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幕間 ロストエピソード.Ⅰ
終わりの国のシャルロット (1)
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わたしが生まれ育った国は、終わろうとしていた。
いや、国だけじゃなく、世界まるごと、終わろうとしていた。少なくとも、人類にとっての世界や歴史というものは、終わりを告げようとしている。まるで、悪い冗談だ。
「ドミニクたちが戻らない。もう三日は経つ」
「そんな……。往復するだけなら、一日もかからないはずだ」
大人たちの日常的な会話。
あれが足りない。これが足りない。あそこが危ない。ここも危ない。もうおしまいだ。
それを聞きながら、わたしはただ床を見つめている。どれだけ掃除をしても、すぐに土埃や小石だらけになってしまう。床の清潔さに意義を見出すことは、とうに難しくなった。
充足も、安全も、とっくに消えてなくなった。必死になって生きる意義も、失ってしまった。
馬鹿みたいだ。
遠くで轟音が響く。また死んだ。
ちかちかと照明がまたたき、シェルターの住人たちは、一様に天井を見上げた。見えるはずのない空を見上げ、帰るはずのない人を待っている。どこかで、だれかが、戦って死んでいる。
「シャルロット。ドミニクは、食料をたくさん持って帰ってくるよね、きっと」
「帰ってこないよ……。もうとっくに、AIKOに殺されてしまったよ」
わたしは下を向いたまま、弟の言葉を否定した。
「そんなことないよ、姉さん。きっと大丈夫だよ。少なくともね、僕はそう思うようにしてるんだ」
「期待を裏切られても?」
「うん」
「何度も?」
「うん」
「そっか、そっか……。すごいな、パトリースは。わたしには、真似できないよ」
弟の気丈さと楽天的な心持ちに、床に張り付いていた視線は、少しだけ剥がされた。
「希望は、捨てるだけ損じゃないかな」
そう笑うパトリースの金髪は、シェルターの汚れた照明のなかでも、とても輝いて見えた。自分で切っているせいで、ヘルメットのような髪型になっているのが、残念でならなかった。
「帝国のやつらなら、AIKOをなんとかできるんじゃないのか?」
「無理だよ。戦前から、あの帝国は三国に食い散らかされてた。分割統治も同然の有様だったんだ。国の体をなしてなかった。国民も技術も何もかも、真っ先に滅んださ」
「いまじゃ、AIKOがAIKOを生み出し続ける悪魔の島さ」
大人たちが、また意味のない話をしている。
わたしはパトリースを引き寄せ、不安など二人の間ですり潰してしまえるぐらい、ぎゅっと強く抱きしめた。パトリースは、ふにゃっとした笑顔で、なにも言わずにいる。
「おい! ドミニクだ! ドミニクが戻ったぞ!」
「本当か!?」
「大荷物を抱えてやがる! 手の空いているやつは手伝え!」
シェルター内がにわかに色めき立った。
しばらくの間は、食料で悲しい気持ちにならなくて済むかも知れない。だれもがそう思った。わたしも、腕のなかで嬉しそうに笑うパトリースを見て、そう思った。
「ほらね! 言ったとおりだったでしょ、シャルロット!」
弱音を吐かず、いつも姉を励ましてくれる弟。頼もしい、しっかり者。
「ごめんね、パトリース。お姉ちゃんなのに、頼りなくて」
「ぜんぜん。お姉ちゃんだからとか、弟だからとか、僕たちには、そういうのは要らないよ。やれる方がやれる時にやれる事をする、そうでしょ?」
両親が、いつも言っていた言葉だった。
「うん。そうだった。ありがとね」
世界規模の戦争が起こって、人類は滅びかけている。
自らが作り出した戦争機械に、反旗をひるがえされたのだ。
