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墜落(3)
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ハンドル右側に付いている、赤いセルスタータースイッチを押し込む。
バイクが身をよじって目を覚ました。エンジンの回転数を示すタコメーターや、速度計の針が一瞬だけビクンと振り切る。
ピストンが下がり、ガソリンをキャブレターの仕組みによって空気と混ぜ、混合気としてシリンダ内へと吸入する。
次にピストンが上がり、シリンダ内の混合気を圧縮し、熱効率を上げる。
そこへプラグがスパークして着火、爆発。爆発の勢いでピストンが下がる。
爆発の勢いそのままに、慣性によってピストンが再び上がり、燃焼済みの混合気を排気する。
この、ピストンが四回ストロークする間に、ピストンと繋がっているロッドがクランクシャフトを周回。ピストンの縦運動エネルギーが、回転エネルギーに変わる。四回のストロークを高速で繰り返し、バイクを前に走らせるための回転エネルギーを生み出すのだ。
単純に言えば、シリンダとピストンの組み合わせの数が多いほど、馬力が上がる。しかし、このGANGAN200は一組しかない。いわゆる単気筒というやつだ。
店長曰く、スピードを求める奴が乗るバイクじゃない、だそうだ。ただ、パーツが少ない分、メンテナンス性は良いらしい。汚染された地上を無理やり走るわけだから、メンテナンスのしやすさは重要だろう。
単気筒、4ストロークのエンジンがドロドロと震動して、発車の時を待っている。芋虫みたいなシート越しに、それが尻へ伝わってくる。
本当は、このまま少しエンジンの暖気時間を取りたいところだが、走り出したい気持ちを抑えられない。寒冷地でもないし、多少は問題ないだろう。
俺は逸る気持ちのままに、車体を支えていたスタンドを後ろに蹴り上げた。
クラッチレバーを握り込み、シフトチェンジペダルを一速へ蹴り下ろす。
アクセルをゆっくりと引き絞り、同時にクラッチレバーを徐々に開けていく。エンジン側の回転が、クラッチによってトランスミッション側へと伝わる。いよいよ回転エネルギーはタイヤへと届き、バイクはゆったりと前へ進みだした。
一速はすぐに回転数がレッドゾーンに入ってしまう。坂道を登ったりという、ゆっくりでもパワーが必要な時は一速のまま走る。だが、仮にもここは平地の舗装路だ。動き出したらすぐにアクセルを戻し、クラッチレバーを握り込む。それと同時に、シフトチェンジペダルを二速へ蹴り上げる。そして、クラッチレバーを離し、再びアクセルを引き絞る。
独特な抑揚のあるエンジン音を響かせ、バイクはどんどん加速していく。上体を低くし、車体を抱きかかえるような姿勢を取る。
俺は、今日も地上を旧車で駆けていた。雪のように道の端に溜まった砂を横目に、いつ死ぬとも分からないモーターサイクル・ツーリングに没頭する。天候と視界は、普段と比較して良い方だった。
西茂森が地下シェルター街から消えて、一週間が経った。
地下での暮らしは、俺を痛めつける奴がいなくなったこと以外、何も変わらなかった。
シリンダ内のピストンみたいに、行ったり来たり。ピストンと違うのは、回転エネルギーには変わらないことだ。ただ可燃性ガスの熱効率を上げていくだけ。いつか、その充満したガスで中毒死するのを待ち続けている。
それでも、西茂森がいないというだけで、痛めつけられずに下校できるというだけで、以前とは精神的余裕が雲泥の差だった。心なしか、GANGAN200の機嫌も良いように思えた。自動車並みに太い後輪が、気持ちよく回転しているのを感じた。こん棒みたいに厳ついマフラーから排気されるガスも、いつもより楽しそうだった。
