ピストンに圧縮されたガソリンの熱効率

麻婆

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新世界(3)

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「君さあ、星々ちゃんと仲良かったんだっけ?」

 死ぬほど面倒なことになってきた。

「い、いや。全然」
「そっかあ? さっき、ずいぶん楽しそうに話してたように見えたけどね」

 黒岩から逃げるように校舎を出た。そんな俺に長峰が話しかけてきて、人目につかない場所へ押し込んだ。
 箱型の建造物が乱雑に並んだ街。行き交う電動車や人々からの死角。普通の人間は用のない、路地奥。配電、変圧設備に、俺は押し付けられていた。

「黒岩が話しかけてきた。べつに楽しくもなんともない話だった」

 西茂森に対する、黒岩みたいなことを俺は言った。間違ってはいない。黒岩が勝手に近寄ってきただけだ。

「じゃあさ、もう星々ちゃんには近付かないでくれる? 彼女は俺が守るからさ」

 長峰の端正な顔が、嫌らしく狡猾な笑みで歪む。その笑みがあまりにも似合いすぎていて、拍手したくなった。
 べつに、長峰と黒岩がどうなろうと知ったことではない。勝手にすればいい。自分でも言い飽きてきたが、どうでもいい。本当に、どうでもいい。

「わかったよ」

 これで、黒岩の願いは叶う。西茂森の代役として、カースト上位に立つための拠り所として、女子連中からの嫌がらせの盾として、長峰を利用することができるのだから。

「男同士の約束なー。もし破ったら……」

 長峰はもったいぶるように間を置く。目を伏せ、視線を俺から外す。そんな仕草もいちいち様になっている。

「破ったら?」
「話は変わるけどさ」
「なんでだよ」
「神人って、なんで消えたんだろうね」

 話、変わってねえよ。
 黒岩に近づいたら、西茂森のようにお前も殺す。そう脅された。そういう認識で間違いないだろう。

 長峰は、犯行に使われた血まみれのナイフを拾ったのだ。それを腰にぶら下げ、まるで自分が犯人であるかのように見せている。でも、口では絶対に肯定しない。
 こいつは、殺人犯になりたいわけじゃない。西茂森を殺したかったわけでもない。暗黙の共通悪であった、西茂森を倒した勇者になりたいだけだ。それも、なるべく美味しいところだけ、綺麗なところだけをさらって食いたいんだ。

「じゃ、そういうことで。……あれ? ところで、お前さ」
「なんだよ」
「名前、なんだっけ?」
「鶴ヶ坂義兼」
「ヨシカネ? 変な名前だな」
「ほっといてくれ。どうでもいいだろ」

 まったくだ、と言って長峰は去って行った。
 血まみれのナイフを自慢げにぶら下げて、その効果を見積もって、クラスでうまく立ち回ろうとしている。そして実際、本人の打算通りになっているのだろう。
 ただ、やつにとって誤算があるとすれば、そのナイフを俺に対して誇示したこと。そして、本当はナイフじゃなくて、馬鹿みたいにデカいモンキーレンチだったということだ。

 西茂森が死んで、変わったと思っていた世界。でも、実際は西茂森が長峰に置き換わっただけだった。2ストロークエンジンが、4ストロークエンジンに変わったようなものだ。誤解覚悟で大ざっぱに言えば、行程が増えただけ。やっていることは、実質的には変わらない。

 配電、変圧設備に背中を預けているせいだろうか。これまでは、絶縁体でできているのかと思うほど通電しなかった点火プラグに、ざわざわとした通電の予感を覚えた。
 それは、苛立ちや怒りに似ている。墜落した貨物ロケットを見た時に感じた気持ちにも似ていた。

 胸の内で圧縮された可燃性の気持ちが、いまにもシリンダを破裂させて溢れそうだった。排気でもしなければ、中毒死してしまう。この地下シェルター街のように、自家中毒で死んでしまいかねない。
 早くしてくれ。誰か。みんな――俺は、スパークを待ち望んでいるんだ。きっと。
 エンジンに火を灯せ。ピストンに爆発の勢いを乗せろ。

 俺は、西茂森の時には感じなかった、明確な殺意を抱いていた。
 いや、あの時は目を逸らしていた。

 何が、『世界が終るから西茂森は死ぬ』だ。そんなわけがない。俺が殺した。
 世界の終わりのせいになんて、できない。させない。俺のせいだ。俺のものだ。
 あの殺意を――そして、この殺意を他の何者にも渡さない。
 他人にとって俺の殺意が他ならぬ悪意そのものであったとしても、俺にとっては違う。
 俺は確かに見たんだ。殺意の先に、雨上がりの幻想を確かに見た。とても綺麗だったんだ。
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