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2巻

2-2

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「パーラちゃ――」

 俺が口にできたのはそこまでだ。名前を呼び終える前に強めのノック音が部屋に響いたからだ。

「申し訳ありません、イクマ様。至急、お話ししたいことがございます」

 その声はこの屋敷の執事長であるノバさんのものだ。いつも落ち着いている彼にしては珍しく、焦った様子であることは声色ですぐにわかった。
 俺は扉に近づき、すぐに開いた。

「どうかしたんですか」
「イクマ様」

 扉を開いた先には、見るからに人のよさそうな初老の男性が立っていた。彼は俺を見るなり、頭を下げる。右足を引き、右手を体に添えたお辞儀は、指先まで洗練されたような所作だ。
 ノバさんは、パーラちゃんの義父でもある。その辺りの事情は俺も深く突っこんで聞いていないのだが、とても仲のいい親子であることはよく知っている。
 そんなノバさんは完璧な執事という言葉がぴったりな人だ。いつも堂々と振る舞いながら落ち着きがある。しかし、今回は、その顔に焦りが見えた。

「実は、つい先ほどイクマ様に会いたいとおっしゃる客人が見えまして」
「……俺に?」

 この屋敷にセルデアではなく、俺に会いたいという人間が来たという時点で驚きだ。
 俺は神子ではあったが、この世界でそれを知るものは限られている。今いる神子はユヅ君だけであり、今の俺はただの巻きこまれた一般人という立場だ。
 ――そんな俺に、会いにくる相手……?
 ノバさんが一瞬ためらったように声を詰まらせつつ、ゆっくりとその相手を教えてくれる。

「……その、教皇猊下きょうこうげいかがいらっしゃいました」


    ■■■■


「あ、イクマだ。元気にしていた? 今日も可愛いね」

 メルディがいたのは、この屋敷の応接間だ。
 屋敷内では一際広い部屋であり、室内の中心には複数のソファやテーブルが配置されている。その一つひとつに高級感が漂う装飾が施され、壁には絵画も多く飾られていた。いくつも並ぶ窓からは心地のよい陽光が差しこんでいる。
 メルディがいるのは、ソファの上だ。そこで堂々と寝転がり、頬杖をついたまま部屋に入ってきた俺を出迎えた。まるで自分の家のような寛ぎ方だった。
 久しぶりに会うが、相変わらず自由すぎて呆れてしまう。

「メルディ、何しに来たんだ」
「何って……イクマに会いに来たんだ」

 メルディは眉一つ動かさず、無表情のままでさらりと言い放った。友人に会いたかったから遊びに来たような気軽さだ。教皇ともあろうやつが、そんな簡単に動いていいのだろうか。
 突如、訪れた教皇を目にすれば、さすがのノバさんも冷静ではいられないだろう。先ほどの焦った様子を思い出して、心の中で小さく謝罪した。

「お久しぶりです、イクマ様」

 ふっと思わぬ方向から声をかけられ、そちらへ目線を向ける。そこに立っていたのは赤茶色の癖のない髪を持つ男。垂れ目気味の目と視線が合うと、彼は嬉しそうに微笑んだ。

「イド! 気付くのが遅くなって悪い、元気にしていたか?」
「はい。イクマ様も顔色がよく、安心いたしました」

 イドは神子時代に、ずっと隣にいてくれた俺の側付き神官だった。俺が神子の力を失った後でも、気にかけてくれている。
 噂ではメルディの世話役になったと聞いていたが、どうやら本当だったようだ。イドを見ると自然と口元が緩んでしまう。

「……イドだけずるい。私もイクマに笑いかけてほしいのだけど」
「それなら、もうちょっと常識的な行動をしろ」

 あらかじめ手紙も寄越さず、急な訪問をする教皇など普通はいない。メルディを睨みつけるが無表情は変わらず、何を考えているのかまったくわからない。
 その時、小さめのノック音が室内に響いた。