俺は、少し微笑んだかも知れない。もしくは、頬が痙攣しただけか。どうやら、笑い方を忘れてしまった。
だけど、気分は良い。GANGAN200の加速に合わせて、俺の気持ちも上がっていく。シフトチェンジペダルを五速に蹴り上げ、アクセルグリップを握った――。
「――な、なんだ!?」
突然、体を揺さぶるほどの音と震動が、上空から降ってきた。叩きつけられた。
堪らず、俺はブレーキレバーとクラッチレバーを握りしめ、右足でブレーキペダルを踏み込んだ。合わせて、左足でシフトを一気に一速まで蹴り落とす。油圧式ディスクブレーキと、エンジンブレーキによって急激な減速が起こる。尻が浮いて前に吹っ飛びそうになるのを、車体に抱き着くようにして堪えた。
「ぐぅぅ……ッ!」
砂で後輪がスリップしていくのを、歯を食いしばってバランスを取る。
突然、何かが前方に落下して、舗装路を抉った。轟音と熱と衝撃がバイクを煽り、いよいよ車体が横転しようと傾いていく。俺は足を路面に擦りつけ、横転を回避しようと踏ん張った。ブーツの底が削れて穴が開く怖さがあったが、横転するよりはマシだ。
慣性に従って前方にスリップし続けながら、車体が二回転。そこで、ようやくバイクは止まった。路面に突き刺さった、赤熱した何かに衝突する寸前だった。
「熱っ! あっつ!」
冷や汗すら蒸発しそうな熱気だった。防護ヘルメット内では、様々なアラートが飛び交っている。俺は急加速で赤熱する落下物から遠ざかった。
ある程度の距離を取り、周辺を観察する。落下物は一つだけじゃなかった。点々と遠く、地面に突き刺さっている。何かの破片のようだった。ひとつひとつ目で追っていくと、その先頭には、いまにも海面に衝突しようとしている何かが見えた。ほとんど原形をとどめていないが、貨物ロケットのようだった。
そして、貨物ロケットは横浜マリンタワーを圧し折り、海に落ちた。爆発と水飛沫をごうごうと噴き上げ、その衝撃が遠い場所にいる俺の体にまで届いてきた。
「いったい、何だよ……。何なんだよ」
墜落しやがった。
不透明とはいえ、未来に希望を持てている奴らが打ち上げた貨物ロケット。理由なんて分からないが、空で爆発して墜落した。あれが有人ロケットだったと思うと、何とも言えない気持ちがこみ上げる。
「失敗すんのかよ……」
怒りや苛立ちに似た気持ち。
どうして俺がそんな気持ちを抱かなければならないのか。地下で死にゆくのを待つだけの俺には、関係のないことだ。ざまあみろ、と嘲笑うならまだしも、どうして苛立つのか。
そんな自己矛盾に陥っていると、突然、背後から巨大な羽虫のような音が聞こえてきた。
複数の監視警戒ドローンが、忙しなく俺を追い越していった。その行く先は、貨物ロケットの墜落現場だ。
爆発で舞い上がった海水が幾筋もの虹を作り、更に大気中の砂などの粒子が関係しているのか、虹の雲まで現れていた。さながら、虹の噴水だった。
「すげえ……」
環境汚染と不運が生み出した幻想的な風景に、俺は思わず声を漏らした。その風景は、新しい人類の住処を夢想させた。
「そりゃ、いいなあ」
呟くと、落下した貨物ロケットの破片のように、赤熱した気持ちがゆっくりと冷めていった。
俺には関係のないことだ。
ガチッガチッと音を立て、気持ちのシフトチェンジペダルが踏み込まれているようだった。一速と二速の間――緑色のランプが点灯して、俺の心はニュートラルになった。
地下シェルター街をシリンダのようにして、無数のピストンの一つと化し、可燃性ガスを圧縮していくだけ。ずっと、死ぬまで続く燃えることのない内燃機関。
今日もまた、可燃性ガスの熱効率が上がったような気がした。
