本屋の賢者は、星の唄で眠りにつきたい

蒼乃ロゼ

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番外編 過客のゆりかご【アルバス】

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 天上の神々と対になるよう勢を成す、魔神。
 彼らの子である魔族は、魔神の魔力の残滓と言われる結晶よりその魂が生まれる。
 色濃く継いだ魔力、能力。姿かたち、あるいは精神的な何かを指す名を伴って地上に降り立つ。

 その見目は様々であるが、少なくとも魔物とは区別がつき人に近い。
 人の子らのように『幼子』の姿を持つ者もいるが、肉体が生成される際には膨大な魔力を元とする。
 『大人』の姿を持って生まれた者は、高い知恵と能力を有して生まれるのだ。

 しかし、『心』に限って言えば──
 年月や目にした景色に伴って移り変わるのは他種族と変わらない。
 そう言えるだろう。



「──ってわけで、ぶっ殺してやったのさ」

 魔族の国。
 国、というには少々人間とは異なるものであるが。
 それでも『堅牢なる者』や『尊き者』のように、魔族が集まる場所を提供することが生きる道とする者もいた。
 そうした者たちが築いた国のような集合体は、人間のそれとは異なるものの一定の安定を持って存在した。
 少なくとも、魔族の基準では。

「へー。どうだった?」
「どう、って言われても……うるさかった? まぁ、人間のガキは嫌いだな」

 とある集落の酒場。
 『差し出す者』が経営するそこは、人間の酒場と大差ないのであるが。
 繰り広げられる会話は、些か物騒であった。
 カウンターに座り、彼らの話を背中越しに聞いたアルバスは、『虚ろなる者』の名を持つ同胞の話を聞いても、何の感情も湧かなかった。
 それどころか自分の名に反する行いを聞いた時には、百余年を生きてもなお自分の居場所は本当にここなのだろうかと感じるほどだ。

「よぉ。あんたはもう、人間と会ったのか?」

 朱の長髪が、まるで星々のように輝いて見える。
 静かに過ごしていてもその存在は自然と男の視界に映り込んだ。
 人の子が嫌いだという男が興味本位で声を掛けると、そのまばゆさからは想像もできない冷たい声が返ってきた。

「さあな」
「……んだぁ? ノリわりぃ。てめぇもぶっ殺すぞ!?」
「おい、バカ。やめとけ! そいつは──」
「【聖葬アンヘイル】」
「っんぎぃあーッ!!??」

 アルバスが面倒に思いながらも唱えると、その白き炎は一切体に傷を付けない代わりに相手の叫びには容赦なかった。
 同系統の魔法であれば、魔力の差が物を言う。
 アルバスは相手の力量が分からずとも効果のある、最も賢い選択をした。

 傷は付けないのであるが、猛々しい炎は勢いを増すばかり。
 相手には打ち消すことのできないであろう魔法で、アルバスはその煩わしい『叫び』を黙らせた。

「~っ!? っ、~~!」
「こっ声が……! て、天上のっ!? 聖浄の魔法を使えるのか!?」
「ぁ、アルバスだ。あいつ、あの──!」

「騒がせたな」
「い、いえ」

 戸惑う者たちを何とも思っていないとでもいうように、涼しい顔をしたアルバス。
 カウンター上に多めに金を置き、さっさとその場を後にする。



 特に当てもなく歩く。
 百余年、同様の道筋だった。

 魔力が体の元となる魔族は飢えを知らない。
 世界に魔力は溢れるのだから、当然だ。

 代わりに、渇きにも似た空虚な感覚を覚える。
 それはアルバスが未だその自身の名を魔族の中に見出せないからだった。

 自由というのは、こんなにも退屈なのかと思った。

(飽いた)

 アルバスは同族とのやり取りに飽く。

(なぜ生まれた?)

 それも魔族として。その名を体現するには、あまりにも不向きな種族に感じた。

 ──っ

(……?)

 そんな時だった。
 聞こえたのは、何かを求める声だった。

「なんだ……?」

 ぽつり、ぽつりと雫のように零れる言葉。
 初めは遠いものだったそれは、徐々に存在が目の前にあるかのように聞こえる。

 ──だれか、

(人間、……なのか?)

