38 / 145
7月と兄弟
7月と兄弟 5
しおりを挟む
翌日から、クルトは例のおかしな親切心を発揮する事はなく、以前のような状態に戻った。
そちらのほうがいちいち言動に気を遣う必要もなくなるので、わたしとしても助かるのだが。
でも、彼はどうして急にあんな風になってしまったんだろう。そしてどうしてまた何事も無かったように元に戻ったのか。
それがわからなかった。
「ねえ、クルト、聞きたいことがあるんですけど」
わたしが声を掛けると、向かい側のソファで本を読んでいたクルトが顔を上げる。
「どうして最近変だった……」
そこまで言いかけて慌てて言い直す。
「ええと、どうして変に親切にしてくれたんですか?」
「別に、俺はそんな事したつもりはない」
それだけ答えて再び本に目を落とそうするので、わたしは引き止める。
「うそ。お茶を淹れてくれたり、お菓子を買ってきてくれたり、明らかにおかしかったですよ。それに、わたしが課題を押し付けようとしたのに気付いて、クルトは『自分の馬鹿さ加減に呆れる』って言ってましたよね。それって、親切にしたつもりが、逆にそれを利用されるなんて馬鹿みたいだっていう意味で言ったんじゃないんですか? 親切にしてた自覚があるからこそ、そんな発言をしたし、あんなに怒ったんですよね?」
そう言うとクルトは持っていた本を閉じ、大きく溜息をつく。
「……そうだよ。お前の言ったとおりだ。そこまでわかってるなら、もう良いだろ」
「わたしが知りたいのは、どうしてクルトが急にそんなことしたのかという事です。もう気になって気になって、夜しか眠れません」
「ねえさまみたいな事を言うのはやめろ」
うーん、なかなか話してくれない。
その時、わたしはふと思いついて口を開く。
「……パン」
「うん?」
「教えてくれないのなら、わたし、クルトの目の前で、デッサンに使った後の木炭まみれのパンを食べます」
それを聞いた途端、クルトの顔が驚愕で歪む。
「お、お前、それはもう食べないって約束しただろう!?」
「約束したのは『パンの耳』です。だから、今度はパンの耳以外を食べます。本気ですよ。わたしは木炭がついてても気にしませんよ」
クルトは額に手を当て顔を伏せる。
「……わかった、話すから……だから、それは本当にやめてくれ。なんであんなものを平気で口にできるんだ。恐ろしい……」
思いつきで言ったが、案外効果的だったようだ。
しかし、話すと言いながら、クルトはなかなか口を開こうとしない。
それでも辛抱強く待っていると、やがてぽつりと話し出す。
「……この前、お前に言っただろう? 『きょうだいみたいに扱われるのは迷惑だ』って。確かにあれは俺の本心だが、わざわざ口に出す必要はなかった。我ながら酷い事を言ってしまったと思って……」
「え? まさか、それだけで?」
クルトは腕組みをして首を横に振る。
「それだけじゃない。お前と取引したこと。秘密をばらされたくなければ言う事を聞けだなんて……あの時はねえさまの【お願い】の為に必死だったとはいえ、そんなの、やっぱり卑怯だろう? でも、俺はお前みたいに問題を解決する能力は無いし、もしもお前が困っていたとしても、助けになれる気がしない。だから、せめて別の事で埋め合わせをしたいと思って……」
それを聞いてふと思った。もしかしてクルトはあの取引の事、ずっと気にしてたのかな。表面上はそんな素振りも無かったけど、心の底ではずっと引っ掛かっていたのかもしれない。行き過ぎた親切は彼なりの贖罪だったんだろうか。
「でも、それならそうと言ってくれたら良かったのに。急に親切にされたらびっくりしますよ」
わたしの言葉にクルトは眉を顰める。
「それはおかしいだろう。お前がもしも俺の立場だとして『いつぞやは大変申し訳ないことをしたので、お詫びさせてください』とわざわざ宣言してから行動に移すのか?」
「えっ……それは、しませんけど……」
「そうだろう? それなら俺が別に何も言わなくても問題ないはずだ」
「でも、クルトの親切はちょっとやりすぎと言うか、違和感があるというか……」
「おかしいな。ねえさまにはそんなふうに言われた事はないんだが」
「えっ……あの、もしかして、ロザリンデさんにも同じことしてるんですか?」
おそるおそる尋ねるわたしに、クルトは頷く。
うそ……ロザリンデさん、あの予測できないクルトの親切にどうやって対処してるんだろう。すごいな。
