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第二章 ポストクリスマス
埋葬林攻防戦 (3)
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銃身がやけに短い散弾銃から、空薬きょうが飛び上がる。再装填を終えた悪戸吉彦は、死者の木の下で転がっている愛子に向け、とどめを刺すかのように射撃した。
至近距離で二発。
木の陰から飛び出して、滑り込むようにして撃った最初の一発と合わせて、計三発。もし、愛子がロボットみたいな振る舞いを楽しんでいる可笑しな人間であれば、確実に死んでいるだろう。ぐちゃぐちゃになっていても不思議じゃない。それくらいの威力があるように思えた。なにより、射撃音が凄まじく、射撃のたびに身がすくんだ。
優衣子は顔を引きつらせたまま、それでも悪戸にマークスマンライフルを向けている。
「なにをしてる。三人とも急げ。あの化け物が起き上がる前に御神木へたどり着け!」
「四季ノ国屋ってなんですか? どうして反抗するんですか? 御神木に行くと、なにが起こるんですか?」
不魚住は、矢継ぎ早に質問を投げつけた。聞きたいことが山ほどあるのだろう。俺だってそうだった。
悪戸は、“反抗の意思”と言った。二人も気付いているだろう。この男が、あの“手紙”の主だ。
「四季ノ国屋――二森沙兎の所属する組織は、君たちの世界をめちゃくちゃにした。嘘で塗り固めてどうにか体裁を保ったが、そのシワ寄せが君たちに押し付けられることになった。嘘を嘘だと認識することもできず、蹂躙された故郷で生きている。私はそれを許さない。御神木には、やつらが必死に隠している真実の記憶がある」
ふたたび散弾銃から空薬きょうが飛ぶ。リロードされる明確な殺意。
「信号が赤なのか、青なのか。それを確かめるんだ。自分たちの身になにが起きたのか。なにをされたのか。なにが正しいのか。それを知るんだ!」
ハッとした。
きっとこの人も、赤信号は渡りたくない人だ。でも、俺たちのように信号機自体を疑い、躊躇することなく赤信号を渡ってきた人だ。
そう直感的に思った。
「優衣子! 不魚住!」
立ちすくんでいた二人は、俺の声で動き出す。
優衣子はバギーの運転席へ、不魚住は後部座席へまたがった。
「巽!」
二人の呼ぶ声とほぼ同時に、俺は連結された橇に飛び込んだ。
「あんたが手紙の主だな? あんたはあんたで、俺たちは頭にきている。ちゃんと説明してくれるんだろうな?」
「黒尽くめの暗い顔をした女に気を付けろ。二森沙兎の仲間だ。やつらを絶対に信用するな」
悪戸は無視を決め込んだのか、俺の言葉には反応しない。
「おい、そのあんたは信用に足るのか!?」
「巽、出すよ!」
俺の返事を待たず、バギーは緑の閃光とともに走り出した。
「私のことも信用しなくていい。だが、まわりを見ろ! こんな有様にしたのは、やつらだ! 四季ノ国屋だ!」
悪戸は、離れていく俺たちに向かって、声を張り上げる。
「人間は死んだって木になんかなりゃしない!!」
化けの皮が剥がれた。そう思った。
悪戸の言葉を聞いたとき、目の前の光景に異変が起こった。
回線やサーバが貧弱で、読み込みが追いつかない。はたまた、ハードの性能が貧弱で処理落ち。そんなふうに、まるでテクスチャが剥がれたゲームのグラフィックのように、視界の一部が長方形に欠け落ちた。
真っ黒な地が見えた。
光さえ届かないような、真っ暗な底なし。吸い込まれたら最後、二度とは戻れない予感が背中を寒気とともに駆け上がる。
「あ……」
そして、瞬きをするほどの間に、長方形の欠損はふさがった。なにごともなかったかのように、死者の木と青い空がある。
「飛ぶぞ! つかまれ!」
視界が緑の薄明に霞む。
足先へ体が引っ張られるような力を感じ、俺は橇のサイドにしがみ付いた。バギーが鼻先を持ち上げ、斜めに空へ上っているのだ。
――人間は死んだって木になんかなりゃしない――
不魚住も優衣子も、なにも口に出さないが、なんとなく感じる。
俺と同じことを考えている。
じゃあ、俺たちは、なんだっていうんだ?
木になった人々は、なんだっていうんだ?