 同族に聞いたことがある。
 世界で唯一魔法を忘れた人間は、天上の神か、もしくは魔族に力を借り受けるのだと。
 祈りとはすなわち気を高める行為。
 魔法を扱う者にとっては日常的なものを、人間だけはどこか神聖視しているらしい。
 『声が聞こえる』と言っていたのはこのことか、とアルバスは納得した。

(ちょうどいい)

 魔族の中では満たされなかったそれを埋めることはできるのか。
 アルバスは変わらぬ現状がどうにかなればと気まぐれに呼び声に応えた。


 ◆

「~~っ!」
「──!!」

「……」
「……ぁ」

(騒がしい)

 『善なる者』の名を持って生まれた魔族の男は、悲鳴が響く部屋にて一人の人間と邂逅した。
 気まぐれに応じたその声の主は、縋るような眼をしたひどく美しい人間の幼子だった。

「……」

 震えている。言葉すらも出ないほど。
 ただそのうつくしい金の瞳だけは、何かはっきりとした目的があるのだとアルバスに告げた。

「して、何用だ?」

 未だ周りには幼子を見張るかのような大人たちが狼狽えている。
 アルバスの人外な美しさにか、はたまた神術師と言われる者ならその魔力の差に驚愕としているのか。

 広いだけの牢獄のような、冷たい石が敷き詰められた空間で、幼子だけが真っ直ぐにアルバスを見た。

「っ、あ、の」
「なんだ」
「ぼっぼくは、にんげんになりたい。だから……魔法がなきゃっ、だめなんです」
「?」

(人間だろう)

 どう見ても。
 身体的な特徴だけではない。
 内に秘める魔力が滞っているのは、この世で唯一人間だけが持つ特徴だ。

「言っている意味が分からんな」
「ま、まほうがっ、ぼくの──意味なんですっ!」

 ぐっと何かを決意するよう拳を握りしめ、眼下の幼子は声を振り絞った。

「……」

(理解できん)

 人間以外にとっては使えることが当たり前な『魔法』。
 それに意味を見出すとは、よほど人間という種族は矮小な存在だと乾いた笑いがこみ上げてきた。

「ならば、問おう」
「……?」

 しかし、アルバスにとって自分を求めるその眼差しは心地よいものだった。
 魔族の国でそんな眼をした者はいない。
 まして自分に向ける者など。
 人間が必死になってその視線を得ようと神々に祈りを捧げるのも少し分かるような気がした。

「お前にとって、善き行いとは何を指す?」
「? ぇっと……。魔法をてにいれて、まものをたおすことです」
「ほう。それだけか?」
「ほ、ほかには……えっと……」
「あいつらはいいのか?」

 にやりとした笑みと共にそう言えば、大人たちは再び悲鳴をあげた。

「ぼくは、にんげんに……なりたいから」
「ふむ」

(なるほど。人間とは、同族を脅かさない者のことを言うのか)

 魔族とは確かに異なる種族のようだ。
 ルネは人を傷付けず、魔物を倒すことを『善』と定めた。
 理解できるかどうかは関係ない。
 その名を冠する者であるアルバスは、ルネの楔としてそれに従った。

「安心しろ、命までは取るまい。だが、力を得るのに代償が無いなどとは思うな。今言ったことを守るといい。もし、お前が人間を魔法で傷つけたその時には……命の次に、お前にとって大切なものを貰い受ける」

 アルバスは、ルネの思う善なる道を歩むための第一歩として。
 もし契約が破られても人間ルネを傷付けることがないよう、ルネの大切なもの──魔法だけを奪おうと、考えた。


 ◇◆◇


「今日からここで過ごすといい」
「はい」

 元居た部屋は、幾人もの子供が床に敷かれたシーツの上で寝る、お世辞にもよい環境とは言えなかった。
 しかしルネはその価値をつかみ取った。
 晴れて『魔朮師』となったルネには、個室を与えられた。
 聞くところによればルネは八歳ほどの子らしい。
 冒険者に登録できる歳、あるいは体が成熟するまでは院からは出られないようだ。