そんな冷めた心が、ふと気付いた。監視警戒ドローンが、何故か一機だけ俺の頭上でホバリングし続けている。まるで、あり得ない幻想を俺と一緒に抱いているかのようだった。
バイクが身をよじって目を覚ました。エンジンの回転数を示すタコメーターや、速度計の針が一瞬だけビクンと振り切る。
ピストンが下がり、ガソリンをキャブレターの仕組みによって空気と混ぜ、混合気としてシリンダ内へと吸入する。
次にピストンが上がり、シリンダ内の混合気を圧縮し、熱効率を上げる。
そこへプラグがスパークして着火、爆発。爆発の勢いでピストンが下がる。
爆発の勢いそのままに、慣性によってピストンが再び上がり、燃焼済みの混合気を排気する。
この、ピストンが四回ストロークする間に、ピストンと繋がっているロッドがクランクシャフトを周回。ピストンの縦運動エネルギーが、回転エネルギーに変わる。四回のストロークを高速で繰り返し、バイクを前に走らせるための回転エネルギーを生み出すのだ。
単純に言えば、シリンダとピストンの組み合わせの数が多いほど、馬力が上がる。しかし、このGANGAN200は一組しかない。いわゆる単気筒というやつだ。
店長曰く、スピードを求める奴が乗るバイクじゃない、だそうだ。ただ、パーツが少ない分、メンテナンス性は良いらしい。汚染された地上を無理やり走るわけだから、メンテナンスのしやすさは重要だろう。
単気筒、4ストロークのエンジンがドロドロと震動して、発車の時を待っている。芋虫みたいなシート越しに、それが尻へ伝わってくる。
本当は、このまま少しエンジンの暖気時間を取りたいところだが、走り出したい気持ちを抑えられない。寒冷地でもないし、多少は問題ないだろう。
俺は逸る気持ちのままに、車体を支えていたスタンドを後ろに蹴り上げた。
クラッチレバーを握り込み、シフトチェンジペダルを一速へ蹴り下ろす。
アクセルをゆっくりと引き絞り、同時にクラッチレバーを徐々に開けていく。エンジン側の回転が、クラッチによってトランスミッション側へと伝わる。いよいよ回転エネルギーはタイヤへと届き、バイクはゆったりと前へ進みだした。
一速はすぐに回転数がレッドゾーンに入ってしまう。坂道を登ったりという、ゆっくりでもパワーが必要な時は一速のまま走る。だが、仮にもここは平地の舗装路だ。動き出したらすぐにアクセルを戻し、クラッチレバーを握り込む。それと同時に、シフトチェンジペダルを二速へ蹴り上げる。そして、クラッチレバーを離し、再びアクセルを引き絞る。
独特な抑揚のあるエンジン音を響かせ、バイクはどんどん加速していく。上体を低くし、車体を抱きかかえるような姿勢を取る。
俺は、今日も地上を旧車で駆けていた。雪のように道の端に溜まった砂を横目に、いつ死ぬとも分からないモーターサイクル・ツーリングに没頭する。天候と視界は、普段と比較して良い方だった。
西茂森が地下シェルター街から消えて、一週間が経った。
地下での暮らしは、俺を痛めつける奴がいなくなったこと以外、何も変わらなかった。
シリンダ内のピストンみたいに、行ったり来たり。ピストンと違うのは、回転エネルギーには変わらないことだ。ただ可燃性ガスの熱効率を上げていくだけ。いつか、その充満したガスで中毒死するのを待ち続けている。
それでも、西茂森がいないというだけで、痛めつけられずに下校できるというだけで、以前とは精神的余裕が雲泥の差だった。心なしか、GANGAN200の機嫌も良いように思えた。自動車並みに太い後輪が、気持ちよく回転しているのを感じた。こん棒みたいに厳ついマフラーから排気されるガスも、いつもより楽しそうだった。
俺は、少し微笑んだかも知れない。もしくは、頬が痙攣しただけか。どうやら、笑い方を忘れてしまった。