「失礼します」

 一言だけ声をかけると、扉を開いて入ってきたのはセルデアだ。セルデアは室内に入るなり、軽く頭を下げる。それに対してメルディはひらひらと手を振った。

「お越しいただきありがとうございます、猊下げいか。突如の訪問のため、十分なおもてなしができず、申し訳ありません」
「いいよ、気にしてないから大丈夫」

 セルデアは暗に、連絡してから訪問してくださいと伝えているのだが、メルディは理解していない。いや、こいつの場合は理解しているが、気にしていないのだろう。
 二人を眺めていると、セルデアと視線が合う。するとセルデアが口角を吊り上げ、俺に笑いかけてくれるものだから、つられて俺も微笑んだ。

「……むぅ」
「何だよ、その顔は」

 視線を戻すと、そこには無表情のまま頬を膨らませたメルディがいた。不満を表しているつもりなのだろうが、無表情のままでは何の感情も伝わってこない。

「ったく、本当に俺に会いに来ただけか?」
「うん。ああでも、ついでに手紙も届けに来たよ……イド」
「はい」

 名前を呼ばれるとイドが俺に近づいて、封蝋ふうろうがされている手紙を差し出した。どう考えてもこちらが本題だったように感じたが、突っこまずに手紙を受け取る。

「そちらの手紙はユヅル様からのものになります。よければサリダート公爵と共に読んでほしいとのことでした」

 ユヅ君からの手紙と聞いて、少し驚く。さらにセルデアと読めということは、大事な内容なのだろう。
 俺は、すぐに手紙を開けることにした。セルデアもそっと俺に近づき、後ろからその手紙を覗きこむ。
 手紙に書かれていた文字は日本語でなく、少々いびつだがこの世界の言葉だ。この数か月で懸命に勉強したのだろう。それを見ると昔の自分と重なり、微笑ましくて胸の奥が温かくなる。
 手紙の内容は、軽い挨拶から始まっていたが、すぐに本題に入った。

「神子の隣国訪問か……前代未聞だな」

 一緒に手紙を読んでいたセルデアが、深刻そうに呟く。
 手紙の内容によると、ユヅ君は隣国へ行くことになったそうだ。
 神子たちが隣国に行くことは、エルーワ国の長い歴史の中で一度もない。
 それが今回訪問することになったのは、瘴気がなくなることが原因だ。
 俺自身も最近知ったことではあるのだが、エルーワは永世中立国家だ。それは神子召喚をできるのが、エルーワだけだから。
 瘴気や化身関連の危機が起こった時に、解決できるのは神子だけであり、それを握っているのはエルーワのみ。その解決に必ず手を貸すことを条件として、複数の国家から中立国家として認められているそうだ。
 しかし、未だ残っている瘴気も時間と共に消え去り、神子はもう不要となる。その事実の説明と、今後の国同士の付き合いに関する話し合いのため、ユヅ君も使者として向かうことになったそうだ。
 さらに、ユヅ君が向かう必要がある大きな理由が、もう一つあった。

「新しい化身か……」

 隣国で新しい化身が見つかったというのだ。
 まさかの内容に、一瞬だけ思考が停止する。その化身は瘴気に侵されている可能性があり、神子の浄化を早急に求めているそうだ。

「……化身ってエルーワ以外でも生まれるのか?」
「ああ。基本的にはここで生まれることが多いが、他国にも生まれることはある。その際は我が国で引き取るのが普通だ」

 手紙を開いたまま、セルデアへ問いかけるとすぐに答えが戻ってくる。
 確かに、いつ神堕ちするかわからない化身を神子のいない国が抱えるのは、自国を破滅させる爆弾を抱えているのと変わらない。エルーワで引き取るのは納得だ。
 そして、ここからが本題だった。 

