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第一章 ロストサンタクロース
反抗の意思 (1) /外ヶ浜巽
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昔、俺はサンタクロースを見たことがある。もちろん、扮装した人間ではなく、本物のサンタクロースだ。
ここ日本では、墓守と呼ばれている。近年ではサンタクロースと呼ぶ人も多い。誰もがサンタクロースを知っていて、年に一度の休日さえあるというのに、その実在に関する話になると、誰もが御伽噺だと言うだろう。本物のサンタクロースを見たなどと言うと、指をさされて笑われるか、白い目で見られる。たとえ、幼い子供であったとしても、同年代からの嘲笑は避けられなかっただろう。
ただでさえ、そのころの俺はクラスで浮いていた。誰にも話さず、サンタクロース本人の前でも知らん顔を通すのが正解だった。
ただ、なぜだか、あのときのサンタクロースの顔を俺は思い出すことができない。切ない表情を浮かべていたことだけは、なんとなく憶えていた。
そして、最近もどこかで同じ顔を見たような気がしている。思い出せないはずなのに、どうしてか同じだと思った。それらは気を抜けば霞と消えて、頭の片隅へと追いやられてしまう。気にする必要のない些細な違和感へと変貌する。
本物を見たと確信している俺でさえ、こんな調子だ。実在を心から信じている人間なんて、そうそういるわけもないのは道理だ。
「巽、来てたんだ」
物思いにふけっていた俺は、声をかけられて顔を上げた。
「おー、不魚住」
俺が右手を上げると、不魚住将も右手を上げて、俺の横に並んだ。
「優衣子に?」
「あぁ」
俺が持ってきた供え物を指し、不魚住は彼女の名前を出した。
隣で手を合わせる不魚住は、白い上着に浅葱色の袴を着用しており、学校で見る彼とは違っていた。いまの彼は岩木林宮の社主、岩木馴鹿なのだと思わせられた。
それと同時に、この場所は死者のための安息の地――埋葬林という広大な墓地であるということもまた、認識させられる。それはつまり、彼女は本当に死んだのだということでもあった。
「どうしても、俺には優衣子が死んだとは思えないんだ」
それでも、俺は否定を口にしてしまった。
墓参用の社と、その奥の花壇。
社には供え物が置かれ、花壇には死者に見られるのと同じ葉が揺れている。その圧倒的なまでの死と、それを悼む空気にさらされ、彼女は死んだのだと何度も教え込まれる。
しかし、俺は頭を振る。みっともないと自覚していても、認めることが難しかった。
「僕だって、そうだよ。実感なんて持ててない。でも、受け止めていかなくちゃならないんだ」
「そうだよな。さすが馴鹿だよ。……あ。いや、すまん。いまのは皮肉とかじゃなくて……。ごめん」
自分の失言に、俺は思わず顔をしかめてしまった。
己を叱責せずにはいられない。悲しいのは不魚住も同じ。それでも、彼は現実を懸命に飲み込もうとしている。それを自嘲に任せて嘲るなど、馬鹿者のすることだ。そこに悪意がなくとも、恥を知るべきだと己に唾を吐いた。
「不魚住。本当に、ごめん」
「いや、いいんだ。気にしないでよ」
不魚住は、えも言われぬ苦悶の表情を一瞬だけ見せた。後悔の念が俺の頭を叩く。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「うん……」
いたたまれない気持ちになって、俺はそそくさと社を出てしまう。
季節は本格的な春を迎えた。オレンジ色の夕日のもと、やわらかな風が埋葬林の木々を揺らす。境内に植えられた桜の木が咲き誇り、目を細めたくなるほどの春爛漫だ。しかし、それらは心に凍みる氷のような疑念を解いてはくれなかった。
俺と不魚住は、親友を亡くした。
嶽優衣子というその同級生は、ある日、埋葬林の中で死んだ。
人は死ぬと木になる。
それは、この世における自明の理だ。誰でも、子供でも知っている。なら、木にならなかったものは、いったいなんだというのか。
優衣子は、死んでも木には変わらなかった。
彼女の遺体は、“特殊なケース”だということで国際埋葬林管理研究連盟が引き取った。その日本支部の代表――つまり、内閣総理大臣の署名が入った紙だけが、遺族に残されたのだった。