映画、小説、ゲーム。あらゆるジャンルで使い古された馴染み深い終末。わたしが生まれるずっと前から、そういう終末を描いた物語は存在していた。そして、いずれ現実になるかも知れない、そう思った人もたくさん存在した。
しかし、どういうわけか、人類はそれを避けられなかった。もしかしたら、そんな冗談みたいな終末など来ない、と高を括っていたのかも知れない。
大国間での小競り合い。利権争い。それが、やがて周辺諸国の諸問題を巻き込んでの全面戦争へと繋がっていった。そんな状況でも、核兵器の使用を渋り、最後まで誰もそのスイッチを押さなかったのは、意外だった。
でも、大国同士が全面戦争への道程を狂想と共に駆けていたとき、だれかが考えたんだと思う。
だれかが、どこかの国が、核兵器のスイッチを押すかも知れない。自分たちではないものが、その一線を越えてしまったとしたら、と。
そのあとは、スイッチが軽くなるかも知れない。そうなれば、核弾頭は雨と降る。地上は汚染され、人間にとっては地獄になる。そんな劣悪な環境下でもなお、戦い、除染し、復興しえるものが、その後の覇権を握るに違いない。
そう、だれかが考えたんだと思う。
そして、うってつけのものを見つけてしまった。
ある小さな島国が作った工業製品。精巧、正確、頑丈。それが、大国で量産され、兵器として転用された。メモリの冗長化、同調化がなされ、破壊されても同じものが組み上げられる。戦場へと向かう統率された物量の悪魔。その学習する死なない軍隊は、拮抗していた戦況をあっという間に引っくり返すこととなった。そして、小説か映画のように、やがてその兵器は、人類にとっての叛逆の徒と化した。
機械人形兵器――AIKOが、人類に敵対したのだ。
あれほど、あらゆるフィクションで人類の過ちが描かれてなお、人類は自らの首を絞めた。B級映画のような有様で、人類は滅亡に追いやられている。
本当に、冗談みたいだった。
「伯父さん! ドミニクたちは?」
わたしたちはシェルターを出て、外で作業をしていた伯父のもとへ駆け寄った。
「二人とも……。危ないから中にいなさい。物資はちゃんと私たちが――」
伯父が、わたしたちをなだめようと、その手を伸ばした瞬間だった。
突然、ドミニクが爆発した。
彼の背負っていた大きなリュックサックが、轟音と共に炸裂した。罠だった。
「二人とも逃げなさい!」
伯父の悲鳴にも似た警告に、わたしとパトリースの体が硬直した。
いや、体が強張ったのは、伯父のせいではない。見えたのだ。伯父の悲鳴の原因が、見えてしまったのだ。
青ざめた顔で謝罪を口にするドミニクと、彼に駆け寄っていった数人が破裂して、肉片と化した。その惨劇と、轟音と爆煙の向こうに、群れを成して進軍してきた悪魔。その姿が見えたのだ。
宝石のように輝く、白い肌。
鬼火のように燃える、青い瞳。
濡れているかのように滑らかな、黒い髪。
吐息のような僅かな駆動音を伴って、人類が生み出した人類の天敵――機械人形兵器AIKOが、瓦礫の向こうから姿を現した。
「幼体を確認しました。最優先で撃滅します」
「了解です。こちらは成体の殲滅にあたります」
AIKOたちは、音声による相互確認を行った。本来、同期のとれている彼女たちにその必要はない。おそらく、人間の精神活動への攻撃だと思う。
若い人間を優先的に殺害する行動も、同じく精神面への攻撃なのか、それとも人間を根絶するための効率的な行動なのか、わたしにはわからない。いずれにせよ、人類はAIKOに虐殺されている。いまは、それだけが事実だった。
「はやく逃げなさい!」
伯父に肩を叩かれ、わたしは我に返る。あたりは銃声と悲鳴に満ちていた。
「伯父さんは!?」
「いいから! とにかく全力で逃げなさい! 無茶を承知で言うが、二人とも……どうにか生きのびて欲しい!」