『化身がいるということで訪問するのは、俺とその護衛にナイヤ、国の代表としてルーカスが選ばれたんだけど……セルデアにも来てもらわないといけないんです』

 ユヅ君の手紙には、理由が綴られていた。
 セルデアは唯一、神堕ちから助かった化身だ。前例のない出来事であるが故に、彼に対する世間の目は未だ厳しい。事情を知らない人たちが、また神堕ちするのではないか、という不安をセルデアに感じるのは仕方ないことではあった。
 時間が経てば、それも解消されていくだろうが、あの事件からまだ半年。ユヅ君からの手紙によると、今神子であるユヅ君とセルデアが遠く離れるのは時期的によくない、と国が決めたとのこと。

『そこで、よかったら郁馬さんも一緒に来ませんか? 神子としては先輩でもある郁馬さんに一緒に来てもらえたら、すごく安心するんです』

 これは、一人残されてしまう俺への気遣いかもしれない。セルデアの側にいたほうがいいのは俺でもあるし、ユヅ君とゆっくり話せる機会でもある。
 しかし、問題は同行者か?
 名前が書かれていたのは第一王子のルーカス・エルーワと、元王国騎士団長のナイヤ・パンシウム。
 二人は、再召喚された俺が先代神子とは気付かずに邪険に扱った。その件で、ナイヤは王国騎士団長を辞退し、ルーカスは王位継承が延期となった。
 ユヅ君と共に隣国に向かえば、嫌でも彼らとは顔を突き合わせることになるだろう。
 俺は、手紙を読み終わった後も、二人の顔が浮かんで手紙を開いたまま考えこむ。そんな俺の様子を見かねたのか、セルデアが顔を覗きこんできた。

「イクマ、私のことは気にしなくていい。貴方が嫌ならば遠慮なく断ってくれ」

 セルデアの瞳が、俺を鋭く見つめる。その紫水晶のような瞳に広がっているのは不安の色だ。
 彼が心配しているのはその二人のことだろう。俺が会いたくないため、迷っているように見えたのかもしれない。
 しかし、俺はナイヤとルーカスに対して怒りはない。彼らは彼らなりに罰を受け、責任を取ったのだ。そんな二人にこれ以上、思うこともない。
 それに、ナイヤには神子とバラした直後に謝罪してもらっている。ルーカスとは、未だにしっかりと話せていないが。
 とにかく、先ほどから気になっているのは俺のことじゃなく――セルデアだ。

「……お前は、あの二人と一緒にいて平気か?」

 元神様の策略のせいとはいえ、セルデアは俺のために本当の〝悪役〟となった。その悪役に向けられた悪意は、何よりもセルデアの心に鋭く刺さっただろう。そして、それはあの二人も同様だったはずだ。
 俺の問いかけに、セルデアはその目を大きくみはった。幼ささえ感じる無防備な表情を一瞬だけ見せてから、微笑んだ。

「……私を気遣ってくれて嬉しく思う。しかし、問題ない。あれは私に非があったのだ。それに、二人からすでに謝罪はもらっている」
「そうか」

 その声には嘘がないように感じた。そうなると俺の心はすぐさま決まったようなものだ。おもむろに手紙を閉じると、寝転がるメルディへ顔を向けた。


「俺も行く」
「い、イクマ?」

 はっきりとした返答を告げると、動揺で震えたセルデアの声が聞こえる。俺は背後のセルデアにもたれかかるように体重を少し後ろへ預け、その顔を仰ぎ見た。

「置いていく、なんて言うなよ。俺がお前の側にいたいんだよ」
「……っ」

 それが俺の素直な気持ちだった。
 セルデアは眉間に皺をぎゅっと寄せ、口を一文字に結んだ。他人にとっては激怒しているように見えるこの表情が、どういう顔なのか俺は知っている。
 ――泣きそうになるくらいに、嬉しい時の顔だ。
 悪役みたいな顔をしていて、こいつは俺に関することにはいつも涙もろい。それが、愛しいと思うところだ。

