勇者は浮気する

仁科

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勇者は浮気する 3

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 少し時間が経過した、深夜も真っ只中。勇者は頭を抱えていた。ミシミシと音を立て続けるアンティークなボロ椅子に腰掛け、目をギンギンにしていた。

 やってしまった。やってしまったのだ。やりそうになったのではない。やってしまったのだ。

 確かに勇者にとって、王女との結婚は不服だった。王女は醜くなかったが、たとえ相手が王女であっても、勇者は自分の相手は自分で決めたいタイプの人間だった。だからといって、こんなことになるとはまさか思いやしなかった。

 勇者は、王女と結婚することで、嫌でも地位と名誉を手に入れてしまった。それが、この一件が大衆に知れ渡ってしまえばどうだ。欲しくもなかった地位と名誉を剥奪され、最悪の場合国から追放……。あれだけ愛してくれた王女が何と言うか。今の彼にとって、浮気が「バレる」ことが一番の恐怖だった。

 最初にあの女がいたところに目を移す。あいにくそこには壁しかない。あいつが誘ってきたのが悪い……なんて考えてはみるが、そんなこと、民衆の意見には相手にもされないだろう。

 勇者は自分の罪深さに失望した。もう、これに至っては取り返せない。でも、包み隠すことならできるんじゃないだろうか。

 勇者は立ち上がり、駆け出した。つい先程まで時間をともにした女性のもとに。

 おぼつかない足でフラフラと走っていると、あの後ろ姿が視認できた。勇者は思わず大声で言う。

「あの!」
「ん、どうしたの」

 女性は変わらぬ調子で声を返した。手元を見てみると、またほうきとちりとりが握られている。

「もう、仕事に戻ったんですか」
「いいじゃない」
「そう……ですよね」

 ほんのしばらく、勇者が息を整える時間が生まれた。ひと呼吸済むと、彼は急ぐように言葉を続けた。

「実はその、言わないといけないことがあって」

 言い終われずに、勇者は喉をつまらせる。こういう言葉は、息切れしていなくても言う気になれない。俺の地位と名誉を守るために、あのことについては誰にも言わないでくれだなんて、心を何本おれば言えるか知れない。

 そんな勇者を目に、女性は変わらぬ笑みを浮かべた。

「わかってるわよ、それくらい」
「え?」
「言うわけないじゃない、誰にも」
「……どうして」
「私が誰かに勇者さんがなんて言っても、誰が信じてくれるかしら。それに、もしも信じられちゃ、私の立場がないでしょう」
「それは、確かにそうだな」
「私、下の階に用事あるから。それじゃあ、また会いましょう」

 女性は最後にこう言い残した。

「あなたと王女様はラブラブなんだから、きっと大丈夫よ」

 執事はいつにもましてぐったりとしていた。今日ばかりは、十時間寝てもこの疲れは取れないだろう。

 執事は見てしまったのだ。全部も全部、何から何までまんべんなく、見て、聞いて、焼き付けてしまったのだった。『王様なんてお父さんじゃない』なんてよく言ったと思う。とにかく執事は、最初から最後まで、二人が暗黙の契を結ぶまで、全てを目に受け入れてしまった。

 彼は何も行動できなかった。だって、何をするのが正しいのかわからない。あの状況で口出しするのはまず考えられないし、無視して出ていくのもおかしかった。すべての証拠を脳に取り込みながら呆然としていることしか、彼にはできなかった。

 こんなことになるなら、最初から見なければよかったのに。執事は勇者以上に後悔していた。何せ、勇者が王女を愛していなかったというのがもはや怖かった。

「お疲れ様です、執事さん」
「うえあい!!!」
「どうしたんですか」

 どうしたんですかじゃねえよ。こころの中で暴言を吐く。相変わらず演技だけうまい奴め。勇者っていうのは演技ができないと務まらないのだろうか。執事は今、自分が勇者という生業に、圧倒的に向いていないことを知った。

「いやぁー、そちらこそ、どうなさったって?」

 口調がバグを起こす。それもそうだ。こんな状況で、頭を回せと言われる方が難しい。

「何もないですよ。話しかけただけです」
「そうれすか」

 執事はあまりの滑舌の低下に、自身の歯の有無を疑った。

「すみません、時間とっちゃって。じゃあ、また明日」
「……ぇい」

 何を言っているかはわからなかったが、勇者は『ぇい』を返事だと受け取り、その場から立ち去った。一方の執事は、膝から崩れ落ち、同時に膝を強打した。

「あーあ」

 あまりにも振り回される感情に、勝手に表情筋が動き、口角が上がる。

「なんか、あいつも重大な秘密を抱えながら喋ってると思ったら笑えてきたわ」

 部屋じゅうに、彼の魔王のような笑い声が響く。それを階下から耳にしてしまった王は思った。

「あの子ついに壊れちゃったのかな」
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