嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木

麻婆

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第三章 ロストワールド

故郷にさよならを (5)

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「あの馬鹿! 死のうとしてる」

 優衣子は慌てて駆けだそうとした。
 とうとう巽のいる部屋にまで剥離現象が及ぶなか、彼は必死にファイルを書き換えようとしていた。四季ノ国屋の観測所には、まだ緊急信号は届いていない。信号を受信しなければ、こちら側から世界間を移動させることはできない。
 その状況下で、優衣子は巽の死を見た。

「待て」
「待って、優衣子ちゃん!」

 二森親子に押さえられ、とたんに身動きが出来なくなる優衣子。

「くそ! ど、どんな力してるんだよ……! 巽を蹴りに行かなきゃ!」
「いま行ったら、優衣子ちゃんも巻き添えになるだけ。落ち着いて」
「でも……! 巽にだけ責任を押し付けるわけにはいかない。わたしだって、わたしの意思で天秤を傾けたんだ。不魚住奨に謝らなきゃ……。みんなに、謝らなきゃ。間違ってましたって。ごめんなさいって。間違いを認めて、無意味でしたって、謝らないと……」

 優衣子の体から力が抜け、その場にくずおれる。

「バカ巽……!」
「あいつのケツを蹴り上げたいなら、方法はあるぜ」

 自分の八九二を操作しながら、時雄は言う。

「あいつが気付くかどうかは、運次第だけどな」



 ◆



「申し訳ありませんでした」

 俺を責めるように、ひときわ大きく御神木が落下する。
 天井、床と叩きつけられ、呼吸を忘れるほどの激痛が襲ってきた。どこかの骨が折れていてもおかしくはない。

「本当に、ごめんなさい……」

 それでも、俺は謝り続けた。この声が――謝罪が、犠牲になっただれかに届くとは思っていない。ただお前がすっきりしたいから謝っているだけだろうと罵られたら、さらに謝ることしかできない。
 なぜなら、俺は間違っていたのだから。間違いを認め、これまで払ってきた犠牲を無価値に落とすのだから。

「不魚住……。お前が正しかった。お前は一生懸命ブレーキを踏んでいてくれた。俺のせいで、あんな目に遭わせてしまって……」

 涙はこぼれない。寂しさも、悲しさも、深い後悔も、白くて小さな花と化す。思い出は色あせ、宝物という名のフォルダにしまわれているだけの記録になった。

「ごめんな、不魚住」

 謝る。
 それしか、俺にはできなかった。いくらなんでも、死者を生き返らせることはできそうにない。できるのは、この物語世界の崩壊を止めることだけ。実像を侵食し、拡大した埋葬林。それにともなって発生した被害。それらの辻褄を合わせること。嘘で守られていた、“嘘つき世界”に戻すこと。本来の姿――人が死んでも木にならない世界は、永遠に失われるだろう。

 俺はひっくり返った八九二を戻し、書き換え作業に向かう。
 まず、埋葬林が暴走した原因を設定しなくてはならない。物語世界の立て直し自体は問題ないはずだ。今回は、鬼沢晃がやったような大規模な変更じゃない。世界観を変えることなく、ハザードを止めたいだけなのだから。

 しかし、問題が二つある。
 ひとつは、ハザードの原因となったもの。物語世界が辻褄を合わせられない異物。つまり、真実を知ってしまった俺自身の排除だ。これは避けて通れない。
 もうひとつは、いまなお沈み続けている御神木だ。このまま落下し続け、御神木を失うようなことになったら、埋葬林や物語世界にあたえる影響は少なくないように思う。
 そして、おそらくもう手遅れだ。根は真っ先に暗闇に落ちたはず。みるみる茶色く枯れていく枝葉が、それを裏付けている。御神木はもう助からない。林宮の――埋葬林の象徴であり、緑の粒子を主に生み出している御神木。失うわけにはいかない。神秘的な緑の薄明を失うわけにはいかない。
 そのためには、鬼沢晃のように俺自身が御神木になるしかない。
 墓守でも可能かどうかは、わからない。でも、この世界で産み落とされた俺には、木になるDNAがあるはずだ。それがなんらかの不具合で不転化個体になってしまった。墓守になってしまった。
 だけど、いけるはずだ。鬼沢晃だって、もとは別の世界の人間だった。やれないことはない。やらなくてはならない。



[interrupt request]

バカ巽! 死ぬな!
死んで楽になれると思うなよ!
わたしと一緒にずっと生きていくんだ!