その紙切れがあれば、遺族には社会的にいろいろと便宜が図られ、さらに少なくない金銭が渡るらしい。複雑な表情をした不魚住に、俺は教えられた。
「優衣子。お前はもういないのか?」
ぼそぼそと早口で話す優衣子を思い出し、鼻がつんと痛んだ。
鳥居を抜け、林宮から一般道につづく階段を下りる中、俺は埋葬林を振り返る。春風になびく木々のざわめきは啜り泣きに似ていて、とてもじゃないが心穏やかではいられない。どこか後ろ髪を引かれる思いに、意図せず顔はくしゃくしゃになる。
優衣子は死んでも木にはならず、葬儀は遺木も遺体もなしに執り行われた。つまり、優衣子は埋葬林にはいないのだ。死者の安寧の地からはみ出した彼女は、きっと国葬連で検体として扱われたのだろう。
俺が優衣子の死を実感できない理由は、主にそこにあった。彼女は埋葬林で死に、そのまま回収されてしまった。遺体はおろか、死因さえも判然としない。そういうものだから納得しろと、紙切れ一枚を渡されても納得できるものじゃない。
そのはずだった。
しかし、優衣子の両親は納得したのだ。
彼らの目が、どこか緑色の薄明にかすんでいたような気がして、ひどく不気味に思えた。
それから、俺はずっと優衣子を探している。
通学路の土手の上。泳ぐ鯉を見下ろす橋の上。田んぼのあぜ道。容赦のない角度を誇る坂道。自転車で、徒歩で、車の助手席で、どうしても俺の目は優衣子の姿を探してしまう。すこしだけ猫背な後姿を、気が付けば探しているのだ。
「もういないんだ。そのはずだ。もう優衣子は死んだ」
呟いてみても、暖かな春風は否定も肯定もしない。ただ俺を撫でて通り過ぎるだけ。
背にした埋葬林から鈴の音が聞こえてくる。十七時三十分を告げる鈴の音。後ろ髪を引かれる俺のこころを、その音はほろほろと解いていくような気がした。
立ち止まってしまった足を踏み出し、俺は再び林宮の石段を下り始めた。
『もし仮に、君の友達が誰かに殺されたのだとしたら、君はどうする?』
脈動する頭痛のように、俺の脳裏をよぎる言葉。
『そして、その犯人を私が知っているとしたら、君はどうする?』
いつの間にか、俺の通学用のリュックに忍び込んでいた手紙。得体の知れない言葉。優衣子の死を実感できない俺のこころに、にじり寄ってくるような不気味な内容。
『もしも、外ヶ浜巽に反抗の意思があるのなら、嶽優衣子の死の真相を教えよう』
ぐらりと、世界全体が歪んだような錯覚を覚えた。
ここ日本では、墓守と呼ばれている。近年ではサンタクロースと呼ぶ人も多い。誰もがサンタクロースを知っていて、年に一度の休日さえあるというのに、その実在に関する話になると、誰もが御伽噺だと言うだろう。本物のサンタクロースを見たなどと言うと、指をさされて笑われるか、白い目で見られる。たとえ、幼い子供であったとしても、同年代からの嘲笑は避けられなかっただろう。
ただでさえ、そのころの俺はクラスで浮いていた。誰にも話さず、サンタクロース本人の前でも知らん顔を通すのが正解だった。
ただ、なぜだか、あのときのサンタクロースの顔を俺は思い出すことができない。切ない表情を浮かべていたことだけは、なんとなく憶えていた。
そして、最近もどこかで同じ顔を見たような気がしている。思い出せないはずなのに、どうしてか同じだと思った。それらは気を抜けば霞と消えて、頭の片隅へと追いやられてしまう。気にする必要のない些細な違和感へと変貌する。
本物を見たと確信している俺でさえ、こんな調子だ。実在を心から信じている人間なんて、そうそういるわけもないのは道理だ。
「巽、来てたんだ」
物思いにふけっていた俺は、声をかけられて顔を上げた。
「おー、不魚住」
俺が右手を上げると、不魚住将も右手を上げて、俺の横に並んだ。
「優衣子に?」
「あぁ」
俺が持ってきた供え物を指し、不魚住は彼女の名前を出した。
隣で手を合わせる不魚住は、白い上着に浅葱色の袴を着用しており、学校で見る彼とは違っていた。いまの彼は岩木林宮の社主、岩木馴鹿なのだと思わせられた。
それと同時に、この場所は死者のための安息の地――埋葬林という広大な墓地であるということもまた、認識させられる。それはつまり、彼女は本当に死んだのだということでもあった。
「どうしても、俺には優衣子が死んだとは思えないんだ」
それでも、俺は否定を口にしてしまった。
墓参用の社と、その奥の花壇。
