本屋の賢者は、星の唄で眠りにつきたい

蒼乃ロゼ

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第一話 醒めない夢

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「────夢か」

 目覚めたというのに、未だ光のない世界でルネは耳に届く音を拾った。
 まどろみながらも聞こえる音に意識を向ける。
 十歩ほども離れた場所から届く音。
 まるで己の内から響いているように聞こえるノック音は、部屋の主を呼び立てる。

「オーナー、起きてますか~!? そろそろ店閉めますよ~!」

 もうそんな時間かとルネは思う。
 きっとこの窓辺にも、陽の光は差していないのだろう。
 確かに冷えてきたと感じる。
 ルネは応答しようと上体を起こして一歩を踏み出そうとする。
 が、

(しまった)

「──っ」

 出窓の前にあるスペースは、本来人が眠るためには作られていない。
 上体を起こした勢いでシーツ代わりのシャツがずるりと落ちると、両足を床に着く前に体が落ちてしまった。

「! お、オーナー!? 入りま──、あ」

 返事の代わりに轟いた音に驚きの声があがる。
 しかし呼び出した者が入室の宣言をする前に、扉は開かれた。
 部屋に入ってきた長身で冷たい美貌の持ち主は、迷いのない足取りでルネの元へとたどり着く。

「無茶をしないでくれ」
「シェイド。おかえり」

 その真っ直ぐに向かってくる足音で、自分の魔法を引き継いだ者が帰宅していたことをルネは早々に理解した。

「……はぁ」
「ふふ。危ない危ない」

 目線は下げたまま、少しだけ顔を上げたルネがいたずらに笑う。
 男──シェイドはその無骨な手で、ルネの左手をまるで壊れ物を扱うかのように優しく拾い上げた。

「怪我はないか? ……ほら」
「ありがとう」

 取られた手と床に付く手で体を支え、足に力を込めて立ち上がる。
 美しくも陰りのある金色の視線は、未だ下げられたままだ。

「……またあそこで寝てたのか?」
「ええ」
「飽きないな」
「日課ですから」

 無造作に伸ばされた美しい銀の髪。
 真綿のような素肌と合わせると、それは芸術品のようだった。
 寝ている間に乱れたそれを整える素振りも見せないルネ。
 シェイドは呆れた様子で代わりに手櫛で整えた。

「いい加減、切ったらどうだ。その方が楽だろう」
「そうでしょうか。変わらないと思います」

 たおやかな笑みを浮かべながら、ルネは言った。

「お、オーナー、大丈夫です?」
「心配をかけました。このとおり、元気です」

 にこり、と本屋の従業員の声がする方へと笑いかければ、安堵のため息が聞こえた。

「ふぅ……ビックリしましたよ~」
「すみません」
『みぁ』
「アルバス様も、お帰りなさい」

 遅れて部屋に入ってきたのは、見事な赤毛を持つ猫。
 ふわふわの毛並みに吊り上がった金色の瞳はどこか高貴さを漂わせ、迷いなくルネの足元へとすり寄った。

「じゃぁ。お先に失礼しマース!」
「ラミー、夕食は──」
「今日は新刊入ったんで! 僕も少し持って帰りますね~。また明日―!」
「はいはい、また明日」

 ふわふわの緑の髪を弾ませ、従業員のラミロは早々はやばやと去っていく。

 ルネは、シェイドにより近くの椅子へと誘導されると腰を落ち着けた。

「新刊、入ったのか」

 ルネの上方より、声が注がれる。

「みたいです」
「の前に、飯と風呂だな」
「はい」

 日課の中でも、ルネにとって最も大切な時間。
 それが訪れるのは決まって夜だった。

 魔法を失い冒険者を引退してからは、本好きが高じて本屋を開いた。
 ルネは冒険者として稼いだ報酬の内、固定の支出を除けばほとんどを本と保管するための広い貸家の代金へと充てていた。
 居を隣国へと移して本屋を開くにあたり、貯蓄はほぼ使い果たしたも同然だった。

 目の見えないルネに代わり、ラミロを雇って店はなんとかやれているものの。
 あれだけ好きだった本を、ルネは自分で読めなくなってしまった。

「テキトーに作るぞ」
「お手数をお掛けします」

 住まいは三階建ての建物。
 一階は店舗スペースと、奥にキッチン。それからダイニング。
 二階にはリビングとルネの部屋。
 そして三階はシェイドの住まいとなっていた。

