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第一章 代筆屋と客じゃない客
第四片 ある研究者の憂鬱
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「王都にいる妻から……あなたの手紙は報告書みたいねって言われたんだ」
夕方、仕事帰りに代筆屋にやってきたのは薬の研究をしている40代の男性だった。
このお客さんはハイルさんといい、代筆屋の隣にある商会に薬を卸しているその関係者だ。たまたま先週商会を訪れた時に代筆屋の存在を聞き、商会長のツテでここにやってきたという。
わざわざ使いの者を寄越し予約を入れてくるほど生真面目な人で、きれいに手入れされた靴はピカピカと輝いている。上質なジャケットや整えられた身なりに、さすが王都一の商会が抱える研究者だなと私は思った。
「恩師から受賞祝いが届いて、その返信を書こうとしたんだが……何を書いていいかまったくわからない。図書館に行って手紙の書き方がわかる本を探したんだが、あいにくそんなものはなかった。それらしいタイトルの本はあったが、どうも違う気がするんだ」
この世界では、紙が貴重なため、書物は中流家庭でもまず家にない。彼のような研究者でも、図書館を利用するのは一般的だ。
手紙を書こうにも書き方がわからず、図書館に行き、その結果途方に暮れて代筆屋を訪ねるというコースはわりと定番なのだ。
彼の場合は特に「失敗したくない」という思いが強すぎて、本来なら書けるものも書けなくなっているようにも見える。父親ほどの年齢だけれど、悩んで困っている表情がなんとも愛嬌のある人だった。
「ためしに書いてみたら、それを読んだ妻の視線が痛すぎてね……。それでこちらに来たんだよ」
「ふふふ、それは大変でしたね」
ハイルさんは代筆屋の椅子に腰かけ、すっかり小さくなってしまっている。よほど辛辣な意見を妻からもらったらしい。自信喪失、意気消沈である。
私はいつものように石板をテーブルに置き、ひとまずは彼の心の中にたまったうっぷんを吐き出せることにする。学生時代の話、恩師との思い出や受賞した研究について、彼の得意分野をとことんしゃべらせた。
人は基本的に、自分の話を聞いてくれる人に良い印象を抱くのでこれも客商売のうちだ。
きちんと相槌を打ってくれる聞き手がいればもっと話したくなっていくもので、心がほぐれるとその分素直に文章にしやすくもなる。
ひとしきりハイルさんにしゃべらせた後、手紙に使えそうなネタを拾い、私は笑顔で彼に伝えた。
「手紙に失敗なんてありません。手紙は本来、心のうちを文章にのせて届けるものです。今すでに書かれた手紙が報告書のようになっているのは、ここにあなたの感情が見当たらないからだと思います」
ハイルさんはまじまじと手元の紙を見つめ、ふむふむと頷く。どうやら私の言葉に、思い当たる節があったようだ。男の人は、必要なことしか書かない人が多い。
「恩師の方からお祝いをいただいて、嬉しかったんですよね?ありがとうございましたという言葉だけでなく、どう嬉しかったのか、先生と過ごした昔のことを思い出してつい物思いにふけってしまったことなども伝えましょう」
「そうか、それならば報告書にはならないね」
憑き物が落ちたようなハイルさんを見て、私は静かに頷き返した。
「ハイル様は研究者ですから、感情よりも数字や結果に目を向けてきたのでしょう?」
「ああ、そうだ。そういわれてみれば、いかに簡潔に要点を伝えるかを優先してきたと思う。感情は不確かで、変化するものだから取るに足らないと軽んじている部分があるかもしれないな」
「ふふふ。確かに感情は不確かですね。その通りだと私も思います。でも私が関わっている手紙の分野では、そのいつか消え去ってしまう不確かな感情が意外に大切なのですよ」
「そうだね」
「ええ。人は、誰しも心があって暮らしていますから」
「妻にもときおり、あなたは人の心がわかっていないってなじられるんだよ」
ハイルさんは乾いた笑いと共に、自嘲して目を細める。私も軽く首をすくめ、彼の感情に同調してみせた。奥様のことは怖がっているけれど、とても愛しているんだろうなと思った。
「夫婦といえど、互いの心はよめないものなのですね。勉強になりますわ」
「カレンさんなら大丈夫だよ。君の伴侶になる人はきっと、思慮深くて思いやりのある人だ」
「だといいんですけれど」
彼の言葉に私は思わず苦笑いを浮かべた。もう何年も前に離れてしまったある人物の顔を思い出したのだ。
幼い頃から婚約者という名ばかりの関係だったあの人。恋に恋していた私は、その姿を見るだけでうれしかったのは覚えている。
(私の伴侶になる人が思慮深くて思いやりのある人だったなら、今頃こんなところで代筆屋なんてしていないわねきっと)
すっかり心の片隅に片付けられてしまった「恋だったもの」は、一体何という名前なのだろう。
ぼんやりとしていて曖昧で、でもそこにある記憶にはまっすぐ目を向けられない。心に鍵をせずとも、それがふとした瞬間に出てこないようになるまでは、あとどれくらいの時間がかかるのか。
私は目の前の客に気づかれないように、そっと小さく息を吐き出した。
「さ、もう少しですよ!ハイル様。今日中に仕上げて、配送屋に託しましょうね!」