「……」
「アルバスさま?」
「いや」

(なるほど)

 召喚された部屋には、大人たちの中に聖浄の魔法を使える神術師が混ざっていた。
 『虚ろなる者』のような魔族を喚んでしまった際自分たちに危険がないようにだろう。
 部屋自体には何ら仕掛けは施されていなかった。

 だが、一歩外に出ればそこかしこに結界が張られていた。
 魔族を御すにはそうする他ないのであろうが、恐らくそれに気付いた大抵の魔族は召喚者に魔法を授けると、さっさとその召喚の陣を流用して元の場所へ戻るのだろう。
 魔族の大半は、人間を介さずとも己の名に従って生きる道を歩むことができるのだから。

「あの、きぶんは……へいき?」
「何がだ」
「まぞくの人には、つらいって聞いたから……」
「ほお」

(これが善なる者……か)

 ベッドに腰かけアルバスに問うルネ。
 自分に余力があるとは言えないのに、他人を気遣う。
 アルバスは、人間とは不思議な生き物だと感心した。

 広いとは言えないが狭くもない部屋。
 子供の体であれば充分だろう。
 ベッドに机、小さな本棚。
 それほど備え付けられた家具は多くないが、彼らの本分だという勉強に集中できる環境ではあった。

 聖浄の魔法に満ちた部屋は、魔族からすればずいぶん居心地のわるいものではあるものの。
 アルバスには、何ら関係がなかった。

「あの……」
「? 今度はなんだ」
「せまく、ないですか?」

 それは部屋に対してなのか。
 はたまた一つしかないベッドを指してのことなのか。

「~あのっ! 魔族のかたは、すがたをかえられるとききました」
「元が魔力で出来た体だ。如何様にもなる」

 多少の労力はかかるのであるが、魔力量が尋常ではないアルバスには大したことではなかった。

「だったら、あの。ふ、ふわふわに……、なれますか?」
「…………ふわ?」

 ルネの言うことに首を傾げるアルバス。

(ふわふわ……?)

 綿毛を指すのであれば、ルネのシーツになれとでも言うのかと考えた。

「外のせかいには、いろんな動物がいるみたいなんです」
「動物? ……犬や猫のことか?」
「! はい!」

(なるほど)

 その小さき体になれば、同じベッドで眠れると。
 そう言いたいのだろうか。

 しかし人間は魔族を恐れていたはず。
 召喚に応じた時の彼らの表情を見ればすぐに分かることだ。

 だが、目の前の幼子はまったく意に介さない。
 それどころか気遣いすらも見せる。

(寝首を搔かれるなど……まるで想定していないのか)

 ルネは恐らく、人間の中でもさらに善の道を征く者。
 アルバスは自分の運がよかったと改めて気付いた。

「ネコ、ネコがいいです!」
「なぜだ?」
「えっと、……僕でも抱っこできるので……」
「……抱えるつもりなのか」
「ベッド、広くつかえるかなって……」
「はぁ」

 ルネにとって、初めて使うベッド。
 それがよほど嬉しいのだろう。
 確かに広く使えるに越したことはない。

「仕方あるまい」
「!」

 不本意に思いながらも、アルバスはその身を猫の姿へと変えた。
 真っ赤なふわふわの毛並み。
 元の姿とそう変わらない不遜な金の瞳。
 ルネの体よりも幾分か小さくなった体は、ぴょんとベッドの上へと飛び乗った。

「わぁ……!」
『……ふん』

 初めて見た瞳とどこか違う輝き。
 猫の姿というのはルネの人生に価値はもたらさないかもしれないが、喜びはもたらすようだ。

「か、かわ……っ!?」

 慌てて口を塞ぐルネ。
 思わず出た言葉に、アルバスが機嫌を損ねるかと思ったようだ。

「えっと……きれい、です」
『そうか』

 契約者であれば、猫の姿だろうが何だろうが意思の疎通は簡単に行えた。

 アルバスとルネはその部屋で、度々訪れる教育者と共に多くのことを学んだ。


 ◆◇◆


「……ルネ?」

 ルネが十二歳を迎えた日。
 益々美しさに磨きがかかり、銀の髪もずいぶんと伸びた。

 いつも部屋で受けていた授業であるが、一つだけ別の部屋で受ける科目が増えたという。
 教育者と神術師に連れられ授業に向かったルネ。
 終えて部屋に帰った姿を見れば、アルバスは心底驚いた。