 ルネは遠ざかる足音を聞き届けると、もう一つ部屋に留まる気配へと集中した。

「アルバス様、今日はどうでしたか?」
『んにゃ』

 短くか細い声は、何かを促しているようだ。
 ルネは応えるように集中する。

 魔法を失った──正確には、魔力を顕現させる方法を忘れてしまった。
 しかし、一度賢者として目覚めたからには己の内にある魔力というものの存在は認知している。
 火や風、水のように魔法を現実のものとすることはできないが、一つだけ他の人間にはない感覚を持ち合わせている。

 暗闇の中確かに感じる存在。
 その者にぶつかるように、自分の魔力を波のように空間へと漂わせる。
 誰の目にも映らないそれが赤き猫を捉えると、今度はその者の魔力の波に合わせるようルネは努めた。

『────特に、代わり映えなどないぞ』

 波長が合うと同時に聞こえたのは、先程までの可愛らしい猫の鳴き声ではなく低く甘い声。
 まるで聞いた者を魅了し、底知れぬ深淵へと引きずり込みそうなほど逃れることのできない声だった。
 老いているわけではない。むしろ、艶やかさを持つというのにどこか年を重ねた者のような、威厳ある声。

「ふふ。そうですか」

 そんな声に臆することなく笑いかけると、ルネは膝の上に重みを感じた。

『さっさとSランクに上がればいいものを』
「目立つことは避けたいのでしょうね。……それも無理な話ですけれど」

 やれやれ、とでも聞こえそうな声色で答えると、アルバスはルネの膝上に丸まった。

「ずいぶん、大人になりましたね」

 夢で聞いた声と変わって、大人の男性となった者の声を思い出す。

『あぁ。六年前はただの餓鬼だったが……まぁ、多少は使えるようになったか』
「アルバス様に認めて頂けるのでしたら、シェイドも喜ぶでしょう」
『ふんっ』

 耳は立ち、尻尾がゆっくりと左右に揺れる。
 ルネはそんな姿が見えなくても、その声の音と言葉で察しアルバスの頭を撫でた。

「……」
『……置いていかれそうで、怖いか?』

(怖い、のだろうか)

 今この瞬間も、時は間違いなく過ぎ去る。
 そして人は心身ともに成長をし、その行動範囲を広げていく。
 誰かの背中を頼りにするか、あるいは自分がそうなるか。
 人は、他人の中でその世界を広げていくのだ。

 ルネにとって、彼の背であった頃の自分は紛れもなく誇れるものだった。
 それが今となっては生活費すらも頼りにし、身の回りの世話をほとんど任せ、大人になった一人の男の世界を妨げる者と成り下がった。

(何が違うのか)

 魔朮師まじゅつしを道具とみなす人間と。
 自分のエゴで一人の男を縛り付ける、魔法を忘れた愚かなる者。

 自分がシェイドを道具として見ていないことは明白だ。
 だが、他人が見たらそう思うのか?

 ルネの心は今もなお、誰の目にも映らないものに翻弄されていた。

「──できたぞ」

 登ってきた足音と共に声が聞こえた。
 開け放たれた扉は遮ることもなくその声をルネの耳に届ける。

 膝の重みから解放されると、ルネはひじ掛けに手をつき力を込め立ち上がった。

 二階の家具の配置は長いこと変えていない。
 ルネにとって誰の手も借りずに自由に動ける世界は、ここだけだ。
 ラミロも共に食事をとる際は一階のダイニングで食べるものの、二人と一匹の時には二階で食べることの方が多かった。

「ありがとう。美味しそうだ」

 ダイニングと同じ大きさのテーブルが置かれたリビング。
 近くまで寄れば、いい焼き加減のパンと、甘いソースが掛けられたであろう肉の香りが漂った。

「ん」

 テーブルのセッティングを終えたシェイドは、ルネの手を取り椅子へと座らせた。
 ルネは素直に従う。
 手を取られることは幸せなことであるはずなのに、どこか罪悪感をも伴った。