そんな事を考えていると、クルトが口を開く。
「でも、お前は結構調子に乗りやすいみたいだし、そういう事をするのはもうやめた」
「えー、でも、それを言うなら、クルトだって結構かっとなりやすいですよね」
そう言うと、クルトは気まずそうに目を逸らす。
「それも踏まえてやめたんだ」
その様子からして、あの夜の事をまだ少し気にしているみたいだ。堪え切れなかったとは言え、泣いてしまったのがまずかったのかも。
わたしは慌てて両手を振る。
「で、でも、そんな事しなくても大丈夫ですよ。わたし、今までクルトに色々なものを貰いましたし。服とか、お菓子とか。このマフラーだって、前のに比べると暖かいし、軽いし、肌触りだってすごくいいし、気に入ってるんです。美意識のためとはいえ、嬉しかったです。大切に使いますね」
その言葉に、クルトは小さな声で呟く。
「別に、美意識のためだけじゃ……」
途中からよく聞こえなかった。わたしが聞き返すより早く、クルトが続ける。
「こうしてよく見ると、そのマフラー、お前に似合ってる」
「え、そうですか? ありがとうございます」
お礼を言うと、クルトが小さく笑う。
「俺の美意識に従って選んだんだから、似合って当たり前だけどな」
そちらのほうがいちいち言動に気を遣う必要もなくなるので、わたしとしても助かるのだが。
でも、彼はどうして急にあんな風になってしまったんだろう。そしてどうしてまた何事も無かったように元に戻ったのか。
それがわからなかった。
「ねえ、クルト、聞きたいことがあるんですけど」
わたしが声を掛けると、向かい側のソファで本を読んでいたクルトが顔を上げる。
「どうして最近変だった……」
そこまで言いかけて慌てて言い直す。
「ええと、どうして変に親切にしてくれたんですか?」
「別に、俺はそんな事したつもりはない」
それだけ答えて再び本に目を落とそうするので、わたしは引き止める。
「うそ。お茶を淹れてくれたり、お菓子を買ってきてくれたり、明らかにおかしかったですよ。それに、わたしが課題を押し付けようとしたのに気付いて、クルトは『自分の馬鹿さ加減に呆れる』って言ってましたよね。それって、親切にしたつもりが、逆にそれを利用されるなんて馬鹿みたいだっていう意味で言ったんじゃないんですか? 親切にしてた自覚があるからこそ、そんな発言をしたし、あんなに怒ったんですよね?」
そう言うとクルトは持っていた本を閉じ、大きく溜息をつく。
「……そうだよ。お前の言ったとおりだ。そこまでわかってるなら、もう良いだろ」
「わたしが知りたいのは、どうしてクルトが急にそんなことしたのかという事です。もう気になって気になって、夜しか眠れません」
「ねえさまみたいな事を言うのはやめろ」
うーん、なかなか話してくれない。
その時、わたしはふと思いついて口を開く。
「……パン」
「うん?」
「教えてくれないのなら、わたし、クルトの目の前で、デッサンに使った後の木炭まみれのパンを食べます」
それを聞いた途端、クルトの顔が驚愕で歪む。
「お、お前、それはもう食べないって約束しただろう!?」
「約束したのは『パンの耳』です。だから、今度はパンの耳以外を食べます。本気ですよ。わたしは木炭がついてても気にしませんよ」
クルトは額に手を当て顔を伏せる。
「……わかった、話すから……だから、それは本当にやめてくれ。なんであんなものを平気で口にできるんだ。恐ろしい……」
思いつきで言ったが、案外効果的だったようだ。
しかし、話すと言いながら、クルトはなかなか口を開こうとしない。
それでも辛抱強く待っていると、やがてぽつりと話し出す。
「……この前、お前に言っただろう? 『きょうだいみたいに扱われるのは迷惑だ』って。確かにあれは俺の本心だが、わざわざ口に出す必要はなかった。我ながら酷い事を言ってしまったと思って……」
「え? まさか、それだけで?」
クルトは腕組みをして首を横に振る。
「それだけじゃない。お前と取引したこと。秘密をばらされたくなければ言う事を聞けだなんて……あの時はねえさまの【お願い】の為に必死だったとはいえ、そんなの、やっぱり卑怯だろう? でも、俺はお前みたいに問題を解決する能力は無いし、もしもお前が困っていたとしても、助けになれる気がしない。だから、せめて別の事で埋め合わせをしたいと思って……」