社には供え物が置かれ、花壇には死者に見られるのと同じ葉が揺れている。その圧倒的なまでの死と、それを悼む空気にさらされ、彼女は死んだのだと何度も教え込まれる。
しかし、俺は頭を振る。みっともないと自覚していても、認めることが難しかった。
「僕だって、そうだよ。実感なんて持ててない。でも、受け止めていかなくちゃならないんだ」
「そうだよな。さすが馴鹿だよ。……あ。いや、すまん。いまのは皮肉とかじゃなくて……。ごめん」
自分の失言に、俺は思わず顔をしかめてしまった。
己を叱責せずにはいられない。悲しいのは不魚住も同じ。それでも、彼は現実を懸命に飲み込もうとしている。それを自嘲に任せて嘲るなど、馬鹿者のすることだ。そこに悪意がなくとも、恥を知るべきだと己に唾を吐いた。
「不魚住。本当に、ごめん」
「いや、いいんだ。気にしないでよ」
不魚住は、えも言われぬ苦悶の表情を一瞬だけ見せた。後悔の念が俺の頭を叩く。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「うん……」
いたたまれない気持ちになって、俺はそそくさと社を出てしまう。
季節は本格的な春を迎えた。オレンジ色の夕日のもと、やわらかな風が埋葬林の木々を揺らす。境内に植えられた桜の木が咲き誇り、目を細めたくなるほどの春爛漫だ。しかし、それらは心に凍みる氷のような疑念を解いてはくれなかった。
俺と不魚住は、親友を亡くした。
嶽優衣子というその同級生は、ある日、埋葬林の中で死んだ。
人は死ぬと木になる。
それは、この世における自明の理だ。誰でも、子供でも知っている。なら、木にならなかったものは、いったいなんだというのか。
優衣子は、死んでも木には変わらなかった。
彼女の遺体は、“特殊なケース”だということで国際埋葬林管理研究連盟が引き取った。その日本支部の代表――つまり、内閣総理大臣の署名が入った紙だけが、遺族に残されたのだった。
その紙切れがあれば、遺族には社会的にいろいろと便宜が図られ、さらに少なくない金銭が渡るらしい。複雑な表情をした不魚住に、俺は教えられた。
「優衣子。お前はもういないのか?」
ぼそぼそと早口で話す優衣子を思い出し、鼻がつんと痛んだ。
鳥居を抜け、林宮から一般道につづく階段を下りる中、俺は埋葬林を振り返る。春風になびく木々のざわめきは啜り泣きに似ていて、とてもじゃないが心穏やかではいられない。どこか後ろ髪を引かれる思いに、意図せず顔はくしゃくしゃになる。
優衣子は死んでも木にはならず、葬儀は遺木も遺体もなしに執り行われた。つまり、優衣子は埋葬林にはいないのだ。死者の安寧の地からはみ出した彼女は、きっと国葬連で検体として扱われたのだろう。
俺が優衣子の死を実感できない理由は、主にそこにあった。彼女は埋葬林で死に、そのまま回収されてしまった。遺体はおろか、死因さえも判然としない。そういうものだから納得しろと、紙切れ一枚を渡されても納得できるものじゃない。
そのはずだった。
しかし、優衣子の両親は納得したのだ。
彼らの目が、どこか緑色の薄明にかすんでいたような気がして、ひどく不気味に思えた。
それから、俺はずっと優衣子を探している。
通学路の土手の上。泳ぐ鯉を見下ろす橋の上。田んぼのあぜ道。容赦のない角度を誇る坂道。自転車で、徒歩で、車の助手席で、どうしても俺の目は優衣子の姿を探してしまう。すこしだけ猫背な後姿を、気が付けば探しているのだ。
「もういないんだ。そのはずだ。もう優衣子は死んだ」
呟いてみても、暖かな春風は否定も肯定もしない。ただ俺を撫でて通り過ぎるだけ。
背にした埋葬林から鈴の音が聞こえてくる。十七時三十分を告げる鈴の音。後ろ髪を引かれる俺のこころを、その音はほろほろと解いていくような気がした。
立ち止まってしまった足を踏み出し、俺は再び林宮の石段を下り始めた。
『もし仮に、君の友達が誰かに殺されたのだとしたら、君はどうする?』
脈動する頭痛のように、俺の脳裏をよぎる言葉。
『そして、その犯人を私が知っているとしたら、君はどうする?』
いつの間にか、俺の通学用のリュックに忍び込んでいた手紙。得体の知れない言葉。優衣子の死を実感できない俺のこころに、にじり寄ってくるような不気味な内容。
『もしも、外ヶ浜巽に反抗の意思があるのなら、嶽優衣子の死の真相を教えよう』
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