「アルバス様、いただきます」
『うむ』

 ルネにとって、物心ついた頃より祈りを捧げる対象は魔神、あるいは魔族であった。
 そして、六年前よりシェイドにとっても同様だ。

 食器の音、他愛もない話、美味しそうな料理の匂い。
 この空間に満たされるものが、それだけであればどれだけいいのだろう。
 ルネは、甲斐甲斐しく自分の食事がしやすいようにと世話をする男のことを、気の毒に思う。

 普通の者が忘れがちな、しかし間違いなく幸せを感じる時間というのは、ルネにとって自責の念を感じる時間でもあった。


 ◆


「熱くないか?」
「いいえ、ちょうどいいです」

 バスタブに満ちた湯に、ルネは沈む。
 魔族たるアルバスがもたらしたそれは、本来一般の家庭においては魔道具によってもたらされる。ドワーフやエルフ、時には魔族といった魔法を簡単に扱う者たちが魔石を加工して作り出すもの。
 人間はその恩恵を対価──金、お酒、あるいは食料といったものと引き換える。

「……」
「……」

 泡立てる音と、水の滴る音が波紋のように浴室内に広がる。

 顔を上げても見えない。
 男は、どんな表情で自分の髪を洗うのか。
 ルネは幸せを感じる暇もないほど、不安に襲われる。

「……長いのが好きならいいが、せめて切り揃えたらどうだ?」

 しっとりと濡れる銀の髪。
 バスタブから外側へとしな垂れるそれを見ながらシェイドは言う。
 地肌を洗う前に表面を泡立て、余分な汚れを落とすとシェイドは自らの魔法で洗い流した。

(その通りだ)

 ルネはシェイドの申し出にいたく納得をする。
 だが、そうしないのもまたルネのエゴなのだ。

「君は伸ばさないのかい?」

 昨夜触れた時には、短くもないが素直に長いとも言えないほどだった。

「あんたの髪の手入れで手が一杯だっつーの」
「それもそうだ」

 その笑みは自嘲を含んだ。
 分かっているのだ。
 だから切らない方がいい。
 シェイドの手間を考えればさっさと短くしてしまった方がいいと、ルネは理解している。

 手間を掛けさせることを申し訳なく思うのに、それを望んでしまう。
 禁を犯した対価として失ったこの視線は、もうシェイドと二度と交わらない。

 ルネは、他人の中に見る自分の姿。
 誰かにとって望まれた光のような存在であることを、言葉以外で確かめる術を失ったのだった。

「あっ」

 髪を洗い終わったタイミングで、そういえばとルネは身じろぐ。
 水音と共に素肌が晒されそうになると、シェイドは慌てた。

「ちょっ、ま、バカ! たっ、タオル、持ってくるから」
「いいのに」
「よくない」

 その顔は、どんな表情をしているのだろう。
 羞恥に頬を染めているのだろうか?
 それとも、軽蔑のまなざしを送っているのだろうか。

 知りたい。
 怖い。
 知りたくない。
 見たい。
 恐い。
 見たくない。

 ルネの胸中は、少しの期待と大きな不安が常にせめぎ合っていた。

「ありがとう」

 慌てて走って行った足音は、すぐ様側に戻ってきた。
 そんな小さな幸せすらもルネの心に棘を刺す。

「なんだ?」
「そろそろソープ、切れていないかい?」

 バスタブから出てタオルを体に巻く。
 長いこと配置が変わらないソープの入った容器を持ち上げれば、とても軽かった。
 丸々と太っていたそれは、今やリンゴの芯のようにやせ細っている。

「そういやそうだな。明日、買ってくるか」
「私も行こうか?」
「ん? あ、いや。明日は……疲れるだろ」
「……そう、だね」

 明日は、ルネにとって週に一度の断罪の日だ。
 シェイドも冒険者稼業を休み、丸一日ルネに付き従う日。
 その日は己にもシェイドにも苦しみをもたらすのに、ルネは一日中共にいられることを僅かながら喜ぶ。
 ルネは、そう考える自分がなにか恐ろしいもののように思えた。

「大人しくしといてくれ」
「ふふ。じゃぁ、お願いするよ」

 これではまるで、どちらが年上なのか分からない。
 ルネは自分だけが時に置き去りにされたような感覚を味わった。

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