嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木

麻婆

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第一章 ロストサンタクロース

鈴の音を鳴らすもの (1) /外ヶ浜銀次郎

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 十七時三十分。
 この時刻にどんな意味があるのか、外ヶ浜銀次郎そとがはまぎんじろうは知らない。一日の主となる活動が終わる時間。なんとなく、そんなところだろうと思っている。

 しゃんしゃんとベルを鳴らし、銀次郎は広大な林の上空を滑っている。またがったバギーの四輪が、周囲に光の粒子を拡散する。薄い緑色に輝く粒子は、タイヤが空を掴むたびにサラサラと後方に流れ、やがて消えていく。まるで、一瞬だけ現れる光の砂浜をバギーが捉え続けているかのようだった。

 紫色が深まり始めた空。薄緑の尾を引いて、バギーはゆっくりと旋回している。

 しゃらん、しゃらん。

 毎日、十七時三十分になると町に響く鈴の音。
 遊んでいる子供たちは、そろそろ帰らなければと時間を思い出す。大人たちも、それぞれに時間を思い出す。もうこんな時間か。まだこんな時間か。いずれにせよ、この町に根付いている鈴の音だ。町のどこにいても聞こえてくる墓守様の鈴の音。

 しゃらん、しゃらん。

 銀次郎の目には、光の粒子が町中に広がっていくのが見てとれた。
 上空から見下ろし、自分が育った町の息づかいを感じる。街灯が、ビルが、店舗が、民家が、ゆっくりと明かりを広げるように灯っていく。暗さに気付き、あるいは対向車のライトに気付き、少しずつ増えていく車のライト。自転車のライト。人々の持つ携帯端末の仄かな光。そんな光の数々が、瞬き、動いている。人が生きているのだと実感できる。銀次郎は、この時間が大好きだった。

 木製の棒に二十五個の鈴が連なる特製のスレイベル。銀次郎は右手でバギーのアクセルを握り、左手でスレイベルを鳴らしている。柄の部分を握り、鈴の連なりを下に向け、麺の湯を切るような動作を繰り返す。

 しゃん、しゃん、しゃん。

 スレイベルは、バギーと同様の粒子を放つ。打ち鳴らされるたび、浸透するように光の粒子が町中へ広がっていった。やがて、薄い光の膜が覆ったように、町全体がぼんやりと輝いた。それを見てとった銀次郎は、最後の一振りを鳴らし、座席の後部にある厳ついバッグにスレイベルを仕舞った。

『ご苦労様です』

 ガガッと、雑音交じりの少年の声が、トランシーバーから聞こえた。
 銀次郎はトランシーバーをバッグのサイドポケットから抜き取り、口元に当ててマイクスイッチを押し込む。

「このまま、すこし飛んでていいか?」

 トランシーバーはわずかな光の粒子を放ち、社務所の方へ流れていった。すると、すぐさま同じ方角がほんのりと輝き、『いいですよ』と返答が届いた。

『風邪、引かないでくださいよ』
「あぁ。こうなってからは、引いたことない」
『引くかも知れないじゃないですか。銀次郎は特殊だし……。まあ、雪も降ってきましたから、はみ出て落っこちないようにしてくださいね』
「わかった」

 それだけ言うと、銀次郎はトランシーバーを仕舞い、四輪バギー“八葦一号やつよしいちごう”のアクセルをふかした。

 しんしんと降り始めた雪が、明かりの灯る町並みから、少しずつ銀次郎を遠ざけてゆく。人々の日常風景と、銀次郎の日常風景は隔絶されたものであると言わんばかりに、降雪量は増していった。

「まるで雪の壁だ。さしずめ、こちらはあの世ってところか」

 銀次郎の呟きは、白い息と共に千切れ飛ぶ。

 あちらと、こちら。
 四月初頭の穏やかな夕景と、四月にふさわしくない暗い雪の夜。すっぱりと、線を引いたかのように天候が変わっていた。

 銀次郎は頭からゴーグルを下ろし、しだいに強くなる雪の夜空を八葦一号で駆け抜ける。伸びるに任せ、後ろで一本に束ねている黒い髪がばさばさと強風に煽られていた。

「暢気に遊覧とはいかなくなったな、これは」

 社務所の上空に近づいたところで、銀次郎はアクセルを戻し、バギーの鼻先をぐいっと斜め下方へ向ける。そして、すこしだけブレーキを握り、重力に待ったをかけた。泥除けの下で、ぐずぐずと光の粒子が渦巻き、八葦一号はゆっくりと旋回しながら降下して行った。

 闇を追い払うように灯っている街明かり。そのただ中に、茫漠と存在する広大な林は、はるか上空から見れば町に開いた大穴だ。遊歩道の明かりに囲われた巨大な暗闇は、埋葬林まいそうりんと呼ばれている。真っ暗で、底が見えず、何人の進入をも拒む。そこでは季節さえ食い違った。無数の遺木がささめき合う、死者の園。埋葬林は、滔々とうとうと亡骸をのみ込み続ける広大な墓所である。
 銀次郎は、そんな隠り世じみた場所の守り人――墓守だった。