「だ、大丈夫です」
「何があった?」
「……いえ」

 口端には血が滲み、体には縛られたような痕。
 服に覆われた部分は見えないのだが、その金の瞳には陰りが見えた。

「……?」
「魔朮師には必要なことだそうで」
「必要なこと?」
「はい。人間として愛されるために、……必要なこと」

 アルバスは考える。

(愛されるために……必要なこと?)

 その時、一つ心当たりがあった。
 自分と同じく聖浄な魔法を扱う稀有な魔族。
 『愛する者』である男が、その身を天上に還した時のこと。

「……まさか」

 彼は、契約した者をずいぶんと愛した。
 庇護する人間を愛しく思うあまり、その行為を人間に望んだという。
 ただ、その少女はその行為をよく思っていなかった。
 魔朮院ここでの記憶が蘇るからだ。

「……」
「ルネ……」
「大丈夫です、本当に」

 少女は魔族の男を疎んではいなかったが、同時に愛せなかった。
 その名を知っていた少女は自分以外の人間の方が都合がいいだろうと、その身を魔物に捧げた。

 『愛する者』はそこで初めて気付いた。
 愛は、救いだけでなく破滅をもたらすものだと。

(……善なる道も、同じことなのか?)

 人間という種族は、同族を脅かさない者のことではなかったか。
 だが、人間はルネを傷付ける。

(なぜだ)

 善とは、なんだ?

(なぜだ?)

 なぜ、それでもなおルネは人間で在りたい?

(人間はお前を傷付けるだけではないか)

 だったら滅した方が早い。
 傷付ける者を排するだけなら、その方がよほど善なる行いだ。
 覆すだけの力はあるのだから。
 だがルネは決してそれをしない。

 アルバスは理解しようと努めても、到底理解できなかった。


 ◇◆◇


 冒険者となり院から出ても、その行為が及ぶときにはルネはアルバスを遠ざけた。
 ルネの善心に従うことが生きる道であったアルバスは、従いはすれどさっさと冒険者どもを殺してしまいたかった。
 その感情が何に起因されるのかは知らないが、ずっと思っていた。
 だが、人間になりたいと願うルネの心が、それを阻んだ。
 少なくともアルバスの中に渦巻くものをルネに気取られることはなかった。

 そして、その時はやってきた。
 人間の子を助けたいと願ったルネは、禁を冒してしまった。

「──っ、ルネ!!」
「アルバス様……、ごめん、なさい」

(なぜだ。なぜ、謝る)

 申し訳なさそうにアルバスへと言葉を掛けるのに、その視線は前方を向いたままだった。
 ルネの大切なものは、契約を交わした時とは変わってしまっていたからだ。

「あなたとの約束を、違えてしまった」

(違う)

 本当は自分の方だ。
 自分が謝らなければいけないのだ。
 さっさとその約束を違えさせ、一人の人間と一人の魔族になりたかった。
 その縋るような眼差しが、魔法をもたらさない者にも向けられるのかを知りたかったのだ。

 しかし、契約を交わした頃のアルバスは知らなかった。
 人間の時は短い。
 人は驚くほどの速さで成長し、その価値感すらも変える。

 魔法が自分の唯一の価値だと思っていたルネは、別の人間からもたらされる感情を魔法以上に大切に想っていた。

 百余年を生きても未だ道を理解しえないアルバスにとって、その変化の速さは光のようだった。

(このままでは──)

 己は『善なる者』。
 契約者が定めた善行、それに従うのは本能であった。
 魔族にとって名に従うのは、魔神の力の権化である以上誰もが持つ本能であった。
 アルバスは例え契約が反故となった今も、ルネの定める善行の道を進みたかった。
 時の流れが違う種族であっても、隣に立って同じ道を歩んでみたかった。

