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第1章 高橋奈津美 - 夏の妖精

第9話 マネージャーになってみない?

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「ユータ、ナツ、居る~?」

 高橋さんとの熱いキスの余韻に浸っていたその時、入り口の引き戸を開けてチアのユニフォームに身を包んだ小泉さんが入ってきた。ボサボサした髪をツインテールにしていると、まるでちょっと生意気な女の子に見えてくるから不思議だ。
 途端に自分たちの行為が恥ずかしくなって僕たちは揃って顔を背ける。さっきまで舌を絡めた大人のキスをしていたとは思えないほどだけど、それは仕方ない。恥ずかしいことに変わりはないのだから。
 そんな僕たちの様子を見た小泉さんは満足そうにうなずいた。

「アンタたち、うまいことやったじゃない。まあ、あそこまで情熱的なキスをするとは思っていなかったけど」
「え、まさか小泉さんはこうなるとわかっていて動いていたのか?」
「そうよ。ナツ、あの後からずっとアンタのことを気にしていたのよ」
「あの後って、文化祭の後から?」

 小泉さんは大きくうなずき、高橋さんもはにかんだ笑みを浮かべながらうなずく。つまり、文化祭の時に高橋さんを励ましたことで僕は好意を持たれ、小泉さんの協力もあってさっきの告白とディープキスになったわけだ。感謝はしているけれども、全てが小泉さんの手のひらの上だったとわかると、少しだけ癪に障るところはある。

「奏音、キスしたところはちゃんと撮った?」

 高橋さんが不意そうにたずねる。何のことかと思っていると、小泉さんは悪戯っ子のような笑みを浮かべてうなずく。

「もちろんよ! 練習中のフォームの確認用にスマホは持っていたからね。後はこれを……」

 小泉さんは今朝のように素早くスマホをタップする。何をしているかはわからないけれど、小泉さんと高橋さんの会話からさっきの出来事を小泉さんが撮影していたこと、そしてそれを使って何かしていることだけはわかった。

「出来たわ。後はこれを送信して、と……」

 程なくして小泉さんは嬉しそうに言った。

「小泉さん、一体何をしたんだよ?」
「キッズチア時代の友達に送ったのよ。『アタシのオナコーのフレ、ピを作ったわ』ってね」
「オナコー……、ピ……?」
「わかりやすく言えば、同じ高校の友達が、彼氏を作ったってこと。もちろん、写真入りでね」

 小泉さんはウィンクしながら画面を見せてくれる。そこには『キッズチア時代の知り合い』というタイトルのトークルームが表示されていて、僕と高橋さんのキスシーンをズームにした写真が掲載されていた。後ろから撮っていたからか肝心の僕の顔は見えず、高橋さんの顔がギリギリ見えるくらいのもので、既にいくつもの既読がついていた。

「キッズチア時代の知り合いってことは……」
「そう。アンタのことは市内のあちこちに住んでいるアタシの昔からの友達に知られるわ」
「いつの間にか包囲網が張られていたわけか……」
「そうだけど、逆に考えてみなさい。アンタは幼なじみからサヨナラされた。それならいっそのこと退路を自ら断って、ナツと付き合うのがいいのよ。アタシの友達も応援、というか引っ掻き回してくれるわよ。なにせナツ以上に魅力的な子たちばかりだから」

 小泉さんはまたウィンクしながら答えた。ただでさえ高橋さんだけでも十分なのに、さらに魅力的な女の子たちが控えていると聞いて、僕は少し頭が痛くなった。

「高橋さんは、その……、大丈夫?」
「大丈夫だよ、私は。だって、これから楽しい毎日が始まるんだもの。私と君との、ね」

 そう話すと、高橋さんは意味深な笑顔を浮かべた。すると、小泉さんは嫉妬からなのか僕たちを睨みつける。

「コラッ! 二人だけの世界はもうおしまい!」
「ごめん、奏音」

 小泉さんはやれやれといった様子で首を振った後、僕に視線を向けると僕の右隣りに座り、スマホを自分の傍に置いてから僕の顔を眺めて口を開いた。
 小泉さんの体からはフルーティーなデオドラントの香りと汗の臭いが、そして口元からは甘いスポドリの香りが放たれ、僕の鼻腔をくすぐった。

「さて、ユータ。アンタは正直吹奏楽部には行きづらいわよね?」
「それは、まぁ……」
「奏音から少し事情は聞いたけど、そんな事情があるなら行きづらいと感じちゃうのは仕方ないかな」

 熱いキスを交わしたばかりの高橋さんは腕を組みながら何度もうなずいた。高橋さんと示し合わせるようにして、小泉さんは真剣な表情で話しはじめた。

「それに、ナツは男子からの人気は高いし、そんなナツと普通に居たらアンタは嫉妬の視線とか色々なものに晒されて、妬んだ男子から何か危害を加えられるかもしれない。だから、アタシから提案があるの。乗る気、ある?」

 小泉さんの表情は、いつものような悪戯心みたいなものは一切感じられなかった。小泉さんは僕のことをしっかりと考えているのだろう。僕の心に迷いはなかった。

「うん、乗るよ」

 僕がうなずきながらそう答えると、小泉さんはさらに僕に近寄って驚きの提案を持ち掛けた。

「オッケー。それじゃあユータ、チア部のマネージャーになってみない?」
「えっ!?」

 小泉さんの提案を聞いた瞬間、僕は驚きが隠せなかった。
 チア部といえば女子生徒ばかりで、男子である僕に入る余地などない。それなのにマネージャーで入れというのは、一体どういうことなのだろうか。

「どうしてチア部のマネージャーになれと?」
「クラスメイトのよしみだからよ。表向きはアタシたちチア部の部員全員のボディガードとしてだけど、本当の理由は別にあるの。チア部のみんなはユータのことに興味津々よ」
「ホント?」
「そうよ。アタシはユータの実績を買ってナツを紹介した。そしてユータはアタシの期待通り、いや、それ以上の働きを見せた。男の子に興味がなかったナツを振り向かせたのはユータ自身の力よ」
「僕自身の力?」
「そう。あの時、ナツは凄く緊張していたのよ。見ていたアタシたちまでも緊張するくらいにね」

 確かに、あの時の高橋さんの表情は硬かった。見ている僕でさえも緊張して、何度も敬語で話したことか。
 あのセリフを口にしたおかげで、危なっかしい場面がありつつも高橋さんは自らを奮い立たせてセンターの大役を成し遂げることが出来た。あの時の熱い拍手は、僕の心に残り続けるだろう。
 さらに小泉さんは話す。

「演技の後で、引退した三年生をはじめチア部の部員全員がアタシに聞いてきたのよ。極度の緊張状態だったナツにあそこまで素晴らしい演技をさせたのは誰だ、ってね。それでアンタのことを話したら、みんなユータのことが気になったの。だから、ユータをマネージャーとして招き入れたいってわけ。悪い話じゃないでしょ?」
「聞いている限りでは確かにそうだけど、日野先生が話していたことも気になるな。ひょっとして、僕と日野先生のやり取りを聞いていたのか?」
「もちろんよ。チア部にはアタシとナツ以外にも可愛い子がいるし、アタシたちどころじゃなくなっちゃうかもしれないけど、男たちからの目を逃れるための魅力的な選択肢だと思うわ。日野先生だってアンタのことを高く評価しているから、問題ないわよ。後はアンタの考え次第ね」

 小泉さんの話を聞いて、僕は腕を組みながら少しだけ考えた。
 本当のところ、僕は吹奏楽部を辞めた後で応援団に入りたかった。不良漫画の主人公に憧れていた僕にとって、応援団はその理想にかなっていた。しかし、高橋さんとキスした以上、応援団に入ったとしてもそこが安寧の場所になるとは限らない。むしろ応援団の団員にいじめられる可能性だってある。
 ならば、小泉さんの厚意に甘えよう。

「小泉さんの言っていたことは正しいし、高橋さんのことをもっと近くで応援出来るのは嬉しい。だから……」
「だから?」
「やるよ」

 僕がそう答えると、二人の顔がパッと明るくなるのを感じた。二人とも一段と高い声を出して、僕に感謝の言葉を述べた。

「ありがとう、優汰君」
「ありがと、ユータ」

 それから二人は大胆にも互いに僕の腕を絡めてきた。左の腕には高橋さんのたわわに実った胸の感触と体温が、右の腕には小泉さんの柔らかい胸の感触と体温を感じている。
 他の人が見たら恥ずかしいとは思うけど、僕たち以外誰も居ない部室でこのような大胆な行動をとるとは思わなかった。誰にも見られていないから良かったけど、もし練習が終わった後の部員たちが見ていたらと思うと顔が真っ赤になる。

「ちょ、何しているんだよ、二人とも!」
「だって嬉しいんだもん。これからずーっと優汰君と一緒に居られるんだもの。ね、奏音」
「そうね。これからはアタシたちと一緒よ、ユータ」
「そ、そりゃ嬉しいけどさ。今日の練習はどうするんだよ?」
「アタシだったら先生にちゃんと伝えてきたわ。二人きりで何するかわからないから、様子を見に行ってもいいですかってね。ホント、まさかあれほどまで情熱的なキスまでするとはね~」
「ちょっと! 恥ずかしいから、そのことは言わないでくれる?」
「もうキッズチアの皆にはバラしたからね。次は誰にバラそうかしら?」
「これ以上はよしてよ! それこそシャレにならなくなるよ?」
「クスッ、冗談よ。チア部の同級生と先輩たちには内緒でいいよね、このことは」
「でも、キッズチアをやっていた半沢さんが居るじゃない」
「心配しなくても大丈夫よ。あの子はそんなに口の軽い子じゃないから」

 小泉さんと高橋さんは僕の腕にしがみつきながら、笑顔を浮かべて会話をしていた。
 性悪な幼なじみだった柚希からサヨナラされたばかりの僕だったけど、悲観することはないだろう。
 これから僕の日常はラブコメじみたものになっていく。しかも、よくありがちなハーレムラブコメになりそうだ。でも、僕自身は悪くない。むしろ、大切なのはこれからだ。
 他人は他人、自分は自分。人生全ての答えは己の中にあるんだ。
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