 ふたたび、背後でトランシーバーがちらりと光って、少年の心配する声を届ける。

『真冬並ですよ、これ。早く戻ってください!』
「はいはい」

 銀次郎はトランシーバーを掴み取るのを不精し、クラクションを三度鳴らす。呼応して、緑色の発光現象が三度起こる。

『……あぁ、はいはい』

 聞こえていないはずの銀次郎の台詞と全く同じ調子の返答が、雑音交じりで届いた。彼は思わず鼻を鳴らして笑ったのだった。



 ◇



「寒いだろ、馴鹿じゅんろく。べつに出迎えてくれなくてもいいんだぞ」

 体中にひっついた雪を落としつつ、銀次郎は少年に話しかけた。トランシーバーを片手に、馴鹿という少年は社務所の前で待っていたのだった。短めに切られた柔らかな少年の髪は、季節はずれの寒風に踊らされていた。

「慣わしですから。そういうのは、けっこう大事ですよ。とくに、僕は林宮を任されている身ですし」
 馴鹿はそう言いながら、銀次郎の赤い装束の雪を一緒に払う。
「そうだな。いつもサポートありがとうな。各地の埋葬林にも、俺たちみたいな二人がいて、似たようなこと言い合ってるんだろうなあ」
「そうかも知れませんね」
「その若さで岩木馴鹿いわきじゅんろくを襲名して、岩木林宮いわきりんぐうの社主だ。あんまり肩肘張らないほうがいいんじゃないか? しんどいだろ」

 一瞬、馴鹿が目を伏せたように銀次郎には見えたが、まるで幻であったかのように、暢気な笑顔が向けられる。

「僕は大丈夫です。肩肘張らずして、なにが宮司でしょうか」
「ジジイみたいだな、馴鹿。ほんとに高校生か」

 馴鹿の台詞に、銀次郎は滑稽さを感じて思わず笑ってしまった。

「高校生です。銀次郎こそ、もっと年相応になってください。あったかいお茶、出してあげませんよ」
「なんと。それは困る」

 銀次郎はにたにたと笑いながら馴鹿の頭をなでまわした。
 銀次郎にとって、馴鹿は息子のようであり、友人、相棒であり、上司でもある。はたから見れば、彼らは仲の良い兄弟にも見えたかも知れない。高校生の弟と、二十代前半の兄。しかし、銀次郎は墓守である。普通の人間の尺度では測れない。薄緑色の光の粒子も、墓守である彼にしか知覚できないのだ。

「ちょっと……、待て。なんか、おかしいな」

 社務所に入ろうとした銀次郎は、雪の降る空を見上げて呟いた。

「なにか異常ですか、銀次郎?」
「西側が騒がしい。川向こうだ」

 それを聞いて、馴鹿は社務所内の電話を睨む。
 銀次郎の目には、普段とは違う荒々しい粒子の流れが捉えられていた。

「こっちにはまだ連絡がないですね」
 心配そうな馴鹿が、電話を指してそう言った。
「そうか。隣町だからな。ちょっと様子を見て来よう。大丈夫そうなら、そのまま巡回して戻ってくる」
「はい。わかりました」

 馴鹿の声を背に、銀次郎は車庫に入れた八葦一号にふたたびまたがった。

 表参道の鳥居を、外から数えて二番目と三番目。二之鳥居と三之鳥居の間に、銀次郎たちのいる社務所は建てられている。一般人が足を踏み入れられるのはこの場所までだ。

「誰だか知らないが、頼むから
「銀次郎……。一般人が踏み入っていいのは、ここまで。あの鳥居より向こうは、彼らにとっての禁足地」
「あぁ」
「法による裁きも重いですが、場合によっては……」
「わかってる」
「では、どうぞ……」

 銀次郎の肩に、ずしりと重みがのしかかる。曰く軽いほうであるそうだが、他を知らない彼にとって、それはとても重く感じた。彼は肩紐をぐいっと引き、背中に回す。
 馴鹿から手渡されたマークスマンライフル。改造が施されたそれは、朱色に塗られ、銀次郎が着込んでいる朱色の服によく馴染んだ。

 魔除けの色とされる朱色の装束は、銀次郎墓守はもとより、海外の墓守サンタクロースも皆同じである。裾や袖口には白いファーがあしらわれており、そのコントラストの美しさは、古来から受け継いできた様式美といえよう。しかし、強化プラスチックの朱色のライフルだけは、どこかチープさを感じさせた。

「アドオン式のグレネードランチャーは後ろのバッグに入れましたよ。予備の弾倉はここに」

 馴鹿は、銀次郎の腰まわりに通されている黒く太いベルトに、予備の弾倉を入れたポーチを取り付けた。そして、震えを抑えるように唇をかみ締め、彼は無言でバギーの後ろにそりを連結した。
 厚手の大きな黒い袋が乗せられた橇。それの意味するところは銀次郎にもわかっていた。

「……ありがとう。粒子の流れからして、迷った侵入者はたぶん南西に出る。連絡があったら、警察にそう伝えておいてくれ」
「わかりました」

 こうべを垂れる馴鹿を横目に、八葦一号のアクセルが噴く。お気を付けての声を聞きながら、銀次郎は中腰で車庫を飛び出し、バギーの鼻先を思い切り持ち上げた。前輪が薄緑の砂浜を掴み、つられて浮き上がった車体を大きく右に倒す。見えない壁を走るかのごとく、八葦一号は光の尾を引いて、寒空を斜めに駆け上がった。
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