「……そういえば、隣国の名前はなんだ?」

 ふと気になって、セルデアに問いかける。ユヅ君の手紙には隣国としか書かれておらず、名前がない。俺としては神子時代に聞いたような気もするがはっきりと覚えていない。辛うじて覚えていることといえば、かなりの大国であったようなことくらいだ。

「レラグレイ帝国だ」
「レラ……グレイ?」

 改めて聞くと、何かが引っかかる。確かに聞いたことのある名前だが、それが引っかかるのではなくて、別の何かが思い出せそうなのだ。それがわからない。
 あと少し、あと少しで思い出せそうなのに。

「……そういえば」

 俺が必死に過去の記憶を探っている時、イドがぽつりと呟いた。

「イクマ様は、レラグレイからの使者にお会いになったことがありましたよね」

 イドの言葉に、脳内で灯りが点いたかのように記憶が呼び起こされる。イドの言う通り、俺は神子時代に一人の青年と出会っている。それがレラグレイ帝国からの使者であり、褐色の肌と紅玉色の瞳を持つ青年。
 確か、彼の名前は――

「――ラティーフ」

 無意識にその名前が口からこぼれる。

「ラティーフ? もしかして……使者として会ったのはラティーフ・ ウスティノフか?」

 それに反応したのはセルデアだ。少し驚いたような顔をしたあと、何かを考えこむように俯いた。
 俺が聞いたのはラティーフという名前だけで、フルネームまでは知らない。しかし、セルデアの反応を見るに、何かしら重要そうな人物であるということは察した。

「何だ? 知っているのか?」
「……ああ、そうだった。あの子だ、ラティーフはね」

 その答えは期待していなかった方向から告げられることとなる。その声の主はメルディであり、変わらずソファで寝そべった体勢のままだ。
 それでも、重そうな目蓋の奥にある翠色の瞳は、真っ直ぐに俺の顔だけを見据えていた。

「――レラグレイ帝国の現皇帝だよ」

 そう言ったメルディは、興味なさそうに小さく欠伸をした。


    ■■■■


 俺がラティーフに出会ったのは、この世界から帰ると決めた頃だ。
 つまり、その頃の俺はセルデアの態度に耐えきれず、よく落ちこんでいた時期。その時、レラグレイ帝国から来た使者であるラティーフは、俺より少し年上の青年だった。
 はっきりとした年齢は聞いていないが、十代後半くらいの年齢で俺より年上ではあったと思う。
 あったと思う、というのは彼がおよそ年上とは思えない性格の持ち主であったからだ。
 とにかく、俺は彼とはすぐに仲良くなった。彼の滞在は三日間くらいだったので、俺が会えたのも三回くらいだ。それでもいい思い出といえる良好な関係だったと断言できる。
 セルデアたちに聞いた話だと、俺が帰った年に前皇帝が亡くなり、成人していたラティーフが即位したそうだ。

「……あの、ラティーフが」

 俺の小さな呟きは、馬車が走る音と混じり、誰かに伝わることなく消えた。
 今の俺は馬車に乗りこんで、すでにレラグレイ帝国に向かっている。
 手紙の返事をしたあと、俺とセルデアは荷物をまとめ、すぐに屋敷を発つことになった。一旦王都へ向かった俺たちを出迎えたのは、旅支度を終えたユヅ君一行。彼らと合流するとすぐ、レラグレイ帝国に向かうこととなった。

「郁馬さん」

 名前を呼ばれて、そちらに目を向ける。
 俺の正面に位置して座っている少年は、男性ながら可愛いという言葉がふさわしい。俺と同じく黒髪であり、ぱっちりとした黒の瞳が俺を真っ直ぐに捉えていた。俺と目線が合うなり、人懐っこい笑顔を浮かべた。
 彼こそが、この世界に俺と同じように召喚され、最後の神子となる朝来野弓弦あさくのゆづる君だ。
 王都ですでに合流はしていたが、互いに慌ただしく動いていたため、落ち着いて顔を合わせることができたのは馬車に乗ってからだ。