その答えが、埋葬林の中心部――最大の禁足地にある御神木に隠されている。
誰も教えてくれないのなら、自ら手を伸ばすしかないのだ。その手の行方を、正しいと祈るしかないのだ。
◆
「散弾銃にもかかわらず、大口径の弾が一発。ヤンチャですね」
ブレイクダンスでも踊っているかのように跳ね起きる愛子。
横腹、胸、頭。弾丸を受けた場所それぞれから、へしゃげた弾頭が吐き出された。至近距離での弾丸の衝突も、愛子の特殊結晶の肌を破れはしなかった。へこんだ傷あとも、波打つようにして元の滑らかな肌に戻る。
「びくともしないか……」
呟いて、悪戸は散弾銃を向けたまま、素早いバックステップで死者の木々に紛れた。
「スラッグ弾で撃つなんて、愛子を猪や熊などと勘違いしていませんか?」
「熊でも、もっと効くけどな!」
凶悪な炸裂音で、スラッグ弾が射撃される。
しかし、弾丸は愛子にかすりもしなかった。彼女の背後で、死者の木の幹が破裂する。
身じろぎ一つせず、愛子は笑顔のテンプレートを実行していた。
「そんな短い銃身でスラッグ弾を撃つなんて、当てる気がないとしか思えませっ……!!」
銃声。
頭部に引っ張られるように、愛子の体が跳ね上がる。そのまま、頭から地面に崩れ落ちた。
「あぁ! 痛ぁあい!」
悲鳴を上げ、のたうつ愛子に悪戸が滑り込むようにして近寄る。そして、続けざまに二発、頭部にスラッグ弾を叩き込んだ。
悪戸はハンドグリップを前後させ、空薬きょうを放る。空になった散弾銃に弾を込めながら、彼はふたたび愛子から距離を取ろうと駆け出した。
「つ か ま え た」
走り出した悪戸の足を、愛子の手が捕らえる。たまらず、悪戸は地面に体を強打した。
「くそっ!」
悪戸は慌ててハンドグリップを戻し、引き金を引く。
スラッグ弾は愛子のエプロンを貫き、その腹部に直撃した。しかし、苦悶の声を上げたのは悪戸だった。
「衝撃をヨシヒコの足に波及させてみました。多少のロスはありますが、スラッグ弾を撃ち込まれる感覚は伝わったはずです。いかがでしょうか?」
「ぐ……っ!」
「わかりますよ。とても痛いですよね」
「この悪魔めが!」
「その呼び方は傷つきます」
さらに至近距離での発砲。足をつかむ愛子の左腕に直撃。
悪戸の足が嫌な音を鳴らした。
「あら? 愛子は痛覚モジュールをカットすれば気になりませんが、ヨシヒコの場合は痛いでしょう? 骨が砕けてしまいますよ?」
「……薄汚い世界にとどめを刺せるのなら、私の足などくれてやる」
「たまげました」
続けて二発、悪戸はスラッグ弾を愛子の左腕に撃ち込んだ。
「きゃあ!」
愛子の左腕が飛び跳ね、悪戸の足が解放される。
這うようにして、悪戸は後退。なおも散弾銃に弾を込めている。
「効いてないように思えるが、お前にも確実にダメージがあるはずだ」
ぜえぜえと息を切らし、愛子に散弾銃を向ける悪戸。右脚は出血していて、もはや使い物になりそうにない。
「いいえ。フレームが多少軋んだ程度です。ダメージコントロールの必要すらありません」
「機械でも強がるんだな。なら、ずっと庇っている右目はどうした? 至近距離で目玉に二発撃ち込んだんだ、さすがにすこしは効いたろう」
「これですか――」
愛子はすっと右手を下げる。
鬼火のような青い視覚モジュールは、そこにはなかった。
「なんだそりゃ……」
悪戸が呆気にとられる。
もともと目玉のあった場所から、排気ノズルが突き出していた。
「目からビームを出せればとても素敵なのですが、愛子には搭載されていないのです。排気経路の変更にすこし手間取りましたが――」
「やめろ」
「――点火!」
中腰になった愛子の右目から、戦闘機もかくやという轟音でもって、アフターバーナーのような直線的な炎が噴き出る。
引き絞られた排気ノズルから吹き出した炎は、悪戸の腕をあっという間に焼き上げた。
たまらず、悪戸は散弾銃を取り落とし、絶叫して転げまわる。薄い顎ヒゲなど、余波で燃え尽きた。
「ヨシヒコは、事前に渡されたキルリストに載っています。どうにかなると思わないでくださいね」
炎の噴射を停止させ、愛子はゆっくりと悪戸に近づいていく。冷却措置をとっている右目の排気ノズルは、蒸気とじゅうじゅうという音を上げている。
悪戸は朦朧とした顔つきで、死者の木に倒れかかっていた。
「お前、向こうのAIKOよりも鈍いな」
「やや! 愛子はムッとしましたよ。量産型と比較されては困ります。性能は、量産型が当然のように優れるのです。そのための試作型なのですから、性能差を語られるのは不愉快です」
ふふふふ、と悪戸は鼻で笑ってみせる。
「なら、お前で助かったよ。試作型」
「聞き捨てなりませんね。疑似人格モジュールがプライドの損傷を確認しました。目から火を出せるのは、おそらくこの愛子だけですよ!」
「私の仕事は、べつにお前を倒すことじゃない。十分に足止めできた。しかも、まだ命も残ってる。お前の負けだ」
