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ナンパじゃねーし
しおりを挟む高校生女子にしては小柄な紬は、屋台の並ぶ通りに入るとすぐに人波に流されそうになった。慌てて侑が細い手首を掴むと、紬はすみません、とか細い声で呟く。祭りの喧騒にかき消されてしまいそうな小さな声は、ぎりぎり侑の耳に届いた。
自分の着ているカーディガンの裾を掴んでもらい、侑は紬に呼びかける。
「もしちょっとでもはぐれそうになったら、裾思いっきり引っ張っていいから」
「は、はい……」
「屋台たくさん出てるね。朝日さん、どこ見たい?」
人が多いせいもあり、屋台のある大通りはやけに蒸し暑い。紬が熱中症で倒れないように気をつけておかなければいけないかもしれない。
それならば、かき氷はどうだろうか。涼しいし、祭りの雰囲気も楽しめる。でもかき氷だと食べながら歩くには両手が塞がってしまう。紬がはぐれる可能性を減らすならば、かき氷を買うのは花火の場所取りをする直前がいいだろう。
「りんご飴と……チョコバナナと、フライドポテトも食べたいです……! あとあと、わたあめとかき氷も」
「ははっ、食べがいがあるね。かき氷は花火の直前がいいと思うけど、他は先に買っても大丈夫そうかな」
紬が不思議そうに首を傾げるが、侑は笑って気にしないで、と答えた。
まずはりんご飴を買いに行こう。りんご飴なら袋に入った状態のものも売ってくれるので、持ち歩くこともできるはず。
わたあめは時間が経つと少ししぼんでしまうから、すぐに食べないなら帰り際に購入した方がいいだろうか。
侑が頭を巡らせながら回る順番を考えていると、紬はちょこんと侑のカーディガンを引っ張った。
「真島くんは何が好きですか?」
「俺? うーん、たこ焼きとか焼きそばとか。あとは唐揚げも食べたいかな」
全部がっつり系ですね、と紬がくすくすと笑うので、侑は少しだけ恥ずかしくなった。
「まぁ、男子高校生なんてそんなもんだよ」
侑が照れ隠しに呟いた言葉に、紬は嬉しそうに笑ってみせた。
食べ歩き用に唐揚げとフライドポテトを購入。花火大会が始まってから、もしくは持ち帰り用にたこ焼きと焼きそば、りんご飴も買った。
女の子がチョコバナナを食べ歩きしていると、変な目で見る男もいそうだ、という考えが侑の頭をよぎった。侑の考え過ぎならそれでいいが、紬が通りすがりの男にいやらしい目で見られるようなことは避けたい。
結局侑は「小さい方が食べやすいよ」と誤魔化して、三分の一カットされたチョコバナナを勧めた。紬はどちらかといえば少食のようで、「少ない量でたくさんの種類が食べられる方が嬉しいです」と笑っていた。
紬は右手で侑のカーディガンの裾を握り、左手に小さくカットされたチョコバナナを持っている。侑なら一口で食べてしまいそうなチョコバナナを、紬は四口に分けて食べていた。
口の端についたチョコレートを、紬の赤い舌が舐めとる。その仕草にどうしてか心臓が騒がしくなり、侑は慌てて目を逸らした。
「向こうで和太鼓をやってるみたいですね」
「あの音を聞くと、お祭りって感じがするよね」
「分かります……! なんだかわくわくしますね!」
無邪気な笑顔を浮かべる紬に、侑は少しだけ罪悪感を抱いた。先ほど頭によぎった雑念のせいかもしれない。
気まずさを誤魔化すように、侑は手に持っていたフライドポテトを口に運ぶ。某ハンバーガー店のポテトに比べると、油分が多くて塩気も多い。それでも不思議とおいしく感じるのは、侑が祭り特有の雰囲気を楽しんでいるからかもしれない。
フライドポテトの入った紙袋を差し出すと、紬も細い指で一本摘み上げた。ポテトを頬張った紬は、口元を綻ばせる。どうやらお気に召したらしい。
「花火ってどの辺りで見るのがいいんだろう」
「通りを抜けた先に原っぱがあって、そこで見る人が多いです。あと少し離れちゃいますけど、公園も見晴らしがよくてきれいに花火が見えますよ」
地元の花火大会のことなので、紬は土地勘があるようだ。スマートフォンで時間を確認すると、花火が始まるまであと三十分ほどだった。
「じゃあ原っぱの方を見て、空いてなさそうなら公園に行こっか」
侑の提案に、紬はやわらかく笑って頷いた。原っぱに向かう途中、紬と侑の二人分のかき氷を購入した。焼きそばなどの他の食べ物はビニール袋に入れてもらい、侑が全て持っている。かき氷は紬が自分で持つと言うので、いちご味の方を手渡した。
紬は片手にかき氷を持ちながら、侑の隣を歩く。さっきまでは侑の少し後ろを歩いていたので、少しだけ距離が縮まったようで、侑は嬉しくなった。
カーディガンの裾を握る紬の右手に、触れてみたい。そんな欲が侑の心に芽生えた。
しかし指先同士が触れてしまえば、今縮まったばかりの距離がまた離れてしまう。なんとなくそんな気がして、侑は左手にかき氷を持ち直した。