「改めて来てくれてありがとうございます! 郁馬さんが来てくれて、本当に嬉しいです」

 はきはきと語る口調と生き生きとした姿は、今の俺にとって輝いているように感じて眩しい。眩しいといっても不快感は一切なく、清爽せいそう感が漂う。

「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。俺も隣国には行ったことはなかったから嬉しいよ」
「そう言ってもらえて、嬉しいです!」

 笑顔を絶やさず返答するユヅ君に、自然と口元が緩んだ。
 現在、レラグレイ帝国に向かっている馬車だが、俺とユヅ君以外に馬車内にいるのはセルデアとイドだ。ルーカスは、もう一つの馬車に乗っており、ナイヤは馬にまたがり馬車の護衛をしている。
 ルーカスとは王都でも目を合わせたが、直接言葉を交わしていない。意図的にそうした訳ではなかったが、正直なところ気まずいという気持ちは多少なりともあった。
 ルーカスはメルディからの罰によって、俺に会うことを禁じられている。今回の訪問では特例とし、俺が望まない限りルーカスからの接触は禁止、という形で収まった。
 ……まあ、いつかちゃんと話したいとは思っているんだけどな。

「お二人が話しているところ、大変申し訳ありませんが私からお話があります」

 そう切り出したのはイドだ。イドは、ここにはいないメルディに命じられて今回の訪問に参加した。当たり前だが、教皇であるメルディはエルーワに残っている。

「ユヅル様は神子として訪問されますが……イクマ様に関しては神子としての扱いはできません」

 それに対して俺はすぐに頷いた。
 当然のことだ。エルーワでも俺が先代神子だと知っているものは少ない。それを他国でバラすつもりもなければ、神子としての扱いも望んでいない。
 大体、未だに神子の力も戻っていないので、本当の意味でも俺は神子じゃない。

「ですから滞在中、イクマ様はユヅル様の側付き神官ということにする予定です。イクマ様、これを」

 そう言って手渡されたのは、服だ。イドから受け取って広げると、真っ白な服に背中には黒い丸が一つ描かれている。それが神官の服であることに気付いた。

「そちらの衣服に着替えてください。私もこの旅ではユヅル様の側付き神官を名乗らせていただきますが、イクマ様を影ながらお助けします」
「それは頼もしいな」

 残念ながら、いつも俺の世話をしてくれるパーラちゃんは留守番だ。代わりという訳ではないが、イドが側にいてくれるなら心強い。
 イドが俺に対して優しく微笑んだが、なぜか一瞬にして凍り付いた。それに対して俺が首を傾げていると――

「イクマ」

 感情の少ない声が馬車内に響く。それはセルデアの声で、そちらを向くと、いつの間にかセルデアの掌には小さな白蛇が載っていた。

「私も今のうちに、これを渡しておこう」

 差し出された白蛇は本当に小さくて、簡単に握れるくらいしかない。セルデアの掌でとぐろを巻いていたが、俺の掌へ受け渡すと白蛇がゆっくりと頭をもたげた。そして、そのつぶらな瞳を俺へ向けながら、舌をちろりと覗かせる。
 それは、まるで俺に挨拶しているようだった。
 化身の力の一つとして、セルデアは地を這うものを眷属として自在に操れる。セルデアが言うには、近くにいる蛇などを引き寄せ従属できるらしい。
 俺が蛇に詳しくないというのもあるが、こんな小さな蛇を見たのは始めてだった。

「うわ、可愛い蛇ですね」

 ユヅ君が声を弾ませる。その目は白蛇に釘付けだ。それには俺も同じ考えだった。どことなく愛嬌があって、なかなか可愛い。

「ひっ!」

 しかし、俺たちと真逆に過剰反応するのはイドだ。小さく飛び上がり、身体が震えている。そして、恐怖に満ちた表情のまま凍り付いていた。
 セルデアの軽い神堕ち事件の際に、蛇をけしかけられたせいで、どうやら蛇が苦手になってしまったようだ。
 ……イドには悪いことをした。