ある大人は、子供たちに向かおうとしていた個体を押し止め、素手でその合金を殴りつけていた。
もう助からないと、わたしは悟った。伯父も、わたしも、弟も。だれもかも。みんな死ぬ。
「パトリース! 逃げよう!」
だとしても、パトリースだけは、なんとしてでも助けよう。ただただ、その想いだけが、頭蓋のなかで爆発した。
忘我の表情で立ち尽くしていたパトリース。わたしはその手を引き、どうにか走り出した。行く当てなんかなかった。この世界はすでに行き止まり。AIKOが雪崩れ込んだシェルターのように、どこもかしこも行き止まり。それでも、どこかへ。一目散に。
わたしたちは、伯父に背を向けて、どこかへ向かって走り出した。
「さあ、お前ら! 可愛い顔で笑ってみせたって、ここは絶対に通さないからな!」
背中に聞こえる、伯父の声。最後の言葉。きっと、いとも簡単に首をはねられる。
わたしが見た、両親の最後の姿。きっと、それは伯父も同じだ。
愛の子、という意味の名前を持つ機械人形――AIKOは、もともと、継ぎ手の途絶えてしまった舞踏や陶芸など、伝統芸能や伝統工芸を“中継ぎ”として受け継ぐ役目を負っていたらしい。ほかにも、介護の過酷な現場負担を減らす目的もあったと、なにかの資料で読んだ。
それらが理由なのかどうなのか、わたしには知る由もないが、AIKOは美しい少女の姿形をしていた。そして、その美しい機械人形は、兵器に転用されたとたん、瞬く間に相手国を滅ぼし、自国に反旗を翻し、人類に叛逆した。
いくら美しかろうが、目的の原点がなんであろうが、わたしにとっては、ただただ不気味で恐ろしい怪物にすぎなかった。
ぱらぱらと、断続的に繰り返される軽い音。
夜空に響く銃声は、致死性をもって、わたしの精神を蝕む。銃声のたびに体がすくみ、倒れそうになった。いつ、どのタイミングで、銃弾が体に当たるかわからない。そして、いまにも、背後からAIKOが高速で接近してくる気がしてならない。そんな精神状態で、ひとりの人間を引きずって走るのは、とんでもない苦行だった。
「ねえ、パトリース! いったいどうしたの!? 走らないと死んじゃう……」
「――シャルロット」
「なに? どした?」
AIKO襲撃から、パトリースの様子はおかしかった。無言でAIKOを凝視する姿は、わたしの目には異様に映った。
「AIKOは、とても綺麗だね」
ぼそりと呟いたパトリース。その目が正気を失っているように見えて、わたしはぞっとした。
たしかに、AIKOたちの身のこなしは美しかった。魅せようとしているようでさえあった。
思い思いの服でドレスアップした彼女たちの乱舞は、見ようによっては、それこそ一種のエンターテイメントと言えた。一部の人間たちは、AIKOを神格化し、自ら命を捧げる者もいるほどである。
「姉さん。怯えることはなかったんだよ。あんな美しいものが、悪であるはずがない」
「目を覚ませ、パトリース! たとえ悪じゃなくったって、美しさは貧乏人には毒なんだ。だから、お願い。走って!」
嫌な考えが、頭に浮かぶ。
パトリースの精神は、もうとっくに擦り切れてしまっていたのではないか。
弱音を吐かず、いつも姉を励ましてくれる、しっかり者の弟。わたしが絶望という怠惰に身を任せていた隣で、パトリースの心は静かに壊れていったのではないか。
後悔の念が頭をたたく。しっかり者の弟に甘え、ただ自嘲に身を任せていた。
「ごめんね、パトリース」
振り返ると、まだAIKOは追ってきていない。きっと、急ぐ理由が見当たらないのだろう。
あたりは戦時中に焼き払われていて、身を隠す場所などなかった。荒涼とした大地だ。どれほど必死になったところで、逃げ切ることは不可能に思える。