[/interrupt request]



 成功すれば、俺という異物も排除できる。思考も、記憶も、意思もない木に変わってしまえば、異物ではなくなる。
 やるしかないんだ。
 意を決し、俺は改めて壁に投影されたディスプレイを見つめる。

「ん? な、なんだ? いんたらぷとりくえすと?」

 通知欄と思われる場所に、『interrupt requestが実行されました』という表示がいつの間にか現れていた。
 おそるおそる、俺はその通知に手を伸ばし、タップしてみる。ざらっとした壁の感触とともに、ウィンドウが立ち上がった。
 それは、メッセージだった。
 八九二が収集している俺の物語。俺が通知に気付くすこし前。前後の脈略もなく、小説をぶった切るようにメッセージが差し込まれていた。
 乱暴に俺を蹴り上げるかのような言葉。署名はない。だけど、すぐに送り主が理解できた。

「優衣子……! 良かった。無事だったか!」

 安堵とともに、白い花が咲く。
 物語収集プログラムを起動してみて正解だった。やはり、優衣子は四季ノ国屋にいて、俺を見ていてくれた。俺をジャッジしてくれた。

「死んで楽になれると思うなよ、か……」

 そんなつもりはなかったけれど、俺が選ぼうとしていた道は、そういうものだったのかも知れない。
 俺が犠牲にしてきたもの。そして、意味を奪おうとしているもの。それらをすべて背負って生きろということか。
 たとえ罪の意識に苛まれ、生きることが辛くなったとしても、背負った犠牲が背中で怨嗟の声を上げるだろう。死んで楽になれると思うなよ、と。それすらも、すべて受け入れて生きろということか。
 もし、俺が御神木になったり、死を選んだとしたら、背負うべき荷物はどこへいくのか。それは、優衣子の背中だ。たったひとり残された優衣子は、きっと背負って生き続けるのだろう。不器用で真っ直ぐにしか歩けないやつだから。きっと、ひとりぼっちでも背負っていくのだろう。
 その姿を想像して、胸が狭くなる。押し出されるように息が漏れる。
 駄目だ。そんなのは駄目だ。ひとりにはさせられない。優衣子が言ったように、一緒に背負っていこう。間違いを認めて、無にした犠牲を背負って、俺は生きていこう。

「なら、どうする?」

 御神木は必要だ。ただの木では駄目だ。死者の木でなければならない。でも、俺自身が御神木になることは、もう考えられない。
 どうすればいい?

 俺は一度立ち上がり、開け放したドアに近付いた。
 部屋は相変わらずじりじりと沈んでいて、細かく振動している。部屋から見渡した外界に、俺は思わず感嘆のため息を漏らした。
 いつの間にか、部屋が乗っていた枝は、ほとんどが枯れ落ちていた。茶色く変色し、はらはらと葉が風に流されていく。おかげで遠くまで見渡すことができた。
 どこまでも続くような埋葬林。鬱蒼とした木々を割るように横たわる一級河川。埋葬林の遠く向こうには、まだ雪の冠を頂く、千六百メートル級の霊峰。そして、それらをまるで馬鹿にするように剥離現象が起こっている。そうはさせない。この景色を失いたくない。この物語世界を失いたくない。ずっと、この目で見ていたい。俺の故郷は、この物語世界だった。
 部屋にも剥離現象が及ぶなか、俺はひとつの決意をした。低くなったとはいえ、まだ岩木の大鳥居より高い景色にすこし足を竦ませながら、俺はその決意を口にする。

「不魚住。俺の身勝手でお前を死なせてしまって、本当にごめん」

 大鳥居周辺の広場に視線を移す。そこに、不魚住の遺木――死者の木があるはずだ。

「なのに、さらに身勝手を重ねることになって悪いんだけど、俺たちと一緒に埋葬林を見守ってくれないか?」

 緑の粒子が渦巻き、埋葬林全体がざわざわと身じろぎしたように思えた。
 それが肯定なのか否定なのか、はたまた、ただの偶然にすぎないのかわからない。おそらく偶然だろう。でも、それで俺も腹を括れた。曇りなく、自分のやるべきことを見据えられた。
 俺は振り返り、八九二へと駆け寄る。この物語世界を――故郷を守るために辻褄を合わせられるのは、いまは俺しかいないのだから。
 そして、一際大きな震動が部屋を襲った。



 ◆



「まだ巽は見つからないの?」
「どこに放り出されるかわからないからね。八九二の発する信号でおおよその位置は掴めるけど、支店のあるこの世界も案外広いから」
「無事だと良いんだけど」
「そうだね」

 外ヶ浜巽が緊急信号を発してから、三日が経過していた。
 エプロン組で編成された回収班が捜索しているが、まだ発見、救助の連絡はなかった。
 優衣子は二森家に宿泊し、巽の帰還を待ち続けていた。