自分の半分ほどの年齢でしかないアドバイザーの勢いに感化されたハイルは、「うむ」と気合を入れなおして石板に向き直った。もうすぐで下書きが完成だ。書き上げた手紙は自宅で妻に見せよう、きっと驚くぞとハイルさんは喜んでいた。
夕方、仕事帰りに代筆屋にやってきたのは薬の研究をしている40代の男性だった。
このお客さんはハイルさんといい、代筆屋の隣にある商会に薬を卸しているその関係者だ。たまたま先週商会を訪れた時に代筆屋の存在を聞き、商会長のツテでここにやってきたという。
わざわざ使いの者を寄越し予約を入れてくるほど生真面目な人で、きれいに手入れされた靴はピカピカと輝いている。上質なジャケットや整えられた身なりに、さすが王都一の商会が抱える研究者だなと私は思った。
「恩師から受賞祝いが届いて、その返信を書こうとしたんだが……何を書いていいかまったくわからない。図書館に行って手紙の書き方がわかる本を探したんだが、あいにくそんなものはなかった。それらしいタイトルの本はあったが、どうも違う気がするんだ」
この世界では、紙が貴重なため、書物は中流家庭でもまず家にない。彼のような研究者でも、図書館を利用するのは一般的だ。
手紙を書こうにも書き方がわからず、図書館に行き、その結果途方に暮れて代筆屋を訪ねるというコースはわりと定番なのだ。
彼の場合は特に「失敗したくない」という思いが強すぎて、本来なら書けるものも書けなくなっているようにも見える。父親ほどの年齢だけれど、悩んで困っている表情がなんとも愛嬌のある人だった。
「ためしに書いてみたら、それを読んだ妻の視線が痛すぎてね……。それでこちらに来たんだよ」
「ふふふ、それは大変でしたね」
ハイルさんは代筆屋の椅子に腰かけ、すっかり小さくなってしまっている。よほど辛辣な意見を妻からもらったらしい。自信喪失、意気消沈である。
私はいつものように石板をテーブルに置き、ひとまずは彼の心の中にたまったうっぷんを吐き出せることにする。学生時代の話、恩師との思い出や受賞した研究について、彼の得意分野をとことんしゃべらせた。
人は基本的に、自分の話を聞いてくれる人に良い印象を抱くのでこれも客商売のうちだ。
きちんと相槌を打ってくれる聞き手がいればもっと話したくなっていくもので、心がほぐれるとその分素直に文章にしやすくもなる。
ひとしきりハイルさんにしゃべらせた後、手紙に使えそうなネタを拾い、私は笑顔で彼に伝えた。
「手紙に失敗なんてありません。手紙は本来、心のうちを文章にのせて届けるものです。今すでに書かれた手紙が報告書のようになっているのは、ここにあなたの感情が見当たらないからだと思います」
ハイルさんはまじまじと手元の紙を見つめ、ふむふむと頷く。どうやら私の言葉に、思い当たる節があったようだ。男の人は、必要なことしか書かない人が多い。
「恩師の方からお祝いをいただいて、嬉しかったんですよね?ありがとうございましたという言葉だけでなく、どう嬉しかったのか、先生と過ごした昔のことを思い出してつい物思いにふけってしまったことなども伝えましょう」
「そうか、それならば報告書にはならないね」
憑き物が落ちたようなハイルさんを見て、私は静かに頷き返した。
「ハイル様は研究者ですから、感情よりも数字や結果に目を向けてきたのでしょう?」
「ああ、そうだ。そういわれてみれば、いかに簡潔に要点を伝えるかを優先してきたと思う。感情は不確かで、変化するものだから取るに足らないと軽んじている部分があるかもしれないな」
「ふふふ。確かに感情は不確かですね。その通りだと私も思います。でも私が関わっている手紙の分野では、そのいつか消え去ってしまう不確かな感情が意外に大切なのですよ」
「そうだね」
「ええ。人は、誰しも心があって暮らしていますから」
「妻にもときおり、あなたは人の心がわかっていないってなじられるんだよ」
ハイルさんは乾いた笑いと共に、自嘲して目を細める。私も軽く首をすくめ、彼の感情に同調してみせた。奥様のことは怖がっているけれど、とても愛しているんだろうなと思った。
「夫婦といえど、互いの心はよめないものなのですね。勉強になりますわ」
「カレンさんなら大丈夫だよ。君の伴侶になる人はきっと、思慮深くて思いやりのある人だ」
「だといいんですけれど」
彼の言葉に私は思わず苦笑いを浮かべた。もう何年も前に離れてしまったある人物の顔を思い出したのだ。
幼い頃から婚約者という名ばかりの関係だったあの人。恋に恋していた私は、その姿を見るだけでうれしかったのは覚えている。
(私の伴侶になる人が思慮深くて思いやりのある人だったなら、今頃こんなところで代筆屋なんてしていないわねきっと)
すっかり心の片隅に片付けられてしまった「恋だったもの」は、一体何という名前なのだろう。
ぼんやりとしていて曖昧で、でもそこにある記憶にはまっすぐ目を向けられない。心に鍵をせずとも、それがふとした瞬間に出てこないようになるまでは、あとどれくらいの時間がかかるのか。
私は目の前の客に気づかれないように、そっと小さく息を吐き出した。
「さ、もう少しですよ!ハイル様。今日中に仕上げて、配送屋に託しましょうね!」
自分の半分ほどの年齢でしかないアドバイザーの勢いに感化されたハイルは、「うむ」と気合を入れなおして石板に向き直った。もうすぐで下書きが完成だ。書き上げた手紙は自宅で妻に見せよう、きっと驚くぞとハイルさんは喜んでいた。
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