 だが、その道はルネを守らない。
 ならば、誰が守る。

「──小僧。魔法が……力が、欲しいか」
「……ッ!」

 考えた結果、アルバスは側にいた、ルネを必ず守るであろう者と契約した。
 地に伏した体とは対照的に、その瞳はまるでルネと初めて出会った時のようだった。
 シェイドと契約を交わしたことで、自身が再びルネと居る理由を作った。

 人間はルネを傷付けるが、守るのもまた人間だったのだ。

「我が求めるのはただ一つ。あれを傷付けることがあれば──我が貴様を殺す」

 アルバスは自分で言って、気付かない。
 それは共に進みたいと思っていた善行の道を逸脱した、魔族の本能を超えた契約であった。
 一歩間違えれば全てを焼き尽くすほどの危ういもの。
 まるでそれを守ることが、自分の名よりも大切だと言っているようなものだった。


 ◇◆◇


「──あっれー? 一部魔族界隈で超~有名な、アルバスじゃないですかー!」

 『エクリプス』が森に築いた野営地。
 ルネとシェイドはテント内で休んでいるところだった。

 傷付いた体を引きずって、苛立った冒険者たちがさっさと立ち去ってしまった後。
 その場に現れたのは珍しい客だった。

「……、『賢き者』か」
「お~、僕もけっこー有名人? ドモー♪」
「名を変え姿を変え、世界を旅する知の探究者……だったか」

 名前も、姿すらも変えるのは自分よりも遥かに長い時を経た旅人であるからだ。
 色んな種族の世界を渡り歩いているらしい。
 特に魔族と大差ないほど長寿で、叡智に溢れる種族と名高いエルフの世界に溶け込むのを好むと風の噂で聞いた。
 その緑の髪は、確かに森の住人を思わせた。

「そんな大層なモンではないですけどね~」

 掌を横に振って、大げさに否定する。

「う~ん。ウワサ通り、ほんと綺麗な人ですね~。その髪……どちらかってゆーと、フォレゾスの子っぽいですよね、あなた」
「さあな」

 確信の得られない長年の疑問。
 それをするりと言葉にして出すラミロは、ずいぶん魔族のことを研究しているのだと思った。

「有名人に会えたのはラッキーなんですけど。一個聞いていいです?」
「なんだ?」
「たまには人間について知りたいなーって思ってたら人間の声が聞こえたんですけど、消えちゃったんですよねぇ~。なんか知ってマス?」
「……さあな」

 それはシェイドの呼び声だったはずだろう。

「んんんん!? それ、契約の楔ですよね!? あなた、まさか横取りですかー!?」

 ラミロが目を凝らしてみると、額に真っ黒な紋様が浮かんでいた。
 それは魔力を伴って視なければならないもので、『黒』というのは魔族側から力を授けた証拠だった。

「……騒がしい男だ」
「というか、複数の魔族に同時に聴こえるものなんですねぇ~。へー知らなかった~!」

 先ほどまでの怒りはすっかり消え失せて、ラミロは一つ賢くなったことを喜んだ。

「悪いが、たまたま居合わせた」
「居合わせた……? ははぁ、契約者が破ったんですか~? んで、再契約と。それはドーモお疲れサマでーす。……ん? 同じ人の声って聴こえるもんなんですかねぇ?」
「さてな」

 ラミロは不可解なことが続くと、興味を惹かれる質であった。

「……本は好きか?」

 アルバスはこの騒がしい珍客を黙らせようと、提案をすることにした。

「そりゃもちろん! あなたも知っての通り、知識欲が旺盛な質でしてぇ。知らないことを知るために生きてるようなもんですよ! フィールドワークも読書も、なんでもござれ! あなたも本、お好きなんですね~意外~」
「近々、大量の本が不要になる。お前にやろう」
「えぇ!? 大量、ですか!? ほ、欲しい……。あ、まさか、あなた。なんかメンドーなコト頼もうとしてマス~?」
「いや? 魔法で仕舞うのもいいが、知識の探究者に所有される方が本望だろうと思っただけだ」
「……うっわー。さすが『善なる者』、素で言っちゃうのカッコいいですねぇ~」
「不要ならば仕方あるまい」
「わっ、ちょ、待って! ウソ! ウソですってば~ヤダもー。いや、ウソではないんですけどぉ!」

