上 下
25 / 35
第1章 風の大都市

熛至風起

しおりを挟む
「すまぬ、我はもう限界かも知れぬ。一度外に出させてくれ。」
暖炉をくぐった瞬間、部屋の端でぐったりとしていたテオが呻き声を上げて俺に訴えかける。
「テオ?」

「しばらく猫でいたせいか魔力の流れや質が完全に猫の体に合わせたものになってしまっていてな。上位存在同士の魔力の反発がただでさえ酷いのにこれではどうにもならぬ。森でドラゴンに戻って力を回復するしかないのだ。」

力を振り絞って説明していたテオはもう喋る元気もないのかそれきり黙ってしまった。

「1人で行ける?」

テオは静かに頷いた。俺は食堂の扉を開けて彼を見送る。

「俺たちすぐ戻ってくるから。安心してゆっくり休んでてね。」

とぼとぼと歩いていくテオの背中を見送った俺はすぐに暖炉へと向かった。
テオのためにも早く解決しないと。



通路に入り、しばらく四つん這いで進んでいるとプリオルが突然動きを止めた。彼女に追いつこうと急いで手足を動かしていた俺は、勢い余って彼女の尻に顔をぶつけてしまう。

「あっごめ」「しっ。」

そして彼女は声のトーンを落として話し始める。

「ここから降りられるみたい。一見普通の廊下だけど人の気配もするし何があるかわからないからなるべく言葉は最小限にしましょう。」

俺は無言でOKマークを作る。それを確認したプリオルはそそくさと通路から這い出て近くの物陰に隠れ、俺も同じように動く。

コソコソ移動していくと薄暗い廊下のその奥からとてつもなく嫌な気配が肌を突き刺す。

「っ??」

「今まで出会ったことなかったけれど、きっとこの気配は黒魔法だわ。うっ吐きそう。」

口を抑えて蹲るプリオルの背中を無言でゆっくりさすっていると気配のする方から微かに声が聞こえてきた。

「っ………い……て……」

女の子の声みたいだ。さらに集中する。

「助けて!!痛い!痛いよ!誰か、おかあさま……おねえさま……」

「タルファ!!!!」

声を聞いてまずいと思った俺は咄嗟にプリオルを抑えようとするが、ワンテンポ遅かったようで既にプリオルは妹の名を叫びながら廊下の先へと飛び出していた。
今考えなしに中心地に向かったら俺たちみたいな子供は捕まるだけだ。
けれど敵の目がプリオルの方に向けばワンチャン俺がこっそり助けられるかもしれない。幸い1番力を持っているであろう大司教様はまだ地上だ。

早く行動しようと気配をなるべく潜めながら廊下の先へと出る。
そこは何本もの太い柱に支えられた薄暗い巨大な空間だった。
その中心で不気味に揺れる蝋燭の灯りが映し出したのは巨大な模様の上にとぐろを巻く大蛇、そしてその大蛇と向かい合うようにして椅子に縛り付けられている金髪の幼子だ。
プリオルの場所を把握するためにさらに目を凝らす。すると幼子の周りがおびただしい量の血で濡れているのが見えた。

「あんな幼い子があの量の血を流すのはまずい、今すぐ行かないと。」

日常でまず見ることのない視覚情報と鉄の匂いにパニックになった俺はさっき自分で考えていたことも忘れて妹……タルファちゃんに駆け寄る。

「大丈夫かい?」

元々は罠中心の狩りをして過ごしていたので縄の扱いは得意な方だ。するすると固い結び目を解いていく。

「おっ、お兄さんありがとうございます。」

「もう大丈夫だから安心してね。」

「!?」

自由になってふらふらと立ち上がるタルファちゃんを抱きしめて彼女の体を確認する。
おかしい、
確かにかなり傷口が多く憔悴しており、怯えも見えるが、しっかり受け答えができて意識もはっきりしている。よく見れば一つ一つの傷口はそれほど深くない上致命的な急所を避けられている。

じゃあこの床の血は?

「急に飛び出して申し訳なかったわ。タルファ、今から手当てするわね。」

そうして暗がりから蝋燭の光の元に降り立った彼女は血塗れだった。彼女がばたりと手から落としたものは見覚えがある。そう、あの顔は俺が昨日追跡していた人間だ。

「プリオル?」

「ああこれ?意外に少なかったわね。あまり多くの魔法士を用意すると魔法部隊に魔力で勘付かれるリスクを恐れたのかしら。」

言っていることが全くわからなかった俺はぽかんとした顔で彼女を見つける。

「お姉さますごいです!お姉さまの声が聞こえた時にはあいつらの首が吹っ飛んでいて私、感動しました。お姉さまの緑魔法は世界一ですね。」

「タルファの為だものこれくらい余裕ですわ。」

タルファを安心させるように笑顔で応急処置をするプリオル。さっきの怯えはもうなくなったのか興奮気味で姉の勇姿を語るタルファ。

「引きました?」

彼女は治療を終えたのか、いつのまにか俯いて目を伏せる俺をじっと見ていた。

「………。」

「でも、戦いはこういうものですの。迷った方から死ぬんだって母親に教えられてきた。私がここで迷って捕まれば、タルファが失血死していた可能性だってあるのよ。」

「わかってるよ。引いてないしプリオルはすごい人だ。」

「……だといいですわね。とりあえずまずは帰りましょう。大蛇も気になるけれど、セレスの血筋がいなくなれば儀式は進まないのだから。」

気まずい空気が流れる。俺はなるべく床に転がっているものを認識しないように上を向きながら歩いた。

「いえ、進んでもらわないと困ります。」

「「!?」」

朗らかな成人男性の声が大空間に響く。
前方に立っていたのは

満面の笑みを浮かべた大司教様だった。

しおりを挟む

処理中です...