悪戸の周囲――死者の木々の隙間が、とつぜん揺らめいた。
「うちの観測手は優秀でな。私のような豆粒のごときアンカーで、ここまでの正確性を発揮できる」
「開門を確認。逃げるのですか、ヨシヒコ」
「そうだ、逃げる。お前をスクラップにしてな」
たわみから飛び出してきた三名は、一人が悪戸を引きずって後退、もう二人が愛子に銃口を向けた。
「そんな大筒を向けるなんて、ヤンチャですね……」
愛子に向けられた銃口の一つは、ロケットランチャーである。
「発射!」
男の声と同時に、それだけで腹を殴れそうな爆音がとどろく。バックブラストにより、男の後方で土煙が舞い上がった。
「うそでしょ……」
愛子は、ただ首をかしげ、左手を掲げて立っていた。まるで、暖簾をくぐる酔客のようである。
左手で弾かれたロケットは、愛子の顔を横切り、遠く埋葬林のどこかで炸裂した。爆発音が地鳴りのように響いてくる。
「対戦車弾だぞ! 一発いくらすると思ってんだ、このヤロー!」
もうひとつの銃口は、サブマシンガンである。
対戦車弾をいとも容易く躱されて憤った女は、弾幕を張りながら徐々に後退する。
「どうなってる……。なんで踊ってるんだ、あいつ……」
悪戸を引きずっている男は、理解できない光景を前にただ呆気に取られていた。
「くそ! 当たんねえ!」
それはまるで、超高速で披露される日本舞踊だった。
ゆっくりと流れるようでいて、機敏。愛子はメリハリのある動きで、サブマシンガンの弾幕を躱し続ける。それどころか、新生CFSたちの後退速度に負けぬ勢いで、愛子は迫ってきていた。
「悪戸さん!」
「AIKOやべえ!」
「急げ、後退しろ! 俺は置いて行って構わん!」
「置いていけませんよ!」
いつの間にか、愛子の右手に武装が展開されていた。ひらひらと扇子の代わりに振っているのは、スタンバトンだった。
ひとり、またひとりと、新生CFSのメンバーを制圧していく愛子。
「ガッチャ!」
愛子は楽しげに声を上げた。
バチン、と大きな音がして、悪戸を引きずっていた男が痙攣する。
「お前……。もしかして、いままでは避けなかっただけだったのか……」
「はい。あまりに圧倒してしまえば、ヨシヒコは門も開かずに逃亡、もしくは死亡する可能性が高いと判断しました」
「つまり、お前の狙いは最初から私の逃亡先か……」
悪戸の顔が青ざめる。
背後に開いたゲートを見て、うめき声を上げた。
「四季ノ国屋標準図書番号はすでに取得しました。現状、愛子の仕事に滞りはありません。ヨシヒコの負けですね」
「くそったれ……」
「あら、怒りましたか?」
愛子はモナリザのような笑顔を浮かべ、痙攣して身動きの取れない三人を次々とゲートへ放り込む。
「負けず劣らず、愛子も怒っていますよ。好きな人たちに嫌われたくはありませんから、人は殺しません。あとで手当てもしましょう。ですが、博士は返してもらいます」
もはや意気消沈の悪戸を抱え、愛子はためらうことなくゲートへ飛び込んだ。
◆
「でけえ……」
俺は、思わず感嘆の声を漏らした。
足元の死者の木々が、草むら程度の高さに感じてしまう。まるで、埋葬林という広大な森に、二本足で立ちあがった巨人だ。
「岩木の大鳥居は、高さ40メートルはあると言われているんだ。僕も見るのは初めてだよ……」
馴鹿であり、宮司である不魚住は、大鳥居の威容に人一倍あてられているのだろう。熱っぽいため息を漏らした。
「でかすぎる……。だれが、いつ建てたんだ? かなり古そうだ」
木造の大鳥居は、苔や蔦をまとっている。近年に建てられたようには見えない。
「わからないんだ」
俺の問いに、不魚住は首を横に振った。
「わからない!? まったく?」
「まったく。一番古い埋葬林の文献には、すでにこの岩木の大鳥居が出てくる。でも、いつのころからか在る、としか書かれていないんだ。すくなくとも、千年以上はここに立ってる……」
ずっとここに立ち、御神木を守護し続けてきた大鳥居。この巨人の守護兵士は、真実を知っているのだろうか。それとも、なにも知らないままに、愚直に守り続けているのだろうか。
「ねえ! 粒子が濃すぎる!」
優衣子がしかめっ面で振り向く。首にかけていたゴーグルを慌てて装着していた。
「そのせいかわからないけど、バギーのアクセルがスカスカ! いったん降りて普通のエンジンをかける」
緑の砂浜に潜航するように、優衣子はバギーの鼻先を押し込んだ。つられて、俺が乗っている橇も斜めに下降していく。
「やばい……」
優衣子の焦りを含んだつぶやきに、俺は過剰かと思うくらいに橇にしがみつく。不魚住も優衣子にしがみついて、顔を青くしている。
なにせ、ときおりエアポケットに落ちたような浮遊感が襲ってくるのだ。大鳥居と顔を合わせる高さ。そんな高所から落下すれば、ただでは済まない。愛子にぶん回されるほうがマシである。