 ルネはその瞳で、大好きな本も、自分の姿すらも映すことが叶わなくなった。

(我の思う善とは……、未だ最善ではない。か)

 善いことをしたはずが、他者にとってそうではなかった。
 それは人間への理解が浅いがゆえのことだとアルバスは後悔する。

(未だこの道は……遠い)

 融和を説く天上の神は、惑ったことだろう。
 その視線に人々の『善行』を映した時。
 ある者は他を傷付け、ある者は自分を傷付けた。
 善なる心を振りかざし救済する者もいれば、破滅を選んだ者もいた。

 道ゆく者に問いかけることはしなかった。
 求道者に迷いを与えないために。
 疑念は半身をび、代わりに魔族を生み出した。

 そうして名に基づく多くの道を見届けた魔族は、再び彼らの魔力へと還る。

(この身が還る頃には、彼の神も理解するのだろうか)

 何をもって善とするかは、その心により異なると。

 立場、環境、性質、あらゆるものに影響されたその心が示す善なる道は、場合によってはアルバスの手で他を屠るものとなったことだろう。

 その道の過程で、何と、誰と出会ったか。
 神々は道を『辿る』者ではないからか、知り得ないはずだ。

 魔族とは、彼らの代わりに世界に問うために生まれるのだとアルバスは思う。

(気付いた時には遅い……か)

 ルネと出会った時、この考えを持って出会いたかった。

 そうすれば違った道になったのかもしれない。
 だが時とは戻らぬもの。

 どれだけ長く生きようとも、短い生でも。
 それは変わらない。
 時が解決することもあれば、時が奪うことだってある。

 異なる時間が流れる種族と接することで、アルバスはそれを思い知った。


──────
────
──


「──さま、アルバス様?」
『……みゃ?』

 夢を見ていた。
 ふわふわの赤毛の内に伝わる熱は、確かにその名を呼んだ。

「ふふ。眠りながら、おしゃべりしていましたよ」
『……んなぁ』

 そんなバカな、とでも言いそうな声。

「猫の体は転がるにはちょうどよさそうです」
『みぁ』

 それには確かに同意する他なかった。

「……どうして、ずっと猫なのですか?」
『……にゃ』

(さてな)

 ──あの、魔族のかたは、姿をかえられるとききました
 ──元が魔力で出来た体だ。如何様にもなる
 ──だったら、あの。ふ、ふわふわに……、なれますか?
 ──ふわ……?
 ──外のせかいには、いろんな動物がいるみたいなんです
 ──猫や犬のことか?
 ──! はい! ネコ、ネコがいいです!

 価値は与えられなくても、喜びはもたらすことのできるその姿。

(人間の生は短い……、そうだろう?)

 未だ定まらぬ道をゆく過客かかくの戯言より、確かな言葉で掬い上げる人間の言葉の方がその生を輝かせる。
 魔法がなくとも『自分』を見付けたルネは、もはや先を行く。
 道半ばの魔族は出会った頃とは反対に、今はルネの背を見つめるばかり。

 ならば、せめて。

『お前の膝元は、寝るには丁度よいのだ』
「ふふ。私は枕でしたか」

 共に在ろう。その美しい瞳に、無垢なる心に自分の姿は映らなくとも。
 真綿のような毛並みが好きらしい善なる者のために。
 二度と知ることのできない自分の姿を一人の人間に残すためには、声を届けるだけでは足りない。
 きっと、最期の時には肌から伝わる熱も必要だ。
 その身を塵に帰す炎に間違えられてはたまらない。

 この場所だけは、自分のもの。
 いつか一人の人間と過ごした時が過去のものとなっても、自分の名を刻んだ同じ道を歩んでいたい。
 失った情熱の代わりに、この温もりだけは覚えていたい。

 アルバスはそう願って、また眠りについた。

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