この恋連載中です

鈴谷なつ

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文芸部の女の子

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「侑、部活の見学に行くって本当?」

 放課後、隣のクラスから小走りでやって来た永野紗枝が、侑の手を握り上目遣いに訊ねてきた。
 いつも通り目元を強調したメイクは、紗枝の整った顔立ちをより引き立てている。美人でおしゃれにも余念がない紗枝は、学校内での人気も高い。
 実際入学したばかりの頃、侑も紗枝に憧れていた。大人っぽい見た目が好みだ、というのは否定しない。でもそれ以上に、大人に何を言われても自分のスタイルを曲げない芯の強さを、かっこいいと思ったのだ。
 紗枝に告白をされたのは、高校一年の春の終わりだった。付き合い始めてもう一年が経つ。

「んー、瀬川先生に顔合わせるたびに勧められるから、見学くらいならいいかなって」
「あーね。セガセンしつこいもんね」

 紗枝は教師のことをあだ名で呼ぶ。瀬川先生を略してセガセン。教師からはもちろん注意されるが、紗枝は正そうとしない。教師に反発することが、かっこいいと思っているようだった。

 付き合う前に憧れていた、大人に何を言われても自分のスタイルを曲げない芯の強さ。
 付き合ってしばらく経って、侑は気づいてしまった。教師に注意されても、紗枝が制服を着崩すことをやめないのは、自分の好きなものを貫き通したいからではない。校則を大人しく守っていることが、かっこ悪いと思っているからだ。
 最初に抱いた印象よりも、紗枝は子どもっぽいところがあった。しかしそれは侑が紗枝のことを知る前に、勝手に抱いていた印象なのだ。落胆するようなことはなくて、むしろ侑は安心したくらいだ。高校生で自分をしっかり持っている人なんて、きっと少ないのだ、と。

「侑、どこ見に行くの? やっぱり運動部でしょ? バスケ部とか?」
「いや、文化部。膝がアレだし」
「えっ? 手術することにしたんじゃないの!?」

 紗枝の声が教室に響き、侑は頭を抱えたくなった。授業もホームルームもすでに終わっていて、教室に残っている生徒は半分にも満たない。
 それでも、侑にとって話題にしたくないことを、大きな声で話すのはやめてほしかった。

「ごめん、紗枝。もうちょっと声抑えて」
「だって侑! どういうこと!? 文化部なんてそんなの侑らしくないよ!」
「文化部だって立派な部活だろ」

 苛立つ気持ちを抑えて、侑はなるべくいつも通りの口調で言葉を紡ぐ。
 スポーツをしているときの侑が好きだ、と紗枝は言ってくれる。告白のときだって、サッカーを真剣にやっている侑がかっこよかったから、と言っていたのを侑も覚えている。
 そんな紗枝が、怪我をしてサッカーをやめた後も、侑の彼女でいてくれたことは素直に嬉しいと思う。しかし、紗枝はいつも侑に膝の手術を勧めてくる。もう一度大好きなサッカーができるように、と。もしサッカーに戻るのが難しいなら他の競技だっていいじゃん、と紗枝は言う。
 侑のことを心配してくれているのは分かる。しかし紗枝に手術を勧められるたびに、侑は自分が責められているような気持ちになった。

「文化部なんてダサいでしょ」

 侑が部活の見学に行くと聞いて、紗枝は早とちりをしたのだ。侑が膝の手術を受けて、もう一度何かのスポーツを始める気になった、と。
 しかし実際は文化部の見学だと分かり、紗枝は失望し、落胆したのだ。だから「文化部はダサい」などという酷い言葉が出たのだろう。頭では理解できるのに、侑はなぜか腹立たしい気持ちが抑えられなかった。