「優衣子! すこしでもいいから、大鳥居から離れるように降りてみて!」
「う、うん!」
不魚住のアドバイス通り、大鳥居から遠ざかるコースを取ってようやく安定したバギーは、死者の大木を縫うようにして着地した。
正直、生きた心地がしなかった。
はあはあと、息も荒く優衣子はバギーのキックスターターを蹴りつけている。おそらく、運転していた優衣子がだれよりも怖かったのだろう。うまく足に力が入らないようだった。
「俺がやる。休んでてくれ。運転、ありがとうな」
「た、助かる。頼んだ」
言って、優衣子はどっかと地面に寝転んだ。
「ご、ごめん。僕がやるよ」
「座り込んだまま、なに言ってんだ。いいから休んどけ」
「不魚住奨は役立たずだな」
「ぼ、僕にだってきっと適所が――!」
二人は寝転がったまま小突きあっている。余計に疲れるのではないかと、可笑しくなった。
キックスターターを天辺からぐるりと踏み込むと、エンジンが回る重みを足に感じた。それに応えるように、バギーが震えてマフラーから排気を始める。
通常のエンジンをかけてみて気付いたが、さっきまでのバギーは駆動音をほとんど発していなかった。あれで公道を走ったら、瞬く間に事故に遭いそうだ。
「かかったよ」
「ありがと」
「おつかれさま」
振り向くと、二人はぼうっと空を見上げていた。同じ方向を見てみると、木々の隙間から大鳥居が見える。そして、その奥にある御神木。
「大鳥居はたしかに大きいけど、ホントにやばいのは御神木」
優衣子の言う通りだった。
木、と言っていいのか、もはやわからない。雲を衝く巨大な柱だ。幹の途中から伸びた枝と葉の集まりは、ちょっとした雨なら下で運動会でも決行できそうだった。
「わたしも、こんなに接近したのは初めて。いつもロッジから見てたけど、迫力が段違い」
地面から見上げると、首が痛いほど上を向かなければならない。
「ここから先は、墓守様でさえも迷うといわれる禁足地。巽も、念のためにトナカイの角を摂ろう」
不魚住の声に、ふたたび二人のほうに向き直ると、不魚住が煙草をふかしていた。
「は? おい……」
「待って、巽。怒らないで」
怒ってない。俺は、怒ってはいない。
ただ、悲しい。知らぬ間に、不魚住が不良になってしまっていた。
しかし――。
結局、俺も不魚住の隣で煙草をふかすことになった。
「これは、なにでできてる?」
「古い死者の木の樹皮だよ。墓守様に取ってきてもらって、定期的に関係各所に配ってる。僕は、いつもはお茶にして飲むよ」
「くせえ……」
優衣子は遠く離れて、くせえくせえと俺たちをにらむ。
偶然なのか、トナカイの角から上がる緑の煙は、優衣子を追いかけるように流れていった。
「優衣子はどうするんだ? 墓守様も迷うかも知れないんだろ?」
「そうなんだよね。でも、手段がない。トナカイの角を摂取させるわけにはいかないからね。とはいえ、これだって墓守様の機能の一部を再現するだけのものだから、墓守様が駄目だった場合は、とうぜん僕らも迷う」
「出たとこ勝負か……」
「くせえ。まだか、君たち」
俺は不魚住が持っている携帯灰皿に煙草を突っ込んだ。
「まあ、気休め程度にはなるか。そろそろ行こう。愛子が来る」
いくらなんでも、あの愛子をただの人間が封殺できるとは思えない。悪戸がどれほど時間を稼ごうが、やがて追いつかれるだろう。
悪戸にはなんとしても時間を稼いで欲しい反面、無事に戻ってきて欲しい気持ちもあった。なにせ、聞きたいことや言いたい文句が山ほどあるのだ。
不魚住も煙草を捨て、残りの煙を吐き出して立ち上がる。
「行こう」
大鳥居の周辺は、死者の木が異様に大きい。小さな鳥居に囲まれた広場の周辺も大きかったが、ここらへんは別格だった。まさに大木である。
そして、足元には、ときおり貴金属や一見ガラクタのようなものが散見された。これが硬実なのだろう。墓守様には、その硬実がどの木から落ちたものなのか判別が可能で、木に触れれば木葬にされた日付がわかる。あとは林宮の記録と照らし合わせ、遺族に届けることができるらしい。ただ、あまりにも数が多いため、すべてを届けることは不可能だと言っていた。
俺に届いた腕時計は、祖母の遺木を葬儀以降に追跡し、硬実が生るのを見張っていたとしか思えない。不魚住は、そう語っていた。
しかし、そうなると、その侵入者が墓守様に感知されなかったことが不可解である。
「オッケー、出して!」
後ろの橇で、不魚住が出発を促した。その手には朱色のグレネードランチャーが収まっている。また薔薇を出す気じゃないだろうな、と冷やかしたら、不魚住は無言で首を横に振っていた。その緊張感に、俺のほうも思わず背筋が伸びた。
そして、バギーが走り出すと、道を開けるように木々が動き始めた。
「この光景は慣れないな……」
「僕も……」
ひときわ大きい死者の木をいくつか迂回し、いよいよ大鳥居に迫ったときだった。