シェルター付近。水兵のような上着に、紺色のスカートを着用したAIKO。島国伝統のダンスのようなものなのだろうか、ゆらりゆらりとした動きで銃弾を回避しては、首をはねる。まさに、踊るように人間を殺している。ゆったりしているようでいながら、目で追うのも大変なほどの速度。風に流れるシルクのスカーフみたいに、するすると銃弾をかいくぐるAIKO。
かと思えば、ぴたっと急停止。手に持ったマチェットのような刃物をひらひらと躍らせる。血飛沫の尾を引いて舞い上がる人の頭。極まった大道芸のように、美しい軌跡を描いて飛んでいく。
そうして、付近の頭をあらかた跳ね上げたAIKOは、最後に観客へアピールするかのように、スカートの裾をつまんで一回り。順繰りに落ちてくる頭部は、くるくるとAIKOの周りを転がった。AIKOにとって、人間の頭部など自分を引き立てる小道具であるかのようだ。
虐殺の余韻を味わうように、AIKOは艶かしく首を傾けた。すうっと、青い視覚モジュールが流れ、シャルロットたちを捉える。
「……化け物め!」
思わず、罵倒が口をついた。
すると、わたしの声に応じるかのように、AIKOの特殊結晶が滑らかに動く。音声モジュールが送る信号を受け取り、外部に放つスピーカー。それが埋め込まれた部分が、釣り上がる。
つまり、笑った。
獲物を前にした舌なめずりのような、妖しく、色気と怖気の両方を持ち合わせた笑み。
「くそっ……!」
パトリースの腕を肩に回し、わたしは覚束ない足取りで、ふたたび走り出した。体力は、もう底をつきそうだ。大地を踏みしめる足は、震えて定まらない。わたしは、どこへ逃げればいいのだろう。この世界は、360度、すべて行き止まりだというのに。
AIKOの笑顔が、頭から離れない。
あれが、人格モジュールによる感情の表れなのか、それとも、ただの威嚇行動なのか、わたしには理解が及ばない。
しかし、かつて、わたしはそれと同じ笑みを見た。
大国同士の全面戦争が終結し、人類とAIKOとの戦争が始まったときのことだ。わたしは、戦端を開いたその不気味な笑顔を、いまでもはっきりと思い出すことができた。
いや、国だけじゃなく、世界まるごと、終わろうとしていた。少なくとも、人類にとっての世界や歴史というものは、終わりを告げようとしている。まるで、悪い冗談だ。
「ドミニクたちが戻らない。もう三日は経つ」
「そんな……。往復するだけなら、一日もかからないはずだ」
大人たちの日常的な会話。
あれが足りない。これが足りない。あそこが危ない。ここも危ない。もうおしまいだ。
それを聞きながら、わたしはただ床を見つめている。どれだけ掃除をしても、すぐに土埃や小石だらけになってしまう。床の清潔さに意義を見出すことは、とうに難しくなった。
充足も、安全も、とっくに消えてなくなった。必死になって生きる意義も、失ってしまった。
馬鹿みたいだ。
遠くで轟音が響く。また死んだ。
ちかちかと照明がまたたき、シェルターの住人たちは、一様に天井を見上げた。見えるはずのない空を見上げ、帰るはずのない人を待っている。どこかで、だれかが、戦って死んでいる。
「シャルロット。ドミニクは、食料をたくさん持って帰ってくるよね、きっと」
「帰ってこないよ……。もうとっくに、AIKOに殺されてしまったよ」
わたしは下を向いたまま、弟の言葉を否定した。
「そんなことないよ、姉さん。きっと大丈夫だよ。少なくともね、僕はそう思うようにしてるんだ」
「期待を裏切られても?」
「うん」
「何度も?」
「うん」
「そっか、そっか……。すごいな、パトリースは。わたしには、真似できないよ」
弟の気丈さと楽天的な心持ちに、床に張り付いていた視線は、少しだけ剥がされた。
「希望は、捨てるだけ損じゃないかな」
そう笑うパトリースの金髪は、シェルターの汚れた照明のなかでも、とても輝いて見えた。自分で切っているせいで、ヘルメットのような髪型になっているのが、残念でならなかった。