だけど、気分は良い。GANGAN200の加速に合わせて、俺の気持ちも上がっていく。シフトチェンジペダルを五速に蹴り上げ、アクセルグリップを握った――。
「――な、なんだ!?」
突然、体を揺さぶるほどの音と震動が、上空から降ってきた。叩きつけられた。
堪らず、俺はブレーキレバーとクラッチレバーを握りしめ、右足でブレーキペダルを踏み込んだ。合わせて、左足でシフトを一気に一速まで蹴り落とす。油圧式ディスクブレーキと、エンジンブレーキによって急激な減速が起こる。尻が浮いて前に吹っ飛びそうになるのを、車体に抱き着くようにして堪えた。
「ぐぅぅ……ッ!」
砂で後輪がスリップしていくのを、歯を食いしばってバランスを取る。
突然、何かが前方に落下して、舗装路を抉った。轟音と熱と衝撃がバイクを煽り、いよいよ車体が横転しようと傾いていく。俺は足を路面に擦りつけ、横転を回避しようと踏ん張った。ブーツの底が削れて穴が開く怖さがあったが、横転するよりはマシだ。
慣性に従って前方にスリップし続けながら、車体が二回転。そこで、ようやくバイクは止まった。路面に突き刺さった、赤熱した何かに衝突する寸前だった。
「熱っ! あっつ!」
冷や汗すら蒸発しそうな熱気だった。防護ヘルメット内では、様々なアラートが飛び交っている。俺は急加速で赤熱する落下物から遠ざかった。
ある程度の距離を取り、周辺を観察する。落下物は一つだけじゃなかった。点々と遠く、地面に突き刺さっている。何かの破片のようだった。ひとつひとつ目で追っていくと、その先頭には、いまにも海面に衝突しようとしている何かが見えた。ほとんど原形をとどめていないが、貨物ロケットのようだった。
そして、貨物ロケットは横浜マリンタワーを圧し折り、海に落ちた。爆発と水飛沫をごうごうと噴き上げ、その衝撃が遠い場所にいる俺の体にまで届いてきた。
「いったい、何だよ……。何なんだよ」
墜落しやがった。
不透明とはいえ、未来に希望を持てている奴らが打ち上げた貨物ロケット。理由なんて分からないが、空で爆発して墜落した。あれが有人ロケットだったと思うと、何とも言えない気持ちがこみ上げる。
「失敗すんのかよ……」
怒りや苛立ちに似た気持ち。
どうして俺がそんな気持ちを抱かなければならないのか。地下で死にゆくのを待つだけの俺には、関係のないことだ。ざまあみろ、と嘲笑うならまだしも、どうして苛立つのか。
そんな自己矛盾に陥っていると、突然、背後から巨大な羽虫のような音が聞こえてきた。
複数の監視警戒ドローンが、忙しなく俺を追い越していった。その行く先は、貨物ロケットの墜落現場だ。
爆発で舞い上がった海水が幾筋もの虹を作り、更に大気中の砂などの粒子が関係しているのか、虹の雲まで現れていた。さながら、虹の噴水だった。
「すげえ……」
環境汚染と不運が生み出した幻想的な風景に、俺は思わず声を漏らした。その風景は、新しい人類の住処を夢想させた。
「そりゃ、いいなあ」
呟くと、落下した貨物ロケットの破片のように、赤熱した気持ちがゆっくりと冷めていった。
俺には関係のないことだ。
ガチッガチッと音を立て、気持ちのシフトチェンジペダルが踏み込まれているようだった。一速と二速の間――緑色のランプが点灯して、俺の心はニュートラルになった。
地下シェルター街をシリンダのようにして、無数のピストンの一つと化し、可燃性ガスを圧縮していくだけ。ずっと、死ぬまで続く燃えることのない内燃機関。
今日もまた、可燃性ガスの熱効率が上がったような気がした。
そんな冷めた心が、ふと気付いた。監視警戒ドローンが、何故か一機だけ俺の頭上でホバリングし続けている。まるで、あり得ない幻想を俺と一緒に抱いているかのようだった。
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