死者の木々の動きがいっそう大きくなる。幹や枝をひねり、ときには根を動かし、右に左にと死者の木が整列していく。ちょうどバギーが一台走り抜けられそうな細道が、大鳥居まで一直線に敷かれた。死者の大木に囲まれた、細い並木道である。
「す、すごい」
不魚住の声は感嘆に震えていた。
「わたしも驚いてる」
優衣子の首筋に花が生えた。
「生きてるみたいだな……」
死者の木に対する言葉として、なんとも妙な言葉だと自分でも思ったが、口をついてしまった。
後ろから愛子が迫っているかも知れないというのに、バギーはゆっくりと並木道を進んだ。眼前の光景、そのあまりの神々しさに、俺たちは見とれてしまったのだ。
だから、まさか脅威が前方から迫ってくるなんて、考えもしなかった。
空気を切り裂く甲高い音が、俺たちのそばを横切った。すこし遅れて、炸裂音が届く。
「銃撃だ!」
不魚住が叫んだ。
俺たちにとって大鳥居までの道が開けたように、相手にとっては俺たちまでの射線が開けたということである。
後ろからは愛子。前には正体不明の射手。死者の木の並木道で、俺たちは抜き差しならない状況に陥った。
至近距離で二発。
木の陰から飛び出して、滑り込むようにして撃った最初の一発と合わせて、計三発。もし、愛子がロボットみたいな振る舞いを楽しんでいる可笑しな人間であれば、確実に死んでいるだろう。ぐちゃぐちゃになっていても不思議じゃない。それくらいの威力があるように思えた。なにより、射撃音が凄まじく、射撃のたびに身がすくんだ。
優衣子は顔を引きつらせたまま、それでも悪戸にマークスマンライフルを向けている。
「なにをしてる。三人とも急げ。あの化け物が起き上がる前に御神木へたどり着け!」
「四季ノ国屋ってなんですか? どうして反抗するんですか? 御神木に行くと、なにが起こるんですか?」
不魚住は、矢継ぎ早に質問を投げつけた。聞きたいことが山ほどあるのだろう。俺だってそうだった。
悪戸は、“反抗の意思”と言った。二人も気付いているだろう。この男が、あの“手紙”の主だ。
「四季ノ国屋――二森沙兎の所属する組織は、君たちの世界をめちゃくちゃにした。嘘で塗り固めてどうにか体裁を保ったが、そのシワ寄せが君たちに押し付けられることになった。嘘を嘘だと認識することもできず、蹂躙された故郷で生きている。私はそれを許さない。御神木には、やつらが必死に隠している真実の記憶がある」
ふたたび散弾銃から空薬きょうが飛ぶ。リロードされる明確な殺意。
「信号が赤なのか、青なのか。それを確かめるんだ。自分たちの身になにが起きたのか。なにをされたのか。なにが正しいのか。それを知るんだ!」
ハッとした。
きっとこの人も、赤信号は渡りたくない人だ。でも、俺たちのように信号機自体を疑い、躊躇することなく赤信号を渡ってきた人だ。
そう直感的に思った。
「優衣子! 不魚住!」
立ちすくんでいた二人は、俺の声で動き出す。
優衣子はバギーの運転席へ、不魚住は後部座席へまたがった。
「巽!」
二人の呼ぶ声とほぼ同時に、俺は連結された橇に飛び込んだ。
「あんたが手紙の主だな? あんたはあんたで、俺たちは頭にきている。ちゃんと説明してくれるんだろうな?」
「黒尽くめの暗い顔をした女に気を付けろ。二森沙兎の仲間だ。やつらを絶対に信用するな」
悪戸は無視を決め込んだのか、俺の言葉には反応しない。
「おい、そのあんたは信用に足るのか!?」
「巽、出すよ!」
俺の返事を待たず、バギーは緑の閃光とともに走り出した。
「私のことも信用しなくていい。だが、まわりを見ろ! こんな有様にしたのは、やつらだ! 四季ノ国屋だ!」
悪戸は、離れていく俺たちに向かって、声を張り上げる。
「人間は死んだって木になんかなりゃしない!!」
化けの皮が剥がれた。そう思った。
悪戸の言葉を聞いたとき、目の前の光景に異変が起こった。
回線やサーバが貧弱で、読み込みが追いつかない。はたまた、ハードの性能が貧弱で処理落ち。そんなふうに、まるでテクスチャが剥がれたゲームのグラフィックのように、視界の一部が長方形に欠け落ちた。
真っ黒な地が見えた。
光さえ届かないような、真っ暗な底なし。吸い込まれたら最後、二度とは戻れない予感が背中を寒気とともに駆け上がる。
「あ……」
そして、瞬きをするほどの間に、長方形の欠損はふさがった。なにごともなかったかのように、死者の木と青い空がある。
「飛ぶぞ! つかまれ!」
視界が緑の薄明に霞む。
足先へ体が引っ張られるような力を感じ、俺は橇のサイドにしがみ付いた。バギーが鼻先を持ち上げ、斜めに空へ上っているのだ。
――人間は死んだって木になんかなりゃしない――
不魚住も優衣子も、なにも口に出さないが、なんとなく感じる。
俺と同じことを考えている。
じゃあ、俺たちは、なんだっていうんだ?
木になった人々は、なんだっていうんだ?