知らない集団に声をかけられたのは、大通りから原っぱへ抜ける途中だった。あれ、アサヒじゃん、と甲高い声が侑の鼓膜を揺らす。
見覚えのない女子四人組は全員浴衣姿で、化粧やヘアメイクの様子から気合いバッチリなのが伝わってくる。髪色も金に近い茶色だったり、ブルーのインナーカラーが入っていたりと、なかなか派手な見た目をしている。
すごく遊んでいそうな女の子たちだな、というのが侑の印象だ。もちろん健全な意味ではない。
アサヒ、というのが紬の苗字だと侑はなかなか気づけなかった。というのも、目の前の派手な女子集団と真面目で大人しい紬が、線で結びつかなかったからだ。
隣に立っている紬が、パッと侑のカーディガンの裾から手を離した。そこでようやく派手な女子たちが紬の知り合いなのだ、と侑も気づくことができた。
紬は困ったように眉を下げ、リーダー格らしき女子の名前を呼んだ。その声がわずかに震えている気がして、侑は少しだけ眉をひそめた。
「えっなになに、アサヒの彼氏? 嘘でしょ!? めちゃイケメンじゃん!」
「あ、えっと……彼氏じゃなくて、同じ部活で……」
「えっそうなの!? 名前なんていうの? 年は? うちらとタメ?」
恋人ではない、と紬が言った瞬間から、リーダーらしき女子の視線は侑に移っていた。紬の話を最後まで聞くことなく、侑の顔を不躾に覗き込み、ぐいぐいと距離を縮めてくる。
あまりいい気分ではなかったし、紬と特別仲がいいわけでもなさそうだ。しかし紬の知り合いであることは間違いないので、侑は笑顔を貼り付け、質問に答える。
「朝日さんと同じ学校の二年、真島です」
「へー! 真島っていうんだ。下の名前教えてよ、苗字じゃなくてさ!」
「…………侑、ですけど」
「侑クンね! えっ侑クンはなんでアサヒと一緒にいるの? 彼氏じゃないんでしょ?」
失礼な物言いに侑の心中は少し荒れた。苛立ちが指先に伝わって、かき氷の入ったカップがベコ、と鈍い音を立てる。溢れんばかりに盛られていた氷が、はらりと地面に落ちて溶けていく。
どう答えるか侑が迷っていると、名も知らぬ女子は不自然なほど長いまつげをばさばさと動かした。上目遣いで見つめてくる女子は、一般的に言えば美人の部類に入るのだろう。しかし侑の目に映る彼女は、獲物を見つけたハンターのような目をしていて、残念ながら好意的に捉えるのは難しかった。
「ね、アサヒんちって門限早いんじゃなかった? もう帰らなきゃでしょ、花火見られないねー、可哀想」
「えっ……?」
「アサヒは帰っちゃうみたいだからさ、侑クンうちらと花火見ない? うちらは門限とかないしぃ、自由に遊べるからさ」
陰湿な言い回しだった。どうやら派手な女子は、紬を無理矢理にでも帰らせたいらしい。
しかし侑は知っている。紬の家の門限は九時だ。もしかしたら花火を最後まで見ることはできないかもしれないが、少なくとも前半は一緒に見ることができるはずだ。それにもし門限の時間が近づくようならば、侑は途中で切り上げて、紬を家まで送っていくつもりだったのだ。
紬は数秒遅れて、自分が邪魔者扱いされていることに気づいたらしい。少し俯くと、左手で持っていたかき氷がぽろぽろとこぼれ落ちた。紬はかき氷がこぼれていることには気づいていないようで、侑が「朝日さん、かき氷落ちちゃうよ」と呼びかけてようやく顔を上げた。慌ててかき氷を持ち直し、困ったように眉を下げる。
紬はそのまま「私、門限なので帰りますね」と言い出しそうな雰囲気だった。それくらい目の前にいる女子グループの放つ圧は強く、無言で紬を攻撃していた。
何かを言おうと紬が口を開く前に、侑は紬の空いた右手をぎゅっと握る。弾けるように顔を上げた紬が、目を丸くしているのが侑の視界に入った。しかし、侑は目の前のリーダー格の女子から目を逸さなかった。
「ごめん、ナンパしてくれたところ悪いんだけど、俺、朝日さんを口説いてる最中なんだよね」
「………………は、?」
「まだ朝日さんからOKはもらえてないから、彼氏って言えないのがもどかしいんだけどさ」
侑の発言に、女子集団だけでなく、隣の紬も固まったのが伝わってきた。わなわなと唇を震わせる派手なリーダーの女が、「でも門限が」とまだ適当な言葉を続けようとする。侑はにっこりと笑顔を浮かべ、突き放す言葉を口にした。
「仮に朝日さんが今帰るとしても、俺は朝日さん以外の人と花火を見る気はないから」
じゃあね、と言い残し、紬の小さな手を引いて侑は歩き出す。
侑の背中に投げかけられた「ナンパじゃねーし!」という強がりは無視をした。紬が小さくありがとう、と呟いた声にだけ、どういたしまして、と侑は声を返した。
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