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三章

感謝記念SS 正気に戻った後のお話

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「と、言う訳で俺はイカを食べられなかった。それについどう思う?」
「す、すまない。申し訳ないと思っている」

 俺の目の前に座るセルデアは、肩を落とし頭を下げた。落ち込んでいる空気を全身から漂わせている。
 ここは神殿内で俺の部屋として用意された一室だ。正気に戻ったばかりのセルデアはベッドに腰掛けている。俺はその正面に立ち、見下ろすようにベッドの側に立っていた。
 ふと目線を逸らすと、窓からは夕焼けが差し込んでおり、一部は赤く染まっている。
 メルディが言う軽い神堕ち状態に陥ったセルデアが正気に戻ったのは少し前の事だ。
 結局、メルディはすぐに起きる事なく、話の通じないセルデア相手にキスされたり撫でられたりと思う存分好きに扱われた。
 しかし、それは突如終わる。セルデアが急に意識を失ったのだ。ようやく自由になった俺は服を慌てて着替え、メルディを叩き起こした。文字通り、その頭を軽く叩いた。こいつは食い物の恨みは恐ろしいと知るべきだ。
 それから、すぐにイドを呼んだ。その際満面の笑みを浮かべたパーラちゃんも来たのは謎だ。
 とにかく、二人にセルデアの状況を説明し、残るイカ焼きとまたすぐに寝ようとするメルディを引き取って貰った。
 実のところイカ焼きについては、こっそり食べるか迷いはした。この世界では早朝限定とはいえ、俺には関係のない話だ。実際、時間外に食べたとしてもバレはしないだろう。
 それでもその手を止めた理由は、約束だ。泣く泣く手放し、イド達が部屋から出ていった所でセルデアは目を覚ました。
 それからの今である。セルデアには今まで何があったのかを説明した。

「しかし、イクマの好物が……まさか海の現身だったとは」
「俺も半分諦めていたから驚いた」

 会話をしながらイカを思い出す。流石に朝から何も食べていない為、口の中には涎が溜まる。同時に腹から食べ物を求める唸り声が響いた。それはセルデアにもしっかりと聞こえたのだろう。ますます申し訳なさそうに身を丸めた。
 起きた当初は正気に戻ったらセルデアに文句の一つでも言ってやろうと思ったが、ここまで全身で反省されては黙るしかない。
 因みに今のセルデアは裸体にシーツを巻き付けているだけだ。俺よりも無駄なく締まった精悍な体つきで、何となくだが目のやり場に困る。そこには俺が必死に縋った際に出来た痕もあるので余計に恥ずかしい。

「っごほん。とにかく、イカは置いてイドに俺達の関係がバレた」
「神官に……?」

 因みにメルディにもバレたが、あれは放置でいいと俺が決めた。それを聞くとセルデアが小さく息を呑み、俯いた。

「ええと、やっぱりマズいよな。同性だと、色々あるのか?」

 明らかに表情を変えたセルデアに、事の重大さを察する。今まで色々な事があり客観的に考えられていなかったが、よくよく考えて同性の恋愛がこの世界ではどういう意味を持つのか知らない。
 もし大罪というのなら、これから俺達の関係を続けていく為にもしっかりと考えなくてはならない。
 しかし、セルデアは頭を大きく横に振った。

「貴方の世界はわからないが、この世界で同性間の恋愛に対して批判はない。神々の中にも両性を持つ存在が多くいた為だ。とはいえ基本は戯れの一つという認識だ。次代を産む為にも人は同性を伴侶にする為にはいかないからな」
「それは良かった……」

 安堵の息と共に、肩の力が抜けていく。しかし、俺と違いセルデアの表情は晴れない。
 眉間に皺を刻み、口元に手を置いて何やら考え込んでいるようだった。

「どうした? 他に何かあるのか?」
「……問題がある」
「問題?」
「ああ。先程言った同性間の恋愛は戯れという話だ。神官は勘違いをするかもしれない」
「あー」

 それに関しては大体は察する事が出来た。イドは敬虔な信者だ。神官として誇りを持っており、この世界に呼ばれる神子たちを崇拝している。
 俺が先代神子であるという事を知っている数少ない人物でもあるイドが、セルデアに遊ばれたと考えればどうなるか。
 更に、今は出禁を解消されたとはいえ、未だに教会内でセルデアの印象は良くない。それらを考えると、何となくだが想像がつく。

「イドに早めに説明しないと駄目だな」
「いや、説明したとしても相手は私だ。どうなるかわからない」
「ん?」

 その言葉には首を傾げる。セルデアの印象が悪いとしても、相手はイドだ。しっかりと話せば問題にはならないはずだ。それにそこまで思い悩む程にセルデアにどんな問題があるというのか、俺には理解できなかった。
 セルデアの手がゆっくりと伸びて、俺の手を掴んだ。