その答えが、埋葬林の中心部――最大の禁足地にある御神木に隠されている。
誰も教えてくれないのなら、自ら手を伸ばすしかないのだ。その手の行方を、正しいと祈るしかないのだ。
◆
「散弾銃にもかかわらず、大口径の弾が一発。ヤンチャですね」
ブレイクダンスでも踊っているかのように跳ね起きる愛子。
横腹、胸、頭。弾丸を受けた場所それぞれから、へしゃげた弾頭が吐き出された。至近距離での弾丸の衝突も、愛子の特殊結晶の肌を破れはしなかった。へこんだ傷あとも、波打つようにして元の滑らかな肌に戻る。
「びくともしないか……」
呟いて、悪戸は散弾銃を向けたまま、素早いバックステップで死者の木々に紛れた。
「スラッグ弾で撃つなんて、愛子を猪や熊などと勘違いしていませんか?」
「熊でも、もっと効くけどな!」
凶悪な炸裂音で、スラッグ弾が射撃される。
しかし、弾丸は愛子にかすりもしなかった。彼女の背後で、死者の木の幹が破裂する。
身じろぎ一つせず、愛子は笑顔のテンプレートを実行していた。
「そんな短い銃身でスラッグ弾を撃つなんて、当てる気がないとしか思えませっ……!!」
銃声。
頭部に引っ張られるように、愛子の体が跳ね上がる。そのまま、頭から地面に崩れ落ちた。
「あぁ! 痛ぁあい!」
悲鳴を上げ、のたうつ愛子に悪戸が滑り込むようにして近寄る。そして、続けざまに二発、頭部にスラッグ弾を叩き込んだ。
悪戸はハンドグリップを前後させ、空薬きょうを放る。空になった散弾銃に弾を込めながら、彼はふたたび愛子から距離を取ろうと駆け出した。
「つ か ま え た」
走り出した悪戸の足を、愛子の手が捕らえる。たまらず、悪戸は地面に体を強打した。
「くそっ!」
悪戸は慌ててハンドグリップを戻し、引き金を引く。
スラッグ弾は愛子のエプロンを貫き、その腹部に直撃した。しかし、苦悶の声を上げたのは悪戸だった。
「衝撃をヨシヒコの足に波及させてみました。多少のロスはありますが、スラッグ弾を撃ち込まれる感覚は伝わったはずです。いかがでしょうか?」
「ぐ……っ!」
「わかりますよ。とても痛いですよね」
「この悪魔めが!」
「その呼び方は傷つきます」
さらに至近距離での発砲。足をつかむ愛子の左腕に直撃。
悪戸の足が嫌な音を鳴らした。
「あら? 愛子は痛覚モジュールをカットすれば気になりませんが、ヨシヒコの場合は痛いでしょう? 骨が砕けてしまいますよ?」
「……薄汚い世界にとどめを刺せるのなら、私の足などくれてやる」
「たまげました」
続けて二発、悪戸はスラッグ弾を愛子の左腕に撃ち込んだ。
「きゃあ!」
愛子の左腕が飛び跳ね、悪戸の足が解放される。
這うようにして、悪戸は後退。なおも散弾銃に弾を込めている。
「効いてないように思えるが、お前にも確実にダメージがあるはずだ」
ぜえぜえと息を切らし、愛子に散弾銃を向ける悪戸。右脚は出血していて、もはや使い物になりそうにない。
「いいえ。フレームが多少軋んだ程度です。ダメージコントロールの必要すらありません」
「機械でも強がるんだな。なら、ずっと庇っている右目はどうした? 至近距離で目玉に二発撃ち込んだんだ、さすがにすこしは効いたろう」
「これですか――」
愛子はすっと右手を下げる。
鬼火のような青い視覚モジュールは、そこにはなかった。
「なんだそりゃ……」
悪戸が呆気にとられる。
もともと目玉のあった場所から、排気ノズルが突き出していた。
「目からビームを出せればとても素敵なのですが、愛子には搭載されていないのです。排気経路の変更にすこし手間取りましたが――」
「やめろ」
「――点火!」
中腰になった愛子の右目から、戦闘機もかくやという轟音でもって、アフターバーナーのような直線的な炎が噴き出る。
引き絞られた排気ノズルから吹き出した炎は、悪戸の腕をあっという間に焼き上げた。
たまらず、悪戸は散弾銃を取り落とし、絶叫して転げまわる。薄い顎ヒゲなど、余波で燃え尽きた。
「ヨシヒコは、事前に渡されたキルリストに載っています。どうにかなると思わないでくださいね」
炎の噴射を停止させ、愛子はゆっくりと悪戸に近づいていく。冷却措置をとっている右目の排気ノズルは、蒸気とじゅうじゅうという音を上げている。
悪戸は朦朧とした顔つきで、死者の木に倒れかかっていた。
「お前、向こうのAIKOよりも鈍いな」
「やや! 愛子はムッとしましたよ。量産型と比較されては困ります。性能は、量産型が当然のように優れるのです。そのための試作型なのですから、性能差を語られるのは不愉快です」
ふふふふ、と悪戸は鼻で笑ってみせる。
「なら、お前で助かったよ。試作型」
「聞き捨てなりませんね。疑似人格モジュールがプライドの損傷を確認しました。目から火を出せるのは、おそらくこの愛子だけですよ!」
「私の仕事は、べつにお前を倒すことじゃない。十分に足止めできた。しかも、まだ命も残ってる。お前の負けだ」
悪戸の周囲――死者の木々の隙間が、とつぜん揺らめいた。
「うちの観測手は優秀でな。私のような豆粒のごときアンカーで、ここまでの正確性を発揮できる」
「開門を確認。逃げるのですか、ヨシヒコ」
「そうだ、逃げる。お前をスクラップにしてな」
たわみから飛び出してきた三名は、一人が悪戸を引きずって後退、もう二人が愛子に銃口を向けた。