「帝国のやつらなら、AIKOをなんとかできるんじゃないのか?」
「無理だよ。戦前から、あの帝国は三国に食い散らかされてた。分割統治も同然の有様だったんだ。国の体をなしてなかった。国民も技術も何もかも、真っ先に滅んださ」
「いまじゃ、AIKOがAIKOを生み出し続ける悪魔の島さ」
大人たちが、また意味のない話をしている。
わたしはパトリースを引き寄せ、不安など二人の間ですり潰してしまえるぐらい、ぎゅっと強く抱きしめた。パトリースは、ふにゃっとした笑顔で、なにも言わずにいる。
「おい! ドミニクだ! ドミニクが戻ったぞ!」
「本当か!?」
「大荷物を抱えてやがる! 手の空いているやつは手伝え!」
シェルター内がにわかに色めき立った。
しばらくの間は、食料で悲しい気持ちにならなくて済むかも知れない。だれもがそう思った。わたしも、腕のなかで嬉しそうに笑うパトリースを見て、そう思った。
「ほらね! 言ったとおりだったでしょ、シャルロット!」
弱音を吐かず、いつも姉を励ましてくれる弟。頼もしい、しっかり者。
「ごめんね、パトリース。お姉ちゃんなのに、頼りなくて」
「ぜんぜん。お姉ちゃんだからとか、弟だからとか、僕たちには、そういうのは要らないよ。やれる方がやれる時にやれる事をする、そうでしょ?」
両親が、いつも言っていた言葉だった。
「うん。そうだった。ありがとね」
世界規模の戦争が起こって、人類は滅びかけている。
自らが作り出した戦争機械に、反旗をひるがえされたのだ。
映画、小説、ゲーム。あらゆるジャンルで使い古された馴染み深い終末。わたしが生まれるずっと前から、そういう終末を描いた物語は存在していた。そして、いずれ現実になるかも知れない、そう思った人もたくさん存在した。
しかし、どういうわけか、人類はそれを避けられなかった。もしかしたら、そんな冗談みたいな終末など来ない、と高を括っていたのかも知れない。
大国間での小競り合い。利権争い。それが、やがて周辺諸国の諸問題を巻き込んでの全面戦争へと繋がっていった。そんな状況でも、核兵器の使用を渋り、最後まで誰もそのスイッチを押さなかったのは、意外だった。
でも、大国同士が全面戦争への道程を狂想と共に駆けていたとき、だれかが考えたんだと思う。
だれかが、どこかの国が、核兵器のスイッチを押すかも知れない。自分たちではないものが、その一線を越えてしまったとしたら、と。
そのあとは、スイッチが軽くなるかも知れない。そうなれば、核弾頭は雨と降る。地上は汚染され、人間にとっては地獄になる。そんな劣悪な環境下でもなお、戦い、除染し、復興しえるものが、その後の覇権を握るに違いない。
そう、だれかが考えたんだと思う。
そして、うってつけのものを見つけてしまった。
ある小さな島国が作った工業製品。精巧、正確、頑丈。それが、大国で量産され、兵器として転用された。メモリの冗長化、同調化がなされ、破壊されても同じものが組み上げられる。戦場へと向かう統率された物量の悪魔。その学習する死なない軍隊は、拮抗していた戦況をあっという間に引っくり返すこととなった。そして、小説か映画のように、やがてその兵器は、人類にとっての叛逆の徒と化した。
機械人形兵器――AIKOが、人類に敵対したのだ。
あれほど、あらゆるフィクションで人類の過ちが描かれてなお、人類は自らの首を絞めた。B級映画のような有様で、人類は滅亡に追いやられている。
本当に、冗談みたいだった。
「伯父さん! ドミニクたちは?」
わたしたちはシェルターを出て、外で作業をしていた伯父のもとへ駆け寄った。
「二人とも……。危ないから中にいなさい。物資はちゃんと私たちが――」
伯父が、わたしたちをなだめようと、その手を伸ばした瞬間だった。