「物語世界はどうなった?」

 優衣子と沙兎はリビングでくつろいでいる。並んで座ったソファの前では、魚が人を襲う古い映画が流れていた。とくにその映画に興味があるわけではないのか、二人の会話は自然と巽や物語世界のことになる。

「ハザードが止まってから、また時間の加速現象が起こってたけど、いまは安定してる。さすがに、詳細は行かないとわからないけどね」

 沙兎はときおりビールを傾けながら答える。

「巽くんは世界を救ったよ。そして、もちろん、カリブーもね」

 剥離現象が起こるなか、御神木が轟音を立てて崩れていくさまが描写されたとき、観測所の一画に悲鳴が上がった。
 数十メートルの高さから落下する部屋で、巽は緊急信号を発したあと意識を失った。そこで、支店に送信されていた小説も途切れ、時雄や沙兎、私服組の男が慌ただしく動き出した。
 喧騒のなか、ひとりへたり込んだ優衣子は、ただ無事を祈るしかなかった。巽と、御神木へと変わる不魚住と、物語世界の無事を、優衣子はずっと祈り続けていた。

「ふー……!」

 オレンジジュースを一気に飲み干した優衣子。

「わたしは、あの世界に帰ろうと思う。もちろん、巽にも相談するけど、不魚住奨と三人で埋葬林を守っていきたい」
「そっかそっか。うん……。良いと思う」
「沙兎はどうするの? まだ続けるつもり?」

 ぐびぐびと、負けじと沙兎もビールを飲み干す。

「優衣子ちゃんが協力してくれたから、陸に希望をあげられた。でも、もし駄目だったら、わたしはまた別の方法を探すよ」
「巽は間違いを認めたよ? だから、あの世界は“ククノチ”に戻った。わたしもそう。間違いを認められない人間にはなりたくないから」
「わたしだってさ……」

 ぱきり、とビール缶が音を立てた。

「自分の行いが間違ってないなんて、思ってないよ。でも、犠牲を無駄にしないために、なにより陸のために、わたしはやめない」
「陸くんが望もうと望むまいと?」
「優衣子ちゃんに陸の気持ちはわからない」
「それは沙兎にだって……!」

 優衣子は言いかけた言葉を飲み込み、ため息と一緒に口を閉じた。これ以上は詮無いことと思ったのかも知れない。

「いまさらやめられないよ。わたしは、もう君たち二人みたいには生きられない。潔癖を気取るには、手が汚れ過ぎたよ」
「……わかった。もうなにも言わない。でも、もうわたしたちの世界には手を出さないで欲しい」
「それは約束する。林崎先生との約束でもあるから」

 二人の会話が途切れ、わずかな沈黙が訪れた。

「そろそろできるよ。手伝って!」

 沈黙を破るように、キッチンのほうから陸の声がした。食欲をそそる香りがリビングにも届いていた。

「今日の晩ご飯はなにかな!」

 優衣子はグラスを置き、跳ねるように立ち上がった。

「煮物だな、これは」

 沙兎も優衣子に続き、ゆっくりと立ち上がった。

「だれかと違って、陸くんの料理は最高だ」
「優衣子ちゃんが言うの、それ」



 ◆



 間に合ったのだろうか。
 馬鹿みたいに部屋が揺れ出して、俺は酷い焦燥感のなかでファイルを書き換えた。すぐにも暗闇に落ちる予感が、全身を強張らせた。
 それでも、間に合ったと思う。保存して、ファイルを閉じた。そのときには、もう部屋は落下していて、俺は天井に張り付けられたまま緊急信号を発信した。そこから、記憶がない。

 俺は生きているのか、死んでいるのか。
 体を動かそうと思ったが、うまく力が入らない。声はどうやって出すんだったか。目は閉じているのか開いているのか、わからない。ただ暗い。
 俺は体を動かすことを諦めた。
 こうなると、ちゃんとあの世界にさよならできたのか、それだけが心配だった。もし、緊急信号や救助が間に合っていなかったら、ハザードは止められなかったことになる。それだけは、駄目だ。
 いっそ、この暗闇で朽ち果ててしまえば、ハザードは止められるだろうか。優衣子との約束は守れなくなってしまうけど、世界は守れる。

 暗闇――。
 剥離現象によって、四角く剥がれた景色を思い出す。遠近感などお構いなしに剥がれ落ちたその向こう、陽光すら寄せ付けない真っ暗闇があった。
 まさか、俺はいま、その真っ暗闇にいるのではないだろうか。
 物語の墓場。黒歴史の廃棄場。ハザードの結末。
 俺は、失敗してしまったのか。

「いたぞ!! こっちだ!」

 絶望的な状況で、気狂いしそうな焦りが首元まで上ってきたときだった。
 痛いほどの明かりと、だれかの声がした。




 ―― 第三章 ロストワールド 完 ――
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