところで、二人とも今日は何か予定があるんですか?」

「んー、特にねえけど」

「僕も」


 その答えに、わたしは身を乗り出す。


「それじゃあ、よかったらみんなで街に行ってみませんか?」

「お、ナンパでもすんのか?」

「そんな破廉恥な事しませんよ。普通に買い物して、カフェでお茶を飲んで。美味しいお菓子のお店も知りたいし……あ、久しぶりにチョコレートが食べたい! あと、林檎のパイに、さくらんぼのケーキも!」

「食い物ばっかりじゃねえか」


 フランツが呆れたような声を上げると、テオも隣で笑う。


「あはは。でも、街の全貌がどんな風になってるか興味あるよね。いいよ、行こう。僕も欲しいものがあるし」

「わあ、ほんとですか、テオ」

「うん。それに、この街には蝶の標本を扱うお店があるんだってさ。楽しみだな」


 突然フランツが食べる手を止めた。


「オレはやめとく」

「え?」


 その事態に焦ってしまう。元々はフランツとテオに親しくなって欲しいと計画した事なのに、肝心のフランツが行かないというのであれば失敗したも同然ではないか。


「そんな事言わずにフランツも行きましょうよ。きっと楽しいですよ。あ、もしかして蝶を見たくないとか? それなら無理にお店の中に入らなくても……」

「そんなんじゃねえよ。最近寝不足なもんだから、今日はゆっくり寝たいんだ。あ、そうだユーリ、お前のベッド貸してくれよ。自分の部屋だとなんか寝た気がしなくてさ。部屋の交換が禁止でも、借りるくらいならいいだろ」

「でも、せっかくの休みなのに……」

「しつこいぞ。とにかくオレは行かないからな。行くならお前ら二人で行けよ」


 そう言い置くと不機嫌そうにさっさと席を立ってしまった。取り付く島もない。
 残されたわたしはテオと顔を見合わせた。







 結局フランツは本当に「寝る」と言ってわたしの寝室に篭ってしまったので、テオと二人で街を見物する事にした。
 当初の計画が狂ってしまったが仕方ない。わたしも外出したかったし、折角だから細かい事は忘れて楽しむことにしよう。
 今までは広場周辺と学校までの道のりくらいしか知らなかったが、改めて見るこの街は思っていたよりずっと大きかった。石畳で舗装された路面の両脇には街路樹が茂り、石造りの建物が立ち並ぶ。

 テオと二人してきょろきょろしながら、あちらこちらのお店を覗く。洋品店や食料品店、露店の小物など、目に映るものはどれもわたしにとっては新鮮で、ついつい足を止めてしまう。


「テオ、次はあそこに行きましょう!」

「う、うん。わかった。わかったから、ちょっと落ち着いてよ……」


 書店から出た後、テオを引っ張って一軒のお店に入る。
 そこは店舗の半分に雑貨、もう半分にはお菓子――と言っても気取った感じではなく、手ごろな値段のキャンディやビスケットといった駄菓子が並ぶ、要するに子どもに人気のありそうなお店だった。
 その中の、チョコレートが一杯詰まった瓶に自然と吸い寄せられる。


「わたし、両手一杯のチョコレートをいっぺんに食べるのが夢だったんですよ」

「あはは、僕も小さい頃は似たような事思ってたかも」

「ナッツ入りにキャラメル入りに、ペパーミントもある……! ああ、どれにしよう。チョコレートビスケットも気になるし……」

「それなら、全部買ったらいいじゃない」


 その言葉に思わずテオの顔を振り仰ぐ。
 欲しければ全部買えばいいだなんて、裕福な家の子の発想だ。ひょっとすると、今のわたしみたいに、無数のお菓子の中から一つだけを選ぶために長い間悩む……なんて経験をした事もないのかもしれない。

 しかし――と改めて考え直す。今の自分には多少自由になるお小遣いもある。テオの言う通り、全種類のチョコレートを手に入れる事も不可能ではないのだ。
 悩んだ末、気になるチョコレートを同じ金額分ずつ買う事にした。ペパーミントチョコレートは他よりも値段が高かったので量が少ない。それでもわたしにとっては、いまだ食べた事のない量だ。袋に詰めて貰って上機嫌で店を後にした。







「残念でしたね。目当ての標本がなくて」


 噴水の近くのカフェでレモネードを飲みながら、テオに慰めの言葉をかける。
 先ほど蝶の標本を扱うという例のお店へと寄ってきたのだが、彼の欲しいものは見つからなかったのだ。


「まあ、気長に探す事にするよ。そういうのも楽しみのうちだしね」

「モルフォチョウ……でしたっけ? どんな蝶なんですか?」

「あ、興味ある? 北アメリカ南部から南アメリカにかけて生息する蝶でね、光沢のある綺麗な青い色の羽をしてるんだ。でも、それは元々の羽が青いわけじゃなくて、羽の表面の鱗粉で光の干渉が起こるためにそう見えるんだよ。その美しさから『生きた宝石』とも呼ばれていて――」


 そう話す彼は嬉しそうだ。本当に蝶が好きなんだな。傍らのコーヒーから立ち昇る湯気の勢いが、徐々に衰えてゆく事にも気づかないくらいに。
 と、急にテオが顔を赤らめて口を噤んだ。喋りすぎたと思ったのかもしれない。話題を変えるようにわたしに水を向ける。