それを聞いてふと思った。もしかしてクルトはあの取引の事、ずっと気にしてたのかな。表面上はそんな素振りも無かったけど、心の底ではずっと引っ掛かっていたのかもしれない。行き過ぎた親切は彼なりの贖罪だったんだろうか。
「でも、それならそうと言ってくれたら良かったのに。急に親切にされたらびっくりしますよ」
わたしの言葉にクルトは眉を顰める。
「それはおかしいだろう。お前がもしも俺の立場だとして『いつぞやは大変申し訳ないことをしたので、お詫びさせてください』とわざわざ宣言してから行動に移すのか?」
「えっ……それは、しませんけど……」
「そうだろう? それなら俺が別に何も言わなくても問題ないはずだ」
「でも、クルトの親切はちょっとやりすぎと言うか、違和感があるというか……」
「おかしいな。ねえさまにはそんなふうに言われた事はないんだが」
「えっ……あの、もしかして、ロザリンデさんにも同じことしてるんですか?」
おそるおそる尋ねるわたしに、クルトは頷く。
うそ……ロザリンデさん、あの予測できないクルトの親切にどうやって対処してるんだろう。すごいな。
そんな事を考えていると、クルトが口を開く。
「でも、お前は結構調子に乗りやすいみたいだし、そういう事をするのはもうやめた」
「えー、でも、それを言うなら、クルトだって結構かっとなりやすいですよね」
そう言うと、クルトは気まずそうに目を逸らす。
「それも踏まえてやめたんだ」
その様子からして、あの夜の事をまだ少し気にしているみたいだ。堪え切れなかったとは言え、泣いてしまったのがまずかったのかも。
わたしは慌てて両手を振る。
「で、でも、そんな事しなくても大丈夫ですよ。わたし、今までクルトに色々なものを貰いましたし。服とか、お菓子とか。このマフラーだって、前のに比べると暖かいし、軽いし、肌触りだってすごくいいし、気に入ってるんです。美意識のためとはいえ、嬉しかったです。大切に使いますね」
その言葉に、クルトは小さな声で呟く。
「別に、美意識のためだけじゃ……」
途中からよく聞こえなかった。わたしが聞き返すより早く、クルトが続ける。
「こうしてよく見ると、そのマフラー、お前に似合ってる」
「え、そうですか? ありがとうございます」
お礼を言うと、クルトが小さく笑う。
「俺の美意識に従って選んだんだから、似合って当たり前だけどな」
0
お気に入りに追加
175
あなたにおすすめの小説

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
舞姫【中編】
友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。
三人の運命を変えた過去の事故と事件。
そこには、三人を繋ぐ思いもかけない縁(えにし)が隠れていた。
剣崎星児
29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。
兵藤保
28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。
津田みちる
20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われた。ストリップダンサーとしてのデビューを控える。
桑名麗子
保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。
亀岡
みちるの両親が亡くなった事故の事を調べている刑事。
津田(郡司)武
星児と保が追う謎多き男。
切り札にするつもりで拾った少女は、彼らにとっての急所となる。
大人になった少女の背中には、羽根が生える。
与り知らないところで生まれた禍根の渦に三人は巻き込まれていく。
彼らの行く手に待つものは。

ダブルの謎
KT
ミステリー
舞台は、港町横浜。ある1人の男が水死した状態で見つかった。しかし、その水死したはずの男を捜査1課刑事の正行は、目撃してしまう。ついに事件は誰も予想がつかない状況に発展していく。真犯人は一体誰で、何のために、、 読み出したら止まらない、迫力満点短編ミステリー
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる