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第1章 高橋奈津美 - 夏の妖精

第7話 原動力

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 その日の放課後、立ち寄った図書室で本を借りてから僕は体育館へ向かった。借りてきた本は以前から読みたかった安土桃山時代の武将の名を冠したSF作家の短編集で、表題作が気になって仕方がなかった。本を読むのは家に帰ってからのお楽しみとしよう。
 体育館は職員室がある棟の北側に位置していて、バスケットボール部やバレーボール部、バドミントン部の活動の拠点となっている。もちろん、小泉さんや高橋さんが所属しているチアリーディング部もそのひとつだ。
 体育の授業や応援練習、その他各種行事などで来ることはあっても、今日みたいに来てほしいと言われなければ放課後にはわざわざ来ることはない。

「小泉さんにも確認したし、練習日なのは間違いないはず」

 後藤と会話していた時に、ちょうど小泉さんが軽音楽部の部室から戻ってきた。彼女によると、今日は練習の日で引退した三年生を除く全ての部員が集まるそうだ。
 甲子園の予選で必死になって踊っていたところを見ていただけの僕がこの目で練習光景を見ることになるとは思わなかったけど、来る機会がないからこれも良い経験になる。
 そう思っているうちに体育館へ着き、中へ足を踏み入れた。午後四時を過ぎたとはいえまだ暑く、入口に立っているだけで熱気が体に伝わる。

「ゴー、ゴー、ブルースターズ!」
「レッツゴー、レッツゴー、ブルースターズ!」

 いざ体育館の中へ入ると、威勢のいい掛け声が聞こえてきた。バドミントン部がラケットでシャトルを打ち合う音も響いていたが、チアリーディング部の掛け声はそれよりも大きく、それだけ気合いが入っているのだということがしっかりと伝わってきた。
 チアリーディング部の練習を間近で見るとそのユニフォームもしっかりと見え始め、Vネックのノースリーブトップスにボックスプリーツのひらひらしたスカートは青系統の色をメインとしていて、白のストライプが空に浮かぶ雲のように見えていてとても綺麗だという感想を抱いた。

「みんな、これが終わったら一旦休憩しましょう」

 顧問の日野先生がチアリーディング部のみんなに声をかける。上半身は丈が短くてVネックのノースリーブトップス、下は生徒たちと同じようにボックスプリーツのひらひらしたスカートという格好で、腕にはリストバンドをつけて手には青と白が入り交じったポンポンを持っていた。
 そして胸元から見えるスポーツブラは日野先生の胸の大きさを改めて見せつけてくる。思春期の僕にはその大胆な格好も相まって、だいぶ刺激が強かった。

「誰かと思ったら……、清水君じゃない。どうしてここに居るのかな?」

 その声にハッとする。気づくと日野先生は目の前に立っていた。

「ひ、日野先生!? もしかして気づいていたんですか?」
「そうだよ。見覚えのある顔が見えるなと思ったんだけど、清水君だったんだね。今日の授業でも準備していないと言っていたわりに頑張ったじゃない。よし、よし。いい子、いい子」

 日野先生は僕に近寄るとその可愛らしいお顔で僕を見てから舌足らずな口調で言ってくれる。日野先生の優しさに、僕はつい笑みがこぼれた。
 高橋さんもそうだったけど、日野先生のその目を見ていると吸い込まれそうになる。小さなリボンでまとめたツーサイドアップは愛らしく、大人っぽさを主張してくる胸とのアンバランスさは日野先生にしか出せないような魅力を生み出していた。
 そんな日野先生だからだろうか。僕はほかの先生とは違って話しやすさを感じ、正直に打ち明けようと思えたのは。

「それは小泉さんのおかげですよ」
「小泉さんの?」

 ステージの近くで高橋さんと一緒に休憩している小泉さんに日野先生が視線を向けるのに続いて、僕も視線を向ける。

「勉強したほうが良いとアドバイスしてくれた小泉さんのおかげです。実はここ二日間、ちょっと落ち込んでいて勉強する気にならなかったんですよ。だから、今朝小泉さんが声をかけてくれなかったらボロボロでしたよ」
「そうだったの?」

 驚きから日野先生は目を丸くする。
 柚希の件があってから僕は全てにおいてやる気を無くしていた。正直なことを言えば、最近になって柚希が変わり始めたのを見てから少しだけ覚悟はしていた。僕以外の誰かに恋をして、付き合い始めるだろうという覚悟を。
 だけど、いざ実際にそうなったことのショックは想像以上で、あらゆることに対して無気力になってしまった。僕に出来ることといえば、部屋の中にある本やウェブ小説をどうにか読んで気を紛らわせるくらいだった。
 そうして今日になったわけだが、そんな僕の目を覚ましてくれたのが今朝の小泉さんの一言だ。

『ナツ、アンタにお礼がしたくてうずうずしているのよ』

 この言葉はまるで魔法のように僕のやる気に火をつけ、予習にだって身を入れることが出来た。高橋さんと出会わせてくれた小泉さんには心から感謝したい。

「はい。予習をする気にもならなかったので、小泉さんには本当に感謝しかないです」
「そっか」

 日野先生はニコッと笑う。ちなみに、他の授業も小泉さんとの予習のおかげで指されても答えることが出来た。もしも小泉さんと今朝会わずに気配を殺して授業を受けていたら、その教科の先生たちまで心配させてしまうところだった。高橋さんの件も含めて後でしっかりお礼を言おう。
 お礼を言われても、驚きながらも得意げになる小泉さんの顔を想像しながら考えていたその時だった。

「日野先生、ちょっといいですか?」
「ちょっと。今、清水君と話しているところだよ、……って、高橋さん?」

 そこには空っぽになっていた僕の心を埋め、頑張る原動力になってくれていた高橋さんが立っていた。

「どうしてここに?」
「入口で話していたのが見えたので。優汰君、来てくれてありがと」

 嬉しそうに笑いながら高橋さんが話す。
 さっきまで練習をしていたからか、高橋さんが身につけているユニフォームからは流した汗の臭いに交じってバラの甘い香りが鼻腔をくすぐり、クラっとしそうだ。
 練習中だったからか、長い髪をポニーテールにしており、少しスポーティーな印象を抱くのもまた魅力的だった。
 そんな高橋さんの姿に改めて見惚れていると、高橋さんは日野先生に視線を向けた。

「日野先生と優汰君が何を話しているか気になって来てみたんですけど、何を話していたんですか?」
「授業で頑張っていて偉かったねって話だよ。それにしても、高橋さんが呼んだから清水君が来たんだね。てっきりチア部の子たちの可愛さにやられて告白でもしに来たのかなって」
「こ、告白って、そんな……! 僕なんかじゃ誰とも釣り合いませんよ!」
「うーん、そんなことないと思うけどなぁ。あ、高橋さんは清水君に用事があるんだったよね。ごめんね、お邪魔だったね」
「そんなことないですよ」

 身振りを交えて高橋さんが答えると、彼女は僕の顔を見つめて口を開く。

「突然で申し訳ないんだけど、部室まで来てくれるかな?」
「えっ? ど、どうして?」
「みんなに聞かれるとまずいからね。さあ、行こう」

 答える間もなく高橋さんに手を握られ、突然のことで照れと困惑が入り交じる中で高橋さんは日野先生に顔を向けた。

「先生、優汰君と一緒に部室へ行って来ます。もし休憩が終わっても出てこないようなら練習を再開していても良いですから」
「わかった。本当は男の子と部室で二人きりにさせるのは教師としてあまり褒められたことじゃないけど、高橋さんなら変なことはしないだろうし、今回は許します。二人とも行ってらっしゃい」

 可愛らしい笑顔を浮かべながら手を振る日野先生に見送られながら、僕は高橋さんに手を引かれて体育館を出た。何事かと見てくるチアリーディング部の部員やバドミントン部の部員、そしてこっちを見ながらうなずく小泉さんの視線を浴びながら。
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