「ユーリには、何か趣味はないの?」

「残念ながら、無趣味、無芸大食です」


 わたしには何かを蒐集するような趣味はないから、テオの気持ちもいまいちわからない。そういうふうに夢中になれるものがあるのが少し羨ましくもある。


「今度、テオの持ってる蝶を見せてくださいよ。とびっきり綺麗なのを」

「もちろん。君が興味を持ってくれて嬉しいな。さすがに今日行ったお店よりは劣るけど、それでも僕の自慢のコレクションなんだよ。あ、でもフランツが嫌がるかな……」

「そんなの、こっそり見せてくれたらわかりませんよ」

「それもそうか。それじゃあ今度、フランツのいないときに、こっそりね」


 「こっそり」という言葉に、なんだか秘密を共有したような気がして、どちらともなく笑い声を漏らす。
 その時、テオが何かに気づいたようにふと顔を上げた。


「あれ? あそこ、どうかしたのかな? ほら、あの噴水のところ」


 首を巡らして目を向けると、噴水のすぐ近くに何名かの人々が集まっているのが見えた。腰をかがめていたり、しゃがんでいたり、みんな地面に顔を向けてはうろうろしている。
 その中に見覚えのある顔を見つけた。確か初めてこの街に来た時に、噴水の言い伝えについて教えてくれたあの老紳士だ。彼もまた人の輪の中で何かを探すように地面を見て回っている。何かあったんだろうか?


「ねえテオ、わたしたちも様子を見に行きませんか? あの中にちょっと知ってる人がいるんです」

「え? うん。別に構わないけど」


 同意を得られたので、急いでレモネードを飲み干すと噴水の方へと向かう。


「あの、何かあったんですか?」


 例の老紳士に声を掛けると、彼はわたしを覚えていたのかは定かではないが


「ああ。お前さん達も手伝ってくれるかね」


 と、苦笑に似た表情を浮かべた。


「実は、あのご婦人がこのあたりでうっかり硬貨をばら撒いてしまってな。近くにいた人やなんかと一緒に探し回っているんだよ」


 彼の視線の先には、うろたえる年配の女性の姿が。


「困ったわ。どうしましょう。何度数えても五百クラール銀貨が二枚足りないのよ」


 五百クラール銀貨。この国の硬貨の中では最も高額なものだ。一枚あればさっきのお店にあったようなチョコレートが何十個も買える。それが二枚。ここにいる多くの人々にとっても、決して少なくない金額だ。だからこそみんな手伝っているのかも。


「これだけ探しても見つからないなんて……もう諦めたほうがいいのかしら……」

「結論を急いではいけませんよ。予想外に遠くに転がっていってしまったのかもしれません。もう少し頑張りましょう」


 不安げな女性に、老紳士が励ますように声を掛ける。
 そうは言うが、このままいつまでも見つからなかったらどうするんだろう。止め時を見失ったまま、多くの人がずっと硬貨を探し続ける? それとも、最終的にあの女性が決して安くはない金額を諦めるんだろうか。どちらにしろ後味は良くない。
 わたしは傍らにいたテオを手招きする。


「申し訳ないんですけど、五百クラール銀貨を二枚貸して貰えませんか? 後で絶対返しますから。わたし今、持ち合わせがなくて……」

「ごめん、僕も今は持ってないんだ。あ、お札ならあるけど、それじゃだめかな?」


 なんとも都合よくいかないものだ。仕方ない。こうなったら……。


「ねえテオ、頼みたい事があるんですけど……」


 耳打ちすると、テオは驚いたようにこちらを見た。


「え? で、でも……」

「お願いします……! この場を収めるにはそれしかないと思うんです」


 さらに頼み込むと、テオは目を泳がせながら思案していたようだったが、やがて


「わかった。やってみるよ」


 と、やや緊張した面持ちで、人の輪を抜け出して噴水の反対側へと回り込んでいった。
 それを確認すると、わたしは硬貨を探している人々を見渡せる位置に移動する。


「みなさーん! 少しわたしの話を聞いてもらえませんかあ!?」


 手を高く上げて声を張り上げると、それまで地面に向けられていた人々の顔が一斉にこちらを見た。何事かと近づいてくる者もいる。噴水だけがみんなの背後でいつもと変わらず水を噴き上げている。
 集まってきた人々の視線から感じる妙な圧力に怯みそうになるが、それに負けじとさらに続ける。


「先程から、みなさんは丹念に硬貨を探しているようでしたが、それだけしても見つからないという事は、わたしが思うに、残念ながら硬貨はもうここにはないと思うんです」


 人々は顔を見合わせざわめいた。例の老紳士が


「どういうことかね?」


 と声を上げる。


「例えば……そうですね。何者かが持ち去ったとか」


 それを聞いて、渦中の女性は溜息をつく。


「やっぱりそうなのかしら。誰かが拾ってそのまま自分のものにしてしまったのかも……」


 その呟きに、近くにいた若い男性が若干の苛立ちを感じさせる声を上げた。


「おい、あんた、まさかこの中の誰かが硬貨をネコババしたって疑ってるんじゃないだろうな。こっちは探すのを手伝ってやってるってのに、よくもそんな事が言えるな」

「ご、誤解ですわ。そんな事思ったりなんかしてません。皆さんにはとても感謝しています。きっと、事情を知らない通りすがりの誰かの仕業だと言いたかったんです」


 女性が弁明するものの、空気が悪くなりかけたので、わたしは慌てて間に入る。


「待ってください。わたしは何も硬貨を持ち去ったのが人間だとは言ってません」



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