「もし私が側にいない時に何かあった場合、これに用件を伝えて放せば、すぐに私に知らせにくる。レラグレイ帝国にいる間は常に側に置いてくれ」

 セルデアの口振りからして、どうやらこの蛇は人の言葉がわかるようだ。その証拠に、セルデアの言葉に「そうだそうだ」と頷くように白蛇は頭を上下に揺らしていた。

「助かるよ、セルデア。ありがとう」

 それは心からの言葉だった。ユヅ君とは違い、俺に護衛はいない。ナイヤは俺も守るつもりではあるはずだが、常にただの神官である俺の側についている訳にもいかないだろう。ただの訪問なのだから、何か起こるとは思えないが念には念を、だ。
 白蛇はするりと俺の手から手首を伝い、そのまま俺の懐へとその姿を消した。

「こいつに名前はあるのか?」
「いや、ないな。イクマがつけたいならつけてやってくれ」

 セルデアの言葉にしっかりと頷く。名前がないのは呼ぶ時に不便だし、何かいい名前を考えておこう。
 俺は、衣服越しに白蛇を優しく撫でた。ふと視線を前に向けると、イドは目を閉じて脱力していた。四肢は投げ出されたようにだらりと下がり、息は荒い。さらにはうわ言のように何かぼそぼそと呟いている。

「うう、蛇……パーラさん、蛇がぁ……」

 ……これは、かなりキているな。
 疲れ切ったイドを見て、彼の前で白蛇を出すのは絶対にやめようと、心の中で決めた。
 そうしているうちに馬車はしばらく走り続け、国境を抜けると窓から見える景色が変化していく。木々しか見えない道から、街道に移り変わっていく。
 馬車の窓から見える景色は、まるで絵画のようだった。レラグレイはエルーワとは違う美しさを持っていた。
 建物一つをとっても、白亜の壁が多いエルーワとは違い、レラグレイ帝国の屋根はドーム状の物が多く、その壁には青や緑など様々な色を使った綺麗な文様が描かれている。
 街を歩いているのは、見たことのない衣服に身を包んだ褐色の肌を持つ人たちが多い。街並み一つで、エルーワ国とはまったく違う文化であることは容易に感じられた。
 やがて俺たちは、現皇帝が住むという宮殿へ辿り着いた。


    ■■■■


「お待ちしておりました、神子様!」
「え、えっと。歓迎していただいて、ありがとうございます」

 馬車が着くなり、大勢の人間がユヅ君を出迎える。護衛の兵士だろう人間が十数人と、きらびやかな衣装を着た男たちが三人程おり、ユヅ君が馬車から降りた瞬間に喝采が起こる。
 思った以上の勢いに、ユヅ君は戸惑いを隠せていない。想像以上の歓迎に、この国でも神子という存在が大切にされているのだということがよくわかる。
 その時俺はというと、違うことに驚いていた。

「……でかいな」

 レラグレイ帝国の宮殿は想像以上に広い。ここまで辿り着くのに広い庭園を進み、二回も門を潜ったといえば、その広さも想像しやすいだろう。大国の主にふさわしい宮殿だ。
 あらかじめイドから聞いた話によると、この宮殿は中庭を中心に機能別に小さな建物と部屋が、区画を分けるように建てられている。それらは三区画に分かれており、外廷、内廷、後宮があるそうだ。
 呆気にとられている場合じゃないな。今の俺は神官の服を着ているのだから、それらしく振る舞わなくてはいけない。気を引き締めながらユヅ君の側に近寄った。
 そうして、俺たちは皇帝のもとへ向かうのだった。