「…………紗枝に何が分かるんだよ」
「え?」
「好きなものもない。何かに真剣になったこともない。そんな奴に誰かをバカにする資格なんてないでしょ」

 きつい言葉になってしまった自覚はあった。怒りのままに紡いだ言葉は、紗枝を深く傷つけたようだった。
 いつもは力強い紗枝の目が、泣きそうな色を帯びる。紗枝の目に浮かぶ涙を見て、侑はようやく言い過ぎた、と気づいたが、口にしてしまった言葉はもう戻らない。
 紗枝は何も言い返すことなく、ぎゅっと唇を噛んで教室を出て行った。二人の言い合いのせいでしん、とした教室は、気まずそうに時を取り戻す。クラスメイトたちがひそひそと侑のことを話している気がして、たまらずに侑も教室を飛び出した。


 今日は帰りたかったな、と侑は心の中で呟く。
 侑は生徒玄関に向かう途中で担任の瀬川に見つかってしまった。部活動に入りなさいといういつもの長い話が始まりそうだったため、「今日は文化部を見て回ろうと思ってるんすよ」と言って逃げ出したのだ。
 見学すると言ってしまった手前、堂々と帰るわけにもいかない。お節介な瀬川は、各文化部の顧問に「うちのクラスの真島くんが見学に行きますから」と話を通してしまうことも簡単に想像できた。
 仕方なく侑は、文化部の活動している教室を見て回ることにした。
 紗枝に強く当たってしまった罪悪感が、侑の足取りを重くしていた。

 最初は吹奏楽部。文化部の中で最も人数が多く、活動熱心なイメージがある。
 音楽室ではちょうど合奏をしているようで、二十分ほど聴かせてもらった。音楽に詳しくない侑には、演奏が上手いのか下手なのかも分からなかった。
 音楽教師の指導は厳しそうだが、確かにそこには熱があった。真剣に音楽と向き合う、部員たちの姿は眩しく見えた。
 天文学部と科学部は少し顔を出しただけで、すぐに侑は退出させてもらった。理系科目が苦手な侑は、早々に目を回してしまったのだ。
 美術もあまり得意ではないが、見学もせずに無理だと決めつけるのはよくない。美術部員に少し話を聞いてみたところ、必ず年に一度部員は作品をコンクールに出さなければならないらしい。誰にも見せず細々と活動するならば、絵が上手くなくてもいいかもしれない。しかしコンクールに出さなければならないと言われると、侑は気遅れしてしまった。
 漫画研究部は少人数で活動しているようだった。侑も少年漫画はよく読んでいるので、文化部の中では少し興味がある部活だった。
 結果から言えば、侑は漫画研究部の部室に足を踏み入れることすらできなかった。部員は全員女子。それだけでも躊躇う理由になるのに、極めつけは部長らしき三年生女子の発言だった。

「きみが真島くん? 瀬川先生から見学に来るかもって聞いてるよ」
「あ、そうです。漫画研究部ってどんな感じなんすか? ちょっと興味があって」
「はいはい、いい質問。うちの漫研はね、ずばり、BL特化型! BLの漫画を読み、BLの良さを語り、BLの漫画を描く! そんな部活です!」

 早口で語られた言葉を聞き逃さないようにしながら、侑は首を傾げた。

「えっと、BLってなんすか?」
「ボーイズラブ。男の子同士の恋愛だね!」
「お邪魔しました」

 侑は慌てて引き返した。「あー! 真島くん! 見学していかないの?」という声が聞こえたが、侑は早足で逃げた。
 男同士の恋愛。最近では同性カップルも増えていると聞くし、恋愛は自由だと侑も思う。だが男と男の恋愛模様について、わざわざ見て知って語りたいかと訊かれれば、当然ノーと答える。少女漫画すら読んだことのない侑に、ボーイズラブとやらは早すぎる。


 最後に残ったのは文芸部だった。生粋の体育会系である侑は、文芸部がどんな活動をする場所なのか、想像もできない。
 少しの緊張を抱きながら、文芸部と書かれた教室をノックした。しばらく待ってみても、誰も出てこない。もう一度ドアをノックしてやはり反応がなかったので、侑はこっそり部室を覗いてみようとそっとドアを開けた。