「そんな大筒を向けるなんて、ヤンチャですね……」
愛子に向けられた銃口の一つは、ロケットランチャーである。
「発射!」
男の声と同時に、それだけで腹を殴れそうな爆音がとどろく。バックブラストにより、男の後方で土煙が舞い上がった。
「うそでしょ……」
愛子は、ただ首をかしげ、左手を掲げて立っていた。まるで、暖簾をくぐる酔客のようである。
左手で弾かれたロケットは、愛子の顔を横切り、遠く埋葬林のどこかで炸裂した。爆発音が地鳴りのように響いてくる。
「対戦車弾だぞ! 一発いくらすると思ってんだ、このヤロー!」
もうひとつの銃口は、サブマシンガンである。
対戦車弾をいとも容易く躱されて憤った女は、弾幕を張りながら徐々に後退する。
「どうなってる……。なんで踊ってるんだ、あいつ……」
悪戸を引きずっている男は、理解できない光景を前にただ呆気に取られていた。
「くそ! 当たんねえ!」
それはまるで、超高速で披露される日本舞踊だった。
ゆっくりと流れるようでいて、機敏。愛子はメリハリのある動きで、サブマシンガンの弾幕を躱し続ける。それどころか、新生CFSたちの後退速度に負けぬ勢いで、愛子は迫ってきていた。
「悪戸さん!」
「AIKOやべえ!」
「急げ、後退しろ! 俺は置いて行って構わん!」
「置いていけませんよ!」
いつの間にか、愛子の右手に武装が展開されていた。ひらひらと扇子の代わりに振っているのは、スタンバトンだった。
ひとり、またひとりと、新生CFSのメンバーを制圧していく愛子。
「ガッチャ!」
愛子は楽しげに声を上げた。
バチン、と大きな音がして、悪戸を引きずっていた男が痙攣する。
「お前……。もしかして、いままでは避けなかっただけだったのか……」
「はい。あまりに圧倒してしまえば、ヨシヒコは門も開かずに逃亡、もしくは死亡する可能性が高いと判断しました」
「つまり、お前の狙いは最初から私の逃亡先か……」
悪戸の顔が青ざめる。
背後に開いたゲートを見て、うめき声を上げた。
「四季ノ国屋標準図書番号はすでに取得しました。現状、愛子の仕事に滞りはありません。ヨシヒコの負けですね」
「くそったれ……」
「あら、怒りましたか?」
愛子はモナリザのような笑顔を浮かべ、痙攣して身動きの取れない三人を次々とゲートへ放り込む。
「負けず劣らず、愛子も怒っていますよ。好きな人たちに嫌われたくはありませんから、人は殺しません。あとで手当てもしましょう。ですが、博士は返してもらいます」
もはや意気消沈の悪戸を抱え、愛子はためらうことなくゲートへ飛び込んだ。
◆
「でけえ……」
俺は、思わず感嘆の声を漏らした。
足元の死者の木々が、草むら程度の高さに感じてしまう。まるで、埋葬林という広大な森に、二本足で立ちあがった巨人だ。
「岩木の大鳥居は、高さ40メートルはあると言われているんだ。僕も見るのは初めてだよ……」
馴鹿であり、宮司である不魚住は、大鳥居の威容に人一倍あてられているのだろう。熱っぽいため息を漏らした。
「でかすぎる……。だれが、いつ建てたんだ? かなり古そうだ」
木造の大鳥居は、苔や蔦をまとっている。近年に建てられたようには見えない。
「わからないんだ」
俺の問いに、不魚住は首を横に振った。
「わからない!? まったく?」
「まったく。一番古い埋葬林の文献には、すでにこの岩木の大鳥居が出てくる。でも、いつのころからか在る、としか書かれていないんだ。すくなくとも、千年以上はここに立ってる……」
ずっとここに立ち、御神木を守護し続けてきた大鳥居。この巨人の守護兵士は、真実を知っているのだろうか。それとも、なにも知らないままに、愚直に守り続けているのだろうか。
「ねえ! 粒子が濃すぎる!」
優衣子がしかめっ面で振り向く。首にかけていたゴーグルを慌てて装着していた。
「そのせいかわからないけど、バギーのアクセルがスカスカ! いったん降りて普通のエンジンをかける」
緑の砂浜に潜航するように、優衣子はバギーの鼻先を押し込んだ。つられて、俺が乗っている橇も斜めに下降していく。
「やばい……」
優衣子の焦りを含んだつぶやきに、俺は過剰かと思うくらいに橇にしがみつく。不魚住も優衣子にしがみついて、顔を青くしている。
なにせ、ときおりエアポケットに落ちたような浮遊感が襲ってくるのだ。大鳥居と顔を合わせる高さ。そんな高所から落下すれば、ただでは済まない。愛子にぶん回されるほうがマシである。
「優衣子! すこしでもいいから、大鳥居から離れるように降りてみて!」
「う、うん!」
不魚住のアドバイス通り、大鳥居から遠ざかるコースを取ってようやく安定したバギーは、死者の大木を縫うようにして着地した。
正直、生きた心地がしなかった。
はあはあと、息も荒く優衣子はバギーのキックスターターを蹴りつけている。おそらく、運転していた優衣子がだれよりも怖かったのだろう。うまく足に力が入らないようだった。
「俺がやる。休んでてくれ。運転、ありがとうな」
「た、助かる。頼んだ」
言って、優衣子はどっかと地面に寝転んだ。
「ご、ごめん。僕がやるよ」
「座り込んだまま、なに言ってんだ。いいから休んどけ」
「不魚住奨は役立たずだな」
「ぼ、僕にだってきっと適所が――!」
二人は寝転がったまま小突きあっている。余計に疲れるのではないかと、可笑しくなった。