突然、ドミニクが爆発した。
彼の背負っていた大きなリュックサックが、轟音と共に炸裂した。罠だった。
「二人とも逃げなさい!」
伯父の悲鳴にも似た警告に、わたしとパトリースの体が硬直した。
いや、体が強張ったのは、伯父のせいではない。見えたのだ。伯父の悲鳴の原因が、見えてしまったのだ。
青ざめた顔で謝罪を口にするドミニクと、彼に駆け寄っていった数人が破裂して、肉片と化した。その惨劇と、轟音と爆煙の向こうに、群れを成して進軍してきた悪魔。その姿が見えたのだ。
宝石のように輝く、白い肌。
鬼火のように燃える、青い瞳。
濡れているかのように滑らかな、黒い髪。
吐息のような僅かな駆動音を伴って、人類が生み出した人類の天敵――機械人形兵器AIKOが、瓦礫の向こうから姿を現した。
「幼体を確認しました。最優先で撃滅します」
「了解です。こちらは成体の殲滅にあたります」
AIKOたちは、音声による相互確認を行った。本来、同期のとれている彼女たちにその必要はない。おそらく、人間の精神活動への攻撃だと思う。
若い人間を優先的に殺害する行動も、同じく精神面への攻撃なのか、それとも人間を根絶するための効率的な行動なのか、わたしにはわからない。いずれにせよ、人類はAIKOに虐殺されている。いまは、それだけが事実だった。
「はやく逃げなさい!」
伯父に肩を叩かれ、わたしは我に返る。あたりは銃声と悲鳴に満ちていた。
「伯父さんは!?」
「いいから! とにかく全力で逃げなさい! 無茶を承知で言うが、二人とも……どうにか生きのびて欲しい!」
ある大人は、子供たちに向かおうとしていた個体を押し止め、素手でその合金を殴りつけていた。
もう助からないと、わたしは悟った。伯父も、わたしも、弟も。だれもかも。みんな死ぬ。
「パトリース! 逃げよう!」
だとしても、パトリースだけは、なんとしてでも助けよう。ただただ、その想いだけが、頭蓋のなかで爆発した。
忘我の表情で立ち尽くしていたパトリース。わたしはその手を引き、どうにか走り出した。行く当てなんかなかった。この世界はすでに行き止まり。AIKOが雪崩れ込んだシェルターのように、どこもかしこも行き止まり。それでも、どこかへ。一目散に。
わたしたちは、伯父に背を向けて、どこかへ向かって走り出した。
「さあ、お前ら! 可愛い顔で笑ってみせたって、ここは絶対に通さないからな!」
背中に聞こえる、伯父の声。最後の言葉。きっと、いとも簡単に首をはねられる。
わたしが見た、両親の最後の姿。きっと、それは伯父も同じだ。
愛の子、という意味の名前を持つ機械人形――AIKOは、もともと、継ぎ手の途絶えてしまった舞踏や陶芸など、伝統芸能や伝統工芸を“中継ぎ”として受け継ぐ役目を負っていたらしい。ほかにも、介護の過酷な現場負担を減らす目的もあったと、なにかの資料で読んだ。
それらが理由なのかどうなのか、わたしには知る由もないが、AIKOは美しい少女の姿形をしていた。そして、その美しい機械人形は、兵器に転用されたとたん、瞬く間に相手国を滅ぼし、自国に反旗を翻し、人類に叛逆した。
いくら美しかろうが、目的の原点がなんであろうが、わたしにとっては、ただただ不気味で恐ろしい怪物にすぎなかった。
ぱらぱらと、断続的に繰り返される軽い音。
夜空に響く銃声は、致死性をもって、わたしの精神を蝕む。銃声のたびに体がすくみ、倒れそうになった。いつ、どのタイミングで、銃弾が体に当たるかわからない。そして、いまにも、背後からAIKOが高速で接近してくる気がしてならない。そんな精神状態で、ひとりの人間を引きずって走るのは、とんでもない苦行だった。
「ねえ、パトリース! いったいどうしたの!? 走らないと死んじゃう……」
「――シャルロット」