 教室の中は電気が点いていて、一人の女子生徒が仮眠をとっているようだった。寝ているからノックに気づかなかったらしい。教室の中を見回しても、いるのは机に突っ伏している少女一人だけだった。
 邪魔をしない方がいいな、と文芸部の教室を後にしようとしたが、侑は足を止めた。エアコンが稼働しているはずなのに、教室内はじんわりと暑い。

 もしかして眠っているのではなく、熱中症で倒れているのかもしれない。それに今は倒れていなくても、この暑さの中で水分も摂らずに眠っていたら、本当に倒れてしまいそうだ。

 一度気になってしまったら、そのまま放置して帰るのは躊躇われる。失礼します、と断りを入れて文芸部の部室に足を踏み入れ、侑はうわ、と思わず呟いた。教室の温度計が、三十二度を示していたのだ。冷房の設定温度を下げ、風量も少し強くする。
 それから眠っている少女の肩を優しく揺すり、大丈夫ですか、と侑は声をかけた。
 うう、と小さな声が聞こえ、しばらくして少女が気怠げに頭を上げた。黒髪のポニーテールが揺れて、女子生徒の顔が見える。見覚えのある顔だった。

「あれ……? 昼休み、職員室にいた…………」

 侑が職員室で担任の瀬川から終わりのない話を聞かされていたとき、途中で助けてくれた女子生徒だった。眉よりも上で切り揃えられた前髪は、汗でぺたりと張り付いている。職員室で見たときは大きいと感じた黒目がちの目は、とろんとしていて眠そうに見える。数度まばたきをして、少女は首を傾げた。その頰も真っ赤に染まっていて、より幼く見えた。

「大丈夫っすか。熱中症?」
「え…………」
「何か飲み物持ってます?」

 ぼんやりとした様子の女子に問いかけると、少女は静かに首を横に振った。
 侑はバッグの中からスポーツドリンクを取り出し、彼女に差し出した。

「これ、開けてないから。飲んだ方がいいっすよ」
「あ……ありがとう、ございます」

 ペットボトルの蓋を開け、白い喉にドリンクが流し込まれていく。侑はしばらく黙って隣に立っていたが、左膝が痛みを訴えてきたため近くの椅子を借りることにした。

「俺、一組の真島です。部活の見学して回ってて、文芸部もちょっと見せてもらいたいんですけど」
「あ、えっと…………どうぞ、今日は私しかいないですけど」
「名前、なんていうんすか?」
「朝日、紬です」

 スポーツドリンクを飲んで少し復活したのか、紬はやわらかい口調で文芸部について説明してくれた。
 文芸部の部員数は現在四名。活動内容は、文章を書くこと。小説、詩、脚本、ライトノベルや児童文学、エッセイ、短歌や俳句。どんなものでもいい、と紬は言った。

「公募に挑戦するか、本にするか、ネットで公開するか、全部自由です。活動日とか時間も、決まりはなくて。一応部室はあるので出入り自由なんですけど、私以外の三人はほとんど自宅で執筆してるみたいです」

 紬のやわらかい喋り方は、耳に心地いい気がした。侑は相槌を打ちながらも、文芸部に入ることはないだろうな、と心の中で思っていた。
 理系科目が苦手だからといって、国語が得意なわけではない。特に作文などで自分で書いた文章を読み返すのが、侑はとても苦手だった。言葉では言い表し難い羞恥心に駆られてしまうのだ。

「だから、もしも真島くんが困っているなら……文芸部に籍だけ置くのもありだと思いますよ」
「えっ?」
「あ、ごめんなさい。お昼休みに瀬川先生と話してるの聞こえちゃって」
「ああ、助けてくれたもんね」

 昼休みに助けてもらったお礼を言うと、紬は嬉しそうに笑った。
 紬の言う通り、幽霊部員でもいいならば、文芸部もいいかもしれない。クラス担任の瀬川が、サッカーができなくなって空っぽになった侑を心配しているのは事実だ。お節介だとは思うが、いつまでも心配させているのも申し訳ないと思う。侑がどこかの部活に所属すれば、きっと瀬川の肩の荷も降りるだろう。
 そんなことを考えながら、侑は文芸部を後にした。

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