本屋の賢者は、星の唄で眠りにつきたい

蒼乃ロゼ

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第二話 贖罪の旋律

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 出窓前の台に腰かけるシェイド。
 その太ももに寝転がるように頭を乗せるルネ。
 ルネにとって最も大切な時は、夜に訪れた。
 月明りは二人を平等に照らす。一方にその光は届かないのだとしても。

「『ドワーフの言うことには、火と融和の神フォレゾスの加護の元、鍛冶を通じて火の力を扱ったのだと言う。そうして一つ、属性魔法を身に着けることで、次なる魔法への融和性を高めた。エルフの言うことには、大地と豊穣の神エーデの名の元に森の民として過ごす内、自然とその加護を得るようになった。特にエーデの加護を受けた薬草の知識は、彼らの生活を大きく助けた。後世において、他種族との取引材料にもなった。魔族の言うことには──』」

(ずいぶん、大人になったものだ)

 あの頃とは違う、低く身を委ねたくなるような声が降り注ぐ。愛の欠片もなく。
 ただ眠りへと誘い、贖罪しょくざいのように赦しを乞う音色。

(届かない)

 右手を声の方へと伸ばすと、ひんやりとした頬に触れた。
 その肌は荒野の夜風を彷彿とさせるのに、どこか遠い。
 自分を連れて行ってはくれないのだと言われているかのようにルネは感じた。

「──……聞いてるか?」
「聞いているよ」

 その一言一言に、何か意味はないのかと必死になるほど。
 しかしそれは、自分から魔法や見る力を奪ったことに対する義務によるものだとルネは知っていた。

「あんたが魔法書を読みたいっつーから」
「君のためにもなるし」
「眠くなるなら、他の読むか?」
「ううん、それがいい」

 魔法とは、ルネが存在する意味だった。
 身寄りのない子らを集めたそこは、さながら実験場で。
 魔神の子らである魔族と感応するのは悪しき道だと人は言うのに、その強さは上手く使えば人々の役には立った。
 中には呼び声に応じた気まぐれな魔族に命を奪われる者もいた。
 人々は恐れる。だから蔑む。忌むべき力だと言う。
 だが、無視するには惜しい力。
 人々はその力を、他者の犠牲の上に都合よく使うのだ。

「……ん? どっかで見た文章だと思ったが、なるほどな。出典が同じか」
「あぁ、覚えているよ。たしか──」

 かつての学び舎で聞いた続きの一文。
 それを答えようとすれば、温かな手がやんわりとルネの口許を塞いだ。

 やがて吐息が近づき、見えないはずの視線がじりじりと突き刺さる感覚。
 ぱたりと閉じる音、服の掠れる音、何かが始まる合図。
 ルネの背中は、あるはずのない歓喜の時を待ちわびるかのようにぞくりと震えた。


 ──その役目は、俺に残せ


 吐息は目元を掠め、ルネの右耳へと到達した。
 あの頃と違う低い声。発せられる口元は見えないが、はっきりと耳元に存在を感じた。
 言葉が紡がれた後もその熱は消えなかった。

(役目……)

 名前を呼ばれたわけでも愛の言葉を聞いたわけでもないのに、それが大切なものであるかのように言葉がずっと反芻はんすうする。

 賢者を墜とした者としての、役目。
 ルネには分かり切っていたことだった。
 申し訳ないと思うのと同時に、それが自分と彼を繋ぐ唯一のものだと知っていた。

(どんな顔をしているのだろう)

 その『役目』は、きっと彼にとって重荷であるというのに。
 あるはずのない希望の光を、ルネは見えないことを逆手にとって自分に信じこませる。
 核心に触れないことが、永遠をもたらすと信じたかった。



「……」

 やがて、月の光も陰りを見せる頃。
 本の内容の代わりに、わずかな寝息がルネの耳元へと届いた。

(寝たかな)

 それはいつものことだった。
 冒険者の中で最高位に次ぐAランクであるシェイド。
 彼は高難易度の依頼を日々こなし続けている。
 疲れは溜まるに違いない。
 そんな日々の中で、ルネの世話も、ルネの読みたい新刊の朗読も。
 言葉では一度も嫌な素振りも見せずに継続している。

(ごめんね)

 無理をさせたいわけではない。
 他に方法がないのだ。
 「行け」と言えば、きっと彼は飛び立つ。
 憧れの魔法を手にし、焦がれた冒険者になった今、次は彼が誰かの憧れになる番だ。
 あの時自分の中の魔法を求めたその瞳は、次なる目標を映し出しているに違いない。
 あるいは、誰かにとってのそれでありたいと力強い眼差しとなっているに違いない。
 そもそも、実力を考えれば冒険者として引く手あまたなのかもしれない。

 それでもルネには言えなかった。
 言いたくなかった。

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