キックスターターを天辺からぐるりと踏み込むと、エンジンが回る重みを足に感じた。それに応えるように、バギーが震えてマフラーから排気を始める。
通常のエンジンをかけてみて気付いたが、さっきまでのバギーは駆動音をほとんど発していなかった。あれで公道を走ったら、瞬く間に事故に遭いそうだ。
「かかったよ」
「ありがと」
「おつかれさま」
振り向くと、二人はぼうっと空を見上げていた。同じ方向を見てみると、木々の隙間から大鳥居が見える。そして、その奥にある御神木。
「大鳥居はたしかに大きいけど、ホントにやばいのは御神木」
優衣子の言う通りだった。
木、と言っていいのか、もはやわからない。雲を衝く巨大な柱だ。幹の途中から伸びた枝と葉の集まりは、ちょっとした雨なら下で運動会でも決行できそうだった。
「わたしも、こんなに接近したのは初めて。いつもロッジから見てたけど、迫力が段違い」
地面から見上げると、首が痛いほど上を向かなければならない。
「ここから先は、墓守様でさえも迷うといわれる禁足地。巽も、念のためにトナカイの角を摂ろう」
不魚住の声に、ふたたび二人のほうに向き直ると、不魚住が煙草をふかしていた。
「は? おい……」
「待って、巽。怒らないで」
怒ってない。俺は、怒ってはいない。
ただ、悲しい。知らぬ間に、不魚住が不良になってしまっていた。
しかし――。
結局、俺も不魚住の隣で煙草をふかすことになった。
「これは、なにでできてる?」
「古い死者の木の樹皮だよ。墓守様に取ってきてもらって、定期的に関係各所に配ってる。僕は、いつもはお茶にして飲むよ」
「くせえ……」
優衣子は遠く離れて、くせえくせえと俺たちをにらむ。
偶然なのか、トナカイの角から上がる緑の煙は、優衣子を追いかけるように流れていった。
「優衣子はどうするんだ? 墓守様も迷うかも知れないんだろ?」
「そうなんだよね。でも、手段がない。トナカイの角を摂取させるわけにはいかないからね。とはいえ、これだって墓守様の機能の一部を再現するだけのものだから、墓守様が駄目だった場合は、とうぜん僕らも迷う」
「出たとこ勝負か……」
「くせえ。まだか、君たち」
俺は不魚住が持っている携帯灰皿に煙草を突っ込んだ。
「まあ、気休め程度にはなるか。そろそろ行こう。愛子が来る」
いくらなんでも、あの愛子をただの人間が封殺できるとは思えない。悪戸がどれほど時間を稼ごうが、やがて追いつかれるだろう。
悪戸にはなんとしても時間を稼いで欲しい反面、無事に戻ってきて欲しい気持ちもあった。なにせ、聞きたいことや言いたい文句が山ほどあるのだ。
不魚住も煙草を捨て、残りの煙を吐き出して立ち上がる。
「行こう」
大鳥居の周辺は、死者の木が異様に大きい。小さな鳥居に囲まれた広場の周辺も大きかったが、ここらへんは別格だった。まさに大木である。
そして、足元には、ときおり貴金属や一見ガラクタのようなものが散見された。これが硬実なのだろう。墓守様には、その硬実がどの木から落ちたものなのか判別が可能で、木に触れれば木葬にされた日付がわかる。あとは林宮の記録と照らし合わせ、遺族に届けることができるらしい。ただ、あまりにも数が多いため、すべてを届けることは不可能だと言っていた。
俺に届いた腕時計は、祖母の遺木を葬儀以降に追跡し、硬実が生るのを見張っていたとしか思えない。不魚住は、そう語っていた。
しかし、そうなると、その侵入者が墓守様に感知されなかったことが不可解である。
「オッケー、出して!」
後ろの橇で、不魚住が出発を促した。その手には朱色のグレネードランチャーが収まっている。また薔薇を出す気じゃないだろうな、と冷やかしたら、不魚住は無言で首を横に振っていた。その緊張感に、俺のほうも思わず背筋が伸びた。
そして、バギーが走り出すと、道を開けるように木々が動き始めた。
「この光景は慣れないな……」
「僕も……」
ひときわ大きい死者の木をいくつか迂回し、いよいよ大鳥居に迫ったときだった。
死者の木々の動きがいっそう大きくなる。幹や枝をひねり、ときには根を動かし、右に左にと死者の木が整列していく。ちょうどバギーが一台走り抜けられそうな細道が、大鳥居まで一直線に敷かれた。死者の大木に囲まれた、細い並木道である。
「す、すごい」
不魚住の声は感嘆に震えていた。
「わたしも驚いてる」
優衣子の首筋に花が生えた。
「生きてるみたいだな……」
死者の木に対する言葉として、なんとも妙な言葉だと自分でも思ったが、口をついてしまった。
後ろから愛子が迫っているかも知れないというのに、バギーはゆっくりと並木道を進んだ。眼前の光景、そのあまりの神々しさに、俺たちは見とれてしまったのだ。
だから、まさか脅威が前方から迫ってくるなんて、考えもしなかった。
空気を切り裂く甲高い音が、俺たちのそばを横切った。すこし遅れて、炸裂音が届く。
「銃撃だ!」
不魚住が叫んだ。
俺たちにとって大鳥居までの道が開けたように、相手にとっては俺たちまでの射線が開けたということである。
後ろからは愛子。前には正体不明の射手。死者の木の並木道で、俺たちは抜き差しならない状況に陥った。
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