「なに? どした?」
AIKO襲撃から、パトリースの様子はおかしかった。無言でAIKOを凝視する姿は、わたしの目には異様に映った。
「AIKOは、とても綺麗だね」
ぼそりと呟いたパトリース。その目が正気を失っているように見えて、わたしはぞっとした。
たしかに、AIKOたちの身のこなしは美しかった。魅せようとしているようでさえあった。
思い思いの服でドレスアップした彼女たちの乱舞は、見ようによっては、それこそ一種のエンターテイメントと言えた。一部の人間たちは、AIKOを神格化し、自ら命を捧げる者もいるほどである。
「姉さん。怯えることはなかったんだよ。あんな美しいものが、悪であるはずがない」
「目を覚ませ、パトリース! たとえ悪じゃなくったって、美しさは貧乏人には毒なんだ。だから、お願い。走って!」
嫌な考えが、頭に浮かぶ。
パトリースの精神は、もうとっくに擦り切れてしまっていたのではないか。
弱音を吐かず、いつも姉を励ましてくれる、しっかり者の弟。わたしが絶望という怠惰に身を任せていた隣で、パトリースの心は静かに壊れていったのではないか。
後悔の念が頭をたたく。しっかり者の弟に甘え、ただ自嘲に身を任せていた。
「ごめんね、パトリース」
振り返ると、まだAIKOは追ってきていない。きっと、急ぐ理由が見当たらないのだろう。
あたりは戦時中に焼き払われていて、身を隠す場所などなかった。荒涼とした大地だ。どれほど必死になったところで、逃げ切ることは不可能に思える。
シェルター付近。水兵のような上着に、紺色のスカートを着用したAIKO。島国伝統のダンスのようなものなのだろうか、ゆらりゆらりとした動きで銃弾を回避しては、首をはねる。まさに、踊るように人間を殺している。ゆったりしているようでいながら、目で追うのも大変なほどの速度。風に流れるシルクのスカーフみたいに、するすると銃弾をかいくぐるAIKO。
かと思えば、ぴたっと急停止。手に持ったマチェットのような刃物をひらひらと躍らせる。血飛沫の尾を引いて舞い上がる人の頭。極まった大道芸のように、美しい軌跡を描いて飛んでいく。
そうして、付近の頭をあらかた跳ね上げたAIKOは、最後に観客へアピールするかのように、スカートの裾をつまんで一回り。順繰りに落ちてくる頭部は、くるくるとAIKOの周りを転がった。AIKOにとって、人間の頭部など自分を引き立てる小道具であるかのようだ。
虐殺の余韻を味わうように、AIKOは艶かしく首を傾けた。すうっと、青い視覚モジュールが流れ、シャルロットたちを捉える。
「……化け物め!」
思わず、罵倒が口をついた。
すると、わたしの声に応じるかのように、AIKOの特殊結晶が滑らかに動く。音声モジュールが送る信号を受け取り、外部に放つスピーカー。それが埋め込まれた部分が、釣り上がる。
つまり、笑った。
獲物を前にした舌なめずりのような、妖しく、色気と怖気の両方を持ち合わせた笑み。
「くそっ……!」
パトリースの腕を肩に回し、わたしは覚束ない足取りで、ふたたび走り出した。体力は、もう底をつきそうだ。大地を踏みしめる足は、震えて定まらない。わたしは、どこへ逃げればいいのだろう。この世界は、360度、すべて行き止まりだというのに。
AIKOの笑顔が、頭から離れない。
あれが、人格モジュールによる感情の表れなのか、それとも、ただの威嚇行動なのか、わたしには理解が及ばない。
しかし、かつて、わたしはそれと同じ笑みを見た。
大国同士の全面戦争が終結し、人類とAIKOとの戦争が始まったときのことだ。わたしは、戦端を開いたその不気味な笑顔を、いまでもはっきりと思い出すことができた。
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