「私は神堕ちした化身だ。相応しくないと先代神子の同情心につけ込んだのだと、言われるかもしれない。そうすれば、猊下も神官たちも私から貴方を取り上げる可能性がある」
「おい、待て」

 セルデアの俺の手を掴む力が変わる。俺の手に添えるように触れていたのに、しがみ付くように離さないとばかりに力が徐々に強まっていた。
 先程まで俺としっかり会話をしていたのに、今では独り言のように語り続けている。目線は俺ではなく、虚空に向けられている。目には深い底の光を留めていた。
 その様子は誰が見てもおかしいと気づく。

「そうさせるつもりはない。誰であろうと、私から貴方を奪わせない。神官の口止めからするべきか。いや、教会の人間が金銭を求めない場合が多いな。ならば、最終的には」
「ったく……」

 セルデアらしくない思考、異様にも思える俺への固執。それらを感じ取れる言葉で現状を察した。
 俺は一瞬だけ考え、溜め息が無意識に零れる。次にやる事は何となく理解していた。掴まれていない腕を徐に上げる。
 そのままセルデアの額に近づけ、指で弾いた。親指で中指を止めて、勢いをつけて弾く。いわゆるデコピンだ。
 割と力を込めたので、コンという気持ちのいい音と共に額へ当たる。その痛みに驚いたセルデアが全身を大きく震わせた。
 そして、瞳を丸くさせたまま、今度は間違いなく俺をしっかりと見た。

「──セルデア」

 だから、小さく名前だけを呼ぶ。真っ直ぐと瞳を覗き込んで。
 これだけでいいと、自然にわかっていた。神子の力なんてもういらない。それがなくても大丈夫なのだ。これでいい。
 セルデアは数回大きく瞬きを繰り返す。そして少しの沈黙の後に眉を垂らして、小さく笑った。

「……すまない、イクマ。助かった」

 明らかに先程のセルデアは、様子がおかしかった。多分、メルディがいっていた神堕ちの後遺症というやつだろう。多分だが、愛する相手への執着心も強まったのではないだろうか。
 神々の愛は深い。それが神に近付くという事であり、愛が深い故に陥ったある神の末路も俺は知っていた。

「……どうにも、今は貴方に関する感情を制御するのが難しくなっているようだ」
「俺に関する?」
「ああ。私は今まで生きてきて、欲しいものは全て手放す事しかしなかった。だからこそ望んで手に入ったものを奪われるかもしれないという恐怖感は……初めてだった」

 セルデアは疲労感の滲む息を深く吐き出した。俺は、その言葉に何も返せなかった。
 俺自身、順風満帆の人生を歩んできたのかと問われると素直に頷く事は出来ない。それでも人並みに欲しいものは欲しいと考えて行動してきた方だ。
 しかし、俺よりは恵まれた地位ではあるはずのセルデアが、全てを手放してきたと言い切る。そのような人生など考えられない、考えたくもない。
 そこまで考えると目の前の男が、どうにも愛しくて堪らなくなる。

「イクマ?」

 セルデアの頭を、俺の胸に押し付けるようにして抱き締めた。銀色の髪に顔を埋め、腕の力も強くなる。
 暫くは戸惑いの声をあげていたセルデアだったが、応えるように俺の腰に腕が巻き付けられる。俺達は静かな室内で暫く抱き締め合う。
 そうして、静かに互いの呼吸だけを聞き合っていた。

「……」
「……えっと、だな」

 暫しの後、我に返った俺達だが互いに何とも恥ずかしくて黙り込んでいた。これくらいで照れるなと他人には思われてしまいそうだが、俺達は互いに恋愛初心者なのだ。
 とりあえず手を離すが、セルデアは何故か離さない。力強く抱き締めたまま、なんとも気恥ずかしい沈黙が流れる。

「……そういえばイクマは、どうしてイカを食べなかった? 食べれる隙はあっただろう?」
「あ、ああ。それか」

 セルデアの質問に、俺は一瞬戸惑う。

「だって、約束しただろ。イカを食べようって」
「……」
「それならお前と一緒に食べないと意味ないだろう。また食べたらいいさ」
「そうだな。ああ。次の時も、一緒に」

 また沈黙の後、目が合うと二人で噴き出して笑った。口を開いて笑うセルデアを見て、俺の胸奥の中が温かくなっていった。
 そして、ふと気付く。肌が直接触れ合っている。そこで改めて今がどういう状況か思い出した。
 何度も言うが、セルデアはシーツを巻いただけのほぼ裸だ。そして、俺が付けた爪痕が間近に見える訳だ。

「……と、とりあえず、服を着てくれ」

 俺は自然と頬に熱が集まっていくのを感じながら、俯いた。
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