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第七話 香り

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「! おかえり」

 いつもより随分静かな足音が部屋の前で止まると、ノックの音が響いた。

「ただい──アルバス……?」

 ベッドの縁にはいつもより重い圧がかかっている。
 ルネの体が少しばかりそちらへと傾いた。

「遅かったな」
「いろいろ買ってきた」
「そうか」
「ありがとう。助かります」
「おう」

 買ってきた物を一度テーブルへと置きに戻り、そうして再びルネの部屋へと入る。

「……なんか、あったか?」
「いいや?」
「魔族の方は気まぐれだそうですから」
「そういうことだ」
「ふぅん?」

 ベッドにすら到達するほどの一糸乱れぬ朱い髪。
 妖艶な男はいたずらに笑むと、組んだ足を入れ替えてルネを優しく見つめた。

「……」

 シェイドは物珍しそうな顔でアルバスを見ると、ベッドの側にあった椅子へと腰かけた。

「ちょっとは落ち着いたか?」
「はい。おかげ様で」
「我がいれば充分だな」
「猫の姿ならそーかもな」

 何らかの言葉がアルバスの眉をピクリと動かす。

 アルバスはおもむろに、ベッドに投げ出されたルネの右手をするりと掴む。
 ルネは当たり前のようにそれを受け入れる。
 アルバスは、まるでシェイドへと見せつけるように手から腕、腕から脇の下まで撫で上げると、再び掌へと触れて解放した。

「っ。おい、おっさん」
「口の減らない餓鬼だ」

 面白そうに口の端をくっと上げる。
 アルバスは人間の心の動きを楽しんでいるかのようだった。

「シェイド。アルバス様にそのようなことを言ってはいけませんよ」
「ほぉら、みろ」
「ハイハイ」

 アルバスには誰も逆らえない。
 それはもちろん魔族だからということもあるが。
 ルネにとっては初めて自分を人間として接してくれた者であり、シェイドにとっては必要な存在だからだ。

「さて」

 気を良くしたアルバスは猫の姿に戻ると、とんっと床に降りて部屋を出た。

「アルバス様?」
『パトロールだ』
「マジの猫だな」
『何とでも言え』

 ぐいーっと体を伸ばすと、アルバスは階段を軽やかに降りていった。

「……」
「……」

 残された二人には静寂が訪れる。
 週に一度は毎回こうだ。

「あ、あのさ」
「はい?」
「いいもん、買ってきた」
「ふふ、何でしょう」
「風呂の時な」
「? 楽しみにしています」

 シェイドは照れ臭そうにそれだけ言うと、テーブルへと戻り買ってきた物を整理し始めた。


 ◆


「いい香りですね」

 食事を終え、シェイドが入れた湯に浸るルネ。
 そこにはシェイドからの贈り物も入れられていた。

「たまにはな」

 深紅の薔薇。
 いくつもの花びらが湯の上を漂っている。
 それらはルネを歓迎するかのように体へと纏わりつくと、気高い香りをルネへと届けた。

 薔薇の香りが鼻孔を通り抜けると、それは吐息まで色づいたかのようにルネはうっとりと息を吐いた。

「ふふ」
「ん?」
「贅沢、させてもらいました」
「いいだろ、別に」

 実際シェイドにはそれだけの恩があった。
 魔法を引き継いだことにより、恐らくはシェイドが想定していた将来の稼ぎというのを大幅に上回っているのだ。

 六年前を契機に母親の体調は良くなっているという。
 ただ、賢者を墜としたことを激しく糾弾されてからは家族とも縁を切っていたが。

 唯一弟とだけが、ギルドを通じて連絡を取ることができていた。
 治療費だけは今なお弟を通じて送っている。

「外にいるかのようですね」

 闇の中で感じるそれは、場所など関係がなかった。
 一人で出歩くことができないルネの代わりに、シェイドは時折香りや味、音といった贈り物を届けた。

「金を払い終えたら──」
「え?」
「……いや」

 それはいつもより極端に細い声で、花びらと共に掬った湯が落ちる音で掻き消えるほどだった。

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