 案内に従い歩き続けると、一際大きな扉の前までやってきた。俺たちが何か言う前に兵士たちによって扉が開かれると、絢爛豪華という言葉がふさわしい内装が目に入った。
 高い天井は金箔が貼り付けられているのか黄金に輝き、壁一つにも赤や青などで植物模様が施されている。照明のシャンデリアも大きく、真正面から見据えると目がやられそうな程に眩い。
 その部屋の中央付近には、長椅子が置かれている。そこに片膝を立て寛いだ姿勢で座る、褐色の肌を持つ青年がいた。

「――ようこそ。エルーワの王子と神子」

 長椅子に座る青年の容姿で一番印象に残るのはその真っ赤な瞳だ。紅玉色の瞳がこちらを見る。その様子を見て、俺の頭の中に浮かんでくる名前は一つだけだった。
 ――ラティーフだ。
 俺の記憶の中にいるラティーフは、少年が青年になる間際のような容姿と体つきだった。しかし、今のラティーフはしっかりとした筋肉が付き、精悍せいかんな顔付きで、今や立派な青年だ。
 若い王だというのに仕草や態度も堂々としており、こちらでは四年しか経ってないはずなのに、まるで別人のように思える。
 ――いや……別人になっているだろ、これは。
 ラティーフの言葉を受け、先頭にいた男が頭を下げた。
 さらさらな金色の髪を持ち、瞳は透き通るような青い色。化身であり、本来耳が生えている部分から真っ白な鳥の羽が生えている。
 彼がエルーワの第一王子、ルーカス・エルーワだ。彼を追うようにして、俺たちも頭を下げた。

「ウスティノフ皇帝陛下。歓迎いただきありがとうございます、この度は」
「ああ、よいよい。畏まった挨拶などはいらぬ。我はそういう面倒なものが好きでなくてな。皆、許す。顔を上げよ」

 その言葉に甘えて、俺は顔を上げる。ラティーフは全員が顔を上げると、満足そうに唇が浅い弧を描いた。

「そうだ、こうして顔が見えるほうがよい。では神子よ、もう少し近くで顔を見せていただけるか?」
「あっ、はい!」

 ユヅ君は少し気後れしている様子ではあったが、言われたように側へ近づく。ラティーフは、まじまじと眺めたあとに、歯を見せて大きく笑った。

「く、ははは。なるほどなるほど、やはり神子とは見目のよいものが選ばれるのだな」
「……そういえば、陛下は先代神子にも会われていましたね」

 ラティーフの言葉を聞き、ルーカスも思い出したようで、目線が一瞬だけ俺へ向いた。そこで、こちらを見るなと言いたいところだが口は開けない。
 その時セルデアが、ルーカスと俺の間に視線を遮るように身体を割りこませてくれた。
 それは気を遣ってなのか、ルーカスに俺を見てほしくないのかは判断できなかったが、俺としては助かった。
 ラティーフはルーカスの言葉を受けると、懐かしさに浸るように目線を虚空に向けた。しかし、それは一瞬だ。
 次の瞬間には、眉をひそめ苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「ああ。だが、先代神子のことは……口にさえしたくない」

 一瞬、重苦しい沈黙が流れる。
 ラティーフの、あの口調と表情ではどう見ても、いい思い出だったとは感じているようには見えない。むしろ、嫌っているとさえ感じとれる。
 ……おかしい。本当にラティーフとは、いい友人だったはずだ。必死に記憶を掘り返してみるが、喧嘩もなければ、セルデアのように仲違いしていた訳でもない。
 しかし、今の言葉と表情を見る限り、蛇蝎だかつのごとく嫌われているようだ。
 少しして、ラティーフも雰囲気の変化に気付いたのだろう。誤魔化すように軽い咳払いをして、すぐに楽しげに微笑んだ。

「気にせずともよい」
「そ、そうですか」

 ルーカスは動揺を隠し切れていない。俺からすればセルデアの眉間にも皺が二本程いつもより多く寄っているように感じるが、気のせいではないとは思う。

「それよりも、神子にすぐに会わせたい者がいる」


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